ふにふにモード発動




馬鹿だったと感じた。私はなんて、お馬鹿なのだと思った。

     人がいるから……!!

そんな理由で断ってしまった。(そ、そりゃあもちろん、人がいたら、恥ずかしいけど……)だめだけど。(でも、嫌な訳じゃなくって) なのに自分は何にも言えなかった。帰りは、それはもうひどいものだったのだ。自分が上手く声が出なくなって、グリーンさんも特に何も言わなくって、あんなに気まずい空気を今まで感じたことはない。

「じょ、冗談抜きで、き、きらわれちゃったかも……」

声に出してみて、ぞぞっとした。家に帰って、急いでドアを閉めて、玄関につっぷした。うわああああ、と頭を抱えて、「ど、どうしよ……」 どうしようもない。

それよりも、と考えた。あれは、どう考えたって、キスされそうだった。「ぐ、グリーンさんんんん!」 バシッと廊下を叩いた。ご乱心だった。「意味、わかんないです!」
いや、わかってるかもしれない。わからないふりをしてるだけかも。カーッと耳の後ろ辺りが熱くなる。もうちょっと、ゆっくりして欲しい。色んなことがはやすぎて、私にはついてけない。

けれどもこんなところでグリーンさんに文句を言っていても、仕方ない。それよりも、嫌われたんじゃないだろうか。思いっきり拒否してしまった。最初に思考が戻った。さっきからこれの繰り返しなのだ。「うー……」 うう、ううう、と口の中で言葉にもならない言葉を吐いて、泣けてきた。
鞄の中のポケギアに目を向ける。グリーンさんから連絡はない。私は玄関に座り込んで、膝の上にポケギアを置いた。

(今日は、楽しかったです。誘ってくれて、ありがとう……)
頭の中でリハーサルする。ボタンを押そうとした。でも駄目だった。始めっから、そんな勇気もなかったかもしれない。長いため息をついて、髪の毛を耳にかける。「連絡、していいのかな」 こういうことを、いちいち考えるから私は駄目なのだ。もっとこう、バーッと行って、ズバーッ! と行ってサササーッとやればいいのだ。

「あー……」

ポケギアをぎゅっと胸に抱きしめて、廊下にごろんと転がった。寒い。寒すぎる。パタパタ足を動かして、グリーンさんが、センターに来てくれなくなったらどうしよう、と思った。いや、大丈夫だ。グリーンさんはジムリーダーなのだし、センターにはお仕事でもやって来る。(大丈夫、大丈夫……)
そう思って、目を瞑った。
それから暫く、グリーンさんはポケモンセンターにやって来なくなった。



はー、とため息をついた。これだけ長い間、グリーンさんに会ってないのは久しぶりだと思う。やっぱり嫌われたのだろうか、とずり落ちそうになる自分のキャップに手を伸ばして、明かりを落とした部屋の中で、今日の受付票をチェックする。「あれ……」

グリーン、と名前があった。同姓同名じゃない。住所も同じだ。「え、え、え……」 だって今日は、ずっと私はカウンターにいた。(あ、でも……) 一瞬だけ、別の人に変わってもらったのだ。ほんの三十分くらいだと思う。
涙目になった。避けられてるのかも、とこれくらいで考えてしまっては、自意識過剰だ。違う、違う、とぶんぶん首を振ったあと、カウンターにかけられていたカレンダーに目を向けて、パァッと明るくなった。

     トキワジム、定期健診についてのお知らせ

くるくるっと丸で囲まれていて、この次のポケモンの定期健診について、ジムリーダーさんと、ジョウイさんとがお話する日がすぐそこにやって来る。私はパタパタッと尻尾が揺れた気がした。あと数日、数日でグリーンさんに会える、と思うと、勝手にそわそわしてきた。(い、いやいやいや) お仕事中だからね、とカウンターに両手をついて、深呼吸する。私はグリーンさんのことを忘れたふりをして、受付票のチェックを続けた。無心にパラパラ確認して、くるくるボールペンを動かす。
(あと数日)

心の底を、一瞬通り過ぎた言葉に目を瞑って、私は作業を続けた。数日後、やっぱりグリーンさんは、ポケモンセンターに来なかった。


見覚えのある男の子を前にして、私はパキッと固まった。もちろん、一瞬だけだったと思う。なんだったっけ、お名前は、「あ、トキワジムのエリートトレーナーのヨシノリです。グリーンさんの代理で来ました」「あ、お疲れ様です」 そう、ヨシノリさんだ。

私はカリカリと伝票をチェックしながら、そっかぁ、と何度も頷いていた。ちゃんと、いつもどおりの対応ができたと思う。「それじゃあ、ジョウイさんを呼んできますね」というと、ヨシノリさんは、はい、と頷いた。礼儀正しい人だった。「あ、グリーンさんは」と、ヨシノリさんはそこまで言った。けれども、私はまったく聞こえなかったふりをして、パタパタと部屋の奥へと向かった。ぎゅっ、と唇を噛んだ。

