愚かな レプリカルーク





遠く、ひどく遠い場所から囁かれた。けれどもつい先程のことのように、はっきりとその声は耳に残っている。ハッと目を覚ました。焚き火が弾ける音が聞こえる。ひどい汗だ。薄い寝袋で眠ったから、暑いはずもないのに。

、どうかしたのか?」

火の番をしていたガイさんにそっと、声をかけられた。もたれかかった木の幹からこちらに近づき、ほんの少しの距離を作る。気使わしげな声に、申し訳ないと首を振った。私は彼のように、番をすることができない。それなら少しでも睡眠をして、次の日に支障がないように、そうしないといけないのに。明日にはとうとうアクゼリュスだ。

なのに、どうしても、どうしてもあの奇妙な声が気になった。これから何か起こるのか、知ることができたらいいのに。そう願いながらとろとろと瞳を落としたとき、ふと、響いたのだ。(あれは……) 覚えがある声だ。(確かに、ヴァン師匠の、声だった)

私が彼を訝しむ気持ちから、夢にまで出てきてしまったのだろうか。そうなのかもしれない。でも胸騒ぎがした。周囲を見渡すと、ルークさんも、ナタリアさんも、みんな静かに寝息を立てている。もしかするとジェイドさんは起きているのかもしれないが、そっと小さな声で囁やけば、聞こえないかもしれない。

ガイさんに、言ってしまおうか。

もしかすると、ガイさんなら信じてくれるかも。
いや、信じることは難しいかもしれない。なんていったって、私自身がよくわかっていないのだから。でも、少しくらい気にかけてくれるかもしれない。
何度も考えて、首に振ったはずなのに、アクゼリュスが近づくにつれ、不安ばかりが大きくなる。そうだ、言ってしまおう。可能性の一つとして、伝えればいいだけの話だ。

「あの、ガイさん、少し、お話が……」
「ん?」

もう少し、近くに寄っていただけませんか? と伝えると、彼は不思議に首を傾げながら、彼は彼にできるギリギリの範囲で近づいた。「どうしたんだ?」「あの、大切なお話が」「大切」 そうガイさんは言葉を繰り返して、眉根を寄せる。小さな焚き火の明かりで、彼の顔がよく見えた。ふと、ガイさんはハッとした顔をして、「い、いやいやいや」 両手を振ってそのままの形で後ずさった。気のせいか、顔が真っ赤だ。

何だと思ったんだろう、とこちらも不思議に見つめると、彼は「いやそんなわけなかった」と一人で呟いていそいそと近くに戻ってくる。「あの……?」「いや、気にしないでくれ」 願望だった、と口元が動いているような気がするけど、それはまあいい。ごくりと唾を飲み込んだ。

「あの、この先、アクゼリュスで……」

言葉を言い終わりもしない瞬間、金属が弾ける音が聞こえた。一体何の音だろう、と慌てて確認をしたとき、ジェイドさんが飛び起きた。え、ええ、と首を振っている間にも、ガイさんは私の前に剣を構えて飛び出す。「ルーク、イオン様、起きなさい!」 ジェイドさんが名指しなのは、彼ら以外、すでに形となって、円を組んでいるからだ。アニスさんのトクナガがぶんぶんと腕を振って気合を入れて、ティアさんが、すうっと息を吸い込んだ。わずかに遅れてナタリアさんが寝袋近くに置いてあった弓を取り出し構える。

「な、なんだってんだよ」
「みゅ、みゅみゅ〜〜??」

ルークさんが目元をこすって起き出す間に、私も慌てて寝袋から飛び出した。その間にも、細い金属の音が幾度も虚空を切り裂いていく。攻撃されている。でも誰に? 魔物ではない。明らかに、こちらの不意を狙っての攻撃だった。イオン様が神託の盾の一部の派閥に狙われていることは知っている。けれども、人相手の戦闘は初めてで、ひどく耳鳴りがした。

