「……ひどく、騒がしい人たちだった……」
と、いう言葉は、とてもオブラートに言葉を包んでいた。
ケセドニアに建設されたマルクト領事館にて、彼女はふと息をついた。騒がしい、とは面倒な、また関わりたくないと感じた率直な気持ちを自身の立場を慮り、飲み込んだ上のセリフであった。グランツ謡将がすでにこの港から発ったことを告げると、親善大使であるという少年がひどく立腹した様子であったから、次の出港をとにかく早めたのだ。
無茶をまとめた仕事のあとであったから、様々なすべきことが山積みとなっていた。
さらに、カースロットだかなんだか、ダアト式譜術やらと、関わり合いになりたくないものは、早く消えてくれるに越したことはない。

「失礼します、さきほどからキムラスカ側から鳩が届いております」
「……キムラスカから?」

あまりにも切羽詰まって準備を行ったものだから、報告が遅れてしまったようだ。頭を抱えながら言葉を促す。「送り主は?」「ファブレ公爵とのことです」「……ファブレ?」
嫌な予感がする。


     ファブレ公爵家長女、・フォン・ファブレを即刻キムラスカ側に引き渡すべし。アクゼリュスへの渡航の阻止を願う。


「…………」
頭が痛くなった。
親善大使はファブレ公爵家の長男であったときく。彼とよく似た赤髪の少女が海の向こうへと消えていくさまを見送ったのは、つい先程のことだ。「……とっくに、行ってしまいましたよ」

あくまでもここはマルクトの領事館だ。貴族と言えど、キムラスカの人間からの強制力はない。ただ、すっかり見逃していました、というのは言い訳にもならない。
なぜ、親であるファブレ公爵が、少女のみに対して通達を行っているのか。彼女にとっては預かり知らぬ話である。
ただ現在は、鳩に持たせる文に、一体どう返答すればいいのかと、ただそればかりに頭を悩ませた。



***



大丈夫と。彼にそう言ってもらうと、ふと安心していることに気づいた。そんなわけがないのに。大丈夫なわけない。そう思ったから、私はここまでついてきたのに。
としての初めての船旅はすぐさまに終了し、カイツールの軍港に到着した。着々とアクゼリュスが近くなる。途中、六神将に連れ去られたイオン様を助け、行動をともにすることにはなったが、あのときの夢のようなものにつながる断片は、未だに見つけることができなかった。

懐にしまい込まれた、ガイさんからもらったナイフを撫でた。硬い感触に安心して、頬が緩んだ。「……? どうかいたしまして? 初めての船出ですものね、疲れも出てきたのかしら」「あ、い、いえ! 大丈夫です!」 元気いっぱいです! とナタリアさんに向かって大げさなくらいに胸をはると、「そんなに大きな声でなくとも聞こえます、落ち着きなさい」 怒られた。

     アクゼリュスとは、鉱山資源を排出する街とのことだ。

だからこそ、キムラスカとマルクトの間で奪い、奪われを繰り返してきた土地といえる。現在はマルクト領であったが、過去はキムラスカの領土だった。キムラスカ側からの街道が整備されているのはその理由である、というガイさんやナタリアさんの話をききながら、なるほど、と私は頷いた。
そこまで詳しいわけではないけれど、上質な鉱山を排出する街を保有していることは、大きなアドバンテージだ。お互いがお互いこちらの土地と主張するのは無理ない。
今回の親善大使としての任務に、そのあたりももしかしたら絡んでいるのかもしれない、と感じるのは深読みだろうか。うまくいえば、現在はマルクトに所有されている鉱山の一部をこちらに流してもらえるように、とか。
(……やっぱり考えすぎかな)

それをなぜルークさんが行く必要があるのだろう。預言に詠まれていたから、と言われると、もとは預言に馴染みのない日本人としては納得いかないが、キムラスカ人と産まれた“”としては理解ができる。ただ予定されていた未来なら、何故ルークさんを屋敷の中からも出さず、縛り続けていたのか。
いくら過去の誘拐事件やティアさんと発生し合った超振動の力が危険だったからと言っても、極端すぎる。旅をするのだから、それなりの準備ができたはずなのに、ルークさんのお勉強と言えば日常会話に動作、そしてルークさんが好き好んだ剣を振るうこと。そのくらいで旅についてやこの国の情勢などもすっからかんだ。
ざり、と進めた歩が、足元から音をたてる。

(……まるで、ルークさんが、そこに着きさえすればいい、みたいな……?)

