皿洗いの男






これからよろしく、という軍師の言葉の意味を噛み締めながら、なるほどこういうことかと背中のローブをはためかせた。マッシュからの密命を頭の中で思い起こして、簡単に言ってくれると苦笑する。あの軍師はスプーンを片手に、軽いスープでも飲むようにこちらに命じた。

とりあえずカミーユとアントニオには、しばしのお暇をいただく旨を伝えると、「タダで働く私の手足だろうがあんたは!?」とカミーユは俺の首元に槍をつきつけ、アントニオは、「私の専属のウェイター兼、皿洗い兼、下働きが……」と悲しげに口元をひげをいじっていた。残念ながら両方ともなった覚えはない。というか役割が多い。


「はたして、どこまでできるものかな……」

小高い丘の上から街を見下ろす。日本風の瓦の屋根の周囲には、レンガの塀と刺々しい鉄の格子がいやみったらしく主張している。懐の中には紹介状だ。彼いわく、帝国には知り合いが多いのだと言う。今年成人したばかりの働きどころもない男であるが、できることならこき使ってやってくれ。そう彼の知り合いの名で一筆書かれているらしい。

「色々とバイトはしてきたけど、     軍に入るのは初めてだな」




コウアンは首都、グレッグミンスターから南に位置する小さな街だ。来たるべきときが来るまで、身をひそめること。そうマッシュから告げられた言葉を思い返してため息が出た。なんとも曖昧で、言葉の裏を読み取れと言わんばかりだ。
思い出すのはシュウさんで、彼も同じようなものだった。軍師と言えば似てくるものなのだろうか。となれば、俺は念の為の要因で、いくつもの策を張り巡らせている最中なのだろう。シュウさんならそうした。と、なればこの潜入がどうにかなってしまったところで大した実害はないんだろうが、かと言って気を抜くわけにはいかない。慣れない軍服の詰め襟を指でひっかけながら硬い椅子に腰掛けた。

(こういったものは、大して信じてもいない相手に頼む話ではないよな)

おかしな話だ、と考えたときなるほどと理解した。マッシュは俺を怪しんでいる。だからこそ、俺が帝国からのスパイであるならば、彼に疑いをかけられていると気づいた時点で早々に帝国へとしっぽを巻いて逃げるだろうし、カミーユが言うとおりに腕が立つとならば丁度いい。よく考えられている。そして俺がそう気づくことにも気づいている。期待に答えろということだろうか。


俺よりもいくらか若い少年たちに埋もれるようにして帽子を深くかぶる。年は若く見られることが多いから、大して怪しまれはしないだろう。マッシュからもらった紹介状のおかげか、スムーズに職につくことはできた。軍政官庁の周囲を見回りし、武器を見せびらかしながら住民たちの同行を探る。決まりきったローテーションだ。
そうしていることで、ある程度わかってくるものがある。この街は、取りまとめとなる男がいる。レパントという虎のようなその男に、街の人間はひどく信頼をおいていて、軍もこの街ではあまり大きな顔はできない。だからこそ無駄な巡回を繰り返して、せめてもの抵抗とばかりに武器を見せびらかしているのだろう。


レパントも赤月の軍も表面上では衝突を避けている。ただあくまでも表面上だ。互いにけむたく感じていることは間違いないだろう。マッシュが言った、しかるべきとき、というものはよくわからないが、できることならそれが表に上がらないようにと祈るばかりだ。だというのに、くりくりのひげをした新しい軍政官が来てしまったときには肝を冷やした。





クレイズは俺たち新米の軍人達を一列に並べて、かつかつとブーツの音を大げさに立てながら何度も目の前を往復した。来たばかりの官庁を居心地よくすることに執心しているらしく、まずしたことと言えば立派な絨毯を敷き詰めることだった。ただこのコウアンはレパントのおかげか激しい取り立てもない、比較的穏やかな街であったから大した予算もなく、できることはその一つで終わってしまった。その上全面に敷くこともできず、できたのは入り口のみで、今いる地面はむき出しの床のままだ。

購入した絨毯に比べて貧相な椅子に手をかけ、彼はもとは首都、グレッグミンスターの近衛隊長であり、バルバロッサ様のお膝元であったと声をたかだかに語った。バルバロッサ様、と言葉が出たところで、思わず背中に回した左手がピクリと動いてしまったが、周りも似たようなものだ。黄金の皇帝と名高い彼の名を聞いて、色めかない若い男はいない、らしい。その反応を見て、クレイズはひどく満足げであったが、その立派な近衛隊長が、こんな南の街まで追いやられたのか、という説明は何もなかった。

クレイズの後ろには、ひどく暗い顔をした男が一人、静かに佇んでいた。鍛え上げられた体で、拳をきつく握りながらただただじっと俯き、赤いハチマキがたれている。姿と表情が、どうにも違和感がある男だ、とひっそりと瞳の端で見つめながら考えていたとき、「おい、そこのお前」 クレイズが、ぴしりとこちらに細長い指をさした。「お前、気に入らないな」 じくりと背中に嫌な汗が流れる。

「申し訳ありません、何かお気に触るようなことございましたか」

首筋にも流れた汗をごまかすように胸をはった。クレイズは、「ああそうだ」とひどく剣呑な目つきでこちらを睨んだ。瞳はそらさない。手を後ろで組んだまま、彼の言葉を待つ。「顔が良すぎて、気に食わんな」「は……」「私は顔が良すぎる男は気に食わん、といったのだ」

