新しい使用人が来るのだと聞いた。


再び会う




ファブレ家に新しい使用人が入る事は珍しい事ではない。メイドさんはいつも若い人たちだし、彼女たちとほんの少し仲良くなれたと思ったら、いつの間にかいなくなっていて、寂しい気持ちになる。中にはラムダスさんのようにずっと変わらない人もいるけれど、大抵私よりもぐっと年上で、なんとなく近寄りがたい。
そんな中で、メイドさん達のうわさ話から耳に挟んだ、ルークさんよりも少し年上の少年がやってきたというのは、ちょっとしたニュースだった。
朝からナタリアさんとそんなお話をして、いい人だったらいいな、ときゃあきゃあ笑って、その人は今どこで何をしているんだろう、とお屋敷の中を、探し回る。流石に訊いて回る訳にはいかないから、これはちょっとした大仕事だ。

そんなとき、ふと気づいた。
庭を横切るとき、いつもは乱雑とした庭の木が、綺麗に切りそろえられている。うちには専用の庭師がいないので、執事の人たちが適当に切ってるだけなのだ。
誰か手先の器用な人が入ってきたんだろうか。
これもちょっとしたニュースだ。


ナタリアさんはうちへと来るたびに、「ああ、もう少しここをこうしたら、綺麗になりますのに!」と、とっても残念そうな顔をする。だから今度やって来たとき、嬉しそうに瞳を輝かせて、「やっぱり、ほら綺麗になりましたでしょ」と自慢げにいう彼女が目に浮かんだ。
一人くすくすと笑ってしまった事がほんの少し恥ずかしくて、誰もいないかな、とあまり元気のない花達を囲むガに、そっと手をついて確認した。
きっとこの花も、これから元気になってくれると思う。


「なにが、楽しいんですかな、お嬢さん」


やわらかい口調に、低く響いた声に、ぴくん、と肩が踊った。ぬっと背後から出来た影に私はつつまれていて、振り返ってみると、枝切りばさみを片手にした人のよさそうな顔をしたおじさんが麦わら帽子を頭に、つなぎを着てにっこりと笑っている。


「あ……い、いえ、あの、あなたは」
「今日から、ここのお世話になります、庭師でございます」

その言葉を聞いて、そうか、この人が庭をこんなに綺麗にしてくれたのか、と感動する反面、何かがおかしい、と思った。
この人が、そんな事をする訳ない。この人に、そんな事似合わない、だって、この人は、
(………この人は?)


頭の中で飲み込んだ文章がどこかに詰まって、麦わら帽子のおじさんを、じっと下から見詰める。目尻に浮かんでいる皺に、何故かぞわぞわとした複雑な気分になってしまって、「あ、あの」と彼へと声をかけていた。

「なんですかな」
「その、今日、新しく入ったという、男の子の、お知り合いですか」
「ええ」
「どんな子でしょう」


なんでこんな事を訊いたのか分からない。メガネ越しの優しそうな瞳が一瞬ぐるりと形を変えて、うっすらと細められたような気がした。
一度瞬きをした間に、彼の眉毛と瞳はまた優しく弧を描いていて、じくりと、どこかが痛む。

「とても、優しい子どもですよ」

何度も噛みしめながら出したような言葉に、何故だろうか、私は彼と、昔どこかであった事があると思った。昔ってどこだろう、私は、この屋敷から出たことは、数える程しかない。
そんな私に、どこで


「ペールさん」



勝手に口から飛び出ていた言葉に、自分で自分自身に驚いた。ほとんど反射のように息を大きく吸って、どくどくと心臓がなる。いたい。いたい、とてもいたい。脇腹がじくじくとする。内側からひっぱられているように傷口がうずく。いたい、いたい、いたい、いたい。

逃げ出した足は、どこに向かっているかも分からなかった。ただ逃げ出した。ペールさんだ、彼は、ペールさんだ。ペールギュント・サダン・ナイマッハだ。
髪も抜けおち、伸ばした腕についていた筋肉は衰え、頬がこけていた。けれども彼はペールさんだった。
いきていた、彼はいきていた、よく分からない、頭の中が暴走する。真っ白にとんでいる頭の中で、何故ペールさんが、こんなところにいるんだろうかなんて事、考えもしなかった。
ペールさんが、いた!

どすん、とルークさんに正面からぶつかったとき、また脇腹がうずいた。
何をやっているんだ、と怒られて、ごめんなさい、とよくわからないような高まった気持ちの中で、ふわふわと言葉の足をつく。
どこだろう、ここは、廊下、きっと廊下だ。
この赤いカーペットには見覚えがあるし、天井から映る光が頭をほんの少し回転させる。
じくりじくりじくり。いたい、とてもいたい。


「大丈夫ですか、ルーク様」


ふいに、少年の声が響く。その瞬間に、私の脇腹の痛みは止まった。けれどもそれと同時に、音も止まった。何も聞こえない場所に、ただキーン、と耳の奥で何かが響く。
ルークさんと、少年が、何か言葉を交わした。ルークさんが、私に向かって、ぱくぱくと口を開く。

彼が、こちらを向いた。

「………っ」

喉の奥が何かに締め付けられるような感覚になって、鼻がつんと痛くなる。金髪のさらさらとした髪に、真っ青な瞳に、可愛らしい声。今はほんのすこし、変わってしまったけれど。
いつの間にか私の身長なんて大きく大きく越してしまっていて、私は彼を見上げるような体勢だった。ああ、この人は、「本日より、ルーク様の世話役となりました、ガイ・セシルです」(ガイラルディア様)



(生きておられたんですか、ガイラルディア様)
(大きくなられましたね、ガイラルディア様)
(長い間、ペールと二人きりにさせてしまって、申し訳ありません)
(ずっと、これからは、ずっと、)

指を伸ばした。
彼の頭を、撫でたかった。
ずっと昔と同じように、やわらかなその髪の毛を撫でて、にっこりとした微笑みが欲しかった。
太陽のような、すごくすごく、気持ちが柔らかくなれる、そんな微笑みが欲しかった。




けれども、「ひっ」と軽い悲鳴と共に、私の指先は弾かれて、行き場をなくす。じんじんとしびれる感覚がほんの少し嘘のようで、じっと自分の手のひらを見詰めた。
ルークさんが、ほんの少し眉間に皺を寄せた後、「ガイは女性恐怖症なのだそうだ」と言葉を付け足す。

(………女性恐怖症?)


