ルークさんが消えてしまった。

その知らせを聞き、母親であるシュザンヌは顔を青くさせた。これはマルクトによる工作で、ルークの命を狙ったものであるのかどうか。シュザンヌはひどく狼狽しながら、夫に、そしてルーク誘拐の主犯であるティアと呼ばれる少女の兄、ヴァンに、幾度もその事実を問いかけた。違う。大丈夫だ。お前はなんの心配もしなくていい。そう、いくら言葉を重ねられたところで、彼女の不安が晴れることはなかったし、過去に全ての記憶を失ってしまった息子の安否を願いながら、彼女は日に日に顔を青くさせ、体をやつれさせた。


(…………ルークさん……)

私はというと、ぺたりと自室のテーブルに顔を突っ伏していた。屋敷の中は常に慌ただしく、何故賊の侵入を防ぐことが出来なかったのかのかと、責任を追求する声が聞こえるばかりで、なんだか頭がぐらぐらした。(大丈夫、かな) シュザンヌは、母は生まれついて体が丈夫な女ではない。おそらく、ベッドに括りつけられる日も近く、長男であるルークが消えてしまってからというもの、私までいなくなってしまうのではないかと、数時間ごとにふらつく体でコンコン、と私の部屋をノックするか、使いの者をこちらによこす。

「お前も兄様が消えてしまったのだから、気落ちしてやいないかと思って」と、表立っての建前を彼女は口にしていたけれども、それは半分だけの理由で、本当は不安で仕方がないのだとすぐに分かった。
“母”である彼女を、これ以上不安がらせようとは、到底思わなかった私は、おとなしく自室に引きこもった。こうしている方が、色々なことを考えなくてもいいから、少しだけ楽だ。シュザンヌは、母だ。けれども、実の娘のように、彼女を慕うことはどうしてもできなかった。それが少し、申し訳ないと感じる自分もいた。(ルークさん……)

「日記……ちゃんと、書いてるかなぁ……」

そう口にする自分が、なんだか見当違いな気がした。けれどもそう考えないと、まるでルークさんが、もう一度赤ん坊のような姿で     正確に言えば、記憶をなくして     戻ってしまうのではないかと、怖くて仕方がなかった。多分これは、実の母親であるシュザンヌに比べたら、ずっと小さな不安なのだろうけれど、それでもかちかちとテーブルに乗せる指が震えた。顔を両手で覆って、何も見えないようにした。そしたら少しは楽になると思ったのに、全然そんなことはなかった。

     ルークさん、日記はちゃんと毎日書かなくちゃって、お医者さんに言われたんでしょう? ちゃんと書いてるんですか?
     だーッ! いちいちうっせーなー!
     だって、ルークさん……
     お前はなんだ、俺の母親かっつーの!

妹のくせに、マジ生意気ッ! 
そう言って、むーっと眉を顰めて腕を組む彼を思い出して、くすりと笑った。そしたらまた胸が辛くなった。お屋敷に入れば、安全だ。私はそう思い込んでいて、こちらの世界での、彼や、私の立場を忘れてしまっていたのかもしれない。私は女だからそうではないけれど、ルークさんは、キムラスカの中で、三番目の王位継承権を持っている。そう、王様なのだ。

ヴァン師匠は、今回のことは、誓ってルークの事情には関係がなく、自身が巻き込んでしまっただけだと説明した。けれどもその言葉を鵜呑みにするほど、キムラスカの国王も、ルークの父も甘くはなかった。全ては彼と、その妹の共犯ではないのかと、彼らは疑っている。不安の中でも、気丈に胸を張り続けるナタリアさんから、そう聞いた。私には、真偽のほどはわかりませんが、とにかく今はルークの捜索を最優先とすべきですわ。と、彼女はじっと前を見据えていた。

(でも結局)
私にはどうすることもできない。本当に、待つことだけだ。その事実が、じわじわと苦しくなる。本を読んでいても、同じ箇所にばかり目を通してしまって、結局なんにもできないばっかりだ。(も、寝よう、かな……) そしたら勝手に時間が進んでくれる。けれども、何かしないといけない。そう気持ちは焦っているのに、結局なんにも出来なくって、なんの意味もない。心臓がばくばくして、体中が怖いと叫んでいた。

