私とガイさんは、お互いぷいぷい、と無視をし合ったまま進んだ。
それがとてもさみしくて、けれどもしょうがないことでともわかっていて、私達はこつこつと廃工場の中を進んだ。ガイさん、ルークさん、ナタリアさん、ジェイドさんにティアさんに、アニスさんと私の、合計7人     ではなく、プラス一人。「妹さんですの、ご主人様の妹さんですの、さん、お久しぶりですー!」

ぱたぱたっ! と小さな手のひらをこっちに向かって振るふかふかのチーグルに、ちょん、と私はしゃがみながら、人差し指をつついた。「うん、ミュウさん、久しぶりだね」


チーグルと言えば、ローレライ教団を象徴する聖獣である。大きな耳をピコピコとさせて、可愛らし気におしりを振る。通常彼らは、「みゅう、みゅう」という鳴き声しか出すことが出来ないのだけれど、ミュウさんの場合はお腹に、まるで腕輪のようなソーサラーリングを持つことによって、人間の言語を話すことができるとかなんとか。

ルークさんに命を救われた彼は、月日が一巡りするまでの間、ルークさんに仕えることを族長に言いつかったそうだ。「ご主人様は僕の命の恩人ですの!」と嬉しげに耳をぱたつかせる彼を見て、なんだか私も嬉しくなった。「ですのー」と二人一緒に指先をつんつんさせて、「こっちに来る?」と問いかけると、その子はきょとりと瞬いたあとにこくこくと頷いた。

さん、ボクはミュウさんではなくミュウなので、ミュウで結構ですの!」
「んん?」

つまりは呼び捨てでいいということだろうか。「うん、わかった。ミュウだね」「はいですの!」と、もふもふ、もふもふ、と抱きしめて一緒に進んでいると、ふと視線を感じた。ティアさんが、じっと私を見つめて、目が合えばこほんと咳をしながら視線を逸らす。「ティアさん?」「な、なにかしら」 心持ち、ちょっとだけほっぺが赤い。ミュウと一緒に首を傾げて、あー、とぼんやりと私は頷いた。「ミュウ、ティアさんのところに行く?」「みゅ?」

よしよし、とミュウの頭を撫でながら、「ティアさん、もふもふですよ」「えっ、あ、あの」 抱っこされますか? ときくと、なぜだかミュウがびしりと片手をあげて、「されるですの!」とにこにこと笑っている。

どちらかというと、つんとした雰囲気がクールな美少女さんなのだと思っていたのだけれど、ティアさんは見るからに狼狽してあわあわと首を振った。それからぷんっと視線を逸らして、「な、何を言っているの。何かあったとき、戦闘の邪魔になるでしょう。、ふざけていないでちゃんと前を見て」「ご、ごめんなさい……」「ですのー」 確かにそのとおりだ。

じゃあミュウ、一緒に行こうか、問いかけると、「はいですの!」とミュウが私の腕の中でぴしりと短い片手を上げる。ぱたぱた、とルークさんの近くに駆け寄った私は、はふう、と悲しげにため息をついて、頬に手のひらを当てていたティアさんのことは、まったくもって知らなかったのだ。


   ***



「それにしてもくれえなあー」
何も見えやしねえ、と溜息をついたルークさんに、ううん、とナタリアさんが腕を組んだ。「炎を出す音機関なら持ってはいますが……そう長続きするものではありませんしね」 来たときに持っていたライターのことだ。「それでもいいからつけろよ。こんなに暗くちゃ先が見えねえ」「構いませんが……」

旅はまだまだ長いのですから、節約は必要ですわよ? と旅をしたことがないと言っていたお姫様の割には、しっかりとした台詞を彼女は吐き出す。うぐ、とルークさんが唸った。「まあ、ナタリアのいうことも一理あるが、ルークの言い分も正しいな」 これじゃあスイッチがあっても見落としちまう。と溜息をつくガイさんの言葉に、私は一人でこっそり頷いた。

「譜術で炎を出すにしては、少々あらっぽくなってしまいますしねえ……」

そもそも私はアンチフォンスロットを使われている身でありますし、とジェイドさんは顎をひっかいた。
譜術というのは、単純に炎を出す、水を出すというものではない。私風に言えば、正しい知識の把握のもと、きちんとした公式に当てはめて術式を用いる。明かり代わりの炎を出すと言うのであれば、それ用の公式が必要である。けれども小さなものほど調節は難しいし、場所にも気候にもよりけりで、確かな公式は確率されていない上、術の持続は困難である。明かりにより適している光属性は、特にその傾向が強い。
その上一つの譜術の使用中には他の術式を使用することができなくなるし、便利なように見えて、案外不便なのだなあ、ということが元は地球人である私の感想である。

