頬を優しく風が撫でた。


空から見上げた地にて




大きなプリンをスプーンですくった形のように、この町はくぼんでいた。縦に長い地域は、エレベーターを使い上へ、下へと移動させる。渦巻く空気が、服の中へとばたばたと風をはらみ、ほんの少し冷たくなる。
長い髪の毛を揺らしていたルークさんが、ほんの少し嬉しそうに唇をつり上げた。ナタリアさんが、彼の手のひらをぎゅうと握っているのが目に入ってしまって、ほんの少し恥ずかしいような、甘酸っぱいような気分になり、目線を後ろへとそらした。
すると、じぃ、と彼らを見詰めていたガイ様と、一瞬だけ視線がかち合い、また元へと戻す。


高くそびえた町並みからは、小さな人間が見えた。茶色い点に、黒い点。黄色い点。彼らはいつも忙しなく動いていて、不意にその中の一人が、ぱっと私たちを見上げたような気がした。多分それは気のせいで、流れた雲に目を沿えるように右の手で明かりを遮り、まぶしそうにまたぐい、と見上げ、彼はまた大きな樽を重そうに転がしながら、路地の裏へと消える。

「随分、小さな子、ですわね」

おそらく、自分たちと同じくらいだった。眉をひそめるナタリアさんの手のひらを、ルークさんがまた、ぎゅう、と力強く握った。ぴくり、と彼女の腕が震えた事で、なんとなく分かっただけだ。
「いつか俺たちが大人になったらこの国を変えよう」

それは随分大きすぎる言葉だった。ぽそり、ぽそりと彼が呟いた言葉は、バサバサと大きく煽られた風の中へと遊ばれて、私の耳に入る事はなかった。
ただ、ナタリアさんだけが、肩を震わせて、「…ええ!」と大きく頷いた。


ふわりと柔らかい空気の中で、私はなんとなく、振り返り、ガイ様を見詰めた。彼は私のことなど目に見えていないように、明るい未来を話す彼らを、じぃ、と瞬きをする事もなく、ゆっくりと息を吐き出しながら、飲み込む。

それでも、お前らの親は、ただの人殺しだよ。

一瞬、彼の声が聞こえたような気がした。声になど出すわけがない。ただ、ぱくりと動かされた彼の唇の言葉が、なめらかに私の脳内へと進入した。
ゆっくりと、瞳を細めた。
(そうだ、でも)

でも、と続く言葉は、ただ自分が被害者面をしただけのものだった。
自分は悪くないんだと、ただ言い訳を述べているだけのような気がした。何をどうすればいいのかも理解しない罪悪感は、ただ許されるためだけの免罪符を求めているような気がした。

結局私は、ガイ様に、許して欲しいだけなのだ。ただ暖かに、ずっと昔みたいに、手を繋いで笑い合いたいだけなんだ。
(許すって、いったい、なんなんだろう)

実はよく、分かってはいなかった。









屋敷の中があわただしい。バタバタと駆けめぐる白光騎士団の姿を目で追い、どこか焦燥感溢れる空気は、そこにいるだけでぶるりと足下がすくんでしまいそうだった。
よく分からない。けれども、何か大変な事が起こってしまった、という事だけは理解した。
(ルークさん、は)

きょろりと目線を泳がせても、あのとても目立つ赤髪は目の端を捕らえる事もない。トン、と嫌な気持ちが、胸を差し込んだ。
白光騎士団の面々は、大きな声を飛ばし合いながら、報告を述べる。
所々聞こえる言葉が、ますます嫌な気持ちとなって降り積もった。マルクト。何度もその単語が聞こえた。それは国の名前だ。

誰も彼もが、私から目をそらした。何か痛々しいものを見るかのような目つきだった。シュザンヌが、倒れたと聞いた。


消えた少年は、数日後にヴァン師匠に連れられる形で帰還した。
赤髪の少年は、ぽかりと遠い瞳をぐるりと回し、私を見上げた。動かした口からは何の言葉も飛び出す事はなく、彼はヴァン師匠の背中で、僅かに何度も喉をならしていただけだった。


彼は、全部をなくしてしまったらしい。
文字通りに。ぜんぶ。



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1000のお題 【819 鴻鵠(こうこく)の志】

第二部終了ですー

2008.11.16