そわそわと両手を合わせて目の前を見た。まだだ。でももう少し。夢で見たからだろうか。導師イオンを連れて、砂漠の大地をさくさくと踏みしめながら、彼らが帰ってくる。誰も怪我なんてしていないし、もう帰ってこない、なんてこともない。不思議なことに、私は全然心配なんてしていなかった。ただ、少しの不安があるとしたら。
(さっき、変なふうに鏡が映ったけど……)
まさか、瞳が捉える色合いまで音素が足りなくなると変わってしまうのだろうか? そんなことは聞いたことがない。気の所為だろう、とまた両手をすり合わせる。

じわじわと鉄板の上のような暑さだ。宿屋から白い布を借りて、頭に乗せる。暑さもあるけれど、私の髪の色はどうにも目立つ。「…………あっ」 勝手に、嬉しげな声が口から漏れてしまった。慌てて口元を塞いだのに、つま先立ちで、ぴょんぴょんと向こう側を見つめてしまう。
帰って来た。
「お、おかえりなさいっ……!」




   ***




「……それで、なんでが外で待っているんだ?」
「あの、その、元気になったので……」
「きみはついさっきまで、体も動いていなかったんだぞ? ちゃんとわかってるのか?」
「でも、元気に、なったんです……」

でも、でも、と言葉をくりかえして、しょぼくれる自分の姿を考えると恥ずかしい。言い訳を繰り返すものの、実際のところガイさんの言い分が正しいことの方がわかっている。「……ごめんなさい」「うん」 への字みたいに口元を怒らせたガイさんの前で、しゅんと小さくなった。はやく会いたかった。それだけしか考えていなかった。ナタリアさんに指摘を受けたばかりだったのに。

ただでさえ、彼らは今疲れているに違いないのに、こんなところで押し問答をしている場合じゃない。
「本当にごめんなさい。でも、導師イオンを連れて帰ってこられたんですよね。よかったです」

じりじり照る日差しの影に入るように移動をしながら、本当によかったと胸をなでおろした。緑髪の優しげな瞳をした少年がこちらを見てほてりと笑った。「お久しぶりです、、でしたね」「覚えて頂いて光栄です」「ご心配をおかけしました」

以前顔を合わせた際は、あまり長く会話をしなかったのだけれど、腰の低い少年だ。ほてほてと柔らかく笑っている。「ほんとですよ、イオン様ったらもう! 気づいたらさらわれちゃってるんですもん!」 今回も六神将のやつらが出てきて大変だったんですから! とぬいぐるみを抱きしめたアニスさんの言葉に、なるほど、と頷いた。(やっぱり)

砂漠の遺跡の中で、イオン様は彼らにとらわれていた。
烈風のシンク、黒獅子ラルゴ、そして     (……あれ) それって、誰だったっけ?
六神将とは、噂程度には耳にしたことがある。けれども、総長であるヴァン師匠以外、顔なんて知らない。どこかで見かけたのだろうか? いや、ほいほいとおいそれと姿を見せる人たちでもない。私が知っていることと言えば、六神将の一人がルークさんと似ているということだけ。(しっかりと分かる)

なんでだろう、と口元を抑えて考え込んでいると、「どーしたんだよ」 ルークさんの影が覆いかぶさった。「……え、いえ」「まだふらついてんのか?」 ガイさんがちらりとこちらを振り返る。思わず首を振った。「まさか! そんな! 元気です!」 宿屋のドアをくぐりながら元気ですよ、と大きめに一歩を踏みしめる。本当に大丈夫だろうか、と自分自身一瞬不安になったけれど、案外問題ないらしい。昨日までとはウソのように体が動く。「ふーん……」

「ま、あんま無理してもっかいぶったおれないようにしろよ」

ああ、疲れた疲れた、といいながらルークさんはとっていた宿屋の部屋に戻っていく。もう一回、言葉を頭の中で繰り返した。(怒られたんじゃない) うぜえ、とルークさんはよく怒る。でも、さっきのは違う。ちゃんと話してくれた。じわじわ、と嬉しくなって両手で胸を押さえた。