よくよく考えれば、ゲームのRPGの主人公だって、魔法を使えば使うほどMPを消費する。便利なだけで、マイナス面がないことなんてありえないのだ。譜術とは、特に戦闘面において特化され、研究され続けたものであり、音機関とはその恩恵だ。戦いが科学を進め、それが日常に浸透する。きっとどこの世界も、その公式からは逃れられないのだろう。

とかなんとか頭でっかちに考えてみたものの、譜術のふの字も使えない、その上適正は第三音素と第四音素、風と水しかない私としては、申し訳ありませんと体を小さくさせてひっそりと存在を消去することしかできない。とにかく、消費を覚悟で使用するか、とナタリアさんがライターを取り出そうとしたとき、「ボクが火をふくですのー!」 嬉しげに、彼はぴょんっ、と私の腕から飛び跳ねた。

「ミュウ、そんなことできるの?」

こくこく、とミュウが嬉しげに頷いて、おしりを振った。ルークさんの役に立てるかも、と嬉しいのだろう。うーん、とみんながみんな顔を見合わせたとき、「お?」とルークさんが首を傾げた。「油くせー匂いがする」 くんくん、と鼻をひくつかせるファブレ家の子息は、「これか?」と大きなドラム缶を見つけた。ひょい、と覗きこんだティアさんが、「油が入ってるわね……」

にやり、とルークさんは笑った。ような気がした。なんとなく長い付き合いでの把握である。こちらからでは、彼の背中しか見えない。「おいブタザル、こっちに来い!」 ブタザルって誰のこと? と首をかしげると、ミュウが「はいですの!」とちょこちょこ小さな足を動かして、ルークさんの足元に近づく。「ぶ、ぶたざる?」「……ルークはミュウのことをそう呼んでるんだ」 一応私と冷戦中であるガイさんが、こんなときにも親切に解説をしてくれた。


むんず、とミュウの首根っこをつかんだ。ルークさん、と思わず声をかけようとしたとき、なぜだか案外喜んだ様子のミュウを見て、おう、と口ごもった。「おら、てめえ、火ぃ吐け!」「みゅ、ミュっ!」「ルーク! あまり乱暴は!」 叫ぶティアさんの声を無視して、べしっとルークさんはミュウのおしりを叩いた。「みゅー!」 ぼわっ、と炎が膨れた。「ひゃ!」と私と何人かの声が重なる。

赤々と燃えるドラム缶が、辺りをぼんやりと照らした。「うん。これなら、周りがよく見えるな」「ルークさま、さすがですぅ!」 静かに頷くガイさんと、きゃぴきゃぴとツインテールを揺らすアニスさんがなんだか対照的で微笑ましい。くすりと笑いながらルークさんを見ると、まんざらでもない様子で鼻の下をこすって、反対の手ではぶらぶらとミュウを引っさげている。それでいいのか、とミュウを見ると、やっぱり彼は嬉しそうに両足をパタ付かせていた。苦しくないのでしょうか。

「なるほどなるほど。いい考えですねえ。けれども気をつけてくださいよ。おそらくこの油は、周囲の配管にも残留している可能性が高い。そちらに火が回ると大変なことになりますからね」

つまりどういうことだ? と眉をひそめるルークさんにティアさんは呆れた声を出した。「つまりは周りじゅう、大火事になってしまう可能性がある、ということよ」「うげっ!?」

きょろきょろと顔を見上げて、辺りを確認してしまった自身が恥ずかしいのか、彼はぼふっ、と顔を赤くして、「ならねーよ! 俺がするんだからな! おいブタザル、俺の指示通りに吐くんだぞ!」「は、はいですの、がんばりますの!」 片方は首をひっかけられたまま、見つめ合う彼らはなんともシュールだけれども微笑ましい。
(ルークさん、こんなにたくさんの人と色んなお話しをするの、初めてなんだろうなあ)

彼は幼いころの記憶をなくしてしまっている。だからきっと、覚えている限りでは初めての経験のはずだ。嬉しいなあ、と思ってにこにこしていると、ふと、ガイさんも私と同じような表情をしていたことに気づいた。二人一緒に同じ顔をしていたことが恥ずかしくて、私はとてとてと距離をおいて羽織ったケープで口元を隠した。


   ***


大丈夫、とは言っても、やっぱり案外、世の中にうっかりは転がっているものである。

「うわ、お、ちょ、うわー!!!」
と叫ぶルークさんと、「みゅみゅーーーーーー!!?」と人語を忘れて叫ぶミュウを、私は呆然として見つめた。ぼぼっと燃え広がる炎を見て、即座にジェイドさんが詠唱を唱え、スプラッシュを口ずさむ。いくつかの配管が破壊されたものの、炎の勢いはとまらない。チッ、と彼が舌を打った。ぞっとして吹き出す汗を拭って、私は両手を握りしめた。

