今日もまた、ガイラルディア様に会えるだろうか、とてこてこ足を動かしていた。 ほってかれた ぽつんとルークさんのドアの前に佇む彼を見て、脇に挟んだ譜術と題名に書かれた本をぎゅ、と握りしめて、なんでこんな、彼は呆然とした顔をしているんだろう、と思わず足が止まった。 「なんでぼけってしてるんですか」と声を掛ける事も躊躇われて、ルークさんの部屋のドアの、また少し離れた所に、ガイラルディア様と同じように横にちょこんと立つ。目の前には長く長く広がる廊下の壁だけだ。 ごくり、と唾を飲みながら、軽く彼を見ると、ガイラルディア様の視線を、少し交差してしまった。 ビクリと肩が震えて、私は誤魔化すように、手のひらの本を思いっきり捲る。バララララ……分厚い本のページがまるで鳥の羽ばたきのような音を立てて、どきどきする音を、ほんの少し押さえつけてくれた。 「………」 「………」 お互いの無言は、少し辛いけれど、本を読んでいれば、なんてことはない。もちろん、肝心の内容は頭の中にまったく入っていなくて、文字の羅列がぐるぐると回っているだけだけれども、それでもなんとなくはマシだ。 (………ルークさん、部屋の中に、いるのかな) もしかして、入ってくるなといわれているのかもしれない。だから、あんな呆けたような顔をして、ガイラルディア様は、立ちすくんでいるのかもしれない。 (聞いて、みようかな) 彼が、私の事を嫌だなぁ、と思っている事は理解しているけれども、やっぱり話しかけてみたい。ほんのちょっとでもいいから、言葉を交わしたい。ごくり、ごくり。何回も唾を飲み込んで、話すタイミングを見計らうように、瞼を瞑る。同じページを持ち過ぎていたせいか、少し紙が汗でざらついた。 「あ、あの!」 「……、はい?」 ガイラルディア様へと思いっきり首を回して、思いっきり声を掛ける。すると彼は、少し驚いたように体を震わせた後、緩慢に首を傾げた。やっぱり笑ってはくれないらしい。 「ルーク、兄様は、部屋にいるんでしょうか!」 口から言葉を出した後に、あ、こんなすぐに終わる話題にするんじゃなかった! と、とても後悔してしまった。「はい、おられます」これだけで終わりじゃないか。その後私はどうすればいいんだろう。すごすご本を握って退散するか、それとも「いいえ、おられません」 あれ? 首を傾げた私は、もう一度ガイラルディア様を見る。すみませんなんていったんですか? と伝えようと瞳をくるくると泳がせていると、彼は了承したかのように、もう一度ゆっくりと言葉を紡いだ。 「おられません。どうやら、放っていかれたようです」 思わず、ルークさああん! と叫んでしまいそうになった。元々世話係なんていらないとでもいうように、あからさまに不機嫌だった事を考慮すれば当たり前かもしれないけれど、私は思いっきり頭が痛くなってしまった。今頃、ナタリアさんのところにいるか、それとも街へとくりだしてしまったのか、「ご、ごめんなさい……!」 なんで私が謝っているんだろう、と少し思った。彼もそう思ったらしくて、パチパチと瞬きをさせた後に、「何故様が謝られるのですか」と不審そうに眉毛を上げ、私を見る。少し、恐い。 「ええと、だって、怒られるんじゃないですか、ラムダスさんとかに」 「ああ、そうですね」 「や、やっぱり」 「報告すれば、大目玉です」 「めだま?」 「お説教のことです」 「あ、はい、すみません」 「いえ」 彼と話した言葉を思い返し、どんどんとしょげてしまう。ルークさんの気持ちも分かるけれど、ガイラルディア様だってお仕事がある。だから怒られてしまうんだろうけど、それはなんだか嫌だ。まるで子どものような自分の思考と、自分の手のひらを比べて、「ああそういえば、私はまだまだ子どもだったなぁ」と今更ながらに考えた。 ………だったら、少しくらいの我儘もいいのかもしれないな、と頷く。いいのかな、うん、いいや。 「あの、報告すれば、ですよね」 「ええ」 「しないでください」 決死の覚悟ではき出した私の言葉を、ガイラルディア様はきょとんと目を見開き、暫くした後で、困ったように顔を歪ます。そういう訳にはいかない。きっと、ガイラルディア様のメイドだった自分はそう思った。 けど、彼だってまだまだ、子どもだ。あの時と自分と違って、小さな少年だ。 「大丈夫ですよ、いわないと、ばれないです。きっと。ばれちゃったときは、私がどうしてもってガイさんを引き留めたっていいます。ホントのことです」 ぺこりと頭を下げると、慌てたような彼の声が聞こえた。目の前に見える地面は、柔らかい赤のカーペットで、埃一つない。 「おねがいします」、と小さく小さく呟くと、ガイラルディア様は、ため息のような、けれどもなんとなく違うような息を吐き出して、言葉を紡ぐ。「………今度は、なんとかルーク様について行きますよ」 だから大丈夫です、と落ち着いた言葉を持つ彼は、私が知っているガイラルディア様とは、少し違った。 もしかしたら彼は、いつの間にか、ガイ様になっちゃったのかもしれない。ガイラルディア様はガイ様になって、このお屋敷へと来て、一体どうするんだろう。 そりゃあ、復讐って事は分かってる。けれども、どうやってそんなたいそうな事を成すつもりなんだろう。昔より、少し大きくなっただけの、少年のような姿で。使用人なんて、一番危ないような方法をとって。わざわざ、セシルだと、母親の名前を名乗って。 (………よく、わかっていないのかもしれない) 実はまだ少し、今の自分の立場を、よく理解できていない。分かっていても、頭の奥底で、はっきりとしないような、そんなもやもやを持つ私と同じみたいに。 (ガイラルディア様は、いいやガイ様は、一体どうしたいんだろうな) どんな事だったとしても、彼の望みには、手助けしてあげたいなぁ、と思う。また死んじゃうような事はやっぱり嫌だけれど、私は、彼がガイ様になってしまっても、やっぱり大好きだ。 だから、彼が大丈夫だといったら大丈夫なのだ。 私は、「我儘いってごめんなさい」とまたぺこりと頭を下げた。すると、やっぱり困ったような、そんな息をついた彼の声が聞こえた。 「今度は、頑張ってついて行きましょうね」 もちろん、ガイ様にも。 1000のお題 【285 馬鹿のひとつ覚え】 BACK TOP NEXT 2008.09.21 |