事態を、よく把握できていなかった


少年もう一人




私はルークさんに会う事を禁止された。療養中だという理由で彼の部屋の扉は開けられる事がなく、一人の兵士が真っ直ぐに姿勢を正し、ドアの前へと佇んでいた。
お見舞いに行きたい、と主張をしても、誰も彼もが妙な表情をした。唇を横へと伸ばし、困ったように瞳を細め、無理に笑う。
ショックが少ないように、と考えられているのだろうか。けれども案外、屋敷の中へと耳を澄ませれば、うわさ話はころころと転がっていた。




「ふ、くううっ」

私は小さな手のひらをバタバタと暴れさせて、精一杯身体を伸ばした。右手にと持った細い針金がカチャカチャと窓に当たり、目当ての部分へと、手が届かない。
何か土台があればいいのだろうけれども、中々そんなものは見つからなかった。大きな木々を影にして、私はまたぐいっと手を伸ばす。鍵穴へとすいっと入り込んだ針金に、ぱっと顔を輝かせた瞬間、精一杯の背伸びはすぐさまにバランスを崩し、お尻から地面へと激突してしまう。「あいたっ」

そんな痛みに、何をやっているんだろう、と自分自身が一瞬情けなくなって、いいやと首を振った。取りこぼした針金を拾おうと、花壇の手前にと落ちた細長い銀色へと、にゅいっと手を伸ばしたときだった。誰かがはっと息を飲む音が聞こえ、私も針金を拾った瞬間、さっと胸元へと押さえ込んで、我ながら強ばった表情のまま、向かい合う。

「………こんなところで、何をやっているんですか?」

金色の髪の毛を散らしたガイ様は、身体のサイズに似合わない、土砂が詰まった大きな猫車を両の手で抱えたまま、ぽかんと口を開けたまま、私を見詰めた。
何を。訊かれた言葉に返事を返さなければいけない、と何か態のいい言い訳を考えている間に、指先が震えてしまったのか、小さな小さな音を立てて、針金がすぽんっと手のひらから抜けてしまった。「あ」 さっと何事もなかったかのように針金を拾い上げ、後ろ手へと回し、ガイ様へとにこーっと笑うと、彼が妙な顔つきで、先ほど私がカチャカチャと窓の鍵をいじくっていた場所を見詰め、「なるほど」と呆れたような声を出した。

「ルーク様ですね」

肯定以外認めないとでもいうような、意外なまでに語尾の強い言葉に、しゅんとして黙り込む。どうせ堂々と会わせてくれないのなら、こっそりと忍び込んでやろうと考えたのだ。我ながら、とため息を吐いてしまいそうな考えを、誰かに、よりにもよってガイ様へとばれてしまった事に、泣きたくなってしまった。

自分の足をじい、と見詰めて、暗い影に、何度も瞳をパチパチと瞬きをすると、ガシャン、と重い音が響き、1、2歩、足が進む音が聞こえた。一定のラインでそれは止まり、私がおそるおそる顔を上げると、呆れたような顔のまま、彼がさっと手を前へと出した。「投げてください」

なんの事だろう、と彼とじいと見詰める状況に、じれたようにガイ様の手のひらが、ほら、と揺らめく。手の中へと包み込んでいた針金が、じっとりと汗をかいていて、これの事なのだろうか、考えついた。

「こ、これですか?」
「はい、それです」

ちょいっと小さく掲げた針金に、彼はうんと頷く。私は恐る恐る、下投げの格好で、投げた。方向が少しずれたそれを、彼は簡単に受け取り、猫車を花壇の端へと寄せたまま、そこを乗り越えるようにルークさんの部屋のドアへと向かう。「え、あ、あの」「静かに」

私が随分苦労して手を伸ばしたそこへと、いとも簡単にガイ様はカチャリと針金を差し込んだ。身長差の問題だろう。
そのままカチャカチャと音を響かせながら、自分で始めておいて、そんな簡単に鍵が開くものなのだろうか、と首を傾げてしまった。
けれどもその瞬間、先ほどまでとほんの少し違う音が響き、ガイ様はこちらへと針金を投げた。

「開きましたよ」
「え、ええええ、も、もうですか!」

い、いつの間に妙なスキルを会得してしまったんだろう。なんだか泣きたい。私はその開いた、という窓へと向かい、木がこすれる音を響かせながら窓を開けた。ガイ様は私から遠回りに花壇を回り、猫車を持ち直す。「よっ、ほっ、ぬっ」 案外高い。
バタバタと手のひらと足を動かし、顔を真っ赤にしながら、彼の部屋へと進入を試みようと思っているものの、中々上手くいかない。こんな風にしている間に、また誰か来てしまったらどうしよう、と考えて、ひょいと振り返ってみれば、ガイ様がじい、とこちらを見ていた。

てっきり、さっさと戻ってしまったと思っていたものだから、ビックリして、目をきょとんとさせると、彼もきょとん、とした顔をした後、「誰も来ていません」と何の不思議もなさそうに頷いた。
見張りをしていてくれているらしい。何だか不思議な気分になって、私は、またふんっと腕を動かした。ガイ様が持ち上げてくれると助かるのだけれど、そういう訳にもいかない。