詠唱はいらない。

だた小さな数式を合わせ続けるだけだ。両手を握り、息を吐き出す。ふわりと風が舞った。くるくるとあふれた水を風の塊で包む。ぽちゃり。「雨……?」 ティアさんが、はっとして顔を上げた。ぽちゃり。

風で水を、水を炎でやんわりと、まるくまるく撫でていく。両手のひらを強く握った。ぽたりと汗がこぼれ落ちた。風が静まり、柔らかく髪がこぼれ落ちた。「…………はー……」 おしまいです、とすっかり収まった火事にため息をついた。「さん、すごいですの!」 ぱちぱち、と最初に拍手をしてくれたのはミュウだ。あ、と思わず顔が熱くなった。「あの」「、あなたは詠唱もなしに譜術を行えるので?」「あっ」

いつもはなるべくごまかすようにと適当な言葉をつけていたのに、慌てるあまりにすっかり忘れていた。「あの、いえ、その。私、譜術が使えなくて」「譜術が使えない?」 どういうことだとばかりにメガネを手のひらに当てるジェイドさんを見て、思わず小さくなった。

は本当に譜術を一つも使うことができませんの。けれどもそのかわり、妙に器用に音素を扱うんですわ」
「ふむ。それに先ほどのものは、第三音素と第四音素両方を複合していたように見受けましたが?」

この人は少し怖い。
そんなことを思った。「気のせい……だと思います」 ごめんなさい、わかりません、とまるで子どものような言い訳をすると、「まあいいでしょう」 案外あっさりと彼は身を引いた。「なんにせよ、お手柄です。どこぞの親善大使様は、もう少し慎重になっていただきたいものですね」「な、なんだよ!」

もうしねえよ! と頬を膨らませるルークさんを見ながら、私は少しだけ嬉しくなった。「……っていうか、譜術が使えないって、まじでただの足手まといじゃん……」 ぽそりと呟かれた台詞に、パッと目を見開いた。アニスさんは私を見て、「あ」と言うふうに手のひらで口を覆った。「あ、なんでもないです〜。えへへ、様ってすごいんですね!」「はい、あの」

ぴこぴこ揺れる彼女のツインテールを見つめる。(そうだ) そのとおりだった。
ちょっとだけ調子に乗ってしまった自分が恥ずかしくて、私はぺちりと頬を叩いた。相変わらずガイさんは何も言わないし、ミュウはルークさんと一緒にいる。一人でぺたぺたと歩を踏みしめて、けほりとホコリだらけの工場の中で咳をついた。

「そろそろ、出口でもいいような気がするんだが……」

おかしいな、と頭をかくガイさんの隣で、くんくん、とナタリアさんが鼻をならす。「それにしても油臭いですわね」「お前またそれかよ、いい加減にしろよな」「いえルーク、これは……」

少しおかしいですね、とくるりとジェイドさんは槍を取り出した。何もない空間から、一瞬にして取り出されたそれを見て、私はきゅっと目を見開いた。(コンタミネーション現象……!) 特殊な譜術を用いて、物質を音素化して取り込む現象の応用だ。前に本で読んだことがある。


ごろんと、唐突に目の前にそれは転がり落ちた。びちゃびちゃと体中にまとわりつけたヘドロが、それが動くたびに周囲に飛び散る。ひゃ、と口元を押さえた。大きい。ずるずるとこちらに来るそれを見て、私はぺたりとへたり込んだ。「!」 ガイさんの声が聞こえる。
ハッとして私は立ち上がった。そして転がるみたいにそれが振り下ろした急激を避けた。
(魔物だ)

それを見ることは初めてではない。ホドでのメイド時代に、小さなガイ様が何度も屋敷を抜け出すものだから、外にいくとき、ときどき姿を目にすることがあった。
けれどもそれは体のサイズだってもっと小さくて、そう攻撃的ではなかった。けれども相対する魔物は、どう考えても人間のサイズを越えて、その何倍にも膨れ上がり、友好的とはほど遠い雰囲気だ。

心臓が痛かった。合わせた手のひらが汗ばんでいて、耳元には自分の鼓動の音しか聞こえない。
ずきずきと体のどこかが痛む。昔二度切られた腹が疼いていた。(切られちゃったら、あんなに痛いんだ) そうだよね、と考えるとひどい汗が流れた。ぞわりと背筋が震える。

ふと、視界の端に、ガイさんが映った。
ヘドロを細切れにして、刃を叩きつける彼を見て、息を吐き出した。(うん) 震えた片目を押さえるみたいに、頬を殴りつけて、地に足をすえた。

そうして私は、嘘っぱちの詠唱を口にした。








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2012/12/02