「これでは、幸先が思いやられますわ」
はあ、と短い溜息とともにはちみつ色の髪の毛をふるふると横に振る彼女を目の前にして、私はぽんやりとする頭を振った。「ごめん、なさい……」 ふわり、と彼女の手のひらが暖かくともる。第七音素だ。慌てて布団から飛び上がって、「だ、だいじょうぶです」「いいから、は寝ておきなさい!」 括りつけられた。


「怪我をしたわけではないでしょうが、私の音素をあなたに流すから、少しはそれで楽になるはずですわ。なんていったって、音素の使いすぎで倒れてしまったんですもの」

まったく、と溜息をつきながら丸椅子に座るナタリアさんに、肩を小さくさせた。からりとした暑さは、屋根の下にいれば案外涼しい。「ごめんなさい……」「本当にね」 呆れたみたいな声が、開いたドアから聞こえた。彼の次の予想にして、帰りませんとへたれた声で主張しようとしたのに、言えなかった。額にのっかる冷えたタオルに指を伸ばして、情けなくてどんどん瞳を落としていくと、ガイさんのほんのちょっとのため息が聞こえたけれども、それだけだった。

「顔色は悪くないみたいだな。そいじゃあ俺はもう少し回ってくるとするよ」
「ええ。わかりましたわ」

ガイさん、と声をかけようとした。けれども、やっぱり何もいえなかった。ほんの少し瞳を上げると、ぱちん、とガイさんと視線がかち合った。彼は困った子どもを見るみたいに肩をすくめて、ぱたりと扉を閉めた。じわり、と耳が真っ赤になった。(迷惑を、かけていることも、かけることも、ちゃんとわかってたはずなのに)けれども帰らない。彼らについていく。そう思っていたのに。



ざくさく、となれない砂漠の中を歩いて、舞い上がる砂粒に瞳をふせ、ぽとぽとと私は汗をこぼした。暑い暑い。みんながそういうものだから、私はほんの少し調子にのって、一応の特技である音素を2つ、水と風を結合させ、くるくると周りを循環させた。これは涼しいぞ、なんて声をきいていると、むん、と胸をはりたいような気持ちになって、どうだ、私にもこんなことができるんだぞ、と一人かってに嬉しくなった。ふと、ガイさんが不安げにこっちを見ていたのに気づかないふりをして、さっくりさっくりと進んでいるとき、唐突に視界が暗くなった。

あっ、と思ったのは一瞬だ。
すっかり忘れていた。私は長時間、譜術を使用したことがない。譜術の使用には、ある程度のリスクもある。過度の使用は、ときには術者に負担をかけ、意識を失うこともある     というあくまでも知識だけの内容が、頭の中でめぐったときにはもう遅い。ざらざらとした熱い砂が、頬を焼いた。誰かの声が聞こえて、だいじょうぶ、と言おうとしたのに、うまく口元が動かなかった。


(ガイさんだったのかな……)

そうかもしれない。あの人は優しい人だから。「、あなたもこの旅について行くというのなら、意思を持たなければいけませんわ」 ふわりふわり、と優しい光をともしながら、ナタリアさんは言葉をおとした。「帰りなさい、とは言いません。わたくしも、無理やりについてきた身です。足りない技力や体力は、仕方がありません。今更どうこうなるものではありませんわ。けれども、それを補うために何をすればいいか。それを考えることは、いつでもできることでしょう?」

まずはあなたの場合、自身の限界というものを知らなければいけませんわ、と苦笑のように口元を緩めた彼女に、はい、と私は頷いた。実際のところ、私はぱったりと意識を失っていたものだから知らなかったのだけれども、このオアシスの街についてから、ルークさんも少々大変だったらしい。


ルークさんが誘拐されてしまってからというもの、ときおり聞こえるという幻聴は、どのお医者様にも治すことができなかった。いつもならよくわからないような音とも、声ともつかない奇妙なものが、今日ばかりははっきりとした形で彼の頭の中に響いたそうだ。その上、声の主は鮮血のアッシュ、ルークさんによく似たあの男の人で、さらわれた導師イオンは、ザオ遺跡という場所にいると彼は伝えてきたらしい。

(……テレパシー……?)
まさかそんな、と思いつつも、結局魔法に近い何かがある世界なのだ。そんな馬鹿な、とは思えないどころか、まあそういうこともあるかもしれないなあ、というアバウトな感想しか私はでないのだけれども、みんななにかしら複雑な表情をして眉をひそめているように見えた。やっぱり、どこか感覚が違うんだろう。
ガイさん達は、そのルークさんが耳にしたザオ遺跡という場所についての聞き込みを行なっている。探すべき道も他にないとすれば、とにかく確認をしてみよう、ということだろう。