こんこん、とノックの音が聞こえる。「はい」と私は小さく返事をした。どうせ、母からの使いだろう。「開いてます」 そう返事をすると、カチャン、と扉が開いて、足音すらもなく、誰かがひょい、と部屋の中に入った。それがどうにも慣れた様子で、私はハッと顔を上げた。「ガイさん」「よう」


私は少しだけパッと笑って、すぐさま首を振った。「ガイさん、あの、しばらく、ちょっと、危ないといいますか……」 メイド達が、よくよく様子を見に来ると言うか。
私があわあわ両手を動かすと、わかってるよ、と言いたげに彼は頷いて、腕を組みながら頷いた。そしてことん、とドアにもたれかかると、「ちょっとだけね。に伝えてから行こうと思って」「行く?」「ルーク様の、捜索へ」

私はパッと顔を上げた。「ルークさんの場所、わかったの!?」 思わず変な口調で反応してしまった。私は慌てて首を振って、「わ、わかったんですか?」 きょとんとしていたガイさんは、私の言葉にくいっと口元を笑わせて頷いた。「だいたいの方面だけだがね。ルークのことは、俺がよく知ってるだろうってことで、俺とヴァン謡将で二手に別れて捜索することにした」

だから行ってきますの挨拶だな。そう言って笑うガイさんに、私はパパッと立ち上がって、こくこく、と何度も頷いた。でもすぐさま不安になって、「二手って、ガイさん、一人で?」「まあ」「ど、どこに?」「マルクト方面、かな」「マッ、マルクトなんですか!?」 

キムラスカとの敵国で、過去にルークさんをさらったその国じゃないか。シュザンヌが、一番心配していた場所だ。そんなところにルークさんがいるんだ、と思うと、がたがたがた、と思わず私はバランスを崩して、ぺたっと床に手のひらをついてしまった。ガイさんも慌てて私に手を伸ばそうとしたけれど、結局そんなことはできる訳がなくて、伸ばした手をぎゅっと握りしめて、自分の背へ隠した。彼はきゅっと口元を引き延ばしていて、妙にこわばった顔をしていた。

私はそんなガイさんを見て、ガイさんも、今から一人でマルクトに行くのだ、とぐっと喉が辛くなった。半分涙目で彼を見上げていると、ガイさんはふと、私と同じようにしゃがみこんで、
「なんだ、心配してくれているのかい?」
「あ、当たり前ですよ!」
「そりゃ光栄だ」
「ちゃかさないで!」

思わず叫んでしまった。ガイさんのビックリ顔を見ながら、「ちゃかさないで、ください」ともう一回小さな声でつぶやくと、彼は少しだけ困った風にため息をついて、「まいったなぁ」と頭をひっかいた。「何にも言わずに出たら、そっちの方が不安かと思ったんだけど、これはこれで、心配させたみたいだな」

私と同じく床にぺとりと座ったガイさんは、膝に手のひらを置きながら、「俺は大丈夫だ。ルークも絶対連れ帰って来る。約束する」 嘘だ。そんな約束をしたって、なんの意味もない。けれどもこんなところで私がごねたって、彼を困らせるだけだ。そうわかっているのに、行き場のない気持ちがぐるぐるとするだけで、行ってらっしゃいと上手く笑顔を作ることもできない。

私はしばらくの間じっと顔を下に向け、きゅっと瞳をつむった。そして、ゆっくりと目を開け、頑張って笑った。けれどもやっぱり上手くいかなかった。ガイさんは、そんな私を見て、ちょっとだけ苦笑した。彼は怒ってない。そうわかっているのに、ぎくりと肩が震えて、気持ちが小さくなった。(私、なんにもできない)

 「……?」 ? と繰り返し問いかける声が聞こえる。「……は、はいっ」 私は慌てて顔を上げて、ガイさんを見つめた。「実は、俺はちょっと困ったことがあるんだ」 が助けてくれると、助かるんだけどな。と言われた言葉に、私は即座に頷いた。

「な、なんでもっ、なんでも頼んでください!」
「おっ。頼りになるな。実はだな、ルークの捜索に行く前に、ナタリア様から、城に来るようにって言われてるんだが……さすがに、使用人の俺が行く訳にはいかなくってなぁ」

