「まったくもって、才能がありませんのね」

ふう、と肩を落とした彼女に、面目ない、と苦笑いしてしまった。


あたたかい場所





「こう、こうやって、大気の音素を意識するんですのよ。私も、あなたも、この草や木だって、音素で出来ていますの。全ては固有の振動数を持っていますのよ」

おわかりになって? と首を傾げる彼女に、「知識としては理解しています」と小さく小さく返答する事しかできなかった。一番最後に一応をつけて。

ナタリアさんのお城と違って、やはりほんの少しの荒さが残る私の(と、いっていいのか)家の庭の、真っ白な小さなテーブルで二人腰掛けて、あーだこーだと頭をひねっていた。
彼女曰く、「淑女たるもの、自分の身一つ守れませんと!」との事だ。だからこそ、私に譜術を教え込もうとしているんだろう(……でも、私が、譜術なんてねぇ)ちょっと想像できない。


「………に、武術は難しそうですものね」
「………運動神経が悪い訳では、ないと思いますが」

それよりも、多分いい方だと思う。昔はどちらかと言うと苦手だったけれど、になってから、もの凄く体が軽いなぁ、と感じるのだ。

ナタリアの手のひらが、私の頭めがけて、真っ直ぐに飛んできた。「え、」避ければいいものの、どうすればいいのかよく分からなくて、硬くなった筋肉に、目をぱちくりとさせる事しかできない。
ぺちんっ、と軽く、私のおでこが音をたてた。


「根本的に、反射神経がたりませんもの」

ですよねぇ、と口の端っこを自嘲気味に上げることしか出来ない。けれどもそれも格好悪い。
ううん、と机の上に顔をぺったりとのせて、さんさんと降り注ぐ太陽に、「無理ですナタリアさん」と呟いた。

「ああもうナタリアさんと! ナタリアと呼びなさいといっているでしょう」
「それこそ無理ですナタリアさん」
「何が無理なのですか!」
「お前らさっきから一体何を騒いでいるんだ!」


いきなり響いた怒声に、体がビクンと飛び跳ねる。目の前では、瞳をキラキラとさせたナタリアさんが、「ルーク!」と嬉しそうな声をあげて、たかたかと彼に駆け寄るけれども、当の本人は不機嫌そうに眉間に皺をよけて、右手に持つ、大きな太い、まるで辞書のような本を、むんずと掴んでいた。
人の読書の邪魔しやがって! とでも言いたげな空気がむんむんと伝わってくる。


「ひどいんですのよ、ったら私を呼び捨てになさいというのに、いつまでたってもナタリアさん!」

ちらりと非難めいた視線を送るのをやめて欲しい、ナタリアさん。ルークさんの袖口をぎゅっ、と握って、私とルークさんの間を、何度も視線が行き来する。
思わず小さく小さく座り込んでしまう。

ふう、と静かなルークさんのため息が聞こえて、思わずまた肩を飛び跳ねさせてしまった。なんとなく、この兄は妙な所で恐いのだ。
バカバカしい、と一言で切り捨てられてしまうのは、ちょっと恐い。


「しょうがないだろう、のそれは癖みたいなもんだ」
「癖ですの?」
「メイドにもそれだからな。父上も母上も半分諦めている」
「まぁ」


ぽっかりと口を開けて、その口に自分の右手を添える彼女は、とても可愛らしいと思う。くすりと笑ってしまうと、ジロリと睨まれてしまったけれど、「それならしょうがありませんわ」と彼女は私に向かって、右手を出した。
人差し指から薬指までぎゅっ、と握って、人差し指だけ彼女はちょこんと軽く立てている。

「あの、」
「約束ですわ、いつか、ナタリアと、が呼んでくれるようにと」

ルークは約束が嫌いですけれども、アナタなら大丈夫ですわよね、と柔らかく、はちみつ色の髪の毛をふわりと揺らした彼女にほんの少しの躊躇の後、ごくりと息を飲み込んで、「ええ、いつか、」と私も指を絡めた。
遠くで、ルークさんが軽いため息を吐いているような声が聞こえる。


私には大きすぎる屋敷を背景に、ほんの少し、風の中に、草の匂いがした。そういえば、私が彼に初めて出会った日も、こんな風に、まっさらに晴れていて、同じような匂いがしていた気がする。
(……案外、近い日かも、しれない)

いつかと、いわず。
(私はこの人たちが、とても好きだ)

今がとてもあたたかい。






1000のお題 【279 理想的な環境】




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2008.08.03