私も動かなきゃいけない。急かすような気持ちのまま、ベッドから起き上がって、「わひゃっ」「!」
あなたは何をしているんです、とナタリアさんに抱きかかえられてしまった。
「びっくりしました……」
足が動かない。ベッドの上にほっぽり出された自分の足の甲を見つめて、ぴくぴく、と親指を動かしてみたつもりなのに、やっぱりピクリとも動かず、はだけたシーツの上でぺとんと足がのっかっているだけだ。
まるで自分とは別の何かみたいに上と下の体がぱっくりと分離しているようで、奇妙な感覚だった。その上、ちょっと動いただけだというのに、ばたばたと心臓が暴れていて苦しい。荒くなった息をごまかすみたいに、私はナタリアさんに抱きついた。「う……」「さっさとベッドに戻りなさい!」「は、はい……」

お互いよしこら慌てて、私はナタリアさんに抱っこをされるみたいに、ちょっとずつ体の位置を元に戻した。最後にぱふんと枕の上に頭を落としたときには、暑さとも相まって体中が汗だくだった。枕元にある洗面器から取り出されたタオルで額をふかれながら、さっと顔が青くなった。どうしよう。「な、ナタリアさん、体が」 動かない。タオルを持つ彼女の袖を、つんと摘んだ。しっかりと握ったつもりだったのに、すぐにぽてんと腕が落ちてしまって、これにもビックリした。

もしかしたら泣き出しそうな顔をしていたのかもしれない。ナタリアさんが、子どもでもあやすように、呆れと笑いとを半分混ぜたような声で、「大丈夫ですわ」

「体を動かす音素が足りないだけです。1日、2日休めばなんの問題もありません」
「動かす、音素……」
「私も幼少の頃は同じようなことがありましたわ」

小さな子どもと同じだ、と言われたみたいで、ちょっとだけ赤面した。事実、そうなのだろう。丸椅子から立ち上がったナタリアさんの背中を見つめながら、動かない自分の足を撫でた。それから枕に顔を埋めた。(何を、しているんだろう) 全然、だめだめじゃないか。



そのまま私はお留守番要員となってしまった。ルークさん達はザオ遺跡の場所は見つけた。アッシュという男性が何を考えてるのか、本当に彼の声が聞こえたかもわからないまま、とにかくその場所へと向かうことになった。
導師イオンがいても、いなくても、一旦足を伸ばして、また彼らはオアシスに戻ってくる。砂漠越えには、時間と体力を使う。向かった遺跡から、そのまま次の街に行くわけにはいかない。だったら、置いていかれることもないはずだと自分の心を落ち着けて、わかりましたと頷いた。仕方ない。

仕方ないのだ。
熱い砂漠の中を、また倒れるかもしれませんが、一緒に連れて行ってください、なんて言えるわけがない。(でも、もしここで、ガイさん達がいなくなってしまったら)

     アクゼリュスへ向かったルーク様は……

震え声で言葉を落とすメイドの声がきこえる。私は首をかしげて、彼女の言葉をきいた。ごめんなさい、もう一度いってください、という言葉を三度繰り返して、唐突に事態を理解した。両頬に手のひらを置いて、けれどもやっぱり首をかしげて、息ができなくなって、そのままぺとんと体の力がなくなった。苦しくって、苦しくって、チクタクと進む時計の音ばかりがよく響いた。涙が溢れるには、意外と長い時間がかかった。

(思い出したくない)
でも大丈夫だ。もし、あの夢の通りなら、ルークさん達がいなくなってしまうのは目的地であるアクゼリュスだ。アクゼリュスの街は落ちた。その言葉が屋敷の中を行き交っていた。それが何を表すのか、どういう状況なのか、誰一人としてわかっていなかったけれども、その事実だけは確かだった。
(アクゼリュスに、ついていかなければいけない……)

何が起こるのかはわからない。何ができるかもわからない。
心臓の辺りがぎゅうぎゅうと痛い。体がビックリしているんですわ、とナタリアさんは言った。なれない体で、譜術を長時間使ったものだから、体の音素が暴れている。
本当にそうなんだろうか。きりきりと、糸をひっぱるみたいに苦しくって、は、と息を吐き出してしまいたくなる。(呆れたかな)みんな、ガイさんは呆れてしまっただろうか。(寝ないと) 早く寝て、今度こそ失敗しないようにしないと。