「大丈夫ですか、様」
「も、問題、ありま、せんっ」

最後の一踏ん張り、と壁へと足を引っかけて、窓の内側へと両手を思いっきり飛び出して、バタバタと足を宙に浮かせた後に、そのまま彼の部屋へと着地した。あまり大きな音を立てる事は出来ないから、さーっと冷や汗が背中を流れた。

物が少なく、年の割に整頓された部屋は、確かにルークさんのものだ。無骨な剣が突き刺さっている風景も、大きな絵画も、タンスも、いつもの変わらない。けれども、変わらなさすぎて、おかしい。
ガイ様が窓へと近づき、中をのぞいた。彼は不思議そうな顔をした。
「どこに……」 ぽつりと呟いた声が、耳に響く。「どこに、いらっしゃるんですか?」

わからない。

いつもならば、部屋の真ん中の椅子にどっかりと座り込み、何かの本を読んでいるのかもしれない。それに飽きたのならば、ガイ様や、ナタリアさんをひっぱり、外へと出かけているのかもしれない。
けれども、そんな訳はないのだ。確かに、ルークさんは、この部屋にいるはずなのだ。


暫く放心してしまった後に、大きなベッドが、ぷっくりとふくらんでいる事に気づいた。まるで身体全体を包み込むかのようなシーツのかけ方に、私は、つい、と手を伸ばした。ルークさんならば、こんな巻き方はしない。それよりも、日が高いうちから、眠りこけたりはしないのだ。

白いシーツから一番最初に覗いたものは、赤い髪の毛だった。ぱっとまき散らされたそれにうずくまるように、ほんの少し焼けた肌がうつりこむ。
閉じた瞳の少年は、水色のパジャマを着ていた。くう、と目を瞑り、僅かに胸を上下させていた。
「…………ルーク、兄様?」

僅かな問いかけに、ぴくり、と彼の鼻がふくらむ。その後に、むにゃむにゃとまるで何かをしゃぶっているように口元が動いた後に、「ひうう」とよく分からない声を漏らした。
「………ルーク兄様?」
もう一度問いかけると、彼はゆっくりと瞳を開けた。

緑の瞳の色は変わらない。けれども、いつもはきりりと眉へと入れていた力は、何処かへと吹っ飛んでしまっているようで、とろりと零れたかのように、瞼を何度も開けて、閉じた。
「兄様」

私は、ゆっくりと彼の髪を指でとき、「ぐむひゅう」とやっぱりよく分からないような声を喉でならす彼を、じい、と見る。

です、兄様」
「みゃー?」
、です」
「うあー」

パタパタと、手を伸ばす彼は、私の髪の毛を引っ張った。「あ、い、痛い、です」 長い髪の毛が面白いのか、ピンッピンッと何度もそれをひっぱり、ぐしぐしと口元へと押さえつけた。「ひゃあぅー」「る、ルークさん!」

驚いて髪ごと、ひっぱり上げると、彼の瞳は少しずつゆるみ、大きな水玉が、ぽろりとシーツを溢れさせる。

「ひっ、う、ひゃあああああああー!!!!」
「う、うわあっ」

まるで生まれたばかりのような、子どものような声を聞いて、私までうっかりとこぼれた涙が止まらなくなった。ぼろぼろと泣きわめく、赤んぼうと一緒に、そのままぼろぼろと泣いた。

だって、おかしいじゃないか。
      ルーク様は、記憶をなくされたらしいわよ

うわさ話のような、そんなメイドさん達の声が、耳の奥へと繰り返し、流れる。嘘だ、と考えた気持ちに、また声が聞こえた。
      まるで、赤んぼうと同じようなのよ

だって、ルークさんだ、そんな訳がない。生まれたときから眉間に皺を寄せているんじゃないかと思わず勘違いしてしまいそうな、彼なのだ。例え記憶喪失になってしまったとしても、そんな事、なる訳がないのだ。

ぼろぼろととめどなく流れる涙を、ぐい、と右袖でぬぐい、バタバタと首を振った。すると、彼も大きく首を振った。そしてまた激しく泣いた。

記憶喪失だなんて、もっと、もっと違うものだと考えていた。
ただ、思い出を失うだけだと考えていたのだ。けれどもどうだろう、彼は本当に、本当に全部、なくしてしまった。すりつぶしたように声を張り上げて泣く兄を、ぎゅうと力強く抱きしめて、ひいひいと同じように泣いた。「どうしましたか」と慌て、驚いたようにドアを開ける兵士に、肩を掴まれても、彼を抱きしめて泣いた。

真っ赤になった鼻と頬のまま、開けっ放しになっていたはずの窓をちらりと目の端で確認すると、そこは閉まっていて、ガイ様もどこにも見あたらなかった。




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1000のお題 【210 目の覚めるような・・・】

ガイ様が地味にちゃっかりしてる件。

2008.11.24