怖いと思う気持ちに蓋をすることができない。両手を合わせて、はあはあと重たい息を繰り返す。暗闇の中、そのまま瞼さえもつむってしまいたい。ひどくぐらつく。ふとそのとき、彼の背中が見えた。大きく育った、少年の背中だ。ガイさんが、私の前に立っている。

そう思うと、次第に呼吸が落ち着いてきた。いや、落ち着かせねばと荒く吐き出す息を必死で飲み込んだ。こんなところで足手まといになるためについてきたわけじゃない。

「この、攻撃は……」

ティアさんの声だ。「あなたですね、リグレット教官!」

音が止んだ。
そして、彼女はそっと影の中から、姿を表した。一歩一歩、静かにこちらに進んでくる。金の髪の、綺麗な女性だった。両手には銃のような武器を握りしめている。

「この世界は預言に支配されている。何をするのにも、預言を詠み、それに従って生きるなど、おかしいと思わないか?」

ティア、こちらに来なさい。そう彼女は、そっと片手を差し出した。



***



あちらは明らかに対人に慣れている。ジェイドさん達もそうだが、彼はアンチフォンスロットを受けているし、ガイさんやアニスさんに飛び道具は不利だ。ティアさんは歌を詠った。それが彼女の武器だ。初めに屋敷に侵入し、ルークさんと消えてしまったとき、屋敷中の人間すべてを眠ってしまったのは、この彼女の歌のせいだ。とは言っても、使い勝手は限られるし、今は補助に回っている。
唯一、ナタリアさんが弓をひき、幾度もしなった弓弦を揺らしたが、的が小さすぎた。


敵はあまりにも地の利を生かしている。暗闇に隠れながらも、一定の距離を保ち、銃を撃ち続ける。こちらも逃げようにも、どこに逃げればいいかもわからない。彼女、リグレットと呼ばれる女性は、ティアさんの教官であり、六神将の一人らしい。ならばイオン様を狙っているのかと思いきや、彼女の目的は別にあるようだ。ルークさんを出来損ないと呼び、預言を否定する。そして、私達がアクゼリュスに行くことを拒んでいる。

だから、姿を表した。
闇討ちする気なら、さっさと距離だけあけて撃ち続ければいいのに、そうしなかった。彼女は預言がいかに狂っているか説き、ティアさんにこちらに来るように声をかけた。それを跳ね除けられた瞬間、「わかったわ。では力づくでもお前たちを止めてみせる。その足を地面に縫い留めれば、動くこともままならないでしょうから」と一つ呟き、すっと姿を闇に溶け込ませた。

それから動けもしない攻防の中、せめてものティアさんの譜歌で、なんとか踏みとどまっている。ときおりジェイドさんが彼女と言い争う声が聞こえるが、こちらも必死だ。ところどころの単語しか聞き取れない。
各個人が狙われるようにと散り散りになっている間にも、イオン様をかばっているため、動くこともできず、的の大きさからもトクナガが削れていく。銃弾が響き、彼の布と綿が弾け飛んだ。やだ! とアニスさんの悲鳴が聞こえた瞬間、震え上がっていた両手を合わせて瞳を閉じた。

!? 動きなさい、狙われますわ!」
「ナタリアさんも、みなさんも中心に集まってください!」


     足りない技力や体力は、仕方がありません。今更どうこうなるものではありませんわ。けれども、それを補うために何をすればいいか。それを考えることは、いつでもできることでしょう



彼女に言われたことだ。私にできることは、足手まとにならないように逃げ回ること。そして譜術にもならない、第三音素 第四音素の風と水の二つだけ。思いついたことがある。広範囲に第三音素を駆け巡らせた。彼女、リグレットは、ただ無闇矢鱈に乱射をしているように見えて、そうではない。精密な射撃を行っている。ティアさんだけは怪我のないようにと、譜歌を使う中、満足に動けない彼女を避けて、確実に私達を狙っていた。     そして、とりわけルークさんを。

