にほ、さんぽ、お次でよんほ
「あー、今日は診察の日かー……」
ぼんやりジムのカレンダーを見ながら呟いた。(じゃあ、今日はさんに会えないか) ふと、心の中でそうつぶやく。定期的に、ポケモンセンターから派遣されたジョウイさんが、ジムのポケモンたちの健康を診察してくれる。そんな日だった。終わった後でポケモンセンターに向かった所で、さんは帰っている時間だろう。(ま、しょうがないな)
今日我慢できる分、次が楽しみになる。うん、なる、と大人な考えでごまかすようにして、「おーい、そろそろジムあけっぞー」とトレーナーたちに声を掛けた。
のだが。
「あ、グリーンさん」
「…………さん?」
俺がパチッと瞬きをすると、ナースキャップをかぶったさんが、ぺこんと頭を下げた。「今日はよろしくおねがいします」「ああ、こちらこそ……じゃ、なくて」 いつもならジョウイさんがやってくるはずだ。それが何で? と嬉しさ半分、困惑気味に彼女を見つめると、「あ、いえ、ジョウイさんが、グリーンさんとお知り合いのようですし、丁度いいからと私が」「あ、そうなんですか。改めてよろしく」「はい!」
そうか、と喜ぶ気持ちを叱咤して、気持ちを引き締めると、ふと周りに視線を感じた。じぃっとこっちを見つめるトレーナー達が、あれ、いつものジョウイさんじゃないぞ、とでも言うようにパチパチと瞬きをしている。そして中にはニマーッと口元を喜ばせているやつらも何人か。「おらー、てめぇら! ニヤけた面してねーで、さっさと列に並びやがれ!」 照れ隠し半分に拳をぶんと振るいながら叫ぶと、さんがくすっと笑った。うぐ。
***
「さっさと列に並びやがれー!」
思わずくすっと笑ってしまった。いつもポケモンセンターに来るグリーンさんと、ほんの少しだけ雰囲気が違う気がしたからだ。ここはグリーンさんのお仕事場なのだから、当たり前だ。邪魔にならないように、と思いつつ、ふと彼の雰囲気が、どこかで見たことがあるなぁ、と思ったのだ。『てんめー、レッドォオオ!!!』 うがー! とポケギアに向かって怒鳴っていたグリーンさんを思い出した。(寧ろ、グリーンさんの素って、こっちなのかな)
そうかもしれない。
よくよく考えてみると、グリーンさんが敬語でお話している姿は、私以外にあったろうか。(…………あれ) ないような。(あれ) もしかして。胸がドキッとした。
私、嫌われてる!?
(いや、いやいやいやいや)
そんなんじゃ、いや、そうかも、いやちょっと待って。
恐ろしい可能性が胸をかけ上っていった。まさかそんな、と多少涙目になりながら、ぶんぶんと首を振ってお仕事お仕事、とウソッキーの頭をよしよしと撫でると、ウソッキーはそれに答えるように、擬態の葉っぱをわさわさと嬉しそうに揺らした。「うん、元気ですね」 エリートトレーナーの少年は、ありがとうございます、と頭を下げて、にこっと笑った。そしてそそくさと私の耳元に口を寄せて、「お姉さん、グリーンさんと上手くいってます?」「へっ」 一瞬声が裏返った。
「こらそこ! 遊んでねーでさっさと戻れ!」「はいはい」「はいは一回!」「はーい」
グリーンさんの一喝に怒られ、少年はひらひら片手を振りながら去っていったのだけれど、私は再び胸がドキッとした。(上手くいってるって……) グリーンさんと?
まるでのろけたカップルに対する言葉のようだけれど、まさかそんな訳がない。じゃあどういう意味だったんだろう、と考えて、うー、と頭が痛くなってきた。大した意味はなかったのかも。でももしかして、(私がグリーンさんのことを好きなのが、グリーンさんにばれてて、それで、えっと、グリーンさんが他の人に……)は、言わないか。
そんな人ではないだろうし、そういうことを疑うのは失礼な気がする。(だったら) さっき、私とグリーンさんが話しているのを見て、グリーンさんと仲がいい人が見たら、一発でわかるくらいに嫌われていたから、思わず声を掛けてしまったとか。(いやちょっと、それはネガティブすぎなような)
だいたい、一発でわかるくらいって、そんな……(敬語とか) いや、そんな……(敬語とか) …………。くぬう。
だからね、ちょっとね、悲観的だと思う。そういうことをいちいち気にするのは、自意識過剰だよね。そうそう、自意識過剰、自意識過剰、と思うのに、やっぱりちょっとずつ気になってくる。気にしないように、とぶんぶん頭を振りながら、手元のレポートに文字を書き込んでいた。今はお仕事中なのだ、公私混同はまったくもってよくない。いけないことだ。
さてさて、と頭を真っ白にしながらカリカリペンを動かして、よし終わったぞ、と気づいたときには、とっぷり日がくれていた。ジムの天井から吊り下げられた電灯がちかちかしている。トレーナーさん達が、「お疲れ様でしたー」と頭を下げた。私も慌てて頭を下げた。「さん」「あっ、はい!」 グリーンさんに声をかけられて、手元のペンが跳ね上がってしまった。
「どうです、終わりましたか?」
「はい、お疲れ様です。それでは次の検診は二ヶ月後ということで」
「こっちこそ。お疲れ」
にっ、と口元を見せる彼を見て、(あ、敬語じゃない)と気づいて、少しだけ嬉しくなった。けれどもグリーンさんもすぐそのことに気づいたのか、自分の口元に手を当てて、「お疲れ様です」と言い直した。ちょっとだけガクッとなった。グリーンさんが不思議そうな顔をして、「さん? 何かありました?」「あ、いえ、なんでも」「いやさっき、ため息ついてましたけど」「えっ、うそ」
なんてこった、と口元を押さえて、ぶるぶる首を振った。「ほんと」とグリーンさんがじっと私の顔を見た後、「あ、いや、ほんとです」 また言い直した。瞬間、ため息をついてしまった。今度は自分でも分かって、あっ、と口元を押さえた。恥ずかしくなって、「あの、それじゃあ、私、ポケモンセンターに、帰るので」 声の最後は棒読みみたいになってしまった。
ぺこ、と頭を下げて、背中を向けようとしたとき、「さん」 グリーンさんが、ジムの鍵を手元でくるりと回しながら、「鍵、かけるまで待って。送るから」
ふと、グリーンさんの顔を見つめた。グリーンさんは、私の目線をそらして、もう一回、手元の鍵を回した。私は、ぎゅっとレポート用紙を抱きしめた後、勝手にほころぶ口元をぎゅっと結んで、頷いた。「うん」
気のせいか、グリーンさんはちょっとだけ嬉しそうに目を細めた。