皿洗いの男




いやに腕が立つくせに、怪しい男だ。
そう思われていることだんて、俺はついぞ知らなかったわけなんだけども。



***



皿洗い件用心棒を終えてから、どうしたものか、とふらついた。フリックさんに会ってもいいのだろうか。くんは、どこにいるんだろう。そう考えながら当てもなくふらついて、いつの間にやら剣も懐かしく片手に馴染んだとき、解放軍の噂をきいた。ひっそりと火種をくすぶっていた彼らが、なにやら湖のほとりに大きな城を構えて旗を振り回していると。

気づけば勝手に足が動いていた。
剣を振り回して、ときおり皿洗いでもなんでも金を稼ぎながらゆっくりと考えた。ここは過去だろう。さんや、ナナミさん。みんなが戦ったあのときより、少し遡った時代だ。具体的に言えば3年もの時間を飛び越えていた。考えてみれば、俺の顔や名前を聞くたびに、彼らは時折驚いた表情をした。それなら俺はこの戦いに関わるのだろう。     本当に?

本当に、そうなんだろうか。じゃあ俺がここで解放軍になんて関係ない、とでもそっぽを向けば、なにかが変わるのだろうか。考えてもそんなことわからない。ここはもしかすると、俺が知っているあの場所とはよく似ている別世界なのかも。


考えても考えても仕方なかった。だからフリックさんに会いに行くことにした。そうして何度も何度も思い返した、頭の中で刻み込まれている物語を思い出す。


     それでは、まだ教科書には載っていない、旧赤月帝国のお話をしましょうか


あれは、グリンヒルだ。おじいちゃんの先生が教卓に優しげな手をついて、ゆっくりと言葉を刻んでいく。その言葉が、僕であった俺に少しずつ注ぎ込まれる。

バルバロッサ・ルーグナーは民に圧政をしいた。そうして立ち上がったのはオデッサ・シルバーバーグ。亡くなったときいた、フリックさんの恋人だ。くんはそのオデッサという女性のあとをついで解放軍のリーダーとなった。けれども赤月の貴族であった彼がなぜ争いに身を投じたのか、誰にもわからない。そう、あの先生は言っていた。

まだ、バルバロッサ様は生きているのだ。うっすらと彼につながっている左手が、そう俺にささやく。どうしたもんか。



……と、長々考えながら城の中をふらついている最中に、懐かしい少年を見つけた。
さんの城と同じように彼は相変わらず面倒くさそうな、ともすれば不機嫌な顔をして、見覚えのある石版にもたれかかり、時折杖で地面をたたいている。緑の法衣が、ふと風になびいた。ような気がした。自身が知っている姿よりもずっと幼い。「ルッ……」 あまり話した記憶はない。けれどもあのグリンヒルまでの道のりをともにした。思わず声を出してしまいそうになったとき、ちょっと待て、と口元を押さえた。

この戦い、トラン解放戦争に参加した人たちは、のきなみ俺を見ると懐かしげな顔をした。そしてよく似ている、と言っていたのだ。それがまさか自分自身のことだったとは思いもよらなかったけれど、彼はどうだろう。初対面を思い出しても、まったくもってそんな様子が思い出せない。

つまり、俺とルックさんはトラン解放戦争では関わりがないのだろうか。ならば、ここで声をかけてはいけないような、いやそんなことを考えていても仕方がないような、と一瞬の逡巡の間に、少年はちらりとこちらに目をやった。押さえた口元から慌てて手を放して見つめ合う。

相変わらず綺麗な少年だ。ルックのお兄さん、なんて呼んでいたのは文字通り遠い日々だった。どう言っていいものかわからず、片手をあげた。そして笑った。彼は数秒こちらを見つめた。そして堂々と無視した。そういえばこんな人だった。


なんだか安心したような、笑ってしまいそうなような。昔の自分はそんな彼のことをよく思っていて、同じ真の紋章の保有者ということで、勝手な好感を抱いていた。27個も世界にあるの? そんなにあるって、別に珍しいことじゃないね、なんて言っていたことには苦笑してしまう。27個しかないのに。

今も彼が紋章を保有しているかどうかはわからない。さすがに問いかけることも難しいだろう。
何も言わない彼のとなりに座り込んで、ぼうっとするのが好きだった。子供の頃の自分は、よくぞ突っ走っていったものだと思う。彼はこちらにはなんの視線も向けていなかったのに、おそろいの紋章を持っているということが嬉しくてたまらなかったのだ。あのときの彼よりも、ずっと彼は幼い。3年の月日だろう。