私の長い髪が少しずつはためく。すぐさまジェイドさんは理解した様子で、私が叫んだ言葉を繰り返した。ジェイドさんの号令で、私を中心として集まる。ルークさんはガイさんが確保してくれたようでホッとした。

あえて乱雑に、第三音素を周囲にまとわせる。タービュランスでもなんでもない、つむじかぜになりかけた厚い風の塊だ。銃弾が撃ち込まれた。遅れて光よりも遅い音がやってくる。冷や汗が流れた。今度は第四音素をランダムに巻く。雨が降ったり、やんだり、かと思えば土砂降りになったり。予測ができなければ、できないほどいい。また銃弾が足元で弾け飛んだ。


     彼女は、とても精密な射撃をしている


そうしているからこそ、僅かな気候の変化でも、弾にブレができる。そして万一譜術も練り込まれている銃なら、周辺に漂わせた音素で、更に銃弾は鈍る。あえて、瞳は閉じた。万一狙われているとしても、今の私は逃げることもできない。怖くて、すくんでしまいそうになって、それならばと瞳を閉じたのだ。心臓の音ばかりが聞こえる。ざあざあと、自身が降らせる雨が頬を伝ってこぼれ落ちた。

(怖い)

心底怖い。今すぐに崩れ落ちてしまいそうだ。どこから狙われているかもわからない。次の瞬間には、心臓を撃ち抜かれているかもしれない。「」 彼の声がきこえた。「大丈夫だ、。目を開けてくれ」 薄く、瞳を細めた。

ぽたぽたと、彼の髪からも雫がこぼれている。「頑張ったな」 その声を聞いて、すっかり力が抜けてしまった。「おっと」 ガイさんが支えてくれたのだと思った。けれども違った。「泥だらけになりますよ」「ジェイドさん……」 地面はすっかりとぬかるみになってしまっていて、慌てて頭を下げてしっかりと立ち上がった。

伸ばしかけたガイさんの手は震え上がっていた。彼は口元を誤魔化したようにわずかに上げて、拳を握りながら内にしまいこんだ。




***




「無理とわかれば即座に撤退。敵ながら、見事な逃走ですねぇ」

と、ジェイドさんは呆れたように首を振っていた。それが彼の癖なのかもしれない。攻撃性がないからこそできた芸当だったと、どこか面白げな顔をしていたのは気のせいだろうか。さきほどはリグレットと言い争っていたというのに、雨に濡れて頭の方も冷えたのか、いつものジェイドさんだ。
焚き火はすっかりと消えてしまったから、キャンプは移動することになった。

なんとか誰も怪我をすることなく先に進むことができたのはいいけれど、びしょびしょなのはいただけない。「ねえねえ様〜! あたしの服、第三音素で乾かせちゃったりとか、もしかしてできちゃいます〜!?」「長く時間をかければできるかもしれませんが……その間に風邪をひいてしまうかもしれません……」

あちゃちゃ、と小さな笑い声が聞こえる程度には朗らかな空気になった。少しだけほっとした。結局丁度いい場所もなく、白んできた空を見上げて、そのままアクゼリュスに向かうことになった。わずかでも彼らの力になれたと思ったからか、気持ちが明るくなってくる。食事をとりながら、昨日よりは和やかにみんなと話ができているはずだと、胸をなでおろした。ふと、ガイさんと視線が交わった。お互いちょっとだけ笑った。ルークさんも、と見てみると、彼は相変わらずむっつりとして口数も少ない。

(どうしよう……)

ティアさんから確認したところ、六神将のリグレットは、ヴァン師匠直属である、忠実な部下なのだそうだ。ヴァン師匠、という言葉をきいて、また疑いの気持ちが深まった。あの妙な夢の声は、今も耳の奥で思い返すことができる。

ガイさん、と振り返ると、今日のところは彼がしんがりと務めているらしい。結局、彼にヴァン師匠のことを告げることができなかった。どんどんアクゼリュスは近くなる。焦る気持ちばかりが大きくなった。みんなの前で、わざわざ彼のもとに行くのも妙だ。今まで伝えるチャンスは、何度もあったはずなのに。

(そうだ、ルークさんなら……?)

