閑話2








この頃、ガイさんがおかしい



薄々気づいていたことなのだけれど、「やっぱりそうだ」と私は改めて感じた。今はもう慣れてしまったけれど、重いレースのドレスの裾をひっぱって、私はひょいと窓から顔を覗かせた。窓の下にはルークさんが、ガイさんと向き合っていて、「しょうぶしろー!」とぶんぶんと竹刀を振り回している。そしてそんなルークさんに、「勘弁してくれよ」とでも言う風に、苦笑しながらガイさんが手のひらを振った。声は聞こえないけれども、多分だいたい間違っていないはずだ。

そんな彼らを見ていると、ルークさんが、“ルーク兄様”であった頃を思い出して、くすくすと笑ってしまった。なんだか懐かしい。私が口元を押さえながら、笑みをこらえていると、ふと、ガイさんがこちらを見た。ぱちり、と彼の青い瞳がぶつかった。それに合わさるようにして、ルークさんが同じく私を見上げる。けれども、すぐさまムッとした顔をして、私から顔をそらす。そんなルークさんに、ガイさんは少しだけ呆れたようにして、肩をすくめ、もう一度私を見て肩をすくめた。ルーク様、そろそろおうちに戻らないと、家庭教師の先生が困ってしまいますよ。多分、そんなことを言っているのだと思う。

私は窓枠に手のひらを置いて、少しだけ息をついた。ルークさんは、あるときから私を無視するようになった。それは自分は屋敷に閉じ込められているのに、年の離れた妹だけ自由な形はおかしいと、青少年が持つ疑問を鬱憤として、ごく自然なものなのだと思う。

ルークさんがどかんと爆発したそのときに、なんとかできたらよかったのだ。けれども私はそんな風に彼が不満に思うことが、しょうがないとばかりに小さくなって、「だけずるい」と言う彼に、何にも言わなかった。何にも、言えなかった、と言った方が正しいかもしれない。

わずかにできた歪は、彼と私の体が大きくなればなるほど、大きくなっていって、とうとう、埋まりようがないものになってしまった。ガイさんはその間に入って、「しょうがないやつらだな」と言う風に、苦笑していた。ルークがもっとでかくなって、外に出られるようになったら。そのときは、きちんと仲直りできるさ。今だって、あいつはちょっと素直になれてないだけみたいなもんだしな。そう彼は言っていた。


どうなんだろうな、と思う。
そうなのかもな、とも思うけど、違うかもしれない。ちょっとだけため息をついて、また窓から彼らを見下ろした。視界に映る自分の手のひらが、いつの間にか大きくなっていて、遠い昔の自身の手のひらと、少しずつ近くなる。大きくなったなぁ、と思った。私もルークさんも、ずっと大きくなった。そして、ガイさんも、気づいたらもっともっと背が高くなっていて、気がついたら、男の子から、青年に近づいていった。

私の部屋で、ルークさんの部屋で。三人一緒に集まって、ルークさんのお気に入りは、うさぎのぬいぐるみなのだとか、本のピラミッドを作るのはやめなさい、とガイさんが怒ったりとか、どうでもいいことでからころしたり、笑ったり、びっくりしたり。そんなことはもうしない。

     ただの反抗期さ。

だから、は気にしすぎるなよ。そう彼は言っていた。
ぼんやりと、彼の金色の髪の毛に視線を這わせていると、ふと、ガイさんはまた振り返った。私は小さく手のひらを振った。けれども、そうする前に彼はどこか考える風にして、ふいっと私から視線を逸らした。私は少しだけ眉をハの字にして、ぺたんと窓枠に額をつけた。(やっぱり) ぽそり、と言葉をつぶやいた。「避けられてる、なぁ……」

自分でその言葉を口にしたら、予想以上にぐさりとダメージがやってきた。

ガイさんも、「反抗期、なのかなぁ……」 一人でそうぼんやりつぶやいて、ほんの少し顔を上げた後、またぱたんと頭を下げた。




そのいち。
ときどき敬語になる。


「あんまり窓を開けられてばかりだと、風邪を…………ひくぞ、」 私が恨みがまし気にガイさんを見ると、ガイさんはこほん、と咳をついて、なんてことのない顔をする。最初の頃は、敬語なんて嫌だとわがままを言うことが申し訳なくて、恐る恐ると言う口調だったのだけれど、今ではもう慣れっこになってしまった。敬語は嫌です。とガイさんに主張すると、わかったわかった、と言う風に彼は片手をひらひらさせて、「でもなぁ」と唸る。

