食卓へと、一人の少年が座っている。
彼は私の、兄だった。


赤髪少年





“父”と、“母”はいない。城での仕事に追われているらしく、朝と昼は基本的に各部屋だ。けれどもその形態をこの“兄”は嫌がっているらしく、二人しか座らない食卓に、ちょこんと向かい合って座って、出てくる料理へとフォークを突き刺した。

長い髪の毛が、うつむいた顔に覆い、緑に瞳を隠した。それを彼は鬱陶しそうに掻き上げて軽く頭を振る。その瞬間に、真っ赤な(私には血が咲いたような糸に見える)髪が、ふわりと風を含んだ。

「ルーク、兄様」

長い髪が鬱陶しいのなら、切ればいいのに。そういおうとして、口を開いた瞬間は、彼はぐっ、と眉間に皺を寄せた。食事中に口を開くという行為が、彼は気に入らなかったらしい。
ごめんなさい、と私は呟いて、ナイフを取る。
視界の端へと置かれたご飯を見て、せめてお箸で食べたいなぁ、とため息が出そうになった。

ルークさんは、私よりも二つ年上だ。けれども実際の年齢を考えてみれば、私の方がずっと上なはずなのに、落ち着いたその物腰に、本当に私の二つ上なだけなんだろうか、とふと考えてしまう。
だからなのか年齢相応の顔つきに、一瞬妙な違和感を感じてしまう。あまり高くない身長は、遺伝だろうか。私の方もあまり期待できないかもしれない。
(ガイラルディア様と、同じくらいかな……)

私の中では、ガイラルディア様は小さな姿のまま、止まってしまっている。
そんな事など分かっているのに、ふとした瞬間、ルークさんと、ガイラルディア様を重ねてしまう自分がいる。
ほっこりと、花のように微笑む少年と、むっつりと、淡々とフォークを進める少年とは、似ても似つかないはずなのに。
(その上、ファブレ家は、ガルディオス家の、かたきのはずなのに)


私は、どうしてもこの家に馴染む事が出来なかった。母を、母と呼ぶ事に、一瞬の抵抗を覚え、父を父と呼ぶ事には、ほんの少しの間が出来る。
彼はにっこりと笑って、妹と話すような性格ではないだろうけれど、ルークさんに、馴れ馴れしく話す事も出来ないでいた。
せめてもとメイド達に声を掛けてみても、怒られてしまう。

正直、この家はとても苦しい。私は外見だけでなく、中身までもが子どもになってしまったのかもしれない。それともただたんに、新しい環境が、未だに適応していないのだろうか。ガルディオス家では、何の問題もなかったのに。
カラカラとカラ回る風車のように、何処かへと逃げ去ってしまいたいという気持ちが、蓋の隙間から、あふれ出す。
(いつまで、こんな事を続けなければならないのだろうか)
正直、この頃何が現実でどうなのかと理解できなくなっていた。
もしかしたら。もしかしたら、私の中で眠る、もう一つの私の記憶は、全て私が作り出したただの夢物語なのではないかと考えてしまうときがある。おかしいじゃないか、赤ん坊になる以前から、何もかも覚えているだなんて。

けれども、そう考えるたびに、服の上からゆっくりと指でなで上げるように触れば、傷跡がほんの少し凹んで主張する。
唯のみみず腫れも、今では生々しい傷跡へと変わってしまっている。きっと、私が元の年齢と同じになるときには、昔と同じようなもっと大きな傷へと変わるのだろう。
(この傷を撫でるたびに、ガイラルディア様は存在するのだと自覚する)
そして、父が私を殺した事も思い出す。

いっその事、全てが私の妄言なのだと理解できれば、楽なのに。


目の前の少年が、カチャンッと音を立てた。テーブルマナーに両親とメイドよりもうるさい彼にしては珍しく、カチャン、カチャン、と皿とフォークがふれあう連続的な音がする。
手に持ったカップ越しに、揺れる水面の向こうから見れば、眉間に皺を寄せたままで、一心不乱に彼が赤い何かを横へと避けている事が分かる。


「………ルーク、兄様」
「……………なんだ」

一瞬、見間違いか何かかと思った。
ピタリと手を止めたルークさんは、ちらりと私へと視線を投げかけたかと思えば、やはり赤い物体を黙々と端へと避けている。小さく切り込まれた欠片を、フォークで黙々。とても器用だ。
「あ、いえ」思わず声を掛けた事を後悔した後、端で仕えるメイドが、ドアの方へと顔を向けている事を確認して、こっそりと、小さな声で、

「その………たこ、食べましょうか、私」
「……………別にいい」


(ほんの少し、微笑ましくて、笑ってしまったのは秘密だ)


1000のお題 【87 複雑な心境】




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2008.07.11