とにかく、のぼった
私はグリーンさんと一緒に帰るようになった。明日は帰り、いつ頃だよ、とグリーンさんが最初に訊いて、私が答えて、グリーンさんに訊かれた次の日に、私がグリーンさんに訊く。それを何度か繰り返して、一週間くらい経ったら、お互い一緒に帰るのが当たり前になってしまった。
用事があれば、ポケギアで連絡するし、何にも連絡がなかったらいつも通り。あれ、なんだかこれって、なんだろう、と自分自身ときどき混乱してしまうのだけれど、私と一緒に帰っているとき、グリーンさんはなんだか嬉しそうな顔をしていた。別に笑っている訳じゃなくって、じいっと前を見ているだけなのだけれど、あ、嬉しそうだなぁ、となんとなくわかる。そんな風にわかる自分が嬉しくなった。
ときどき、ちょいと指を絡める。ちょいちょい、とグリーンさんが私の指をいじって、二人でてとてとと家に帰る。私の家に着いた後、じゃあな、とグリーンさんは手を振って去っていく。私とグリーンさんの家は、そう離れてはいないけれど、寒いし、疲れてるだろうし、申し訳ないなぁ、とすごく思うのに、自分からはそう言い出せない自分が、とてもずるいなぁ、と思った。もし私から、「大変だったらそんな毎日一緒に帰らなくてもいいんだよ」、と言って、グリーンさんが、「そうか、わかった、それじゃあな」と返事をされてしまったら。
想像してみて、ぶるぶると首を振った。「そんなことないって。気にすんなよ」と彼がそう言ってくれることを望んでる。一つの返事しか期待していないのに、言葉をかけることなんて出来なかった。グリーンさんは、そんな私に気づいているのか、そうじゃないのかわからないけれど、別れるときに、「また明日」と絶対に言う。明日に会えなかったら、「また明後日」
またがあるんだ、とうれしくなる。私も頷いて、またね、と手を振る。
ゆっくりがいい、と私が言ったから、グリーンさんと私は手を繋いで、ばいばい、と手のひらを振って、一緒に帰るだけだ。それにちょっとだけホッとしているような、嬉しいような、寂しいような、なんだか自分でもよくわからない。
いつもどおり、彼と一緒に家に帰って、私はアパートのドアの前に立った。それじゃあね、といつもならそこでバイバイするのだけれど、ふと、グリーンさんが何かを考えるみたいに上を見上げた。何かあるのだろうか、と目を向けてみたけれど、やっぱり何もない。グリーンさん? と声をかけようとしたとき、ぎゅっと抱きしめられた。「う、うわ、あ、あ、あ、ぐ、ぐりーんさ」「おう」 別に返事はそれだけだ。グリーンさんは腰をかがめて、私の肩口にぽんと顎をのせた。
何をされた訳じゃなくって、本当にそれだけだった。私はガチンコチンに固まっていたけれど、それでも、前よりは体が動くようになった。グリーンさんは何にも言わなくって、ほんの少しだけ肩口にのせた頭を動かした。ちょっとだけくすぐったい。顔が近い。
私はゴクッと唾を飲んで、ゆっくりと彼の背中に手のひらを伸ばした。そしたら、グリーンさんがぎゅっと勢い良く私を引き寄せた。
気づいたらグリーンさんの胸の中にいて、私はあわあわ顔を動かした後、彼の胸を両手で押した。案外するっとグリーンさんは離れて、あれ、と驚いて彼を見ると、彼は苦笑しながら、「ビックリするんだろ?」と私のほっぺたを撫でた。私はなんだかムッとして、「ひ、ひとが、みるかも、だし」「はいはい」 そうですねー、とまるで子ども扱いのようにぽんぽんと頭をなでられた。
ばか、グリーンさんのばか、とパタパタ片手を振って、グリーンさんの胸を軽く叩いたら、グリーンさんはやっぱり嬉しそうな顔をして、私の手のひらを自分の手でぺちぺちと受け止めた。「はいはい、わかってます。じゃ、今日はここら辺で」
くるり、とグリーンさんが背中を向ける。あっ、と彼は声をあげた。「さん、ばいばい。また明日」
私はムッとしている顔を精一杯つくったまま、ちょっとだけ怒ったみたいに、「またね!」
おう、とグリーンさんは返事をした。グリーンさんが背中を向けたから、私はちょっとだけしょぼんとして彼を見た。そしたらグリーンさんがまた振り返ったから、慌てて難しい顔を作った。彼は口の端を上げて、ばいばい、とまた手を振って背中を向けた。ばいばいと、見えている訳でもないのに、私も彼の背中に、手のひらを振った。
***
こんなにいい調子で、問題ないんだろうか。
調子がよすぎると、なんだか怖い。バトルでもなんでもそうなのだ。よすぎるってことは、後で絶対どっかで思いっきり転ぶようにできている。(まあでも、このまま調子よくいきたいもんだよな) さんと一緒に帰るようになって、手をつなぐようになって、ついでに今日抱きしめた。よっしゃ、と俺は歩を軽くして、大股で走り抜けた。