聞こえない。全然聞こえないぞ。そう思うと、ビックリするくらいに周りの声が聞こえなくなった。
「グリーンさんは、ちょっと忙しくって……」 だからヨシノリさんの続きの声は、本当に、全然、聞こえなかった。


***

全然、グリーンさんに会えない。
当たり前だ。だって、今までずっと、グリーンさんから会いに来てくれていたからだ。グリーンさんに会う気がなくなったら、私とグリーンさんの接点は一瞬にして終わってしまう。鞄の中に入っているポケギアを、私はぎゅっと鞄ごと抱きしめた。

この中に、グリーンさんの連絡先が入ってる。電話をしたのが、ものすごく過去のことのように感じた。もう一回、電話をしてもいいだろうか、と何度も頭をひねらせて、やっぱりやめた。電話って、していいのかどうか分からない。あっちに用事があったらどうしよう、迷惑かけたらどうしよう、とそればっかりになる。じゃあメールは、と思ったけれども、何を送ればいいかも分からなかった。分からなかったけれど、このままぐずぐずしていたら、私は一生グリーンさんに会えなくなるような気がしたのだ。(やだ) そんなの絶対やだ。

そう思ったら、ポケモンセンターの仕事が終わって、私はパタパタと鞄を抱えて走っていた。ぼんやりとした街灯の中を走って、息をきらせて、トキワジムの前に立っていた。そう気づいたとき、全身からボタボタボタッと嫌な汗がこぼれでた。(な、なんでまた、私、こんなところに……)

もちろん、自分の思考回路なら理解できる。でも、そういう問題じゃない。本気で来ちゃったよ、馬鹿じゃないの来ちゃったよ、と鞄をぎゅっと抱きしめて、涙目になってきた。こんなところ、グリーンさんに見つかったら、どう言い訳したらいいか分からない。私はその場ですぐさま逃げ出そうとした。グルッと背中を向けて、走ろうとした。そのとき、背中から声がかかった。「さん?」 うわー!

私はビシッと直立不動で固まった。カチンっ、と鍵をしめる音が聞こえる。そしてもう一回、「さん?」
違います、全然違います、ちょっと似た他人です、という言い訳は通じないかなぁ、と10秒くらい考えて、やっぱり駄目だなぁ、と私は恐る恐る振り返った。グリーンさんが不思議な顔をしてこっちを見ている。肩に鞄をかけて、てくてくとこっちに歩いてくる。

久しぶりのグリーンさんは、やっぱりかっこよくって、久しぶりだったもので、胸にきゅんときた。そうしてときめいている自分にバカですかと首を振ると、「さん、なんでここに?」 心底不思議そうなグリーンさんの声に、私は口をパクパクとさせた。「あの、た、たまたま……」「へー……」 信じてない。どう考えたって信じてくれてない。

そりゃあそうだ。今までグリーンさんと、ここで会ったことはないし、こんなところで息をきらせて立っている理由にはならない。何でこんなとこに来ちゃったんだろう、と本当に泣きそうになって、もしかしなくとも、私、変態じゃないですか! と心の中で叫んだ後に、こっそりとグリーンさんを見ると、グリーンさんも私を見ていた。私は思わず肩を震わせて、「あの、ほんとは」「おう」「グリーンさんに、会いたくて」「……ふーん」 うわあああああああ

後戻りのできないところまで行ってしまった気がした。無理だ。これは無理だ。これなら言わない方がましだった。私は目を瞑って、耳をものすごく熱くさせながら、今度はゆっくり目を開けて、自分の靴を見つめた。それから10秒経っても、20秒経っても、グリーンさんは何も言わなかった。
どうしたんだろう、と私は恐る恐る顔をあげようとしたとき、左の耳を何かにひっぱられた。「ひゃあ!」「さん、真っ赤」

アハハ、とグリーンさんは笑って私の耳たぶ辺りを指先でちょいちょいとひっぱった。「あ、ちょ、ぐ、グリーンさん」「ふにふにしてる」「や、やめてくださ、」「へへ」 
グリーンさんは嬉しそうに笑っていた。そして気づくと、今度は両方の私のほっぺたを、グリーンさんはぐにぐにといじりはじめた。「ぐ、ぐりーんひゃんやめてぇ」 やめてよう、と言うのに、グリーンさんは笑うばっかりで、全然相手にしてくれなかった。

外が寒いからか、グリーンさん指先も、ちょっとだけ冷たい。彼は白い息を口から出しながら「さん、俺に会いたかったんだ?」 にまーっと笑った。私はビクッと体を小さくさせて、ゆっくりと、僅かに頷いた。そしたら、グリーンさんはまた嬉しそうに笑った。私のほっぺをぶにぶにするのはやめて、今度は四本の指の裏っかわで、ほっぺた辺りをふにふにこする。

私はそのまま立ち尽くして、ふにふに、とほっぺたをいじられ続けた。
ものすごく、恥ずかしい。


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