皿洗いの男





「だからッ! 違うっての!」

下手くそどもめ! と鼻から息を吹き出して、いや言い過ぎか、とカミーユは首を振った。夜叉のカミーユ。借金取り。金があればどこまでもくらいつく。そんな私がなんでまたこんなことに、とため息をつきながらも、「だーかーら、槍は腰から、振る! クワで畑を耕してんじゃないんだから!」

とは言ったものの、つい最近まで彼らは文字通り、畑を耕していたものたちだ。解放軍に入ったその日に剣やら弓やら槍を使えるわけがない。理解している。

借金は、もちろん耳を揃えて払います。それに加えて金利ももちろん。どうですカミーユ、だなんて細目の軍師が指先をちらつかせるものだから、いつの間にやら返事をしてしまっていた。あいつ、やりやがる、なんて舌を打ってももう遅い。

カミーユからすれば、赤月がどうなろうと知ったこっちゃない。国が荒れれば金貸しはもうかるし、この国の通貨は他国でも使うことができるわけだから新しい国ができたところで、それはそれで金がうねるように消えていく。その波に乗ることくらい、彼女にとってわけはない。

けれども心の奥でほんの少し。あのバルバロッサという皇帝を拳で殴ってやりたいような、そんな気になるときがあった。例えば街中でふと子供が泣いているときとか。どうしようもない不幸が星が空からこぼれ落ちるみたいに襲ってきたときとか。

だからまあ、別にいいのだ。このクワだかカマだかを構えた農民たちをなんとか一端の兵士に育ててやる。それが今のお仕事ってやつだ。「か、カミーユさん」「おいこらそこーーーー!!! 振り出しは最高だけどね、それほんとカマだから! 水平に振ってどうする!?」「カミーユさあーーん!」「なんだっての!?」

腕を組みながら叫んだ。根本的にこの城は人手不足だ。だからこそカミーユなんて新参者がでかい顔をしている。「あの、めちゃくちゃ怪しいやつがいるんですが……!」 来るもの拒まず、でも一応ちょっと弾く、くらいの心情だから、変なやつもよってくる。すんすん、とカミーユは鼻をならした。「……なんだって?」 カミーユは心底鼻がきく。だてに金を貸し続けた女じゃない。におってやろうじゃないの。



ひょろい男だった。可愛らしい顔と言えばいいのか、整った顔つきと言えばいいのか。
男と言うよりも、少年という言葉が合っているかもしれない。薄汚れた農夫の中で妙に小綺麗だし、ひどく目立つ。一応、カミーユが指揮する部隊は兵士を除いた元はただの農民たち、ということになっている。「……で、あいつ、年はいくつだって?」「ええっと、18だか19だか……」

解放軍とともに旗をあげることを目的にやってきた者たちは、ひとりひとり精査されている。ただしあからさまに怪しいものを除いて、ざっくりとした確認しか行ってはいない。食うに困って家族総出で風呂敷を首に巻いてやってくるものも少なくないからだ。いちいち深くまで掘り下げての確認は難しい。だからこそ、カミーユやら鼻のきくやつが配置されている。

「もっと下だと思ったけど」
「そう、俺もそう思ったんですけど……」

その年になれば、立派に軍人として志願できる。「あの、でも兵士じゃなくて、皿洗いだと」 だからカミーユの隊にやってきたという。「皿洗い?」 思わず言葉を繰り返した。


少年、いや青年は腰に立派な獲物を差している。見たところ、慣れたものではないらしい。ただし持て余してはいない。「皿洗いが、あんな立派に剣を振り回すか?」 ですよね、となにかとちょこまか世話をしてくる男が頷く。見たところ、たしかに怪しい。カミーユは一歩踏み出した。「おいあんた!」 大きめに声を出した。左手に持つ剣を流れるような動作でしまい込み、ふい、と青年がこちらを見た。その柔らかい顔つきに二の足を踏んでしまいそうになった。すんすん、ともう一度におってみる。


「あんた、名前は。あたしはこの隊を任せられているカミーユだ。挨拶をしたことがなかったね」


ふんぞりかえってみた。青年はきょとりと瞳を瞬かせて微笑んだ。人好きのする笑みで、なにやら拍子抜けする。どこか軍主を思い出した。「もちろん知ってますよ。俺はです」 礼儀正しく頭を下げる。そんなことはどうでもいい。

「あんた、なんでここ……トラン城に来たんだい? 悪いね、一応入ってくるやつには理由をきいてんたけど、あそこにいるバカが聞き忘れただか言ってたもんでね」

嘘だ。きらりとカミーユはを見つめた。は頬を指先でひっかいた。左には革の手袋。なぜか片方だけの意味ありげな手袋だ。手袋をしているやつは、紋章がある。そう疑え、というのは定石だ。ただし一般人には手が届かないお値段で、かつ才能がなければ使えない。ただの威嚇として手袋をつけっぱなしにしているやつも少なくない。
右手を見ると、そちらには隠すこともなく紋章がくっついている。あまり見たことのない形だ、と記憶を巡らせた。

「皿洗いと、少し用心棒をしていたんですが、金に困って放浪してまして。その中でここの噂をきいたんです」

朗らかな笑みのまま、息を吸うように嘘を吐き出すやつだった。



  ***


「いやあいつ、心底怪しい。なにが皿洗いだ。金に困って、なんてぜったいありえねえだろ」
どれだけこっちは貧乏人を相手にしてたと思ってんだ、とケッと眉を寄せる。「お前、なんであんなやつ採用したんだよ」 来るもの拒まず、でもちょっと弾く。どう考えても、あれは弾かれる側だろう。
あとはなんだったか、フリックというやつに感銘をうけてだかなんだか言っていたような気がするが、フリックって誰だったか、と右から左に抜けてしまっていまいちよく覚えていない。ビクトールの名前と合わせて、会うことができるのか、と聞かれたような。面倒くさいので、会えるわけがないだろう、と適当につっぱねたが。

「でもあいつ、めちゃくちゃ腕が立つんですよ……!」 いやなお怪しいだろ、と思わず頭を殴った。「でもほら、見てくださいよ!」

演習場を見下ろして見れば、巻藁を前にしてが突っ立っている。フッと横に凪いだ。瞬間、真っ二つに切れていた。「……いやいや」 その剣で切れるわけないがないだろう。農民たちが拍手をしている。見てみれば下っ端のこの男まで楽しげに手のひらを叩いていた。「……あいた!?」「より怪しすぎるだろうが!?」 あんだけ腕の立つ皿洗いがいてたまるか。

遠巻きにも照れたように笑う青年が見える。その左手には相変わらず革の手袋だ。腕がたつ。金に困って、だなんて嘘八百を並び立てる。小綺麗な男。こりゃクビだな。放り出せと指示する前に、「いや入れた理由はあるんですよ! 確かに怪しいと思ってましたけど!」

じゃあはじめから報告しとけ、といつの間にやら自分が随分解放軍寄りになっているなと赤い頭をひっかいた。まあ金をもらっているわけだし。その分は働いてみせる。

「あの左手の手袋、怪しいと思ったんです。でもなんにもなくて、よくわからなかったんですけど。でも右手に紋章はありました。それがなんと、おくすりの紋章なんです!」

水でも風でもなく。ただかばんからおくすりが飛び出してくるだけなんです! と拳を握る。いやいや。「そんなのつけてる兵士がいるわけないだろ!?」

なめとんのか!? と激しいツッコミが響き渡った。




  

2019/09/27


Material by Helium : design by I/O :: Back to top ▲