ちょっと嬉しいこと


少しの譲歩




気のせいなんだろうか? ガイ様に、目線をはずされる事が少なくなったような気がする。ほんの少しの差なのだけれど、私が彼に「お、おはようございます」と頭を下げれば、いつもはワンテンポ遅れた後に、「おはようございます」と頭を下げられたのに、今朝は「おはようございます」「はいおはようございます」となんともテンポのいい会話を繋げてしまったのだ。

思わず私がビックリして、続きの言葉をなくし、手に持った本を、ガッタン! と思いっきり足の上へと落としてしまった。
大丈夫ですかといいながら、近寄らない(正確にいえば、近寄る事ができない)ガイ様に、少しだけ寂しくも、ううああ! と空の中で手をいっぱいに広げて、喜びを表現したい気分だ!


うふふとフォークを持ちながらお肉をよいしょよいしょと切り分けて、お口の中へと放り込む。テーブル越しのルークさんが、じぃ、とこちらを見たような、気がした。
パチリと目が合うと、彼は相変わらず眉間に皺を寄せ、首を横へと傾げながら、

「………、おいお前」

はい、なんでしょうかと同じように首を傾げると、なんとも複雑そうな顔をして彼はビシリと指摘した。「顔が緩んでいるんだが」「え、う、うあっ」




……………はずかしい。とっても恥ずかしい。私はゴホン、と誤魔化すように咳をして、いつもの何倍も早く食べ終わると、そそくさと席を立たせて貰った。
廊下の端の視界が開けて、道行くメイドさん達が、ほんの少し微笑ましい目で見ていた原因が、ああなるほどと理解し、うああ、と思いっきり頭を抱えたい気分になる。ペールさんに「ご機嫌ですな」と声を掛けられたときに、素直に「はい!」と返事をしたときに気づくべきだったのだ。


調子に乗っちゃあいけない、調子に乗っちゃあいけないと自分の部屋のなかでぐるぐるぐるぐると檻の中のチンパンジーのように私は歩き回った。ぐう。喉を唸らせて、恥ずかしさを思い出し、またううう、と布団の中へ顔をつっこんだ。

そんな状態で暫くいたときに、丁度窓の外で、ぴろりと金色に光る髪の毛を見つけてしまったのだ。
思わず条件反射の勢いでバッと布団から飛び起き、窓を大きく開け、ガッと足をかけた。


「え」
「あ」

丁度そこにいたガイ様が、大きく目を見開き、1、2歩後ずさった。私はその体勢のまま、彼をじぃ、と見詰め、お互い固まった時の中で、ガイ様が、ふい、と視線をそらす。
少なからずのショックを受けていると、ぽそりと小さく彼が呟いた。「………見えています」「う、あ、ごごごごめんなさい!」

本日に二度目の指摘にさささっと窓枠から足をおろし、めくり上がったスカートを直し、窓ガラスに映り込んだ自分のぐしゃぐしゃになった髪に気づき手ぐしでさっさと整えると、窓よりもほんの少し小さくしゃがみ込んで、ガイ様の横顔を観察した。
ほんの少し赤くなったような頬を見詰め、幸せだなぁ、としみじみと感じてしまう。

本当は、そんな事はただの表面で、一皮捲ってしまえば、色んな事がぐるぐると渦巻いている事を理解しているけれど、窓の柔らかい木で出来た窓枠へと唇をぴたりと寄せると、ゆっくりとした風が頬を揺らした。
…………やっぱり、ちょっと幸せだなぁ。なんだか、随分前のあのときに戻ったみたいだった。
実際は、彼がもう随分大人びていて、私は反対に小さくなってしまったけれど。


ほかほかしたような気分に、うっすら目を細めると、それに反して、ガイ様の目つきが、一瞬険しくなったような気がした。
ピタリと、暖かい空気が吹き飛んで、私は目を大きく開けながら、彼は一体何を見ているんだろう、と視線を探る。


