踏みしめた道







僕は一人体育座りをした。ぶかぶかのローブを羽織ってぱちぱち弾ける火の粉を見つめる。
(僕……一体……なんでこんなところにいるんだろう……)
全体的に悔やんでいた。やります、僕、頑張るよ。そうシュウさんに言った言葉を思い出して、激しく後悔した。


「わんわんっわんわんだわんっわんわんっ」
「がんばるワンっ! がんばるんだワンっ!」
「ワオオオオオーンッ!!!」

(もとの世界に戻りたい……)

僕が現実を逃避し始める前に、と遠い視線を投げかけて目の前の現状を見つめていた。ゲンゲンくんがたくさんいる。(しかもみんな、語尾にワンをつけている……) 世界が遠い。
(い、いや、これは方言、そう、方言と同じ) だからきっと仕方がないんだ。
人様の言葉遣いにあれこれ言うことはいけないことだね、とうんうん頷いて、いや人様? わんこ様? と思考がそれる。どうでもよい。


     僕は、シュウさんに全てを話した。


よくわからない、不思議な紋章を持っているということ。その紋章は、覇王の紋章と呼ぶこと。他の紋章の力を、抑えることができるということ。

シュウさんはひどく眉間に皺を寄せたまま、僕の左手を握った。片手の手袋をひっぺがして、紋章の形を見た。そして唸った。「たしかにこれは、元は赤月に伝わる覇王の印だ」 現在保管されている資料にも一致する。と呟いた後に、えいやと彼は僕の手の甲を掴んだ。「フギャッ!?」「何を猫のような声を出している」 なるほど偽物という訳ではないのか? と黙々僕の手の甲をすって水までぶっかける彼にヒギャアと叫んだ。


確認のためだ。我慢しろ。とボウジャクブジンにひっつかまれつつ、違うんだよ僕は首を振った。紋章さんが、「我に触れるなこのやろう触れるでないひぎゃ冷たいぞ!?」 といつもの10割増で発揮する本気ビリビリである。
さすがにこれはちょっと我慢が辛いものがあると、ほろほろ涙がこぼれた。まさかの久しぶりのガチ泣きがコレだった。僕はひたすらギャーギャー叫んだ。シュウさんは無視をした。ぶえー、と泣いた。やっぱり無視だった。ちょっとした混乱の渦であった。


そんなこんなで、思い出すと少々つらいものがある。
とりあえずシュウさんは、覇王の紋章さんのことを納得してくれた。そして「お前の力を、俺がうまく使いこなしてやろう」とあくどい笑みを浮かべていらっしゃった。今考えると、僕は結論を急ぎ過ぎてしまったかもしれない。

とにかく、何があろうともお前はリドリー将軍の力となれ、とほっぽり出されて今現在。「僕に一体なにをしろと……だわん」 念のため語尾にわんをつけてみる。泣ける。
王国軍との激突は明日に持ち越した。コボルトだらけの中で、一人人間の子どもが混じっていたらあからさまに不自然であるのでコボルトのふりをしろ、というシュウさんの命令を守ってぐしぐしと鼻をならした。この作戦は、リドリー将軍とシュウさんの2人しか知らない。僕でさえも初めて知った。リドリー将軍からの撤退命令に、驚いたものの、何があろうとも、というシュウさんの言葉を思い出し、彼について逃げた。その判断はおそらく間違っていなかった。

敵を騙すには味方から、なんてよく言うものである。だからこそ、シュウさんは僕が人間であることを隠せと言ったのだ。今回の作戦に限って、なぜだか人間が混じっている。そんなちょっとの疑問でさえも、彼はフッショクしたかった。
(でもこの格好、どう考えても怪しいと思うんだけどなあ……)

戦場で、血気盛んなコボルト達の中で、馬にも乗れない僕はちょこちょこ真っ黒ローブを着て端っこの方で走り回っているのである。どう考えても怪しい。でもとりあえず語尾にワンをつけておけば、みんなコボルトだと認識する。それでいいのかコボルト部隊。なんかもうちょっと色んなところを気をつけた方がいいんでないかなとか改めて考える僕的第三者視点。

(うーん、っていうか、これが実はシュウさんの策ってことはもうみんな知っちゃったわけだし、別にもう脱いでもいいのかなあ)

