ルークさんがいなくなった。
その知らせは、屋敷中に飛び交った。



似ているんだ







「…………ガイさん!」

慌ただしく屋敷の中を駆けるガイ様の腕を、私はぎゅうっと握りしめた。瞬間、彼は「うぎゃあああああ!!!」と叫んだ後にくるくると回って壁に激突した。「す、すみません、ごめんなさい……あ、いやそうじゃなく!」 いやそれも重要だけれども。「ガイさん、ルークさんが、いなくなったって……!」

ガイ様は目をぐるぐる回しながら、額に手のひらをつけて、「あ、ああ……」と鈍く頷く。「そうらしいな。おかげで屋敷の中はてんやわんやだ」 やっぱり本当だったらしい。私は両手を顔の前で握りしめて、どうしようどうしようと瞳を動かした。つまり、ルークさんは外に行ってしまったんだ。屋敷の中でかくれんぼをしているなら、こんなにもたくさんの人が探して見つからない訳がない。

壁にぶつかったままの体勢で、ガイ様は私をじっと見つめた。私も、ガイ様を見つめ返した。たくさんの人が外へと探しに出ている。私は両手を合わせたまま、ちらりと窓の外を見つめた。「ガイさん、一緒に」 そこまで言って、首を振った。ガイ様はガイ様のお仕事がある。こんなことお願いする訳にはいかない。私はぷいっと背中を向けて、動いた。周りはルークさんのことで手一杯で、私に気を止めてすらいない。すぐさま屋敷の外に出ることができた。

(ルークさんが、いきそうなところ……)
どこだろう、ときょろきょろ視線を向けていると、「」 ふと、背中から声が聞こえた。パッと振り向くと、ガイ様が困ったような顔をして、ことん、ことん、と石段を歩く。ガイさん、と私が近寄ろうとしたとき、彼はパッと片手をこっちに向けた。「2メートルだ」 それ以上は、近づかないでくれよ。
そう言って、苦笑した。


***


「あの、ガイさんまでごめんなさい、やっぱり、後で怒られちゃったりしますよね……?」
「まあね。でも、今度は一人娘までいなくなってしまったとしたら、奥様が卒倒するだろうし」

私はうぐっと口ごもった。確かにそうなってしまえば、母親である彼女は数日意識を飛ばしてしまうかもしれない。ガイ様が言うとおりに2メートルの距離を開けて、多少不自然な声の大きさで私たちは話した。るつぼ状の街の下から、ばさばさと風が吹いている。私がスカートを押さえ込みながらガイ様を見ると、彼は多少頬を赤くしながら顔を背けて、「俺のことが気になるって言うんなら、今すぐ戻ってくれるとありがたいんだけどな」「そ、それは」

確かにそうだ。
けれども、ルークさんがいなくなって、随分な時間が経っているらしい。夜、みんなが寝ている間にこっそりと抜け出したらしいから、お昼である今まで姿は見つかっていない。父親はすぐさま検問を作り、船の運行をストップさせた。いつまでもできることじゃない。早く彼を見つけなければいけない。
     もしかしたら、誘拐、かもしれない。

けれども、そうじゃないかもしれない。ルークさんは、常日頃から外に出たいと言っていた。だったら、仮にも妹である自分しか分からない、ルークさんが行きそうな場所、というものがあると思うのだ。
今このタイミングで、私までが家を抜け出すだなんて、絶対によくない。言ったら止められるに決まっている。でも、行かなきゃならない。ぎゅっと唇を噛んだ。どっちつかずな気持ちと反して、足はどんどんファブレ家から離れて行く。「冗談だよ」

悪いね、と言いながらガイ様は私を見た。「からかっただけだ。から口添えをしてくれたら問題ない話さ。ついでに言うなら、ルークを見つけることができたんなら、なお良しだ」
行こう。と彼は腰に手を当て、バチカルの街を背に、ニッと白い歯を見せた。
「……はいっ!」「よし、いい返事だ」


と、意気込んだものの、中々ルークさんは見つからず、時間ばかりが過ぎていく。ルークさんが本を読んで羨ましいと言った食べ物やさん、武器屋さんをきょろきょろしても、赤い髪の少年はまったく見つからないままだ。ところで、街を歩く度に、「うわあああ」とか、「うひゃあああ」とか、「うひいいい」とガイ様の悲鳴が聞こえる。な、嘆かわしい、とおもわずメイド時代に気持ちがさかのぼって涙が出てしまいそうになったのだけれど、そんな場合ではない。

心持ちぐったりしているガイ様を隣に、私達は港でぽつんと丸くなって座った。船が出港できない、という言葉を聞いて、船乗りの人が、騎士団へと抗議の言葉を並べている。それに対して、兜をつけているから、表情はよく分からないけれど、困ったような仕草で騎士団の人も対応していた。タイムリミットも近い。

「……、一旦、お屋敷に帰ってみないか?」

もしかしたら、もうルークも戻ってるかもしれないし、とあからさまな嘘を言いながら、彼は苦笑した。私は唇を一文字にして、ぶるぶると首を横に振る。困ったように、ガイ様は息を吐き出した。私も、自分自身に困ってしまって、目の前でぱしゃぱしゃと揺れる波を見つめた。押してはひき、押してはひきを繰り返して、船と陸にぶつかっている。潮風で、髪の毛が僅かにベタベタした。「頑固だなぁ」とガイ様は笑っていたけれど、怒ったような言葉ではなかった。