だから代わりに、挨拶に行けなくてすみませんって謝っといてくれないか? と片手で謝るガイさんに、私はうんうん、と頷いた。「わかりました! 代わりにめいいっぱい怒られてきます!」「……いや、怒られるまではしなくても……うん……」「他には! 他にはなにかありませんかっ!」

なんでも言ってくださいね! とぐっと拳を握ると、ガイさんはちょっとだけ困った顔をして、「え、いや……」 かりかり、とあごをひっかいて、ふと、何か思いついたように私を見た。「……なんでも?」「なんでも!」 それじゃあ、と僅かに、ほんのちょっとだけ、ガイさんは体を近づかせた。


「ルークを連れて帰ったら、が俺にキスしてくれる」


「…………え?」
「とか、目標があった方が、やる気が出るだろ? ま、親友は言われなくても連れ帰ってくるがね」

がキスしてくれるんなら、だいたい三倍速で頑張るな、とよっこらせ、と立ち上がったガイさんを、ぼんやり床に座ったまま見上げた。「……できませんよ?」 ガイさん、女の人に触れませんよ?
そう言ったら、「そういやそうだな」とちょっとだけなげやりな彼の言葉を聞いて、なんだ、冗談か、と思わず吹き出してしまった。

「わかりました、約束ですから、ガイさんも、ルークさんも、絶対一緒に、無事で帰って来てくださいね」
「まかせろ。……断られたら、どうしようかと思ったよ。結構勇気を振り絞ったからね」

約束だぞ、。と念押しする彼に、あはは、と私は笑った。「ええ、約束です、ガイさん」


約束ですよ。







パチッ
パチッ パチッ パチッ


炎が弾ける音が聞こえる。(約束か……) 焚き火を囲みながら、揃いも揃って個性的な面々が集まったもんだ、と思わず俺はため息をついた。マルクトにさらわれた、と言っても差支えのない状況であったお坊ちゃんを見事に発見し、ついでに今のところ怪我ひとつないことは幸いだ。当の本人は、焚き火の前に座り込んで、黙々と日課の日記を書いて、ついでにときどきチーグルに邪魔をされ、びしりと足蹴にし、その度にティアに説教を食らっている。

(ヴァンの妹のティアに、言葉をしゃべる、聖獣チーグル。行方不明とか噂をされていた、ローレライ教団の導師イオンに、マルクトの大佐、ジェイド・カーティス、ねぇ……)

ジェイド・カーティスと言えば、名の知れたネクロマンサー、屍食いだ。別に文字通り、戦場で屍を漁っているという訳ではないが、彼が通った道には生きたものが残らない。屍の山が築かれる、なんていう噂は、一体どこまで本当なのか。その噂のネクロマンサーを連れて、和平のためにキムラスカを訪れることになろうとは、誰が想像しただろう。元はマルクトの人間である自身としては、なんとも複雑な心境だ。
(ま、さっさと戦争も収まれば、あの子の懸念も、ちっとは晴れるかね……)

さきほどまで、彼女のことを思い出していたからだろうか。どうにも思考がそっちに流れていってしまう。キスをしてくれ、なんて、我ながら馬鹿なことを言ったもんだと思う。例えこっちが本気でも、どうせ実行には移せやしないし、そもそも彼女が冗談としか受け取っていないことは知っている。だからこそ、あんなことが言えたんだよな、と考えると、自身のヘタレっぷりに嫌気がさしそうだ。

「おやまぁガイ〜? どうしたんです、そんなさみしげにため息なんてついて」

幸せが逃げていきますよぅ? と眼鏡のかちゃりと指で押し上げるネクロマンサーに、俺は頬をひきつらせた。「……いや別に、さっさとお屋敷に戻らなくちゃいけないなと思ってね。きっと、ルークの母君や、妹君が心配している」 ナタリア姫もだろうけどね。と言葉を吐くと、丁度ジェイドとは反対に座っていた導師が、パチリと瞬き、「ルークには、妹君がいるのですか」とどこか嬉しげに頬を緩めた。

イオンのその声に、かりかりと真面目にペンを動かしていたルークは、唐突にぶすっと唇をつきだして、じろっとこっちを睨む。「なんだよ。いちゃ悪いのかよ」「いいえ。家族が多いということは、素晴らしいことです」「ですのー!」「ブタザルお前は黙っとけ!」