がんばらないと。





彼らはザオ遺跡へと旅立った。私はぽったりとベッドの中に入って滲む汗を拭いながら眠ってしまった。だから、これはただの夢なんだろう。遠い距離に、誰かがいた。ナタリアさんが座っていたはずの丸椅子を、ひっぱって、遠くして、何も言わずに、誰かが座り込んでいた。ことん、ことん、と夢の中に入っていく。
なくなってしまった体の音素を補給するように、静かに呼吸を繰り返しながら、ことん、ことん、と。




   ***



奇妙な疑問を抱えながら、俺達は六神将のうちの三人と、刺々しく背を向けながら、そうして互いの様子をみ合いながら距離を開けた。
烈風のシンク、黒獅子ラルゴとはうまく言ったものだ。でかすぎる図体を、これまた馬鹿でかいカマを振り回す獣のようなラルゴ。黄と赤の鳥のくちばしのような仮面をつけながら、あまりにも素早く拳を繰り出す、緑髪の少年シンク。彼らと拳と剣を重ね合いながら、妙に何かがひっかかった。(似ている)

気のせいだろうか。人は骨格というものがある。そこに筋肉やら、皮やらと言った何かがくっついているだけで、体は多くの情報を語る。剣の立会いには、その言葉を読み取り、相手の癖を汲み取り、語り合う必要がある。(身のこなしが違いすぎて、気付きづらいが……) おそらく、思い違いだろう。

まあいい、と砂に埋もれた遺跡の中に足あとをつけた。「イオンさまにお怪我がなくて、ほんっとーによかったですう!」 もういなくならないでくださいよぉ、と黄色い声を出す導師守護役に、柔らか気な笑みを落とす少年は、「すみません」と言葉を落としていた。さきほどまで誘拐され、ある種囚われの身となっていた少年とは思えない。年の割りには落ち着いた少年だ、というところがなんとなくの彼の印象だ。さすが導師といったところだろう。

     ルークが聞いた言葉は正しかった。

さらわれた導師は何が目的かもわからず、六神将に術式を使用させられたと聞く。(自分が来いっつったわりにはなあ……) 導師イオンは、砂漠の遺跡にいる、さっさと来い。そう伝えたにもかかわらず、ラルゴ達と同じく敵のような顔をして、自身が伝えた言葉にはまるでまったく身に覚えがないというように、アッシュはルークによく似たその双眸をギロリとつり上げ、こちらに剣を向けた。一体全体、あいつは、そして六神将達は何を考えているのか。

「腹の中にあるものは、まったくもって読めませんってね……」
「ん? ガイ、なんか言ったか?」
「いんや、なんにも」

ひとりごとはおっさんの始まりだぜ! と白い歯を見せてケタケタと笑う赤髪の少年の背中を「ばかやろ」と小突いてやった。結局、ただの引き分けだった。互いに目的が果たされたのだから、鉄のフライパンの上にいるような状況で、いつまでも戦いを長引かせるにはこちらの体力も追いつかない。(こっちを見ていたな) あの赤毛の男は、ナタリアを、自身を見ていた。そしてルークを、食らいつくように。

ひどく覚えのある瞳だったが、それが何なのかが思い出せない。(あっちに魂胆があるってんなら、そのうち分かるだろう) 考えているばかりでは仕方がない。

「まあとにかく、さっさともう一人のお姫様を迎えにいかないとね」

今頃待ちくたびれているかもしれない。出発前に、顔を見ようと彼女の部屋のドアをノックした。返事がないものだから、扉を開けてみると、彼女はベッドの中にぽとんと落っこちて、静かな寝息を立てていた。満足に近づくこともできないものだから、ずるずると椅子を移動させ、座り込みながらじっと彼女の寝顔を見つめていた。
幾度か呼吸を繰り返し、立ち上がった。彼女の頬を撫でようと手を伸ばすと、はねるように手のひらが勝手ににげてしまった。瞳を落として、震える体を押さえこみながら、ゆっくりと彼女にまた近づいた。ギリギリのベッドの端に指先だけ静かにつけて、顔を近づけるように屈みこんだ。
けれどもやっぱり無理だった。



「めんどくさいなあ」と、隠すこと無くつぶやかれたアニスの台詞に、「まあまあ」と苦笑した。旅慣れしない導師イオンに加えて、彼女までとなると少々不安が溢れるが、あのままあの街に置いておくわけにはいかない。結局、自分はそろそろ腹をくくるべきなのだ。
戻ってくれた方がありがたい。そう思いながら彼女を帰すことばかり考えていては、目の前がおざなりになってしまう。