すでにことは成った。今更気に病むことはないんだろうか、と考えてみたものの、やっぱり分からない。今回の作戦の事情で、僕は本当に細かいことは何も聞かされないままほっぽり出されてたのだ。リドリー将軍の力になれという言葉もアイマイで、色々と困ってしまう。
(まあ、紋章さんを使える範囲でのサポートを頑張れってことかな)
僕に剣の腕を期待しているわけではないということくらい、僕にだってわかる。もしそうであったなら、僕じゃなくて、誰か他の人をだすべきだし、コボルトのみんなは剣を扱うことに長けている。僕よりもずっと長く、剣を触ってきた人……人? 達だ。

「まあ問題は明日だわん」

うむ、と僕は頷いた。判断の使用がないというのなら、このままでやり過ごそう。僕がで、人間であるということは隠して     「なんで、がいるんだ?」 ゲブホッと咳をしながら振り向いた。

「ち、ちがうだわん、ゲンゲンくん違うだわん……僕はコボルトだわん……」
「うん? そうなのか?」

おかしいなあ、と僕の周りをぐるぐると回る馴染みのコボルト、ゲンゲンくんに僕は体を小さくさせて地面を見つめた。すっかり忘れていた。ゲンゲンくんだってコボルトだから、この部隊にいたっておかしくない。彼は傭兵の砦から一緒にいる仲間で、こんなローブなんかで隠せるわけがない。どうしよう、と僕は思わずフードを握りしめた。「ううむ。匂いがのような気がしたんだがな。気のせいだったか?」「まさかの判断基準がそこだった!?」 思わず激しく突っ込んだ。

ゲンゲンくんはぽかんとして僕を見た。
それからパッと顔を明るくして僕を見た。「むむ、やっぱりだな!」 うっかり語尾にわんをつけ忘れた。僕は思わず口ごもって、うう、と唸った。
しょうがない。否応なし、というやつである。







「ふむー。つまりはは、助っ人、ということだな?」
「うんまあ、そんな感じ……かなあ」

ざっくりものすごく大まかにいうとそんな感じである。「でもべつに、に助けてもらわなきゃいけないほど、コボルトは弱くないぞ!」「だよねえ」 ぶっちゃけ僕もそう思う。
ゲンゲンくんはふんふんと鼻から息を出して、「だから安心しろ!」 ドンッと自分の胸を元気いっぱいに叩いた。「おれは隊長だからな。子どものおもりは大得意だ。は安心してがんばれ!」

コボルトの戦士はおもりなんてしないんだぞ、なんて言っていたのに、いつの間にか大得意に変わってしまったらしい。ゲンゲンくんなりに、できることは精一杯がんばれ、という励ましなんだろう。うん、と僕は頷いて、ゲンゲンくんの隣に座り込んだ。「おれはの先輩だからな。わからないことがあったらなんでもきくといい」 

ゲンゲンくんは、そんな僕を見てちょっと嬉しげに鼻を鳴らして、口元の牙を見せながら笑った。ありがたいことである。「わかった。なんでも聞く」 知らない人がいっぱい、という状況には慣れているつもりだけれど、さすがに知らないコボルトがいっぱい、という場面に遭遇するのはこれが初めてである。ちょっとした異世界に潜り込んだような気持ちで、実はずっとドキドキしていたのだ。いや初めから異世界だけど。

ゲンゲンくんはもふもふとした手のひらで、僕の背中を叩いた。「まあ、戦争となれば部隊の配置があるからな! ゲンゲンはのそばにはいられない。でも、コボルトはみんな親切で、勇敢で、強いんだぞ!」 いっぱい安心しろ! と笑う彼の言葉に、うん、と僕は頷いた。「いっぱい安心して、いっぱい頑張るよ!」 相変わらず、どう頑張ればいいのかわかっていないことは事実だけど。

おう! と僕とゲンゲンくんは手のひらを合わせた。それからテントに入ってぐっすりと眠った。明け方になり目を覚まして、新品の剣を研ぐ。一番初めにフリックさんからもらった刃が潰された剣ではなく、ちゃんとした剣だ。グリンヒルに行く前に、フリックさんに買ってもらった。
あの大きさにすっかり慣れてしまったから、やっぱり大人用で、不似合いだとときどき笑われてしまう。

よしよし、と僕はそれを撫でた。きらきらとした刃を親指でこすった。「行こう」



相変わらず僕はローブをかぶったまま出陣した。リドリー将軍に、僕についての特徴を伝えておく、とシュウさんは言っていたけれども、僕は馬に乗れない。てくてくと後ろの方で歩兵としてくっついて、顔を見上げる。大勢のコボルト達の中で、僕の姿は埋まっていた。