そんなの嘘だ。だってガイラルディア様は、いつも私のスカートにくっついていてくれたじゃないか。「」ととろけるような、食べてしまいたいように頬をゆるめて。
何故ルークさんがそんな嘘をつくのかよく分からなかったし、ガイラルディア様が、私の手をはじいたのか、理解できない。
もしかしたら、今、機嫌が悪かっただけなのかもしれない。昔こんな事が一度あった。後で遊んであげますよ、といって、結局その日彼と話すこともできなかったとき、彼は精一杯、可愛らしく瞳をつりあげて、私が手を近づけるたびに、逃げて、

(だいじょうぶ、あそんであげますから)


そういおうとしたとき、「申し訳ありません」と何度も頭をさげるガイラルディア様に、何故だろうと考えた。なんでこの人は、私に向かって頭なんて下げるのだろう。何でこの人は、私に敬語なんて使うんだろう。やめてほしい。いつものように、にっこりと微笑んで、と呼んでくれるだけで、いいのに、

「申し訳ありません、様」


って、だれ?



急速に冷える頭の中で、私はじゃない、けれどもこのひとはガイラルディア様で、ペールさんがいて、ここはファブレ家で、クリムゾンは、ユージェニー様へと手をかけ、ここはマルクトではなくて、ガイ・セシル。ガイラルディア・ガラン・ガルディオスではなく、ガイ・セシルで。

何の考えもなく、ただ見詰めていた自分の指先が、ほんの少し震えた。どうしたんだ、と私の肩へと手をかけるルークさん越しに見えた彼の瞳は、随分前に嬉しそうにくるくると回っていたはずなのに、どこかの昆虫でも観察しているように、今はただ無機質で、息が口から漏れた。

痛い。クリムゾンに切り裂かれた腹がいたい。傷口がいたい。あのときのようにずるずると長い腸をぴっぱられているかのように腹の内部が飛び回る。いたい、うずく、いたい、うずく、いたい

(復讐だ)


ぼろりと零れそうになった涙を、必死で飲み込んだ。すっかりと、忘れていたのだ、私は。もちろん、クリムゾンの事を忘れた事はない、ユージェニー様を忘れた事もない。心の中でくすぶる炎はいつの間にか小さくなってはいたけれど、今でもクリムゾンは恐ろしく、彼女の首が飛び跳ねるシーンはスローモーションのように瞼の裏で流す事ができる。

けれども私はすっかりと忘れていた。
ルークさんは、私の兄だ。少し神経質な性格で、ちょっとの事で眉間に皺を寄せるものだからメイド達にはこっそりと怖がられている、少し不憫な男の子だ。
ナタリアさんは、ちょこっとおてんばだけれど、いつも強気で私をひっぱってくれる。キムラスカの姫だなんて時々忘れてしまうような、これは褒め言葉で、とっても素敵な女の子だ。
シュザンヌは、あまり打たれ強い女だとは思わないけれど、彼女はしっかりとした母だった。
クリムゾンは、今でも恐ろしくて、体の底から震えが走る。殺してやると考えたこともあった。けれども大きすぎる炎はどうしても長続きなんてしなくて、ある日こいつはどんなヤツでどんな事をしていても、結局は私の父なのだと悟った。

けれども私は違うと思っていた。


あまり正直ではないルークさんの気持ちが少し分かったとき、嬉しかった。
ナタリアさんが、ナタリアと呼んでと小指を二人で絡め合わせたとき、いつか、と思った。
あたたかいと感じた。この人たちはとても好きだと感じた。


けれども私は違うと思っていた。


(私は、どう転んでも、なのだ)

ガイラルディア様の事がとても好きで、違う世界に住んでいて、殺された。だから彼らとは違うと思っていた。仲良くなんてホントはしたくなかった。だって彼らと私は違っていて、私はで、いつかガイラルディア様を捜しに行きたいと、そう考えていて、
(けれども、少年にとっては、違ったのだ)


「御気分が悪いのなら、お部屋へお連れしましょうか」と少年がほんの少し微笑みながら私へと問いかけた。ちがう。笑ってなんかいない。口元だけにっこりとした形を作っているだけで、まるで、ざまぁみろ、とでもいいたげな瞳に、ほんの少し、胃の中身が逆流してしまいそうになった。

大丈夫です、と微かに言葉を絞り出して、ルークさんに、頭を下げて、あんなに会いたいと願っていた彼にも何も伝える事だ出来ず、また逃げた。
溢れる嗚咽を、腕で隠して、痛みなんてとっくの昔に通り越したような脇腹へと手を伸ばす。

(ガイラルディア様にしてみたら、私だって、ファブレ家の一員なんだ)

当たり前だ。けれどもずっと分かっていなかった。と名乗り呼ばれながらも、ちっとも理解していなかった。勢いよくあけたドアの向こうの、自分のベッドへと飛び込んで、顔をうずくめる。
白いシーツに点々と黒い水たまりが出来て、ずっとずっと私は唇を噛みしめていた。



1000のお題 【358 目が、笑っていないようだが】




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20080804