踏みしめた道










信じられない。


だいたい、彼らの言葉を声にすると、そんな感じな気がした。遅いと僕の様子を見に来たらしいニナさんは、覇王の紋章さん、つまりは黄金の竜を見上げて、ぺたんと膝をついて座り込んだ。大丈夫? と駆け寄りたかったのに、どうにも体がうまく動かない。彼女の悲鳴をききつけてやってきたミューズの兵や、シンさんや、ついでにフィッチャーさんは口をパクパクとさせた。申し訳がない。

「あの、えっとさ」

僕はあは、と笑いながら、頭をひっかく。「この竜、おとなしいみたいだからさ、背中に乗せてもらおうよ」 さも、自分はこいつなんて知らないけど、みたいな顔をしておいた。





広々とした彼の背中に乗っかって、みんなひいひいと悲鳴を上げた。僕は一番前の彼の首根っこに座りながら、じわじわと削れていく魔力を意識した。(大丈夫)ネクロードのときとくらべたら、こんなの屁でもない。あのときは終わりがないと思っていた。けれども今は違う。僕は魔力の調節は上手になったし、体力もついた。

くんは、竜騎士の、さ、才能が、あったのですか……?」
「え?」

フィッチャーさんはガクガクと震えているくせに、僕の隣にちょこんと座って歯の根を鳴らしていた。「竜騎士?」 そんなの聞いたことがない。「赤月、今はトランに存在する竜穴を守る騎士達ですよ。はぐれ竜は人を襲います。竜騎士がいることなく、竜が人に従うことなどありえません。し、しかもこんなに大きな竜がいるだなんて……ひいい」「へー……」

初耳だなあ、と僕は億劫に返事をする。「知らないけど、この人は別に僕に従ってるとか、そういうのじゃ……ないし。うぷ」 話すと口元から嗚咽のような息があふれた。地面の上で、とっくの昔に胃の中身を全部出してしまったはずなのだけれど、どうにも我慢がしづらい。けれどもさすがに紋章さんの背中の上にげろげろとしてしまうとあとが怖い。僕は必死に胃液を飲み込んだ。

くん?」
なんでもないとばかりに僕はぱたぱたと手のひらを振った。「とにかく、違うよ。たぶんこの人は特別なんだ。すごくすごく、賢いんじゃないかな。手伝ってくれるのも、多分これ一回きりだ」

フィッチャーさんはどこかケンノンに瞳を細めた。僕は困ってしまって口元を片手で覆った。「少し、僕の紋章は特別なんだ。この竜の声が聞こえる」 嘘じゃない。「でも、本当に一度きりだから。この人はもうどこかに行ってしまうから」 だから、お願いがあるんだ。と僕は唾を飲み込んだ。

「このことは、誰にも言わないで欲しい」

フィッチャーさんは、とても賢い人であると僕は知っている。失礼な人だとは思ったけれども、なんだかんだと言って、僕はたくさんこの人に助けてもらった。よくよく考えてみれば、グリンヒルで「スパイだぞ!」と叫んで広場を混乱させ、僕らをうまく逃してくれたのもこの人だ。

フィッチャーさんは、じっと僕を見た。
「お約束はできかねます」

私はデュナンの軍、しいてはどのに随身するようにと命じられていますから。
そう告げる彼の言葉を見上げて、あのときと反対だなあ、と思った。フィッチャーさんに軍の中で噂を流してくれと頼まれたとき、僕は嫌だと首を振った。もし僕が間違って、シュウさん達に嫌な思いをさせてしまったらと考えた。

フィッチャーさんだって同じなのだ。彼は軍に報告する義務がある。デュナン軍に不利を働くわけにはいかない。「じゃあ、しょうがないかあ」 そう思うと、勝手に声が出た。「でも、本当にこれきりなんだよ。もうこの竜は僕達に手を貸さないから」
それだけは本当だから。

僕の言葉に、フィッチャーさんは何も言わなかった。僕もそれ以上何も言わなかった。ひゅうひゅうと空の上を駆け抜ける。空の上はびっくりするほど寒くて、凍えてしまいそうだ。下を見るとぐらりと意識が遠くなる。けれども少しだけ爽快な気分だった。

水面がきらきらと反射して輝いている。「あそこだ!」 羽を広げた。ゆっくりと翼を動かして、僕らはゆっくりと地を目指した。




さすがにデュナンの軍に直接到着するわけにはいかないということで、僕らは城から暫く離れた草原に着地した。紋章さんはすぐさまどこかに行くふりをして、姿を消した。相変わらず彼は僕の左手に住んでいるのだけれど、そこら辺はきっと誰も気づいていない、と思いたい。

同盟軍にそのまま向かう人もいれば、家に帰りたいという人もいたし、別の街に向かう人達もいた。僕らは彼らに食料を持たせ姿を見送り、何人かの兵士を引き連れて帰還した。
僕はとにかく疲れていたものだから、フリックさんに会うこともなく、ばったりと地面に倒れこんだ。まあだから、僕は知らない訳だ。