「でも、なんですか」
「うっかり、人前で間違えちゃわないかと心配なんだ」
「うっかり?」
「ほら、君はお嬢様で、俺は使用人だろ?」

立場を忘れそうで、嫌なんだよ、とガイさんは少しだけ声を落として、ぽつりとつぶやいた。まるで距離を置くみたいに、部屋の端にもたれかかって、長くため息をつく彼に私は思わずむっとした。「ルークさんはいいんですか」「ん、あ、えー」 痛いところをつかれた、というような顔つきで、ガイさんはポリポリとほっぺたをひっかく。もう何回も繰り返したセリフだ。私が何度“お願い”しても、気づけばまた彼は敬語になっていて、私が拗ねて、慌てたようにガイさんは口調を元に戻す。いつものことだ。


ガイさんの変なとこ、そのに。
あんまり私の部屋に来なくなった。

少し前     いいや、もう随分前のことになるかもしれない。私の家庭教師の時間が終われば、なんでこんなに分かるんだろう、というくらいにタイミングがよく、こんこん、と窓をノックして、「危ないですよ」と私が言っても涼しい顔で入ってきたのに、いくら待っても待っても、ガイさんがやって来ることはなくなった。ルークさんにまで相手にされなくなってしまって、それならばとおつきのメイドさん達に声をかけても、「ひええ」とばかりに逃げていく。どなたかお話し相手になって欲しいです、なんてわがままを言える雰囲気でもなく、私は寂しく部屋の中でぺらぺらと本をめくった。

「はー………」

私は長く長く、ため息を吐いた。分厚い本を抱きかかえて、またため息をついた。そして、よいしょ、と決意したように立ち上がった。





「……それで、様が珍しくこんなところに来ている、という訳ですな」

麦わら帽子のつばを傾けながら、ゆっくりと言葉を吐き出したペールさんに、私はギクッと肩を震わせた。理由なんてなんにも言っていない。だというのに、まるで全部をわかっている、という風に、ペールさんはお花に水をやった。「ガイが、あまりそちらに伺われてはおられませんようですからな」「え、あ、あの」

言っていいものだろうか、と私は口をもごもごさせて、情けなく本を抱きしめた。ペールさんは、ガイさんの従者で、“復讐”のため、主について、この地にやってきたのだ。それは当たり前なことで、ずっと覚えていたつもりなのに、また認識からこぼれ落ちていたようで恥ずかしくなった。だいたい、ガイさんが変になったとか、部屋に来なくなったとか、そんな理由、考えたらすぐに分かるのだ。ルークさんは全部を忘れていて、赤ん坊になって、もう一度ガイさんと一緒に、ちょっとずつ育った。だから、彼だけは例外だ。でも私は違う。私だって、ガイさんが嫌いなファブレ家の一人なのだ。ペールさんだってそうだ。

ごめんなさい、と私は慌てて踵を返そうとした。寂しくなって、ペールさんとお話したくなって、自分の都合だけ考えてやってくるだなんて、ひどい話だ。だというのにペールさんは、「これこれ、お待ちなさい」と少しだけ柔らかい声を出して、またじょうろで花に水をやった。

「丁度ありがたいことに、今はどなたもおりませんから。ほれ、様、見てください。綺麗に花が咲きました」

花を育てるというのは、想像をするよりも難しいことなのですなあ。と彼はつぶやいた。こちらにやってきてから、長くこれらと向かい合うようになりましたが、まだまだこやつらの声は聴きとることはできぬようです、とも。

「ペールさんが」 ふと、つぶやいた。「ペールさんが、来てくれてから、お庭が綺麗になりました」「そうですかな」 うん、と頷いた。「それはよかった」と彼は笑った。けれどもその老齢な笑みの奥に、何を考えているのか、思っているのか、私には全然分からなかった。「ガイは」 ふと、ペールさんはつぶやいた。「少々、考えるべきことが多いのですよ」「考えるべきこと」 復唱した後に、復讐のことに決まっているじゃないか、と気づいた。

慌てて首を振ろうとしたら、「あやつも男になりましたからな」 そう言って、うんうん、と頷いた。「えっと……」「様、男と二人きりの部屋にいようなど、淑女のなさることではこざいませんな」「あの、でも」 ペールさん、やっぱり知ってたんだ、とあわあわして、思わず本音を言ってしまった。「でも、ガイさん、女性恐怖症ですし、私、まだ子どもです。そういうのは、大丈夫だと思います」

ぼんやりと口走ってしまったセリフに、ペールさんは一瞬瞳をきょとんとさせた。そして、ふと口元に手の甲をあて、くくと押さえ込むように笑った。「確かに、間違いはありませんな」
ペールさんのこらえ笑いを見ていると、なんだかものすごく恥ずかしくなって、私はきゅっと口をつぐんだ。私はパッと顔を赤くして、ペコリとペールさんに頭を下げた。そして、タタ、と駆けた。(少々、考えることが多いのですよ)