トンッ、トンッ、トンッ

空に花火が上がった。突撃の合図だ。けれども誰も動かない。あれは僕らではなく、本陣への合図だ。じっと頃合いを待った。トトンッ……! 空に上がる真っ青な色合いに、おおと全員が牙をむく。


「頃合い、よしッ!!!! 全軍、武器を構えて     前進ッ!!!!」


雄叫びとともに剣を振り回す。ばさばさとローブが風に暴れる。ぶつかり合う剣戟の音とともにフードがずれた。ばさりと自由になった視界をぐるりと回して、挟み撃ちとなった王国軍を一掃する。「一匹たりとて逃すな!」 響く伝令の声に、僕らはオウと返事を繰り返した。腰から引きぬいた剣を薙ぎ、体を振り回す。気合の掛け声とともに剣と剣をガチリとあわせ、退かせる。
(戦えてる)

ちゃんとした正攻法で、僕は戦えてる。ハッ、と口元を笑わせた。けれどもすぐさま足を切られた。僕は唇を噛んだ。(調子に乗っちゃだめだ) 僕は剣技を期待されているわけじゃない。
そうだ、自身が必要な領分を、ちゃんとハアクしなきゃダメなんだ。(リドリー将軍は) どこにいるんだ、と視線を回しても、混乱する戦場では誰も見つからない。ましてや彼は馬上の主である。


リドリー将軍の力になれ。

そう僕は命じられた。一体、僕に何ができるのか。どくどくと左手が震えている。ときたま襲い来る刃を必死に避けた。とにかく僕は、剣をあわせることではなく、状況をハアクすることに努めた。
ごろごろと顔を土だらけにして地面を転がる。
(カッコ悪い)

すごく格好悪い。でもそれでいい。「自分ができることを……」 シュウさんが、僕に求めていることは、覇王の主としてだ。僕はただの仮宿で、できることだって少ない。紋章さんはビリビリ攻撃ばっかりするし、いうことなんて全然きいてくれない。けれども、できることはある。
(気配を探る)

僕は逃げた。逃げ続けた。どくどくと鳴る心臓を抑えつけて、紋章の気配を探った。少しでも気配があれば、僕がそれを捻り潰さなければいけない。コボルトの軍は、紋章に長けているものが少ない。だからこそシュウさんは、僕をここに呼んだ     のだと、僕は勝手に思ってる。

(本隊とはまだ合流はしていない)
帝国軍を挟み撃ちにしているとは言え、さん達本陣とは未だに距離がある。彼とルックさんの紋章の気配が、うっすらと魔力を匂わせている。
(今紋章を打たれたら、コボルト軍はひどいダメージを受ける)

敵もきっとそのことを認識している。逃げ場を失った兵士たちは、死にものぐるいで策を弄する。(意識を集中させて) 魔力の塊があつまる、そのまた前の状況をたぐる。できる。僕なら出来る。「…………!」 顔を上げた。ざくりと振り下ろされた剣を即座によけて、邪魔だとばかりに剣の腹を思いっきり叩きつけた。「アッ……!」「どいて!」

走り抜ける。駄目だ。それだけじゃ間に合わない。馬を見つけた。主に置き去りにされたその馬は、ぶるぶると鼻を鳴らして、興奮した瞳をこちらに向けた。躊躇したのは一瞬だ。僕は即座に彼の手綱を引いて飛び乗った。「の、のれた」 フリックさんとビクトールさん、そしてバルバロッサ様の仕草だ。それを何度も頭の中で思い描いて、暴れ狂う馬の手綱を引っ張る。「落ち着いて、落ち着いて……! あっちだ、あっちに行くんだよ!」

馬は弓なりに足を引いた。そして飛び跳ねるように駆けた。「……うわあ!」 叫ぶと舌を噛む。口元を閉じて、体を前に突き出す。(間に合え!) 気配が近い。戦場を、僕は駆け抜けた。


「進めぇーーーーーーーーーーーー!!!!!!」

剣を振りかざし、吠えるように体を震わせる男がいる。(リドリーさん!) 「頑張って!」 息を荒げる馬に声をかけた。彼は頷くようにぶるると鼻息を荒くする。「よしっ!」


