皿洗いの男






働かざるもの喰うべからず。
過去には何度も頭の中で繰り返された言葉だが、まさか未だに実感することになるとは思わなかった。

第一の目的はフリックさんに会いたいというところだが、これでも赤月の国を歩いて見て回ったのだ。街によってあまりにも激しい貧富の差は、官僚の袖の下が穴があけて、すっぽ抜けているせいだろう。首都のグレッグミンスターから離れると、離れた分だけろくに国として機能していない。そんな様を目にして、なんとかしたいと思うことは大しておかしいことではないと思う。なにしろここはくんの国なのだから。

俺は自分の意思で城に向かい、兵として志願した。そうだ理解している。なのに今なぜこんなことをやっているのか。あわあわだった。ときおりシャボン玉がふわりと舞って、積み重なる皿にびっくりしたかのように弾けて消える。そしてその皿も驚くべきスピードで消えていく。

! おまえ、中々見どころがあるじゃないか!」

素晴らしい皿洗いの才能だ! とひげのコックが嬉しげに声を上げて、じゃかじゃかフライパンを揺さぶっている。皿洗いの才能とは果たして一体。どういたしまして……と、どういう感情で返答してもいいのかわからないままシンクを泡だらけにしていく。コックの名前はアントニオ。彼がこのトラン軍にスカウトされたのは最近のことで、なんでも宿屋のおかみさんと旧知の仲であるらしい。彼が城に来てからというものの、すっかり解放軍の台所は活気が満ちて、今までの食に対する不満が嘘のように吹っ飛んだ。と、言いたいところだが、圧倒的に労働力が足りなかった。


こちらの世界と日本の料理はほぼほぼ一緒であったことはありがたかったものの、やはりどこか物足りなさを感じていた。さんの城にいたころはほくほくほっぺを膨らませる毎日だったというのに、とわびしくスプーンを動かしてシチューを食べた瞬間、これはうまい、と思わず声を出してしまったのだ。そこにたまたまいたのがアントニオで、「そうかいそうかい、そう言ってくれて嬉しいよ」と優しげな顔つきだったのだが、過去に皿洗いをしていたという話になったとき、驚くべき腕力で調理場へと引きずり込まれた。

どうやらアントニオは一瞬の休憩ついでに、自分の料理を食べてくれる人間を見て回っている最中だったらしいのだが、彼の作るスピードに、もりつけウェイター、ついでに皿洗いと様々な労働力が足りなかった。そして現在の俺である。
まあ働かざるもの喰うべからずの言葉の通りに、文句と言えば特にはないのだが、そろそろカミーユが殴り込んでくるのではと気が気じゃないが仕方ない。


「誰も私のスピードについていくことができなかったんだ! でもこれで力の限り包丁を振るうことができるっ!!!」
「しょ、少年漫画ですか……」

リミッターを外した主人公か。
まあ少ない食材で腹いっぱい、手間なく作るのは難しかろう、と思っていたら、気づけば俺は中華鍋を振るっていた。和洋折衷なんでもありなのだな、というツッコミはすでに虚しく、とうとう料理人としての戦力に数えられてしまった。「卵は! 素早くかき混ぜてくれ!」「そうだ、米を一粒一粒コーティングするんだ!」「醤油はあくまで香り付け! 鍋の側面を滑るように!!」「素晴らしいぞ!!」 だからどこかの料理漫画か。


作った料理を熱気あふれる食堂に運び込み、注文おまち、と声を張り上げる。すでに何人の客に声をかけたのかもわかりはしない。なのにその客はどこか特徴的で記憶に残った。糸のように細い目をして、どういった表情だかわからないくせに、スプーンを握りしめて炒飯と見つめ合っている。大丈夫だろうか。

不安に感じて、汗を首元のタオルで拭いながら、「お客さん、大丈夫かい?」 それね、スプーンですくってそのまま食べるんだよ、とおせっかいながらも声をかけてみた。男性は、「ああ、すみません。メニューがわからずとりあえずで頼んだものですから」 ふむ、と米の中にゆっくりとスプーンを滑り込ませる。やっぱり中華は珍しいのだろうか。一応、自分が作った料理だ。せっかくなので、としばらく彼を見ていると、男性はもぐもぐと米を頬で咀嚼した。丁寧な食べ方をする人だった。

それからきちんと飲み込んで口元を手持ちのナプキンで拭った後に、「これは、あなたが?」「ああ、そうですよ。お口に合いませんでしたか?」「いえ、結構なお手前でした」 それはよかった、と返事をしながら、アントニオの怒声にあわてて振り返った。「それで殿」 そうした後で声をかけられたものだから眉をひそめて男性を見つめた。

「……どこかで会いましたか?」
「いいえ、ただあなたの話はよくよく耳にしますので、少しご挨拶をと思いまして」
「はあ、それはご丁寧に」

握手の一つでもした方がいいだろうか、と思ってみたが、何分こちらは急いでいる。ただ彼のことは知っておくべきだろう。逃してはならないものというものはどこにでもある。「あなたの名前は?」 そう問いかけた俺の言葉に、彼は僅かに意外そうに眉毛をあげて、それからすこし微笑んだ。

「マッシュ。この城の軍師をしています。これからよろしくお願いいたします」


     これから、よろしく。


それはどう言った意味かと考える前に、アントニオに引きずられ厨房に押し込まれた。最近だいたい引きずられている。うーん、と首を傾げながら鍋を振るっていると、すっかり人相の変わったアントニオに真面目にしろと怒鳴られた。この解放軍、人手不足はなんとかならないものだろうか。




  

2019/11/01

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