「はいはい、さっさと進みませんと通行の邪魔ですよ」
「あ、はい、すみません、ジェイドさん……!」
喜んでしまっても、いいのだろうか。



食事の席はどちらかと言えば気が休まらない時間だった。
できることなら、すぐさまケセドニアに向かい、それからアクゼリュスへと親善大使の任を遂行するべきなのだろうけど、体力の消耗があるし、その上夜の砂漠越えは難しい。ルークさんに、ジェイドさんに、イオン様。分かるひとが聞けば一発で分かる名前な上に、さらには各国の要人が勢揃い。気を抜いてきゃっきゃとご飯に勤しめるわけもなく、かと言ってこんな大人数で、無言で粛々とご飯を食べるわけもなく。

私はと言えば調子に乗ってルークさんに話しかけ、たまに相手をしてくれることに喜びを噛み締めつつ、ついでにスパゲッティーを噛み締めた。たまにガイさんと目が合う。呆れられてしまっているのだろうか。ふいと視線を外されてしまった。

、食事の後で結構ですが、少しお話が」

そんな中で、メガネの奥の瞳をこちらに向けて、一つ、お誘いをいただいた。



***



「私はと、と言ったのですが、なんであなた方がいるんでしょうねえ」
「なんで、と言われてもね。彼女はうちのお姫様だからな。一応ルークに次いで護衛の任務も承っているもんでね」
の音素についてなのでしょう? 私も彼女の音素の使い方には、常々疑問を抱いておりますの」

スパルタの匂いがした。ベッドに腰掛けながら、何故あなたは音素を扱うことができませんの、気合が足りませんわ、と拳を握るナタリアさんの姿を思い出し、話が始まる前になぜだか小さくなってしまう。「何故すでに萎縮しているのですか?」「す、すみません……」 譜術が下手ですみません……。

「一応私は軍人ではありますが、ある程度音素についても学は修めさせてもらっていますが、どうにも奇妙なもので。そもそも、あなたの譜術は独学ですか?」

ある程度自分で本を読んで、というところはあるけれど、私はルークさんのように進んで剣術や戦いを教わりたいとクリムゾンに主張したことはない。だからこそ、必要最低限、それ以上となればナタリアさんに教えを請う、といった流れに近い。こくり、と頷く隣で、「ある程度は私が」とナタリアさんが静かに頷いている。ガイさんは腕を組んで壁にもたれかかっているだけだ。

「なるほど。まあナタリアとは素養が違うでしょうから、多少の差異はあるでしょうが……それにしても、ねえ」

ふむ、と頷きながら、ジェイドさんがふいと私の手のひらに指を伸ばした。「……おい?」 握る。「おい」 にぎにぎと。「おいおいおい」「ガイ、うるさいですわ」「いやしかしナタリア様、これは、その……よくないでしょう」「私のことはナタリア、と呼ぶようにと言っているのにもうお忘れになって!?」「い、いえ、その、それは、その、長年の癖が」 あちらもあちらで何か勃発している。

「ふむ……これは……ふむ」

なんだか少し心臓に悪い。なんでも見透かされているみたいだ。部屋の端で、ほわりとランプのような形をした音機関が揺れている。ファブレ家の音機関はもう少し色合いに安定感があった。やはり違うものなのだな、と当たり前なことに頷くほどには箱入りに育ってしまった。こんなことなら、もっと外に出ておけばよかった。それこそ、譜術の修練に励むべきだった。とても今更になってしまうのだけれども。「よくわかりませんねえ」 がくり、と肩を落とした。

「まあ私は預言士ではありませんから、適正をはかることもできませんし。ただまあ、問題は音素の量でしょう。前回、使いすぎてしまったとのことですが、ある程度自身の量を把握することはできましたか?」
「は、はい」

