閑話4







「デートしようよ」

そんな風な、声が聞こえた。


てくてく、と私は足を動かして、ペールさんの中庭へ歩いて行く。そろそろルークさんが、ヴァン師匠と手合わせをする時間だ。そんな風に剣を持って、楽しそうに師匠と向きあうルークさんを見たら、なんだか私までうれしくなる。そんなところをルークさんに見られてしまったら、「何見てんだよ! 見てんじゃねーよ!」とぷんぷんと怒られてしまうので、こっそりひっそり、窓に隠れて見るしかない。

どこのお部屋から見ようかな、とキョロキョロしていたとい、その声が聞こえたのだ。
女の人の声だ。びっくりして辺りを見回すと、メイド服の裾が、ちょいちょい、とのぞいている。おおお、お仕事中に情事のお誘いですか。いかんですなぁ、いかんですなぁ、とちょっとだけ顔を赤くして、まあ少しの休息も必要に違いない、と私はしったかぶったようにうんうんと頷いた。これでも一応、元の世界ではちゃんとしたお姉さんだったのである。こっちではのんべんだらりとお嬢様をしているけれど、彼女たちの気持ちもなんとなくわかる。毎日泊まりこみでお仕事とは、お給料もいいのだろうが大変なことだ。

というわけで、私は邪魔をしないようにそそくさ退散させていただこう、と体を反転させたとき、「ひっ、あっ、ひぎゃー!」と聞き覚えのある悲鳴が聞こえたのだ。私はびっくりしてまた振り返った。「わ、ガイ! そんな大声出さないでよ!」「だ、だって君が近づくから……!! すまない、離れてくれぇ!」「デートしてくれたら、してくれたら離れてあげるっ」「するっ、するから、するからっ、放してくれぇ!」


そしてババッと彼ら二人は廊下の角から飛び出した。私はぽかんとして彼らを見つめて、暫くバタバタ暴れていたガイさんは床に手を置き、はあはあと息を荒くさせた。そして一緒にいたらしい美人のメイドさんは、「もー、ガイったらー」ときゃらきゃら笑い、私と目が合うと、ぴしっと固まった。「、さま……?」「あ、はい」 です。

えへへ、と頭をひっかくと、床に手をついていたガイさんがものすごい勢いで顔を上げた。そして、メイドさんと私をバッ、バッと激しい勢いで何度も見つめ、「、その、まさか、きいて」「え? 何がですか?」 ガイさんが、ホッと息をついたので、私はニコッと笑った。「安心してください!」

「デート、頑張ってくださいね!」

私、応援してます!
そう言った瞬間、彼はガキッと表情を凍らせた。



違うんだ、、だから違うんだ、あれは誤解であって、決して彼女と本当にデートしようとかそういう訳ではなく、本当に違っていて、違うんだ、ちょっと聞いているかい、いないだろう。とさっきから部屋の端で、幾度も主張をし続けるガイさんに、「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのになぁ」と私は首を傾げた。ガイさんだって、十分にいい年なのである。女性恐怖症というネックがあるからこそ、今まできちんとした彼女も出来なかった訳で、ガイさんは十二分に魅力的で、かっこいいと思うのだ。贔屓目ではなく、メイドたちだってそう噂をしている。そんなガイさんと約束をしたはずの美人なメイドさんは、「様って、結構酷なこと言うんですねぇ」と呆れたようにぽつんとつぶやき、「やっぱさっきのナシってことで」とガイさんに片手を振って去っていってしまった。


「……ガイさん、ごめんなさい、私がお邪魔をした所為で……」
「いや、だから、、だめだ、俺の話を全然聞いてくれてないだろう」
「聞いてます。私、ガイさんのこと、本当に応援してるんです。幸せになって欲しいです」
「だからね、きみ、ちょっと、おい、

俺はだな、とガイさんはずかずかと私に歩み寄り、ゆっくりとテーブルに手を置いた。そして私の目を見つめた。瞬間、「うわああああ、近いいいいい」と涙声で消えてく。まったく、もったいない人材だ。


「ガイさん、本当に恥ずかしがらなくっていいんですよ。そういうのも必要だと思います」
「いや必要って。恥ずかしいとか、そういうものはないから」
「でもガイさん、二十歳ですよ」
「う」
「今はまだ大丈夫ですけど、これからどんどん大きくなっていくんですよ?」
「う、う」
「彼女、作りましょうっ!」