赤い髪の少年だった。
それに対するように、ガッチリとした体型の、茶色いヒゲの男の人が、汗を流し髪を翻しながら木刀を操るルークさんを、まるでとても小さな子どものように遊ばせていた。ただ子どもが大人にじゃれついているだけのように見える光景の中で、ルークさんが眉間に必死に皺を寄せる彼の表情を見て、違う事がようやく分かる。
(今日は、ヴァン師匠が、来る日だったんだ)

ただ彼が剣を振り回す様を、ガイ様は、青い瞳の中を、真っ黒くさせながらじぃ、と見詰める。
「あ」

飛び出た言葉が、戻ってくる事がないのだ。私はガイ様へと手を伸ばすような体勢のまま、彼へと声をかけた。
ガイ様はぱっと目を見開き、なんでしょうか? と首を傾げる。その表情の中には、先ほどまでの色など、どこにも見あたらなくて、また少し悲しくなった。

私は会話を誤魔化すように、丁度窓枠へと立てかけていた一冊の本を、手の中で遊ばせた。すると彼は興味深そうに私の手のひらを見詰め、中の文字を読み取ろうとしたのか、はっとしたように顔を上げた。「すみません、勝手に」「あ、いえ」

元はといえば、私が用もなく声を掛けてしまった事が悪いのだ。
しゅんとしてしまうと、間を取り繕うとしたのか、ガイ様は、ふいに声を上げた。

「いつも、何か読んでいらっしゃいますね」
「へっ」

彼からの純粋な問いかけは、初めてだったかもしれない。頭の中でその声をかみ砕いて、何度も飲み込む。やっとこさ、自分が持っている本だと気づいたときに、私はうんうん、と何度も首を縦に振った。「あ、はい、いつも、よんでいます」

コレで終わりだと思った会話に、また彼が興味深そうに声を掛ける。「一体、何を?」
なにを、私は一体何を読んでいるんだろう。
いつも読んでいるものなのだから、分かっているはずなのに、ぐるぐるぐるぐると真っ白な頭の中をまたまた文字が駆けめぐる。
「あ、あう」

思わず手の中の本の題名へと目をそらした。「ふ、譜術の、使用の、あの」
ぎゅ、と目を瞑って、ざらりとした皮の表紙をなで、ドクドクなる心臓を落ち着けようと、大きく息を吸い込んだ。ぱっと目を開け、ガイ様を見ると、ほんの少し興味のあるような瞳で、「様は譜術を使用できるのですか?」

私は何度かうっうっと首を縦に振る。けれどもその後ぶるぶると横に振った。
ガイ様が不思議そうな顔をした事に、うあ! と口を開けて、先ほどまでつまりつまりだった事が嘘のように、急いで言葉をまくし立てあげた。
「第三音素と、第四音素くらいしか、うまく使うことができないんです。だからあんまりたいしたことないんです」

彼は暫く私の手の先の分厚い本を見詰め、その後に私の顔を見詰める。
その後、こくりと首を横へと倒し、パチリと瞬き。

「いえ、私は譜術を使用できませんから、十分に大した事だと思いますよ」
「が、ガイさんは剣術があるじゃあないですか」
「じゃあ私の剣術もたいしたことはないのでしょうか」

私は急いで首を振る。実際にこの目で目にした事はない。けれども、おそらく彼の師匠ともいえるペールさんなら、知っている。
「だったら、そうなのでしょうね」


ガイさんはきびすを返し、ルークさんの元へと向かった。ルークさんとヴァン師匠は向かい合い、ぺこりと頭を下げ、終わりの合図をする。
だからだろう、彼の右の手には、真っ白いタオルを持ち、ルークさんへと差し出した。


(………励まされたのかな)

私は窓枠へとおでこをくっつけて、きゅう、とへこたれてしまった。
彼からの言葉の意味を考えて、暗に頑張れと伝えられたような、そんな紅潮するような気分に、頬が熱くなる。「う」


さわさわと掠れる葉っぱの音が耳へと入り込んで、するりと一枚、開けっ放しとなった私の部屋へと、緑の葉が滑り落ちた。
なめらかな表面が、微かに太陽の光へと反射し、きらりと光ったような、そんな気が、した。




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2008.11.05

1000のお題 【702 目は口ほどに】