踏みしめた道






僕らは、トラン共和国と同盟を結ぶべく、旅だった。
シーナさんとフリードさん、さんにナナミさん、そしてフリックさんと僕の7人でラダトの街へ向かった。

都市同盟と、赤月は敵国同士である。名前が変わった現在も険悪な状況が続いている、と僕は思っていたのだけれど、ケンアクと言うよりも未だ関係を結びかねている、どちらかというとその説明の方が近いのだと知った。
トラン共和国はまだできて名もない国だ。少しずつ地盤を築きあげて、崩れたはてた国を立て直している最中なのだ。
     赤月と、トランはもはや別の国である。

そう判断したシュウさんはさんを先頭にてトランの国へ向かうことを決意したのだけれども、さて、それでは誰といこうとさんが首を捻ったそのとき、思いっきり叫んだ。
「僕も行きたい!」 
そう言った後で、少しだけ後悔した。僕は同盟軍としてトランに行きたいわけではない。くんに会いたい。そんなずるい下心があった。でも行きたい。彼に会えるかどうかなんてわからない。きっと会えない。トランの英雄、くんは戦いを終えて、どこかに姿を消した。でも彼が作ったその国を、僕は見てみたい。

でも、きっと僕がそう言ったところで、誰も賛成はしてくれない。そう思っていたのに、僕の主張は案外すんなりと通ってしまった。「うん、いいよ」とさんは笑って、「いいよね、シュウ」「まあ……」 シュウさんはほんの少し瞳を動かした。僕の左手を見ている。「いいでしょう。残りの一人にはフリードを入れてください。彼には地の利がある」「うん、わかった」

よろしく、とさんはフリードさんに片手を振った。彼はビシリと背筋をまっすぐにするほどに敬礼をして「ハイッ!」と気合の入った返事をした。けれどもほんの少しだけ浮かない顔であるとも思ったことは、そう間違ってはいないのではないだろうか。

彼は、元は南のサウスウィンドゥの街に仕えていた人である。赤月帝国は敵であり、同盟などとシュウさんを説き伏せようとしたのだけれど、反対にやり込められてしまったのだ。
真面目で誠実な顔をしたその人は、任務となればとキビキビと体を動かした。
(色んな考えの人がいるんだな)

僕は都市同盟の側から、赤月帝国に嫌な感情というか、フシンカンは持っていない。けれどもそれは、僕の左手に紋章さんがいるということや、昔に敵対した赤月そのものを知らないからだ。でも、フリードさんみたいに、実際に赤月と戦って辛酸を嘗めた人だっている。(当たり前だよね) 
視点と立場が変われば、見方が変わる。そんなことは、もう僕は何度も考えて、知ったことだ。




デュナンの東、ラダトの街からは船が出ていた。トランの国境に近いバナーの村へ僕たちは川を下り向かった。とくん、とくん、とひどく胸が騒いだ。僕が一人そわついて、船のへりに手をついて川向こうを見つめていたものだから、「そわついてるな」とフリックさんに笑われてしまった。
僕は口元をへたつかせた。本当に。
(緊張してるのかな)
きっとそうだ。

一歩、船から足を踏み出した。そのとき、とくんと左手が鼓動した。どくん、どくん、とまるで僕の手のひらが何倍にも大きくなったかのように膨れ上がる。ぽたぽたと汗がこぼれた。一番初め、さんと、ジョウイさんの紋章を見たときと同じ。彼らはまっしろと、まっくろを合わせていた。けれどもこれは違う。黒くて黒くて、どす黒くて、じわじわと暗闇が僕を食った。

?」
フリックさんが、首を傾げた。僕は慌てて振り返った。首元の汗を拭って、心の中の違和感を探した。

     彼は、黒い紋章を携え、王に向かった



バルバロッサ様の記憶だ。
あ、と僕は目を見開いた。「ぼく、あの、ごめん」 ずるずると後ずさった。みんなが不思議気に僕を見つめた。「ご、ごめん、ちょっとだけだから」 ごめんなさい! そう言って、ぱたぱたと足を動かした。

とくん、とくん、とくん
紋章さんが震えていた。何度も体を大きくして叫んでいた。僕は彼を抑えつけようと片手を握った。駄目だ。僕自身の体が急いてたまらなかった。どこだろう。僕はどこに向かっているんだろう。力の限り開けたドアは宿屋だ。「いらっしゃい」と笑う店主さんに顔を上げて、頭を下げた。思いっきり階段を駆け上った。「え、あ、コラ!?」 女の子の声が響く。

少しだけためらった。でもそれは一瞬だ。僕はぶつかるみたいにそのドアを開けた。男の子がベッドの上に座っている。緑と紫の、変わった色をしたバンダナをしているその男の子は、ぼんやりと窓の外を見つめていた。

彼は、ゆっくりと黒髪を動かして振り向いた。
「やあ」

柔らかい声だった。扉も開けっ放しにしたまま、僕は彼を見つめ合った。「こ、コラ! 勝手に入っちゃだめでしょ、ごめんなさいさん」「いや、いいよ。その子はいいんだ、エリ」 そうなんですか? 困った声を出して、エリと呼ばれたお姉さんは僕を放した。赤い三つ編みがふわりと揺れた。

「あの、それじゃあ、私」
「うん、騒がせてごめん」

いえ、大丈夫です! とエリさんはちょっとだけ顔を赤くしてふんわりとスカートを揺らす。ちらりと僕を見た。すこしだけ首をかしげて、彼女は消えた。
「扉」「え」「閉めないの?」