彼はやっぱりずんずんと先に進んでいる。ヴァン師匠が待っているから。そればかりを繰り返した。でも、そうだ、そもそも、彼に伝えるべきだったのだ。なんで気づかなかったんだろう。こんなにもヴァン師匠を盲信している、彼にこそ伝えるべきなのに。歩幅を広げた。息を切らしながら、ルークさんのもとに向かう。「ルークさん!」 ちらり、と振り返った。でも彼は気づかないふりをして、どんどん前に進んでいく。「あの、ルークさん……!」

伝えなければいけない。アクゼリュスに、辿り着く前に。


     様、ルーク様たちは、みんな……


震えながら言葉を告げたメイドの声を思い出す。
あんな思いはもうしたくはない。涙を枯らすほどに声をあげ続けるシュザンヌを見ることが辛かった。けれども静まり返った屋敷が恐ろしかった。明日になることが怖かった。真実と信じたくもなかった。


「もし、アクゼリュスに行っても、ヴァン師匠のことを、信用しないでください……!」

ピタリと止まった彼の背中に安心して、言葉を続けた。「何かおかしいと思ったら、すぐに教えてください。私が無理でも、ガイさんや、他のみんなに。だから、絶対に」 みんな、無事で。そう言いたかった。でも言えなかった。「なんなんだよ、お前まで……!! いい加減にしろ!!」 突き飛ばされたのだ。


もう少し彼が小さなかった頃。ルーク兄様からルークさんになったとき、冗談のように両手を突き出されたことはある。それでもルークさんの方が私の体よりも大きくて、びっくりして、助けてくださいとガイさんに懇願した。けれどもいつの間にか、彼は私の方が小さくて弱いものだと気づいたから、拳を振り上げることはなくなったし、彼なりに気をつけていることに気づいていて、それが少し嬉しかった。


両手を地面につけて、ぽかんとルークさんを見上げた。彼は一瞬、僅かに後悔したような、そんな表情をした。けれどもすぐに眉を釣り上げ背を向け消えていく。「ルーク!!」 異変に気づいたのか、ティアさんが駆けつけた。その後ろにぞくぞくと続いていく。最後にはガイさんだ。いけない、と焦って立ち上がろうとして、手にも足にも大仰な傷ができていることを知って慌てて傷を隠そうとしたのに、頬もひりついていた。

、何があったの!? ルーク! 私にはあなたが彼女を押し倒したように見えたわ!」
「うるせぇな! こいつが悪いんだ!」
「待ってください、本当です。私が悪いんです!!」

ぞっとして、どんどんと頭が冷えていく。調子に乗っていた。あの譜術のなりかけのような技で少しくらい褒められたから、なんでもうまくいくと思っていた。考えてみたら当たり前だ。外に出ることを許されなかったルークさんの、唯一の楽しみはヴァン師匠と会うことで、彼は、ルークさんのもうひとりの父親のようなものだった。

そんな彼のもとを目指して、進んできたというのに。
なんで私はあんなことを言ってしまったんだろう。

どれだけ声を荒げても、誰も何も聞いてくれない。女性に向かって。ひどい。何が理由でも暴力を振るうだなんて。口々にルークさんを攻め立てる声を上げる。ガイさんにも止められない。落ち着いてくれ、とやっと彼の言葉が通った頃には、冷え込んだ空気だけが流れていた。イオン様だけが困ったように周囲に目を向けて、瞳をうるませるミュウを抱き上げた。


もともと険悪だった雰囲気は更におかしくなり、これをきっかけにして、アクゼリュスにたどり着くまで、誰も、何も話すことはなくなった。ただミュウだけが、時折返答のないルークさんに話しかけた。それだけだった。








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2019/11/15