「ほら、ルーク、こっちだ!」


かけっこの名前





ぱん、ぱん、ぱん、とガイ様は手のひらを叩いた。手袋ごしの音が、ぱふぱふと聞こえ、私はその様子をじっと見つめる。時々ルークさんが、助けを求めるように、こちらをちらりと見るような気がするけれども、私はあえて、ふいっと遠くを見つめることにした。ちょっと泣きそうな顔。

柔らかい草を、くしゃりと踏みしめ、彼は、「うー、やー」と短くうなる。「いや、じゃない、ほら、ルーク、右足を一歩出して、次は左だよ」 ぱん、ぱん、ぱん。ガイ様が手のひらを叩く音に、ルークさんはまたパタリと顔を上げて、両手を前に突き出したままふらっと体を揺らす。

ちょっとビックリした私たちは、ぱっと思わず腰を動かしそうになって、いやいや、と首を振り、「がんばってください、ルークさーん!」と叫ぶことだけに留めておいた。苦しい。これは双方ともに苦しい。



「ほら、ルーク、がんばれ!」

彼はうー、と泣きそうな顔のまま、ふらふらしたバランスで、だだっと足を駆け抜けた。おお! と声を上げるまえに、ルークさんはガイ様のおなかにつっこむように倒れてしまい、ガイ様がよしよし、とその赤髪を手のひらでぐしぐしとなでた。
「ほら、やればできるじゃないか」 ほんの少し嬉しそうな顔をしたルークさんは、ぐっと照れ隠しのようにガイさんのおなかに、またまた顔をうずくめて、「ん、ルーク、すごい!」「ああ、そうだ、すごいな」

ほかほかした体温が、やんわりと上昇して、うんうん、と私も頷く。少し前まで、ハイハイしかできなかった少年なのに、いつの間にか、きちんと年頃の男の子と変わらないくらいにも見える。なんとなく、私まで嬉しい気持ちになって、「ルークさん、すごいですねぇ」とガイ様と、ほんの少しの距離をあけて、彼へとにっこり笑った、ときだった。


「ん、さまー!」
「さま!?」


ピッタリと重なった、私とガイさんの言葉に、ルークさんはほんの少し不思議そうな顔をして、「がいさんー」「さん!?」 再び。

いやいやいや、と私とガイ様は二人一緒に首を振りながら、「ルークさん、違いますよ、私は、こっちはガイです」「なんでー、さま? ガイさんー?」「だからですねー!?」

違います、違うぞと二人してぴしぴしと指を立てるのに、ルークさんは変わらず首をこくりこくり。ルークさんから様づけだなんて、ぞわりと妙な汗が背中に流れ、ガイ様も一人ぶるぶると首をふる。「どういうことでしょうか様」と彼が問いかけた瞬間、「それです!」 と私はピンと閃いてしまった。

「それですガイさん!」
「はい?」
「ガイさんが、様だなんていっているから、ルークさんまでマネをするんですよ!」

なるほど、と首をぷるぷると振る彼に、あれ、もしかしてこれってチャンスなんじゃないだろうか! とキラリと一つの考えが降ってきた。「ガイさん!」「な、なんでしょうか」 
ずずいと近寄る私に、ガイさんはずずいと後ずさる。気のせいか、ほんの少し眉毛がハの字だ。


「呼び捨てで、お願いします!」


思いっきり握りこぶしに力をいれつつ吐き出した言葉に、ガイ様は、「はぁ?」と思わず飛び出した声を、慌てたようにパチリと口元を叩いた。「あの、できることなら敬語も、なしで!」「いやしかし様」「なしで! ルークさんがマネしちゃいますから、なしで!」

自分の名前を呼ばれた瞬間、なになに?とルークさんが、私たちの間に入り込んできたことに、ガイ様はほっとした溜息をついたのだけれども、ここで後ずさったら、負けな気がする。。それはと違うけれど、それでも、「ガイさん!」

ぺたりとくっついてきたルークさんの手のひらを、思わずぎゅう、と握りしめながら、彼の青い瞳をじっと見つめた。顔をそむけながら、いや、けれども、とぶつぶつと聞こえるセリフに、びくびくと心臓を打ち抜かれてしまいそうになって、思わず乗り出していた体をひくように、ふあー、と大きく溜息をひとつ。





ぽつん、と呟かれた言葉に、はじかれたように顔を上げると、どこか照れたようにガイ様は頬をひっかいて、ほんにゃりと微笑んだ。

あんまりにも嬉しかったから、ルークさんの手を握り締めたまま、ぎゅっと眼をつむり、ぶんぶんと大きく振り上げ、「はい!」と大きく返事をした。
ふつふつと、温かい気持ちになる。まるで一歩進めたかのような錯覚に、調子に乗ってしまいそうになる。

変わらず「さまー?」と首を傾げるルークさんに、違いますよ、と呟いて、よしよし、と彼の頭をなでた。柔らかい髪の毛が、ちくちくと手のひらをなで、くすぐったそうに身をよじる彼に、えへへと笑った。


「あの、それじゃあ君も、呼び捨てでお願いしてもいいかな?」
「あ、それはできませんごめんなさい」
「あれ!?」





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1000のお題 【69 負ける訳にはいかない】
2009/02/08