まだしっかりと言うわけではない。けれども、倒れる直前にいけないと思うラインがあった。あの感覚が間違っていないのなら問題ない。「よろしい」 ジェイドさんは頷きながら私から手を離した。「通常体の成長と共に音素の保有量は増えていくものです。ただし筋肉と同じく、使わなければ大きな伸びはない。それ以上に衰えてく可能性もある。今後日常で少しずつ使用して保有量を増やすこと程度は可能でしょう」「……わかりました」

少なくとも、この旅の間については意識的に使用すべきだ。そういう忠告だろう。「前回は敵もいない上に、街が目前だったことは運がよかった。次回もこうとは限りませんからね」 深く頷いた。「まあでも、案外動けばしますのね。もう少し動けないものかと思っていましたけれども。意外でしたわ」 くすりと笑いながらのナタリアさんの言葉に、「本当ですか?」 パッと顔を上げてしまった。

「ええ、さすがファブレ家の血筋ですわね。あなたの出不精は、ただの性格なのだとこれではっきりしました。キムラスカに戻りましたら、まずは弓矢からですわ。みっちりしごかせていただきますわね」

笑顔が辛い。
「……あの、ナタリアさん、そういうものは、その、いきなりはよくないので、せめて、譜術から……」
「さてっ、腕がなりますわ。私、ランバルディア流アーチェリーのマスターランクを修めておりますの。ビシバシ、いかせていただきますわ」
「なんですか!? まさかナタリアさんから直接ですか!? まさかそうなんですか!?」

ナタリアさんは意外にも力持ちなのである。いやここまで来るとまったくの意外ではないかもしれないけれども、体育会系なのである。「そ、そのお話は、また今度ということで……!」 必死の処世術だった。ジェイドさんと言えばジェイドさんで、じっと手袋越しの自分の手を見つめているし、ガイさんはと言えば壁にもたれかかったまま何かを考え込んでいる様子だった。

ドアの外の廊下ではドタドタと楽しげな足音が聞こえる。「ミュウ〜〜〜待て〜〜〜!!!」「アニスさん、怖いですの、怖いですの〜〜!」「あたしのイチゴ食べたでしょ〜!? ゆるさーーーん!!!」「ごめんなさいですの〜〜〜!!!!」 賑やかである。


けれども、時間は進んでいく。この砂漠を抜ければ、ケセドニアだ。それからすぐにまた次の目的地に進んでしまう。もう一度ガイさんを見た。彼はやっぱりひどく考え込んでいる様子だった。(わけもわからず、こんな所まで来てしまった) 今更ながらに、自分でも驚いた。
翌朝、予定通りに砂漠越えを行った。今度はこの間よりも上手く音素を扱えている気がする。苦しくなる前に一旦やめて、息を切らして早歩きで歩く。「、俺の背中の影に入ってくれ」 ふと、ガイさんがそう言った。

彼が驚かない距離で私はガイさんを見上げた。大丈夫です、そう言おうとした。ガイさんは私に帰ってほしいと思っている。「すくなくとも、砂よけと暑さよけにはなる。影に入るくらいなら、驚く距離でもないし……」 お互いチリチリした太陽の下で瞳を合わせた。「これは、きみだから言っているわけじゃない。、きみはこの中で一番体力がないんだ。低いものに、高いものが合わせることは、旅において当たり前のことだ」

わかるだろう、と静かに言葉を落とされた。少し、足元に目線を落とした。それから小さく頷いた。「よし」 ガイさんは背中を向けて、少しずつ進んでいく。「速かったら言ってくれ」 彼は今、どう思っているんだろう。仇の娘に背中を向けて、こぼした汗を腕で拭う。「ガイ、おせーぞー!」「わるいわるい」 そうして、なんでもないように、笑っている。

苦しくなった。




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ちなみにイオンも体力がないけどトクナガとアニスががっちり守っているので問題ない

2016/10/25