ひえええええー………


人の嫌がる事は




何だか今、絹を裂くような、甲高いような、情けないような悲鳴が聞こえた。ぴくり、と耳を動かし、手のひらに持った本を、パタリと閉じる。分厚い本の表紙が重い音を立て、圧縮された空気が手のひらへとかかった。

やめてくれぇー………

また聞こえた声に、私は扉をゆっくりと開け、廊下へとひょこりと小さく顔を出した。きょときょとと周りを見渡しても、特になんの変化もない。なんなんだろう? と首を傾げ、扉を閉じようとすれば、また聞こえた。半分涙声の、まるで変声期の少年のような声だ。
私は、その声に聞き覚えがあるという事に気づいてしまった。そうするといても立ってもいられない。はしたなく、たったった! と力一杯廊下の絨毯を蹴って、腕を振った。




「や、やめてください……!!」

ぶるぶるおびえたようにガイ様は金色の髪を揺らし、その青い瞳からは思わずぼろぼろと涙がこぼれてしまいそうだった。けれども彼はぐっと唇を噛んで我慢をしているのか、目の前の、自分よりもいくつか年上のメイドさん達に向かい、負けるものかとでもいうように、強く双眸を向ける。けどやっぱり泣きそう。

メイドさん達は綺麗な黒いスカートを揺らしながら、3人がかりでガイ様を取り囲んでいた。逃げようとじりじり足を後ろに動かしたとしても、もうそこにあるのは壁ばかり。彼女達は「あらー、どうするのかしらー?」と嬉しそうに声をコロコロ転がせて笑う。その女性の一人の指先が、すいっとガイ様に伸びた。「ひぃっ」 彼は思わず右の手で眼前を囲い、ビクリと身体を石のように強ばらせる。

「ま、待ってください!」

ピタリ、と彼女の指先が止まり、彼女たちは不思議そうにゆっくりと、振り返った。その瞬間、「あ!」とでもいうように、大きく口を広げ、その口を隠すように、両手を口の前へと持って行く。
私といったら急いで走ってきたものだから、運動不足なのか、ドクドクとなる心臓を押さえつけるかのように胸をぎゅうっと握りしめて、肩を大きく上下させた。頑張って息を止めようと、しても、やっぱりハァハァ口元から息が漏れる。何だか格好がつかない。

彼女たちは、顔を見合わせ、そそくさと「失礼します」と足を揃えて何処かへと消えた。


私は壁の端に身体をもたれかけたまま、固まっているガイ様へと視線を向け、はーっと大きく息を吸い込んだ。どうしようかな、とビクビクしている間に、震えていた彼の身体は元の状態を取り戻したのか、彼もハッ! と大きく息を吐き出す。

「あ、だ、大丈夫ですか」

腕を伸ばしかけようとして、やめた。荒い息のまま、彼はずるずると壁を滑るように、床へとお尻をつけ、縮こまったかのように体育座りをして、顔を膝の上へと埋めた。
私はやっぱり口をもぐもぐさせたまま、どれくらいの間が立ったのか、よく分からないけれど、すっかりと胸の動悸も収まって、小さくなったガイ様を見下ろすように、私は静かに立っていた。


「お手を………」 ぼそりと聞こえた彼の声に、「え?」と言葉にならないかのような、短い単語が口をついた。「お手を、煩わせてしまったようで、申し訳、ありません」
膝に顔をあてたまま、くぐもった声が聞こえる。なんとなく、その声は少し強ばっているように聞こえた。


「あ、いえ、その、別に、私は、偶々なんです」
明らかな嘘に、自分自身、ちょっと愕然となった。あれだけ息を乱していたくせに、偶然も何もないだろう。けれども、なんとなく、素直にどういたしましてというには、恩着せがましい気がした。

「あのっ、女の人がダメだっていっても、ダメなものはダメなんでしょうし、その」
「ちがう」

ふいに、震えたような少年の声が聞こえた。ドキリと、苦しくもないのに心臓が音を立てて、何を続けるのか分からない言葉を、ぐっと口をつぐんだ。「     昔は、昔は、こんなこと」
(………知ってます)

きっと、力一杯眉間へと皺がよったこの表情を、顔をうずくめたままの、彼に見られる事がなくて、よかったと思った。
手のひらを額に寄せ、眉間を伸ばすように、何度か上下させる。首を引き寄せ、身体が、少しだけつんのめったような状態で、何か喉に、詰まったような、そんな気分で。


「…………あの、メイドさん達、いい人達なんですよ」

ぴくりと、小さく彼の身体が動いた、ような気がした。

「ちょっと、面白がってしまったみたいですけれど、みんな、本当にいい人達なんです。だから、やめてください、ってちゃんといえば、その」

何をいえっていうんだろう。
続きの言葉を見失って、ぎゅうと、力を入れた手のひらに爪が食い込んで、少し痛い。
飲み込んだ唾が、まるで重い粘液のようだ。
私はくるりと身体の方向を変えて、とぼとぼと足を動かした。うつむいた視線には、赤く、うっすらとした模様が描かれた絨毯ばかりが目に映る。


「…………ありがとう」
振り返ると、彼も、ゆっくりと立ち上がり、私の反対側へと足を進めていた。聞こえた声は、ただの気のせいなのかもしれないけれど、なんとなく、少しだけ、嬉しくなった。




1000のお題 【661 目を閉じて】




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2008.10.27