ぱったりと砂漠の上に倒れこんだ彼女を見て、ひどく息を飲み込んだ。と叫んだ言葉が、意外なことにももう一つ     彼女の兄の声があったことには驚いたものの、別にあいつだって好きで今のような態度をとっているわけじゃない。

「ガイ、お姫様とは……?」
ナタリアを見ながら首を傾げるイオンに、ちがうちがう、と笑ってしまった。

のことだよ、イオン。彼女も旅に同行することになってね」
「そうだったんですか」

彼と彼女が出会った数はそう多くはないが、うまく出来る組み合わせだろう、と頷いていると、「……なんかガイってー、いつものことばーっかりだよねー」 あ、様だった、ととってつけた敬称をつけるアニスを見下ろして、「ん!?」と肩が飛び跳ねた。「いや、そんなことは」 あるけど、「ないぞ?」 自分でもわかっているが。

下手に動揺すれば、それこそイエスと言っているようなものだ。ごくん、と唾を飲み込んで、「屋敷のお姫様だからな。気をかけるのは当然だよ」「あら、私も姫ではありますけれども?」「いやナタリア、きみは……」 どう言えというのか。

背中の後ろではニヤニヤとメガネをなおす三十路の姿が、目に見えるようだ。「だからなー!」 妙に茶化すような空気になっている気がするのは気のせいだろうか。下手な言い訳を重ねようとしたとき、あーあ、と腕を頭の後ろにまわして、ため息とあくびを合わせたような声がきこえた。
「ガイはむかしっからあいつに甘いんだよな。アニキかなんかかっつーの」

一瞬、拍子抜けしたような空気になった。
初めからどうでもよさげとばかりにこちらに視線を向けていたティアと、てこてこ小さな足を動かしていたミュウが、お腹のわっかを触りながら首を傾げている。それ以外の自身に集まった視線に、まごつくように口元をひねったルークが、「な、なんだよ」「いや」

別に、慌てる必要なんてどこにもないのだ。
「小さいときから知ってるお嬢様だからね。俺にとっても、可愛い妹みたいなもんなんだ」
「……も、ってなんだよ」
「別に深い意味なんてねえけどな」
「だから、も、ってなんだよ!」
「大声出すな、遺跡が崩れるぞ」

ぎゃあぎゃあ騒ぐルークの背中をお返しとばかりにひっぱたくと、あなた達、静かにしなさい、と巨乳の美人に怒られた。悪い悪い、と軽い調子で手のひらを振って、まあそうだな、と一人で勝手に頷いた。好きであると、他の言葉にする必要なんてどこにもない。

別にこれは、俺一人が知っていればいい話だ。



   ***



ぱちん、と目を覚ました。「…………あ……」 見覚えが無い天井を見上げて、ここはどこだろう、と考えたのは一瞬だ。なんだか少し、寝ぼけていたらしい。ガイさん達は、ザオ遺跡に旅立った。けれどももうすぐ帰ってくる気がする。
怪我はない。六神将と対決したものの、導師イオンを見事に連れ帰り、熱い砂漠の道を踏みしめて、もう少しで帰ってくる。そんな夢を見たような気がした。ただの自分の願望かもしれない。でも、なんとなくそうなるような気もした。

シーツを恐る恐るめくって、ベッドの上にちょこんと乗る自分の両足を見つめた。唾を飲み込みながら、ゆっくりと親指を動かすように力を入れる。ぴくり、と震えるように指が動く。「うごいた……」 よかった、と息をついた。ナタリアさんの言うとおりに、ぐっすり休んだからだ。

そのままじわり、じわりと力を入れて足を持ち上げ、ベッドの下に下ろした。シーツに手のひらをついて支えにしながら立ち上がった。素足のままぺとんと床に乗っかる自分の足を見下ろし、ほっぺが自然とほころんだ。ぺとぺと、とじわりと熱い床の上を歩く。(外に行こう) ガイさん達が帰ってくる。だから、外で待っていよう。

ぱたぱた慌てて体を動かすと、ふと移動している丸椅子に目がいった。寝入ろうとしたそのときは、確かにベッドの近くにあった気がしたのだけれども、気のせいかもしれない。なんとなく視線を上げた。壁には大きな鏡がひっかかっている。「……え?」 黒髪の女性がいた。部屋の中に、誰かがいるわけではない。
私だ。

「…………え?」
瞳を瞬いた。もう一度見て見れば、ただの赤髪と、見覚えのある翠目だ。
首をかしげながら、私は靴を履いて、扉を開けた。部屋の外は、かんかんの日差しが落っこちてきて、ほっぺがじわりと熱くなった。きっと、もう少しでガイさん達は帰ってくる。










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2013/06/15