うううう〜、と彼は頭を抱えて座り込んだ。別に、本人が必要ないというのなら、気にしなくても構わないと思うけど、そうじゃないと思う。ときどきルークさんとガイさんの会話の中で、「俺は女性が好きだッ!!!」と主張をしているガイさんを見る。ルークさんは、その度にめんどくさそうな顔をしていた。女性恐怖症でも認めてくれる女性はきっといる。もしかすると、彼女ができることで、原因不明のこの症状が、少しは和らぐかもしれない。前途は洋々だ。

「それにガイさん、昔はときどき女の人とデートしてたじゃないですか」 私がぽつりと言葉を漏らすと、「えっ!?」とガイさんは素っ頓狂な声を上げて私を見た。「、まさか、し、知って」 知ってはいけないことだったのだろうか。私はきょとんとして彼を見上げて、「だって、メイドさん達がときどき嬉しそうに話してましたよ」 ガイさんは再び頭を抱えて床の上で悶え苦しんだ。そんなに知られたら恥ずかしいことだろうか、と思ったけれど、年下の女に知られるには、ちょっと屈辱だったかもしれない。申し訳ない。

「……あの、ガイさん? こんなこと言った後で申し訳ないんですけど、別に全然恥ずかしいことじゃないと思いますよ? 男の人として、それはとても普通なことで、複数人の女性と関係を持つことはおすすめしませんが、これからどんどん経験を深めていく方が、きっといいと」
「あ、アドバイスはやめてくれないかな……」

はは、とガイさんが死にそうな声を出したので、とりあえず私は黙ることにした。「それに、あれは、好きとか、そういう訳じゃないんだ。好きになれたら、と思って」 そしてごにょごにょ何かを言っている。「頑張ったことはあったんだよ。でも、結局駄目だったんだ」 そう小さくつぶやいて、ガイさんはちらりと私をみた。そして長い溜息をついた。

「……ガイさん、人の顔を見てため息をつくのはちょっと失礼ですよ」
「……すまない、はあ」
「……ガイさん」
「す、すまない……」


彼女かぁ、と言うように、ガイさんは窓の外を、遠い顔をしながら見つめた。「確かに、欲しいさ。いるか、いらないか、と訊かれたら、いると答えるよ。でも、好きな相手じゃないと、意味がないだろう。そうでなくても構わないというやつもいるし、その考えは否定もしないが、残念ながら、俺はそうじゃなかったらしい」

本当にまったく、残念だ。とガイさんは低い声をぽつりともらす。「だから、は気にしなくても構わないよ」 私はしょぼりと瞳を落とした。つまりは余計なお世話だったということだ。
(…………何か、ガイさんの力になれたら、って思ったんだけどな……)

いつもいつも、私はガイさんに迷惑をかけてばかりだ。昔はこうじゃなかったのに、いつの間にか立場が反転してしまった。本音を言うと、ちょっとはお姉さんぶりたい気持ちがあるのに、「きみはまだ、子どもだなぁ」とガイさんに笑われると、なんだかむっとする。むっとするというか、違うのになぁ、ともだもだする。

全然違うんですよ、ガイさん。
言っておきますけど、本当は私の方がガイさんよりも年上で、昔はガイさんはちっちゃくって、小さい手のひらで、と言って、私にくっついて来てたんですからね。
そんな負け惜しみみたいなひとりごとを、口元だけ動かしてつぶやいた。
ガイさんには聞こえることのないつぶやきを、ぽとんと落とした。



   ***



柔らかい木々の葉の間から、ぽたぽたと光がこぼれた。
ぴらぴら本のページをめくって、ちらりと太陽を見上げた。家庭教師の時間は終わったし、今日はずっと、暇なのだ。このところ、ヴァン師匠がこの国に訪れているらしく、ルークさんは毎日のようにヴァン師匠にくっついている。最初こそ、ときどきこっそり様子を見ていたのだけれど、ルークさんに怒られてしまってから、それもやめた。暇だ。つまんない。

「うー……」

家にある本も、大半を読み終わってしまった。本を読むことばっかりが趣味になっているのは、簡単に外に出る訳にはいかないし、剣術の稽古は好きじゃないし、おしゃれをするのも、なんだか気が引けるし、だいたいこっちの世界のおしゃれは、なんだかスカートが重かったり、お腹が苦しかったりと色々と辛いのだ。