「はじめまして」

気づけば声をかけていた。「俺の名前は」 お兄さんの名前は? と思わず口からついて出てしまいそうになったが、それでは嫌味になってしまう。
「きみの名前は?」 やっぱり返事がない。出した左手が空振ってしまった。おかしいな、たしか子供の頃は、名前だけでも教えてくれたはず。ルックさんはこちらにピクリとも顔をあわせない。でもまあいいか、と勝手に彼の隣にどかりと座り込んだ。さんのお城よりも、ここはひんやりしていて気持ちがいい。湖のほとりという立地と、この石でできた構造の違いだろう。くあ、とあくびをして、ルックさんと同じ風景を見つめる。普段は一人きりの石版に、二人して居座っているものだから、時折通り過ぎる人たちから不思議気な視線がこちらに投げかけられる。なんだか懐かしいな、と瞳をつむった。

「……ちょっと、あんた」
「……ん?」

はた、とまぶたを開けると不機嫌な顔をした少年がこっちを見下ろしている。「寝るならあっちに行ってくれない。邪魔なんだけど」「まさか、目をつむってるだけだよ。ここ、気持ちいいね」「バカじゃないの」 怒られた。

はは、と笑って誤魔化して、今度こそまぶたを開けながら立ち上がる。少年のつむじが見えて、苦笑しそうになってしまった。「……だから、なに」 やっぱり顔に出ていた。「いやいや」 何を話しかける話題があるわけではない。しばらく考えて、そうだ、と「くんって、知ってる?」 ルックさんは面倒くさげに眉をひそめた。これは知っているという意味だな、と過去の彼の表情を思い出した。やっぱりくんはここにいるのか。

「解放軍のリーダーってさ、オデッサ・シルバーバーグさんだってきいたんだよね。でもいざ来てみると、そのオデッサさんって姿はまったくもって目にしないし。いくら城が大きいったって……」

きっとオデッサ様は行脚していらっしゃるのだ、とカミーユ達の部下は口を揃えた。こうして俺たちがここに集ったのは、オデッサ様がいるからで、彼女ならきっとなにかをしてくださる。この国を変えてくださる。そのための仲間を集めているのだと。

なるほど、フリックさんの姿が見えないのは、その彼女についていっているからなのだろうか、と納得する反面、首をかしげる。中心となるべきリーダーが、こうも姿を現さないものなのか?
さんは、デュナン軍の柱だった。彼を象徴として、多くの者達が集まった。それこそ彼の服の格好まで真似をすることが民の楽しみで、黄色いスカーフがそこらかしこにはためていていたものだ。

「いや、ちょっと違和感があっただけさ。できることならお会いしたい、そう思っているからね」

会えば、彼女の死を止めることができるのだろうか。そうすれば、フリックさんは喜んでくれる……の、だろうか? わからない。人の死をどうこう受け入れるには、まだ俺は幼いんだろう。

あいかわらずルックくんはぴくりともこちらを見ない。まあいいか、と相変わらず隣に座り込んだ。(オデッサ・シルバーバーグ?) 彼女の名前を思い返していたとき、ふと、なにかひっかかった。シルバーバーグ。レオン・シルバーバーグ? 誰かがその言葉を漏らしていた。シルバーバーグとは、赤月の軍師であると言っていたのはあのグリンヒルの先生だ。ならば彼もこの争いに関わりがある人間なのだろうか。

(……死した、従者?)

そう、あの先生はこうも言っていた。長く付き従えた従者の一人を、くんは亡くしてしまった。そう言っていた。くんも、誰か大切な人をなくしてしまったのだ。助けることはできないのか。そう考えることは、傲慢なのだろうか。

なんにせよ、出会いすらもできないこの状況で考えるには鬼が笑う話だろう。「ま、いいや」 立ち上がった。
ルックさんのつむじを見下ろしながらぴくりともこちらに目を向けない少年に声をかける。「今度は名前、教えてよ」 また来るね、と声をかければ、煩わし気に瞳を細めたのは気の所為ではないだろう。

じゃあね、とはたはた手のひらを振っている最中、俺はカミーユに首根っこを掴まれた。いつの間にやら素早いスピードで横からひっつかまれ、ずるずると引っ張られる。「あんた! どこ言ってたんだよ!」 せめて去り際はかっこよく消えたかった。



、あんたはめちゃくちゃ怪しいんだけどね、腕は立つんだから! 逃がしゃしないよ、あたしのために馬車馬のように働きな!」
「なにそれ怖い」

あと怪しいって初耳ですけど。



  

2019-09-28

Material by Helium : design by I/O :: Back to top ▲