クレイズは苛立ちながら何度も人差し指を動かして、「お前は特に帽子を深くかぶっておけ!」と叫び、こちらに背を向けた。肯定の返事を行いながら、彼の言葉どおりに手のひらを動かした。周囲のざわつく声が聞こえる。これはグレッグミンスターから追い出された理由も、想像がついてくるというものだ。

案の定、クレイズはすぐさま悪名を轟かせた。コウアンの住人との表面上の拮抗もすぐさまに崩れ落ち、溢れる不満はいつこぼれ落ちてもおかしくはない。そんな中、あのハチマキの男は何をするでもなく、常にしぶしぶとクレイズの後をついてまわった。名はパーンと言うらしい。



***




彼は不器用にも包丁をまな板にたたきつけて、ボロボロにこぼれ落ちた野菜を呆然として見つめていた。どこどこ聞こえる奇妙な音に不思議に思って来てみればこれだった。俺は首元をひっかいてどうしたものか、とその背中を見つめる。どう考えても料理になれた人間の手付きではない。

「あー、パーンさん」

何度か逡巡して、見かねて声を出してしまった。パーンは似合わない拳で野菜を握りながらじろりとこちらを睨むように振り返る。周囲にはとりあえずひっくり返したらしい鍋達が転がっている。「その、もしかすると夕飯を作ってるんですか?」 返事はないところが返事なのかもしれない。

軍政官庁には幾人もの軍人たちが引きめき合っている。その厨房は軍人たちの持ち回りで、普段は数人がかりで食材の買い出しから行っている。なのでいま現在、パーンが一人きりでこの厨房に立っている姿は嫌がらせ以外の何者でもない。ましてや彼は包丁を握ったことがあるのかどうかさえも怪しい。

「……手伝いましょうか」
「結構だ」

どう考えても途方に暮れているだろうに、彼は人参を掴みながらきつく眉の間に皺を作った。パーンはどれだけ理不尽な、下働きのようなことを命じられてもただ一人黙々と俯いたままに手を動かし続けていた。その姿を見て、正直妙な居心地の悪さを感じていた。これではただのいじめの黙認だ。

「どうせまたクレイズ様でしょう。意固地になることはないと思いますよ。なにより食材がもったいない」

聞く耳を持たないとばかりに背を向けて、包丁を叩き込む背中に喧嘩腰な声で問いかけた。そうした後で後悔した。ただ、本当に見ていられなかったのだ。

なにかにつけて、首都であるグレッグミンスターから来たと繰り返し自慢をしながらひげを撫でる男はひどくパーンをこき使った。こき使った、と言えばまだ言葉がいい。荷物持ちやら、部屋の片付けやら彼の能力にあったものならまだよかったのだ。ただ汚れてもいない床を冷たい水で延々とふかされ、終わってみればバケツを蹴られ、またやり直す。何やら彼に恨みがあるのか、グレッグミンスターの思い出ばかしのついでとばかりに、彼の耳元に何かをささやき、そのたびにパーンは怒りに拳を握りしめた。

「クレイズ様は、あなたの主なのだろうけれど、そうして拳ばかりを握りしめることはないんじゃないか。俺にはあれが意味のある行為には見えない」

どうせ彼が困りあぐねている様を見て意地悪くこらえきれない笑みを浮かべたいだけだろう。目立つわけにはいかないと見てみぬふりを続けていたが、作れないものを作れと命じたところで仕方がない。今回はクレイズ自身の夕餉にも関わる。適当に言いくるめることはできるだろう。そう思って腕を組みながら壁にもたれかかると、勢いよく拳が飛んできた。「おっわ!?」

迷うことなく突かれた拳部分はどう見ても顔面だ。避けたあとの壁は拳がめりこみ、彼の隆々な筋肉が筋を膨らませている。こりゃまた、と口元が引きつった。その間にもパーンは拳を叩きつける。「おわ、あわわわ」「……お前! 避けるな!!」「いや避けますよ!」

目にも止まらないスピードで繰り出される拳達をかわしつづけ、「出過ぎたことを言いました。申し訳ない、謝ります」 降伏宣言だ。俺が悪い、とひらひらと両手を上げた。なのにパーンは止まらない。どうしたもんかとひらりと後転しながら飛び上がる。暗い顔をしてただただ唇を噛み締めていたくせに、血色の良い顔つきで拳を構えて、彼は腹の底から叫んだ。

「俺の主は、クレイズではない!!!!」
「は、え? はい」

そこなのか。
正直混乱した。パーン自身もそうして叫んだ自身のセリフにハッとしたのか、片手で口元を押さえ込んで、それから両手を握りしめながらふんと息を吐き出す。「テオ・マクドール様だっ……!!」 噛み締めたような声を出して、自分でもどうすればいいかわからないように近くの鍋を掴んで勢いよく床に叩きつけた。重たい金属音が響いている。そんな光景を、俺はぽかんと口を開けて見つめて、瞬きを繰り返した。

そうしている間に、パーンはさっさと消えてしまった。荒れ果てた厨房を見下ろして、彼の奮闘のあとであろう野菜の破片を集めていく。皮をむきたかったんだろうに、不器用なことにも太い身までくっついている。「……悪いことをしたな」 事情を知りもしないくせに。そう彼も思ったに違いない。「しかし、マクドールか……」 偶然にも、ということはあるのだろうか。

パーンのセリフを思い起こしながら、俺はさっさと部屋の掃除をして、そのまま軍の夕食を作った。その日の官庁の夕餉はひどく好評で、クレイズも喜んでいたという話だ。自分がしたパーンへの嫌がらせは、どうやらすっかり忘れてしまっていたらしい。





  

2019/11/04

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