そのときのルークさんが、怪我をしていたとしても、どんな状況でも、問題ない、みたいな。

「何を考えているのかは知りませんが」
足元がおろそかになっているのはいただけませんねぇ、と背後からかけられた声に、肩が跳ね上がった。「えっ、あ、はい、え、ジェイドさん」「旅に慣れていない。その事実は理解できますが、その分思考すべき頭はあるでしょう。あなた一人なら問題はないのですが、こちらは大勢引き連れていることですし」 言われた言葉を噛み砕いて、辺りを見回す。もうすぐデオ山脈に差し掛かる、という内容は先に歩いていたナタリアさん達の会話で理解していた。
市街から離れれば、それだけ魔物が出現する可能性が高いということは、ガルディオス家にいたころ、ペールさんや他のメイド達から口をすっぱく注意されたことだ。
そんな中で自分の思考に集中してぼうっと歩き続けている。一人きりなら自身の責任だが、こちらはそうではないことはわかっていますか? そんな意味だ。

自分自身のこともままならないのに、何をしているんだろう。かっと頬が赤くなる。ついさっきまでは海の上、その前は砂漠の中を歩いていた。そこから随分進んだのだ。それなのにいつまでもお屋敷の中にいるようなお嬢様のつもりでいては仕方がない。

「すみません、理解しています、気を、つけます……」
「謝罪がほしいわけではありませんよ」

掴みどころのない人だ。底がしれない、というべきなのだろうか。メガネで多少はごまかされているが、その下の瞳はひどく鋭い。「ところで、あなたは何が目的なのですか?」「え」 問いかけられた。何を聞かれたのか、よくわからない。先頭ではルークさん。どうしても先々と動いてしまうルークさんを宥めるようにガイさんがその隣に。ナタリアさんとティアさんは会話が少ないながらもその後ろに。どうしても動きに差が出てしまうイオン様と私が真ん中で、イオン様の護衛であるアニスさんはその隣。しんがりはジェイドさん。そのジェイドさんが、私の隣まできているということが、そもそもおかしかった。

日常会話のように、ぽん、と話しかけられたから、そのまま会話を続けてしまいそうになった。「目的ですか」 でも何を言うわけにもいかず、オウム返しになった。「はい、そうです。どうにもナタリア王女のように、“民のために”と言う目的とはピンと来ないのですよ。まあ彼女もそれだけが目的ではないようには感じますが」

返答できる言葉もない。「彼女とは違い、旅に慣れているわけではなく、魔物との戦いができるわけでもない。イオン様が同行されている分、目立って足を引っ張っているというわけではありませんが、できる以上のものを無理になさる性格にも見えません。と、するとどうしても疑問しか浮かんでこないのですよ」

つまりはそれ相応の能力しかないことをわかっていて、分をわきまえているお嬢様のくせに、と言いたいのであろう。さすがの嫌味くらい理解できる。言っていることは何も間違っていない。
夢で見たから。
そう言えたら、どんなにいいだろう。彼は笑い飛ばすだろうか。それとも、その知恵を貸してくれるのだろうか。ジェイドさんに相談するということは、すでに何度も考えたことだ。少なくとも、私一人が抱え込んでいるよりは建設的な答えが出てくるような気がした。
ただ、その度に否定した。信用してもらえるかという問題以上に、ヴァン師匠を疑っている、と私が言葉に出す意味くらいは理解しているつもりだ。私としてではなく、・フォン・ファブレとしての意味は。下手をするとダアトに対してファブレ家が敵意を持っていると捉えられかねない。唇を噛んだ。

適当な誤魔化しが通じる相手ではないことはわかっていた。口元を覆い、足元を見つめる。「先程もお伝えしたばかりかと思いますが」 顔を上げた。なんのことだろう、と考えて気をつけろと言われたばかりであることを思い出した。ジェイドさんは、ちらりと草原に目を向けていた。小さな獣のような魔物がちらりと頭を見せて、目が合うと驚くように消えてしまった。弱い魔物だったんだろう。

「……まあ、私が想像できる可能性としては一つきりなのですが、念の為に確認させて頂いただけです。あなたとガイの関係は、ある程度想像はつきます」
「えっ」

なぜ、という言葉が出ない。なぜ彼が、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスである彼のことを知っているのか。そして私との関係を。慌てて視線をそらした。じっとこちらを見つめる瞳が恐ろしかった。「まあ、若いということなのでしょうか。勢いで行動させるその勇気は、私にはありませんねえ」 無謀なことだと言いたいのだろう。その通りだ。「甘酸っぱいと言いますか、こちらはあてられてしまうといいますか」 なんともかんとも、と額に指をあてながら、ふるふると首を振る男を見上げた。何か違う気がする。

「あの、それは一体、どういった意味で……?」
「どういったと言われましても」

ふむ、と彼は首を傾げた。ごくり、と私はつばを飲み込んだ。そして、「あなたとガイは、いわゆる恋仲と言うものなのでは?」 人差し指を、ぴんと伸ばして微笑んでいる。静かな風が吹いた。