じゃあ次は、と考える自分がいて、いいや待て待て、と何度も自分にストップをかける。調子がよすぎるってことは、次が怖いってことだ。落ち着けって。でもさんだって、そろそろ雰囲気オッケーじゃね? いやいや。でもでも。
「あー!」と俺は風呂の中で頭を洗って、どぼんと湯船の中につかった。うとうとする。疲れた。家に帰って、筋トレして、さて汗を流すかと風呂に入って、さんのことを考えて、風呂を上がって、よしよしとイーブイ達の頭を撫でて、ついでにもう一回筋トレして。「シャアッ!」
どこか一本、吹っ切れていたのかもしれない。よし、もうちょっと行ってみるか。
その日はそう決意して、ベッドに入った。けれども起きた時には、いやいや、そういう訳にはいかんだろ、と首を振って、ジムに行って、おっしゃ一仕事終わったぞ、とポケモンセンターに行く間に、今度はまた決意が固まった。けれどもさんの姿を見た瞬間、あー、やっぱりやめとこう、と頷いた。グラグラすぎる。
彼女は俺を見たら、少しだけ嬉しそうに笑って、「どこかに寄るか?」と訊いたら、ううん、と彼女は首を振った。俺に悪いとでも思っているんだろうか。そうだったらいいな、と思う。けれども、別にそんなことは気にしなくてもいいんだけどな、とも思う。さんといることが、つらいめんどくさい、と思う気持ちに負けていたら、こんな風に迎えになんて来ないし、今日はちょっと無理だから、と連絡すればいい話だ。
お互い、探り探りではあった。俺は男だから、平気な顔をして彼女の前を進んでいくふりをした。心の中はいっつもグラグラしているし、不安がないといえば嘘になるが、それでも彼女といたかったし、かっこをつけたい。もともと、俺はかっこつけな人間なんだ。でも、そんな自分は結構好きだ。
俺はいつもどおり、彼女の手を握って、ぽつりぽつりと街頭の灯る道を歩いた。さんの首に巻いてあったマフラーを、寒いだろ、ともう一回巻き直したら、彼女はきょとんとした顔をして、へへ、と笑った。
その顔を見ていたら、なんだかひどく胸が痛くなったような気がして、思わず抱きしめてしまいそうになったのだけれど、ちりん、と通った自転車の音に、ハッと意識を取り戻して、また彼女の手を握りしめた。
あーあ、と思う。やばい気がする。彼女の手をひっぱるようにして、彼女の家の前に向かって、ちらりと周りを確認した後、彼女を抱きしめた。「わひゃっ」とさんはビックリした声を出していたけれど、この間よりも大丈夫なようで、すぐにそろそろと俺の背中に彼女の手が回された。俺はもう一回、自分よりも小さな彼女を抱きしめた後、バッと彼女から離れた。さんが、きょとんとした顔をしてこっちを見上げてる。俺は彼女の小さな手を握りしめて、ジッと彼女を見下ろした。
キスしようと思った。
でも、すぐに背を伸ばして、目を瞑った後、もう一回彼女を見て、息を吐き出した。「さん、あのさ」「うん?」「俺の部屋、来ない?」
今度の休みさ、と言葉を付け足した後、ハッとした。もうちょっと待て、と自分自身思ったばっかりだったのに、こりゃ駄目じゃね。
だいたい、俺の部屋ってあれじゃん、思わず彼女にキスしちまった場所じゃん。そこに誘うってことは、またそういうことをしますよ、と予告しているようなもんだ。違うだろか、そうだろうか。
俺は彼女を手のひらを握りしめたまま、ガチガチになって言葉を探した。さんも、同じく呆然として俺を見ていた。まずい。
調子がよすぎた。調子がよすぎた後は、必ずこけるものなのだ。
こける場所はここだ。ここだった。うわあ、と俺が目線をそらして、やっぱなし、冗談です、と言おうとしたとき、彼女は、「うん」と返答した。「グリーンさんのお家に、行く」
行きます。と言い直す彼女の言葉を聞いて、俺はぽかんとさんの両手を握り直した。つまり、うちに来るってことは、そういうことなんだろうか。
彼女も、自分が言った言葉の意味はわかっているようで、じわじわと顔を赤くした。それがひどく可愛くて、思わずその場でキスをしてしまいそうになったのだけれど、いいやと何度も首を振った。「来るんだな?」「……うん」「ほんとに」「うん」「今度の休み?」「……うん」
じゃあそういうことで、と彼女の顎を、ちょいちょいとかいた。さんは、ちょっとだけくすぐったそうな顔をして、もう一回、うんと頷いた。俺は彼女をぐっと抱きしめた後、パッと離れた。「じゃ、また明日!」
そう言って、逃げるみたいに駆けていく。
(うっわ)
調子がいい。調子がよすぎる。
(これはやばい)
やばすぎる、と自分でわかってる。
とにかく走った。走って走って、あー、と自分のマンションの前で腰をついて、「あー!」とでっかい声を上げて、近所迷惑か、とぱしんと口元に手を当てて、「……あー!」 今度は小さめに叫んでみた。
あほか、と体育座りをした。そうした後に、立ち上がって、そそくさと逃げた。調子がいいってことは、絶対どこかでひっかかる。わかってる、わかってるんだ。
でも、嬉しいことは、仕方ないじゃんか。