ガイさんが、私の部屋に来ないようになって、ずっとズキズキと胸が痛かった。
     なんでだろうか?
そんなこと、とっくの昔に気づいていた。不安なのだ。自分が、今度こそガイさんに嫌われてしまったんじゃないかと、不安で不安で仕方がないのだ。

自分の部屋にも戻りたくなくて、私は屋敷の中を宛てもなくさまよった。けれどもどこへ足を向けても、メイドがいて、使用人がいて、騎士達がいる。私は肩で息を切らせながら、前に何度かした、ルークさんとのかくれんぼを思い出した。階段の下の、小さなスペースをルークさんが見つけて、「こりゃ見つからない訳だ」とそのまま眠ってしまったルークさんを見て、ガイさんが苦笑していた。

あそこにしよう、とすぐさま体を滑りこませ、暗い影の中に、ひょい、と私は座り込んだ。ひんやりとした空気が頬を通り過ぎて、私はきゅっと瞳をつむった。(嫌われてたら、どうしよう) 私ははじめから、嫌われて当然なのだ。人と人との関係で、自分は嫌われてるんじゃないだろうか、とか、これをしたら好かれなくなってしまうんじゃないか、なんて、ちょっとだけならともかく、気にし過ぎちゃいけない。そうわかっているのに、思わずガイさんの顔色を窺うように、どうしよう、どうしよう、と胸がどきどきしているのは、私がガイさんに好かれたいからだ。昔みたいには無理でも、今はとして、ガイ・セシルとして、お友達になりたい、そう思っている。

無理なのかな。

わからなくなった。無理なのかもしれない。(でも)そんなの(やだなぁ) じわ、と涙があふれた。
そのとき、かつん、かつん、と小さな足音が聞こえた。私は慌ててお腹の中の本を抱きしめて、ぎゅっと体育座りをした格好のまま、顔を上げた。ぬっと誰かの影が覗いたとき、ひっと体を固くしたけれど、なんてことはない。足音の主は、ガイさんだった。
私とガイさんは、お互いきょとんと顔を見合わせて、瞬間、ガイさんが叫んだ。「ひぎゃああああああー!!!!」「ご、ご、ごめんなさいっ!!!」

そうだ、このかくれんぼは、ルークさんとガイさん、そして私の三人でしたのだ。ガイさんだって、時々一人になりたいときがあるのかもしれない。だから彼がここに来たって、なんの不思議もない。
ひえーっ、と私から逃げようとする彼の服を、私は思わずむんずと掴んだ。「ぎゃっ!!」とガイさんが、さっきよりも大きな声を出して、思わず涙で瞳をうるませた。ごめんなさい、そう私は口では言っているのに、彼の服を必死に掴んだ。「は、はなしてっ、、は、はなしてっく、れっ!!!」 息も絶え絶えに暴れる彼に、私も必死で両手を掴んだ。「ガイさん」 ガイさん、と気づいたら涙声のまま、喉を震わせていた。「さみしいです、ガイさん」

その瞬間、パッと私達の距離は開いた。ガイさんが、私の手から逃げ出したのだ。お互い前と後ろにばたん、と倒れて、ガイさんはカサカサと四本足で必死に逃げた後、おそるおそると私を振り返った。私は固まったまま、彼を見た。ガイさんは、少しだけ気まず気に、私から視線を逸らした。やってしまった、と思った。

それから私達は、お互い、多分同じようなタイミングで立ち上がって、反対方向に逃げた。逃げ終わった後、私はぼろぼろ涙がこぼれて、メイドたちから隠れるようにして顔を伏せて、急いで自分の部屋に逃げ込んだ。そしたらまた苦しくなって、私はペタッと床に体育ずわりして、ぼろぼろ泣いた。なんで悲しいのか、きちんと自分の言葉で説明することはできなかったけれど、なんとなくは分かっていた。なんであんなこと言っちゃったんだろう、と自分自身後悔した。ほんのちょっと前に戻れたら、と何度も思った。でも駄目だ。

ルークさんとお話することも、他のメイドさん達ともお友達になることも、ガイさんと、また仲良くすることもできなくって、ベッドの中で子どものように鼻をすんすんならして眠ると、次の日には、ある程度、我慢ができるようになっていた。しょうがない。ガイさんが、私を嫌だって言うのなら、しょうがない。我慢をしないといけない。そう思って椅子に座って、ノックのなることのない窓を見つめていると、コンコンとドアから音が聞こえた。

一瞬、ガイさんかと窓を見つめてしまったのだけれど、そんな自分に情けなくなって、「はい」と私は返事をした。誰かメイドさんの一人でも入ってくるんだろう、と私は慌ててドアに背中を向けながら、寝間着を着替えた。このままじゃ、メイドに着替えさせられてしまう。やっぱり服は、自分で着たい。