お昼寝でもしようかなぁ、ところんと芝生の上に寝っ転がった。ふとそのとき、さくりと芝生を歩く音が聞こえた。「」 ガイさんの声だ。私はパッと体を起こして、枕にしようとしていた本を慌てて抱きしめた。危ない。「ガイさん、お仕事はいいんですか?」「ヴァン様と、ルークが楽しげに稽古をしているもんで、お付きの俺は暇で仕方がないのさ」

そう言って、すとんと私からほんの少し離れたところに腰を下ろした。私は思わずきょろりと周りを見回したのだけれど、誰もいない、というか、はじめからそんなことは、ガイさんがチェック済みだろう。

はまた本を読んでたのかい」
「はい、知らないことの方が多くて楽しいです」
「ふーん……そんなもんかな」
「ガイさんだって、いつも暇があったら音機関をいじってるじゃないですか」
「うん、まあ、うん、そうか」

この間泊まった彼の部屋には、やっぱり小さな機械が机の上に転がっていた。まさか昔にマリィベル様から送られたプレゼントが、彼の心の根っこにこんなに根付いてしまうだなんて、誰が気づいただろう。口添えした立場のものとしては、申し訳ないような、でもやっぱり嬉しいような、そんな気持ちだ。

まあ、人の趣味なんて分からないものだよな、と言う風に、ガイさんはポリポリと頬をひっかいた。「また新しい音機関を見に行きたい、とは思ってはいるんだが……」「見に行かないんですか?」「ん、中々、暇がなくってね」「ヴァン師匠がずっといるから、今お暇だって」「……まあ、そうなんだけど」

そうなんだよな、とガイさんは両手を芝生の上に乗せて、暫く何かを考えるように木々を見上げた。そしてパッと顔を起こして、ちらりと私を見た。「、デートしないか」「え」 聞き間違いだろうか。多分違う。

えーっと、と私が困ったようにまたたいていると、「が言ったんじゃないか。経験を深めていくほうが、これからのためになるってね」 つまりは練習台ということだろうか。

「別にルークみたいに、外に出ることを禁止されている訳じゃない。きみもたまには外に出ないとな」 そういうガイさんの言葉に、うーん、うーん、と私は唸った。ガイさんの力になりたいことは、山々だ。けれども、けれどもだ。私はぎゅうっと本を抱きしめた。「でも、ガイさん、この間、ダメだって」「この間?」「ガイさんの部屋に行ったとき、その、二人きりは」

そう言って怒られたのだ。
まあ確かに、と言うように、ガイさんは首を傾げてため息をついた。でも、まるでいいことを考えたというように、パッと顔を輝かせて笑った。「大丈夫、明日の午後は、客が来るんだ。この間も団体さんがやって来たが、それの続きかな。またマルクトの国境での話し合いかもしれない。それはとにかく、屋敷はてんやわんやって訳さ。きみがちょっとの間いなくなっても、気づかないんじゃないかな」

私はきょとりと彼を見上げた。「ちなみに俺は、基本的にはルーク付きな訳だが、ラッキーなことにヴァン様もこっちにいる。ということは、だ」 ほんの少し遠い位置から、ガイさんは私に手のひらを向けた。「エスコートもできない身で申し訳ないんだが、お嬢さん、ご一緒してくれませんか」

私はほんの暫く本を抱きしめたまま、瞬いて、ちょっとだけ苦笑した。「はい、喜んで」 そう返事をすると、ガイさんはじわじわと嬉しげに頬を緩めた。「嬉しいな」と口元を押さえて、首を傾げるようにして私を見つめた。たのしみだ、とガイさんは、本当に嬉しそうに言葉をこぼして、「ちょっとくらい、開き直ってもいいんじゃないかなって思ったんだ」と誰かに言い訳するように言った。

「うん、そうですね、ガイさんなら大丈夫です」 かっこいいですし、と本音を言うと、彼は少しだけ照れたように顔を赤くして、瞳を細めて笑った。「そうかい、きみも可愛いよ」とお世辞交じりの言葉を言って、ちょっとだけ考える風に眉をひそめ、「まあ、多分、無理というか、無茶なんだけどね。そろそろ、考えるのにも疲れてきたところなんだ」

ガイさんは、膝に肘を置いて、頬に手のひらをつくようにして、私をちらりと見つめた後、そう言って、微かに笑った。






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1000のお題 【901 場数を踏む】

メイドたち側の視点(考え?)は、(とあるメイド視点より)よりどうぞ。
ガイ→夢主なのは、メイド側ではなんとなくわかってるけど、半分冗談の噂の種という感じで受け取ってるって感じです。

2012-04-16