手を伸ばした。


ころさないで




するりと首もとにあてがわれた、ごつごつとしていて、ささくれだった太い指が、私の喉を、きゅっ、と小さく締め上げる「……っあ」 微かにもれた自分の声が、耳へと届いて、するり、するりと、視界の端に、真っ赤な何かが流れ落ちた。目を背けたくなるような感覚に、ほんの少しずつ、キリキリと圧迫する、その、指。流れた、赤い何かが、流れた(あかい、ち)(違う、これは違う、これは、)

「クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレ」










飛び起きた。「また……」夢だ。夢に決まっている、“父”が、私を殺すわけがないじゃないか。けれども首もとに残った生々しいような感覚に、ごくりと唾を飲み込んだ。
開いた手のひらは小さい、ほんの少し汗で湿ってしまった布団と表記していいのか分からないくらい、この小さな体には大きくて、こんなにもいらないと叫びたくなるくらい、たくさんのものが溢れかえっていて。

さらりと、私の肩口から流れ落ちた、夢と同じように真っ赤なそれが目に入った。黒かった頃の面影なんて、どこにもない。
痛む。ズキリと響いた脇腹のあたりを、ゆっくりと撫でる。お腹の服を、ぺろりとめくると、ひんやりとした空気に、きゅっ、と思わず目を細めてしまった。さすさすともう一回撫でてみると、そこだけほんの少し、ぺっこりと凹んでいて、ほんの少し、周りよりも白い。一番初めは、ただのあざか何かかと思っていたけれども、年を経つごとにはっきりとした跡へと変わっていくそれは、傷だ。刀傷だ。

     こんなところ、いつ。

そう問えば、はっきりとしている。一番初めは包丁だった。それはきちんと跡形もなく直されたはずだったのだけれども、二度目、包丁なんかよりも、もっともっと大きくて、人を殺す事を前提とした、あの大きな、

(この傷跡を見るたびに、“あの人”は、また私を殺すのではないかと、思ってしまう)


ぎゅ、と小さな、小さな自分の体を抱きしめて、ぎゅ、と唇を、噛みしめて、
(ころさ、ないで)


コンコン。響いたノック音と、どくんっと大きくなった心臓に、ほとんど反射的に、「あ、はい!」と口を動かしてしまった後、ぺろりと露出させてしまっていたお腹を、布団の中にばさっと隠した。「失礼します」ととても上品な声が聞こえて、私が使うにしては随分大きな扉が開く。
ちらりと見えた、黒と赤を基準としたようなメイド服に、懐かしいな、と思わず感じてしまうのは何故だろうか。


「朝食の準備が整いました」
「あ、わざわざありがとうございます」
「いえ、あの、様」


なんですか、と声を返しながら、という名前にも、未だに慣れないし、その上、その慣れない名前にまた様付けをされているのだと考えると、とっても妙な気分になる。いっその事、“様”といったこのくくりが名前なんじゃないかと思えて来るほどだ。


様、その……、私どもには敬語は必要ないのですよ」
「え、あの」
「クリムゾン様にしかられてしまいます」


半分苦笑いのように首を傾げながらの彼女の言葉に、思わず私も首を傾げてしまった。よくよく彼女の顔を見ると、つい先月、入ったばかりの新顔さんだ。何度も繰り返したような会話を、思わずクスリと笑いながら、「ごめんなさい、なるべく、気をつけます」
どうにも回りにくい自分の舌を、ゆっくりと動かして、ぺこりと頭を下げる。いえ、滅相もない! とパタパタ手を動かす彼女が、ふと、誰かとかぶった。


! 本を読もう』
『いけません、は今、仕事中ですから』
『じゃあどれくらい待てばいい?』
『そうですね、あと半日は』
『長いぞ
『………我慢なさいませ。がメイド長にしかられてしまいます』


ぷ、とほんの少し頬をふくらませて、まるでふぐのようにしたふくれっ面。手に持った、薄目の絵本をぎゅ、と握りしめて、じゃあ、我慢する。と小さく声を出した。
そんな彼を見て、私もなるべく早く仕事を終わらせてしまおうと、手にもった濡れタオルを、きゅっきゅ、となるべく丁寧に、けれども精一杯、動かして、ぴかぴかに映し出されたガラスに、きらりと金に光る、色が映し出されて、



(生きて、おられるだろうか)

蒼い大きな瞳を、まるで零れ落ちるぐらいに見開いて、ぼろぼろと、頬へと伝う一本の線を、ぬぐうことも私は出来なかった。(……生きて、おられるだろうか)

大きく、育ってくださいねと私は願った。
私よりも、大きく、大きくと私は願った。
     そんな事は、どうでもいい

ただ、生きていてくださればいい。何処かで、健やかに生きていてくだされば(こんな家、飛び出してしまえばいいだろうに、それが出来ない私がいる)(そんな事をしてしまえば、こんな小さな私の体はひとたびに死んでしまうだろう)


様」
(ガイラルディア様)



声が聞こえた。「それでは食卓へといらっしゃって下さいね」と微笑む彼女の声に、こくりと頷いて。(ガイラルディア様)

ズキリと、傷口が痛んだ。




1000のお題 【676 心の奥】




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                         アトガキ

あああやっと書けたあああああ

ペールさんの本名がペールギュントなの今思い出しました。
でもペールギュントなんて書かれても誰だか分からなさそうなので、ホド編そのままペールさんで。

2008.03.31