はい、と僕は慌てて扉を締めた。バタン、とドアを閉めた。部屋の中の空気はひどく静かで、少しだけ足が震えた。「あの」 彼は僕を見つめた。「きみは」 こわい。「くん、だよね?」 ほんの少しだけ、少年は笑った。

記憶の中で見た小さな彼と、大きな彼が重なった。
鼻の奥が一瞬熱くなって、つんとした。思わず座り込んでしまいそうになった。ちがう、と顔を上げる。「あの、僕、いや、紋章さんが帰りたいって、僕も帰りたいんだけど、でも紋章さんは、きっとくんのところに」 違う。こんなこと言ったって伝わらない。でもどう言っていいのかわからない。

「僕、左手に紋章があるんだ!」

片手だけつけている手袋を上げた。くんは、僕をじっと見つめていた。「覇王の、紋章さんが」 ぎゅっと鞄の紐を握った。くんは立ち上がった。僕よりも大きな背だった。「うん」 彼はほんのちょっとだけ、また口元を緩めた。また少しだけ泣き出しそうになった。僕はぱくりと口を開けた。それから、瞳を閉じて、縮こまった。また顔を上げた。

「ここにいるんだ」

紋章さんが、ゆっくりと、息を吸い込んだ。





おかえり





誰かの声が聞こえた。

とろとろと空間が崩れ落ちる。あっ、と僕は鞄の紐を握って、振り向いた。ぷしゅりと真っ白なスプレーをふりかけたみたいに僕の世界は曖昧になった。また振り向いた。くんが笑っていた。くん、と僕は声をかけた。でも届かない。こぽこぽと水の中みたいに口から泡が溢れて小さく消えていってしまう。

腕を伸ばした。茶色い手袋がそこにいる。慌てて手袋を外した。何もない。もう僕の左手には何もない。

     帰ってしまう

だめだよ、と叫んだ。待って、と足を踏み出した。世界が回る。さんとくんがいた。力を貸して欲しい。そう言葉を繰り返す彼に、くんは首を振った。俺はきみの力になることはできない。俺はもう、何をすることもできない。
(なんでそんなこと言うの)

何も終わっていない。
こんな中途半端で、帰ってしまいたくなんてなかった。帰りたい、帰りたい。そう思っていたけれども、まだ全然、僕は彼らの力になんてなっていないじゃないか。
少しだけ、何かができるようになった。これからだったんだ。これからもっとお手伝いをして、みんなで笑って、全部を終わらせて、それでバイバイって。

手のひらを振りたかった。
ありがとうと伝えたかった。
力いっぱいに、何度もありがとうと伝えたかったんだ。


僕は腕を振って走った。彼のもとに走った。でも届かない。背中をむいたまま、ゆっくりと青いマントを揺らす彼のもとに届かない。(     フリックさん!)

さよなら。さよなら。
伝えたいのに、伝えたいのに。

     フリックさん!)

ぼろぼろと僕は泣いていた。鼻水を垂らして泣き叫んでいた。目の前に、お兄さんがいた。僕と同じ、左手に手袋をつけて、何度も僕の前にやっていたお兄さんだ。さんは笑って僕の背中を叩いていた。
「やっとここまできたな」

ほんのちょっと嬉しげな声を出して、彼は僕の頭を撫でた。「頑張ったね。あとは俺がバトンタッチだ」 しっかり受け取ったぞ、と彼はにかりと白い歯を見せて、鼻水でべとべとになった僕の両手を握った。



「いつか、もっと大きな手になれよ」


そう彼は笑った。
優しげで、かっこよくて、暖かい声をしていて。


僕は。




気がつくと、道の真ん中で、ぽつんと立っていた。長い夢を見ていたような気がした。僕の瞼が真っ赤に腫れているのは、クラスのいじめっこにいじめられたせいで、こけた傷が痛いからだ。

だから全部が夢なのだ。さよならも言えないままに、フリックさんと別れてしまったこと。結局、くんとは何もお話ができなかったこと。バルバロッサ様はとっくの昔になくなっていて、彼は苦しくて、苦しくて、仕方がなかったこと。ルカは。ジョウイさんは。みんなは。
夢なのだ。
嘘なのだ。
でも違う。

僕は鞄を握りしめていた。
黒いランドセルの代わりに横掛けの鞄を持って、ぽつんとオレンジ色の光の中で立っていた。ゆっくりと影が沈んでいく。アスファルトの地面に足をつけて、レンガの塀を見上げた。
僕はずるりと鼻水をすすり上げた。ぐしぐしと腕で顔を拭って、息を吐き出した。ぱちん、と両頬をひっぱたいた。



走った。僕は大きな鞄を抱きしめて走った。玄関のチャイムを押す。そうした後で、変なことをした、と自分自身気づいて、返事が聞こえる前にポーチをのぼって、ドアを押した。
     ただいま!」

お母さんの声が聞こえた。
ただいま、ともう一回僕は叫んだ。
それからやっぱり一回だけ視界が滲んだ。でももう泣かなかった。
僕はお母さんに抱きついた。力いっぱい抱きついた。

こうして、僕の物語は終了した。


THE END!



END?



本当に?



これでおしまい?


END! END!

NO! END!





ENDLESS!!





ENDLESS!!





E N D L E S S  

   R E T U R N






これは ぼくと おれの話













     桜が散った。俺はこの春、大学に入学した






  

2012/11/26

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