都市同盟の空を駆けた黄金の竜の噂が、そこいらに駆け巡っているだなんて。






     竜、飛翔す


その噂を聞いたとき、ぶわりと恐ろしいほどの汗が流れた。たくさんの人に噂のシンギを確かめられたのだけれども、そこは知らぬ存ぜず、ついでに小さな体を駆使して、逃げに逃げた。やっとのことで再会したフリックさんは、ただ僕の頭を撫でて、ぽんと叩いた。よくやった、と言っているようだった。
相変わらずニナさんはフリックさんを追い掛け回していたし、フリックさんはフリックさんで、「俺のバンダナをどこにやった!?」 だなんてニナさんにとられたバンダナを必死で探していた。

僕はそんな彼らの様子を生ぬるい目で見つめつつ、力いっぱいにデュナン城の空気を吸い込んだ。
ジョウイさんのことは知らない。彼は王国軍の、それもひどく偉い立場に立っているらしいとも聞いた。僕はさんにそのことを問いかけていないけれど、何か一言、教えてくれたらよかったのに、と小さく呟いていた彼を思い出した。
そうすれば、何かが違っていただろうか。


「はー……」

城の人たちはやっぱり忙し気にしている。暫く見なかったな! と背中を叩かれたりとちょっと痛い。
キニスンさんはシロは二人仲良く外でぼんやりと座っていることが多い。シロ、と声をかけても、シロは怒らなくなった。ときどき癖で、シロさん、と呼んでしまう。そうしたらこっちにぼふぼふと肉球を向けてひっぱたく。
ムクムクくんは、いつの間にか仲間ができていた。屋上に行くと、彼らは五色のマントをはためかせて、ババッとポーズをつけていた。けれども近づくと逃げた。よくわからん。


少しずつ、いろんなことが変わっていく。けれども、やっぱり変わらなくて、懐かしいなあと思ってしまう。
酒場のお手伝いができないことはやっぱりちょっと悔しいけれども、僕はユズという女の子のお手伝いをすることにした。髪の毛を二つくくりにしたその女の子は、僕と同い年だというのにしっかりしていて、ずっと動物と暮らしてきたらしい。「かわいいでしょ。こっちの子はハンバーグで、そっちはメンチカツ」「……うん」 それはもしかして使い道なんです? と尋ねて見たかったのだけれども、僕にはちょっと勇気が足りなかった。

グリンヒルでのあのときが、まるで嘘みたいに月日が過ぎた。追っかけまわした豚に蹴り飛ばされて、ごろごろと転がると、「くんどんくさーい」だなんて言って、ユズちゃんに笑われた。僕も一緒にげらげら笑って、土の上に仰向けに寝っ転がった。

空が見えた。
     本当は、トランに行きたかった。


あのとき、紋章さんの背中に乗ってデュナンの城に向かっていたとき、ふと思った。このまま、トランに行くことは出来ないのだろうか。
トラン共和国は検問が設置されていて、都市同盟の人間の立ち入りは禁止されているとフリックさんは言っていた。けれども、空からならどうだろう。きっと誰からも制限されることなく、僕はトランの国に行けた。
くんを、探すことができた。

(けどだめだ)
あのとき、僕はこの城に戻らなくちゃだめだった。ただいまと言わなきゃだめだった。僕だけじゃない。フィッチャーさんや、シンさんや、ニナさん、みんなこのお城を目指していた。(覇王の紋章さんは、ケチンボの役立たずだから、また竜になってくれる訳なんてないし……) ちなみにこうしてゴロゴロと転がっている間でも、てめえ何を言ってやがるこのやろしびれろビリビリと紋章さんからのアタック攻撃は続いているのだけれども、ぶっちゃけもう慣れたものである。どうでもよい。

「あー……」

フリックさんは、またどこかに消えてしまった。きっとさんと一緒だ。あのとき僕をグリンヒルに連れて行ってくれたのは、意味があったからだ。学園都市に潜入するために、違和感がない子どもを集めた。
(だからもう、僕にお呼びはかからない……)

子どもである必要は、もうどこにもない。


ついてきたい。
フリックさん達についていきたい。
僕はもうみんなの役に立てる。そう言いたい。けど言えない。

(役に立てるって……)
それって、どれくらい? 本当に? 僕、調子に乗ってない?

色んな言葉がぐるぐると頭の中で回る。とにかく、僕は立ち上がった。一人暇をしている訳にはいかない。あの豚さんを追っかけ回したあと、残るは羊にひよこである。それが終われば特訓だ。ぶんぶんと剣を振り回しての特訓だ。「ずやっ!」

掛け声を上げてみた。そうしたあとに、もうちょっとカッコいい感じの言葉にすればよかったな、と後悔した。まあ今さらである。てくてくと僕は土を踏みしめた。ふと、珍しい人がいた。

ぱたぱたと、彼は黒髪をなびかせて牧場地に立っていた。長いコートに両手をつっこんでじっとどこかを見つめている。目が合った。慌てて僕は頭を下げた。それから声をかけてみた。「こんにちは、シュウさん」 彼は返事をしなかった。ただじっと、僕を見つめた。




  

2012/11/24

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