ベンチで座っていた目の前を、ひょこひょことガイ様が通って行った。


新たに認識




「……ガイさん?」

私は読んでいた本をパタリと閉じて、思わず呼び止めてしまった。ガイ様はきょろきょろとあたりを見回し、私を見つけ、「やあ、……さま」と、慌てたように様を付け足す。「大丈夫ですよ、今は誰もいません」「それはよかった」

ガイ様はふんわり微笑みながら、私の前へと歩いて来た。座っているままも失礼かと思い、本をベンチにおいて、よいしょと立ち上がったのだけれど、あれ? と私は首をかしげた。赤い髪の毛が、さらっと風に揺れる。ガイ様は私の様子を不思議に思ったのか、「?」「あ、いえ、その……ものすごく、どうでもいいことなんです」「うん?」

あわあわしていた私を彼は困ったというか、本当にどうしたんだろうなぁ、という程度に首をかしげて、口元をやんわり微笑ませたまま見下ろした。
本当に、本当にどうでもいいことなのだ。私は多分顔を赤くさせて、ちらりとガイ様を見る。「えっと、あのですね。ガイさん、身長、伸びたなぁって」

まさかそんなことだろうと思わなかったのだろう。彼は「へっ」と少しだけ声を高くして、「まあ確かに……この屋敷に来たときよりは伸びているな」

「で、ですよね! 前々からガイさんの方が高かったですけれど、このごろ見上げるのが大変ですもん」
「……ん、それはすまないな」
「あ、いえ、私があんまり伸びてないだけで……」
「確かに、は小さいなぁ」
「ガイさんが大きいんですよ」

そうかな? と彼は首をかしげているけれど、多分そうだ。彼と同じような年齢の使用人はお屋敷の中に何人かいるけれど、ガイ様はその中でも抜群に大きい。そして私と言えば、ルークさんを見てわかるように、そんなに身長は伸びないだろう。別に特に不安があるわけじゃないけれど、無意識に爪先立ちをして背伸びをしていたらしい。ガイ様はそんな私を見て、「ぶはっ」と噴出した。

「え?」
「つ、爪先立ちをしても身長は伸びないよ」
「知ってますよ! でもその……なんとなく」
「いいじゃないか。は小さくて可愛いと俺は思うぞ」
「は……」

ほんのちょっとびっくりした。言った方のガイ様は特になんとも思っていないようで、いつもと変わらない顔をしていた。おお、そういえばこのごろお屋敷のメイドさんたちが、ガイっていいわねェ、女性恐怖症じゃなければお買い得なのにィ。いやいや、ある意味他の女に走らないから安心できるかもよォ。なんて噂をしていた。

なるほど、ガイ様はお買い得なのだ。背がすらっと高くて、物腰も柔らかくて、女の子にかわいいと照れもなく言えるし、もちろんとってもかっこいい。うんうん、さすがガイ様。マリィベル様の弟君です、となんだか誇らしい気持ちになってしまう。「ガイ様、本当にかっこよくなられましたねぇ。うん、かっこいいです」 気分は親戚のおばちゃんである。「様?」「あっ、いえ、間違えましたっ、ガイさん!」

かっこよくなられました、と誤魔化したように笑ってもう一回。ガイ様はしばらくきょとんとして、ぱちぱち瞬きを繰り返した。そして、「そんな、まるで昔から知ってるみたいな言い方だなぁ」とはにかんだ。
――――もちろん、知っていますよ、なんて言えない。




がいー…………



遠くで、ルークさんの声が聞こえた。ガイ様はふいと顔をあげて、「それじゃあ、俺はこの辺で。読書を邪魔して悪かったな」とひらひら手のひらを振って去っていく。私も彼に手を振った。「ほんとに……」 ガイ様の背は遠い。「大きく、なられましたね……」

とてもとても、うれしかった。



***



『うん、かっこいいです』

のセリフが、自分の中で繰り返された。じわじわと耳のあたりが熱くなっていく。(ちょ、ちょっと待ってくれ……) 別に、そんなことを言われたのは彼女が初めてじゃない。なのになんでか自分はとても照れていた。

ルークの元に行かなくてはならない。
足を動かしながら、なるべくこの耳を冷やそうとはたはたと両手で風を送る。落ち着けよ。思い出せよ。ここはどこだ。俺はいったい、何のためにここに来た。忘れるなよ。忘れてない。彼らの屍を、今もしっかりと瞳の中に映すことができる。それなのに。

調子が狂うのだ。
自分でも良心が痛むほどに、冷たく当たったこともあった。なのになんで嫌ってくれないんだろう。俺は何のためにここに来た。復讐か。復讐だ。けれども体が動かない。幾度もチャンスはあったはずなのに、俺は今もここにいる。(わからない)でもまだ、考える時間はたっぷりある。そうだ、自分は思考をするためにここに来たのだ。抜け殻だった自分は何も考えることができなくて、ただここにペールを連れてやって来たのだ。

ひたひたと、何かが注ぎ込まれる音がする。やさしい音だ。
それがほんの少し怖い。けれども居心地がいい。

ふと、にこにこと笑うの顔を思い出した。また耳が赤くなった。見下ろす彼女は小さくてかわいらしい。(……どこかで) どこかで、自分は彼女に会ったことがあったような気がする。いや、誰かに似ている。

あのときは、ずっと見上げていた。そうか、と気づいて、また少しだけ赤くなった。自分の初恋を思い出して、懐かしくって、淡くてすっぱい気持ちも一緒にやって来たのだ。
「……俺って、マセガキだったのかなぁ……」



がいー……



まるで小さな男の子のように、彼は叫んでいた。「ルーク、すぐ行く! ちょっと待ってくれ!」 そう言って、今は小さな自分の主人のもとに、慌てて駆け出した。






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1000のお題 【978 覚えてますか、あんなことやこんなこと】
2011.07.22