暫くの間、お互い静かに海をみつめていた。そんなことをしていても、何の意味もないことくらいわかっているけれど、口を開けばため息ばかりが溢れそうになったのだ。ふと、ガイ様が思いついたように、明るい声を出した。けれども別に、ルークさんの場所を思いついただとか、そういう訳ではないらしくて、私を元気づけようとしただけらしい。「ルークの気持ちなんだけどな、ちょっと分かる気がする」 硬い石の段の上にお尻をのっけて、膝に手の肘をついた。「俺もな、小さい頃、よく脱走したもんだよ」「脱走……」

その言葉を聞いて、私はパッと懐かしい風景を思い出した。危ないと言われているのに、いっつもお屋敷を抜けだして、私が来るまで、草原の中で待っているのだ。賢いけれど、元気な男の子だった。

懐かしいなあ、と私が思っているとは、まさかガイ様が知る訳がなく、「あ、だ、脱走っていうのは……あー、その、前に勤めていたお屋敷から脱走ってことで」とむにゃむにゃ言い訳をしている。ガイ様が、昔のことをお話するだなんて、滅多にないことなのだ。私は知らないふりをして、「そうなんですか」と納得した顔をした。ガイ様は、ちょっとだけホッとしたように前を見た。

「うん、まあ、その小さい頃な、一人で原っぱに行けば、いつも同じ人が迎えに来てくれたんだ。というか、俺がダダをこねてただけなんだけど」

小さい頃の思い出というのは、ちょっと恥ずかしいものだ。ガイ様は照れ隠しみたいに、口元をちょっとだけ上げて口の下を人差し指の裏でこする。「まあ、ちょっとしたおませさんだったんだ。多分、その人のことを好きだったんだと思う。ずっと年上だったけどね」「へえ……」

なんだか、私まで照れくさくなってしまって、気のない返事をしてしまった。自分がずるをしているみたいだ。まるで騙しているみたいで、一方的に気まずい気持ちになる。いや、騙していると言えば、そうなんだろうけど。

私が微妙な声を出してしまったものだから、ガイ様の方もちょっとだけ慌てた。「あ、いや、ホントに、なんでもない話さ」 それだけ。と言葉を結んだ後、「そういえば」とパッとガイ様は顔を上げた。「似てるんだ。が、似てるなって思ったんだ」「……どなたとですか?」 きょとんとしてガイ様を見ると、ガイ様を私を見つめている。「だから、俺の初恋の人に、が似てるなって」

お互い、暫く見つめ合った。そしたら、ガイ様が徐々に顔を赤くしていって、口元を引きつらせながら、顔を上に上げた。私はぽかんとして、照れている彼を見て、唐突に吹き出してしまった。肩を震わせていたけれど、次第に声まで出てしまって、お腹を抱えて笑った。「そんなに笑うことないだろう」、とガイ様は珍しく眉を顰めて、怒った声と顔をしている。ごめんなさい、と言いたいのに、声がうまく出なくて、ぷるぷる震えたまま、片手をひらひらとさせると、またガイさんが怒った。

あ、ガイさんなんだなぁ、と思ってしまったのだ。
ガイ様じゃなくて、ガイさん。私が彼女と、と似ているというのなら、当たり前だ。なんたって、本人なんだから。そのことで笑ったんじゃない。ただ私は、歳相応に照れる彼が普通の、まるでクラスにいるような男の子に思えてしまって、それがおかしくて笑ってしまったのだ。

「ごめんなさいごめんなさい」と私は目尻の涙を拭いながら、やっぱり吹き出してしまった。ムッとしていたはずのガイさんも、ちょっとだけ呆れたように息を吐き出して、少しだけ笑った。「そんなに笑うことないだろ」と目尻を柔らかくさせる。「はい、もう笑わないです、ごめんなさい」 今度こそ落ち着いて、ゆっくりと彼を見ると、「よし」とガイさんは大仰に頷いて、立ち上がった。

「ルークを、探しに行くんだろう。ほら、行こう」
「はい!」

ガイさんの後ろをついて行こうとしたとき、ふと、小さなガイさんを迎えに行ったときのことを思い出したのだ。ばさばさ揺れる風の中で、緑の草が踊っていた。「あの、ガイさん、まだ探していないところなんですけれどもっ!」 うん? と彼は振り返った。そして私の言葉を聞いて、パッと目を大きくさせた。お互い慌てたように駆け出す。やっぱり、きっちり2メートルの距離を開けて。



***


「…………灯台下暗しってやつかな」

ふと呟いたガイさんのセリフに、私も思わず苦笑しながら頷いた。
王宮の裏手の草原、ぱさぱさ揺れる草花の中で、隠れるようにしてルークさんは丸くなり、小さくなっていた。ルークさんが、今のルークさんになってしまう前に、何度もやって来た場所だ。きっと、ナタリアさんから、何度もお話を聞かされた場所でもある。

ルークさんはくうくうと寝息を立てていた。平和そうな顔だな、とガイさんは呆れたような声を出しながら、ルークさんを背負う。それじゃあ帰ろう、と一歩、足を出した。私もうんと頷いた。


ガイさんが執事長から少しのお説教と、ファブレ夫妻からたくさんのお礼の言葉をもらって、ルークさんの脱走事件は終了した。これからまた、ファブレ家周辺の警備は厳しくなることとなり、彼が再び外の世界に行くこともできなくなった。
     いなくなってしまった彼を見つけたのが、私とガイさんだと聞いて、ルークさんは頬をふくらませた。特に、私に対して、ものすごく怒った顔をしていた。なんて嫌い、と彼はぽつりとつぶやかれた言葉には、少しだけ、悲しくなった。






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1000のお題 【887 記憶に沈む一枚の絵】
2012.01.17
第三部? 終了