「あ、まったくもって違います」
なぜそうなりましたか。というか最近、その勘違い多いです。


***



否定はしていたのは知ってはいましたが、嫌も嫌よも好きのうちなのかとハッハッハと笑う彼を見ていると単純にからかわれただけなのでは、という疑問が激しくなった。一体なんなのだろう、とため息が出て、そのあとは力のない会話をしてしまった。

疑問に感じていたことは、あの夢の中で唯一の存命者はヴァン師匠のみだということ。アクゼリュスが落ちた。その言葉のみが屋敷の中を駆け巡っていたが、それがどういう状態なのかということを理解できていたものはいなかった。何度も考えて、“落ちた”と言う言葉から、攻め落とされたのではないかと、私は解釈していた。その中で、ヴァン師匠のみが生き残る、ということは彼がアクゼリュスに敵を呼び込んだ……と、考えて、敵って誰だろう、というかそんなのことって可能なの? とまた自問自答にはしってしまう。

「アクゼリュスが、一夜にして滅ぶ、なんてことはありえますか?」
なのでジェイドさんに感じた疑問をふってみた。ふむ、と彼はあまり変わらない表情のまま頷いて、「どうでしょうか。鉱山ですからね、ある程度の規模もありますし、強力な譜術を街ごと一発……というのは少々現実的ではない。ただ閉鎖された空間、かつ現在は瘴気が充満しているということから、出入り口を塞いでしまえば一夜にして、ということは難しくとも、それに似つかわしいことは可能でしょうねえ」

なので今回の任務として一番の優先すべきことは、住人の避難というわけですが、と彼はメガネのつるに手をかけながらまるで論文でも読むように話した。つまりそれが悲劇の回避につながるのだろうか。

そうこうしているうちに、どんどんアクゼリュスが近づいてくる。
見渡すかぎりの野原で、足元はぽつぽつと雑草が生えた道をずっと進んでいたのに、気づけば足元は整備された街道に変わっていた。そのおかげでいくらか歩きやすくなった。デオ山脈と呼ばれる地形にたどり着いたころにはすっかり日が暮れていた。暖をとって休憩し、食事をする。ずっと以前にはいつもまな板を使って包丁を握っていたのに、今となってはすっかりだ。でも何度も彼らの料理を見ているうちに、だんだんと思い出してきた。

食事作りを立候補し、胡乱な仲間たちの目が背中に突き刺さって苦しかったけれど、なんとか手順を頭の中から引っ張り出しながら、ナイフを動かす。「あれ? ……様、なんか手慣れてない? です?」 道中のルークさんやナタリアさんの手際から、任されたと言いながらも見張られていたのだろう。苦笑した。「みなさんの作り方を覚えただけです」それよりも、と。「アニスさん、別に私自身がなにをできるわけではないので、敬語は気になさらないでください」「あっそーお? んじゃ気にしないどこーっと」

って、意外と女子力高いんだねえ、お嬢様なのに、いやお嬢様だからー? とニヤつきながらナタリアさんの周りを歩く彼女は、案外仲良しなのだろうか。すぐさま言い合いに発展し、たまらずルークさんが頭をひっかいてやめろと叫んでいたのだけれど。

出来上がった夕食は、自分でも悪くはない出来だったとは思う。お椀の中にビーフシチューを流し込んで、どうぞと声をかけると、ガイさんが大きな手のひらの中の椀をじっと見つめて、何度も、「これは食べてもいいのか」と問いかけてきた。そんなに味付けが不安だったのだろうか、と悲しくなって頭を落とすと、「いや違う、ほんとに違う。食べる、食べるに決まってるよ」「……いやあんたらなにしてんの?」「アニス、ツッコミは野暮というものです」 ふう、とジェイドさんが首を振りつつ瞳を閉じる。癖なのだろうか。

食事の間も、ルークさんはうわ言のように「ヴァン師匠のところに行かないと」と繰り返していた。「砂漠なんかで、寄り道なんてしなけりゃよかった。俺さえいれば、戦争になんかならないのに」「馬鹿なことを言わないで」とピシャリとティアさんに説き伏せられていたが、気が気でなかった。同じものを食べて、同じ場所で寝て。そうすればある程度気心も知れてくるはずなのに、ギスギスと気まずくなるばかりだ。

ルークさんは、嫌いなミルクもいれずに、ニンジンもいれずにビーフシチューを作ったのに、まるでストレスの塊を飲み込むかのように胃の中に流し込んだ。寝て、明日になれば、アクゼリュスにたどり着く。
知ることができたらいいのに。

これから彼らに何が起こるのか。知ることができたらいいのに。
焚き火が弾ける音を、寝袋の中で聞いた。ゆっくりと瞼を閉じる。静かにまどろんだ瞳の向こう側で、遠く、どこか遠い洞窟の中に響くような、そんな音が聞こえた。


     愚かな、レプリカルーク


そんな、声が。






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2018/09/16