カチャン、とドアが開く。そして、バタン、とすぐさま乱暴にドアが閉まる音がして、「ぎゃ」と短い悲鳴が聞こえた。女の人の声じゃない、と私は不思議に思って振り向いたら、「わーっ!!」とまたその声の主は叫んで、壁に顔を向けた。「…………ガイさん?」 なんで? とびっくりして、半分裸のままにぼんやりと首を傾げた。「そんなことよりもっ!! さっさと服を着てくれっ!!!」

声を抑えるようにして叫びながら、勘弁してくれよ、と自分よりも5つも上なのに、びっくりするくらいうぶな反応をするガイさんに、「あ、ごめんなさい、変な格好で」と私はぺこりと頭を下げた。「謝るより、早く! ほら!」「あ、はい……」 ちょっと待ってくださいね、とのそのそ服に腕を通そうとして、私は自身の裸を見下ろして、さっと顔が青くなった。別に裸を見られたことが恥ずかしかったんじゃない。もちろん、少々恥ずかしく思う気持ちはあるけれど、ありゃりゃりゃって感じである。二十歳も超えていない男の子に見られたところで、どうとも思うものじゃない。

それよりもと、私のお腹に大きくはしる、まるで剣で刺された傷跡のようなミミズ腫れを、思わず服で隠した。見られてしまっただろうか、とぎくりと胸が痛くなって、私は思わず小さな声で、彼に問いかけた。

「あの……見ました?」
「み、みてない、ほんとうだ、誓って」
「本当に? 全然?」
「い、あ、その、ちょっとなら」
「ちょっとは見たんですか」
「すまない、本当にすまない、でも一応、ノックはしたんだ……!!」

ちょっとだけだ、ちょっとだけ、ちょっとだけ、と耳を真っ赤にしながら、ガイさんはするすると床にあぐらを書いたように座り込んで、こっちを見ないままに、ぶんぶんと頭を振った。大丈夫かなぁ、と私はとりあえずと頷いて、すぐさま服を着込んで、彼と距離を開けるようにして、「ガイさん」と声をかけた。「着ましたよ」

ガイさんは、やっぱりまだ若干顔を赤くしながら、少しだけ気まず気に目を逸らした。私はガイさんの目線に合わせるように、すとんと体育座りで座り込んだ。もうきっと、ガイさんはここに来ないと思っていた。そう思って、「ガイさん、なんでですか?」と、声をかけた。するとガイさんは、ギクッとして、また顔を赤くして、片手の甲で顔を隠すようにしながら、「本当に、わざとじゃないんだ」 気のせいか、お互いの話の主点が違う気がする。

「その、きみの裸を見るとか、そんなつもりは本当に一欠片も、信じてくれ」
「ガイさんガイさん、私別に、そのことで怒ってないですよ」

えっ、と言う風に、ガイさんは顔を上げて、私と目が合わさると、すぐさま顔を赤くして目線を逸らした。なんだかそんな彼の仕草を見て、ものすごく心配になった。ガイさん、彼女とかいないんだろうか。かっこいいのに、いないんだろうなぁ、というか、女の人に近寄れないんだろうなぁ、可哀想に、と少しだけ思考のベクトルがずれてしまったのだけれど、「私、ガイさんは、もう私の部屋には来ないんじゃないかなって思ってたんです」 ガイさんは、逸らしていた瞳をパチリと瞬いて、私を見つめた。そしてどこか困ったような顔をして、苦笑した。

が、寂しいって言ったんじゃないか」

その言葉に、今度は私が赤面した。恥ずかしくなって、膝の間に顔を埋めた後、ちらちらとガイさんの足元を見つめて、ゆっくりと顔を上げた。すると、ほんのちょっとだけ微笑んでいるガイさんが、こっちを見ていた。私はまたパッと目線を移動させた。そして、「言いました」と小さな声で呟いた。「うん、だから、来たんだ」「そうですか」「うん」「そうなんですか」「ああ」

お互い暫くなんの意味もない言葉を掛けあって、ふと、目を合わせた。そしてあはは、と笑った。ちょっとだけうれしくなって、私はぎゅっと胸元に手を置いて涙が出るくらいに笑った。それは少しだけ悲しかった気持ちが未だに残っていて、思わずびっくりして涙がこぼれてしまったのだけれど、そうじゃなくって、嬉しくてないているんだ、というようなふりをして、私はちょっとだけガイさんを困らせながら、笑った。










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2012-04-14

台無しなあとがき
5歳下に赤面とかガイ様マジロリコン。中学生と高校生くらいの年齢です

1000のお題 【852 なかなかできない仲直り】