そんな彼らを見て、ジェイドは「はっはっは」と相変わらずうそ臭い笑いを見せて、「それにしても、意外ですねぇ。あなたに妹がいるなどと」「なんだよ、俺にいちゃ悪いのかよ」「いいえ? どう見ても、“兄”のようには見えないと、ただそう言いたいだけですよ?」「いちいち嫌味くせーなー!!」

余計なことを言ったかな、と俺は、はは、と苦笑しながら頬をかいた。ふと、長く髪を垂らしたティアが、ちらりとこっちを見つめながら、「そう、妹が、いるの……」
(おっ)
彼女が食いつくとは思わなかったと思わず瞬いた。そういえば、彼女自身も、ヴァンの妹だ。少々気になるところがあるのかもしれない。「ああ、年はルークの一つ下だから、だいたいティアと同じくらいなんじゃなかな」「私は16よ」「じゃあ、同い年だ」

まあでも、君の方が大人っぽいかな。と彼女を思い出して苦笑した。ガイさんガイさん、とこっちにぱたぱた手のひらを振る彼女を考えると、どうにも頬が緩んでくる。こりゃいかんな、と口元を手のひらで隠しながら木の幹に持たれると、ふと、イオンがこちらを見つめていた。「ガイは、その方が好きなのですね」「…………えっ」

え、え、えぐえっ!?

思わず幹に体を強打して、ついでに激しくえずいた。「ガイ、うるせーよ!!」とルークが文句を言っている。いやいやいや、と俺は思わず首を振って、聖人そのもの、にこにこと後光を背にして微笑む少年に、何を言っていいものかと何度もゴホゴホ咳を繰り返した。「えー、あー、えーっとだな、そ、それは……」「ルークにとっても、ガイにとっても、大切な方なんですね」

あ、大切な方、あ、そっちのニュアンスね、と思わず焦ってしまった自身が恥ずかしくなり、俺はごしごしと口元を服で拭った。「まあ、そう、だな」 ジェイドは既に、ルークをからかうことにせいを出しているらしい。こっちの会話を聞かれてはいないようで、その事実が有りがたかった。あのどうにも掴みどころがない大佐に、主のお嬢様に恋慕をしているだなんてことがバレてしまったらと思うと、少々背筋が寒くなる。

「どんな方なのですか?」 のことだろう。そこまで気にすることなのだろうか、と思いつつ、何やら彼はルークを気に入っているふしがある。その家族のことも、少々気になるのだろう。「そうだなぁ……」 俺はかりかり、と顎をかいた。「髪は赤くて……外見は、ルークに似ていなくも、ない、かな……」 どんな子。改めて言われると、なんだか考えこんでしまう。見かけばかりではなく、内面を、と考えて、俺は思わずぽつりと漏らした。

「可愛い子、かな」


そう勝手に漏らしてしまった本音に、「い、いやいやいや、これは俺にとっては、という意味で」 いやこっちの方が妙じゃないか。「いや、いやいやいや!」 必死にぶんぶん首を振る俺に対して、イオンはきょとんと細い膝の上に手を当てているかとおもいきや、くすくす、と口元から笑みをこぼした。そんな笑い方が、なんだか少しだけ彼女に似ていたような気がして、俺もつられて口元を笑わせながら、ぽすりと膝に手を置いた。「本当に、大切な人なんですね」 俺はわずかに息を飲んで、まあね、と肯定の言葉を言うことが、少しだけ嬉しくて、少しだけ悲しかった。




「あなたの妹君、ということは、なるほどなるほど。手がつけられない、箱入りわがままお嬢様……」
「お、おいおまっ、てめぇジェイド! なにが言いたいんだよコラ」
「おっと、いけませんねぇ。年をとると、うっかり口が滑りやすくなるようです」
「どういう意味だっつの!」
「ルーク、夜なのよ、静かにして」
「ご主人様、しー、ですのっ」
「うるっせぇブタザルーッ!!!」
「みゅううう〜!」
「ルーク、ミュウに当たるのはやめてって言ってるでしょう!!!」


「…………賑やかだなぁ」
「賑やかですねぇ」





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2012-04-23