ぞわりと空が煌めく。魔力の塊がぐんと迫っている。
「リドリーさん!!!!!!」

彼は一瞬だけ振り返った。
力の限りに、僕は叫んだ。
左手を掲げた。


「伏せて          ッ!!!」


光が、弾けた










ぶつかり合った、とてもとても大きな魔力は、紐を解くように四散した。一つ一つ、ひどくゆっくりとしたスピードで、それは細切れに消えていく。僕はきょろりと視線を動かした。真っ白な力があふれていた。その中に、小さな出口が合った。僕はひどくそれが気になった。てくてくと足を進めて、カチャンとドアを開ける。広間だった。つるつるの、姿まで映ってしまうような綺麗な石が敷き詰められていて、こつこつと歩けば音がなる。

僕は小さな歩幅で、その道を歩いた。気づくと、少しだけ歩幅が大きくなっていた。ずるずると重いマントを引きずりながら、ゆっくりとヒゲをこする。がちゃり、がちゃりと音をたてる甲冑は、ひどく聞き慣れていた。


誰もいない。ひっそりと静まり返った城の中で、重っ苦しい動きで階段を踏みしめる。
女がいた。
女に狂った、馬鹿な男がここにいた。

花が咲き誇る庭園の中、少年は笑っていた。いつか必ず、立派な帝国軍人になって、あなたをお守りします。はにかんだその少年の言葉に、口元を緩ませた。その未来を自身は想像した。大きくなったあの青年が、父の代わりとなり、ともに歩を進める。希望にあふれた未来だった。

赤い夕暮れが視界を染め上げる。てろてろとこぼれた光の中で、青年は叫んだ。
     バルバロッサ!」

棍を片手に構え、彼は強く地を踏みしめ、精悍な顔をこちらに向けた。「お前は、愚王だ……!」 しかり。
そうだ。おれは愚王であった。
賢明なる王と噂され、よい家臣と妻を持ち、玉座を手にした過去の男は、ただただ月日をこぼし、今となる。

愚王である。愚王である。我は愚かなる王である。

黄金の三つ首の竜にその姿を変え、振るう刃を青年は受け流す。黒き紋章を携え、新たな王と、英雄となりて若き主は竜を滅ぼす。
     ・マクドール!

すでに声を出すことはかなわぬ。
自身の叫びは、血だらけの鱗とともに転げ落ちて、咆哮は赤い空の彼方に埋まる。

     ・マクドール!


青年よ。
青年よ。
青年よ。


よくぞ。
よくぞ。







ああ








勝手に涙がこぼれていた。
僕は手綱を握りしめて、ぼろぼろと涙を流した。「これは……!」 リドリーさんや、コボルトや、王国兵たちが困惑するように白く瞬いた空を見上げた。こぼれ落ちた魔力の残滓が、ふわふわ、きらきらと、ガラスの粉のよう散っている。
王国兵は自身の兵の死をも覚悟をして、魔力と紋章の欠片を無茶苦茶に掛けあわせた塊を僕らに投げつけた。それを僕は捻り潰した。

「お前は、一体なにを」

リドリー将軍は、僕を見ながら息を飲んだ。何度も僕は肩で息を荒げて、嗚咽を繰り返した。苦しい。
(バルバロッサ様は)
くんに殺された。
きっとそうだ。
大きくなったくんに殺された。

政を投げ出した王の末路は、民からの討伐だった。寂しくて、寂しくて、紋章の孤独に埋もれた男の人は、一人の女性を好きになった。けれども彼女は彼を利用しようとした。バルバロッサ様はずっとそのことを知っていた。けれども彼女が好きだった。
(すきということは)


いいことなばかりだと思っていた。
(でも、彼らにとっては違ったんだ)
彼のそれは“悪”であった。彼自身もそれをわかっていた。それはきっといけないことだ。彼が全てを投げ出したせいで、死んでしまった人はたくさんいた。だから、どう理由を並べ立ててあがいたところで、彼は間違っていて、責任を問われるべきだった。

だから。

「嬉しかったんだ」

バルバロッサ様は、嬉しかった。ただの小さな少年だった彼が、大きくなって、自分の前に立って。
「愚王だと、叫んでくれたことが」

ずっとずっと待っていた。誰かがまっすぐに自分を見て、裁いてくれるそのときを待っていた。

変な話だと思った。いびつな話であるとも思った。けれどもひどく胸が痛かった。向き合った彼らの姿を瞼に映して、僕は泣いた。流した涙をぬぐうこともなく、手綱を引き、剣を振るった。バルバロッサ様と同じく、左手で構えた刃を滑らせた。
・マクドール)

僕はその名前を知っている。



青年の名前を知っている。






  

2012/11/26

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