障気が充満している。そして何より、“上”からこぼれ落ちた人々が押しつぶされ、曲がりくねった手足を抱きしめてところかしこに“転がっていた”
目を覆いたくなるような光景だった。鬱々とした空気の中、辺りはどこも紫紺に満ちていて、空は雷鳴が鳴り響いている。どろりとした濃度の高い泥のような液体が、まるで海のようにさざなみを作り、じわじわと押し寄せては消えていく。見渡す限りにはなにもない。
     海の中にも、幾人もの人間が沈んでいた。とぷとぷと音を立てて、静かに沈んで、消えていく。

私は、どこかでこういった光景を見たことがあった。

似たような姿だ。
あの日、ガイラルディア様の誕生パーティーだと嬉しげに飾り付けをしていたメイド達は、首を切り取られ、仲良く並んでいた。クリムゾンが持つ大剣が、深々とこの身に沈み込んだ痛みは今も忘れることはできない。

、前を見るんじゃない」

足元だけを見るんだ。気を失ったルークさんを抱え込んだまま、ガイさんがそう言った。あまり聞いたことのない彼の声色だった。目があったと思うと、また彼は苦しげな顔をして、こちらから顔をそむけた。ふと、自身の頬に手を伸ばすと、濡れていた。一体何に泣いているのかわからなかった。

彼らとホドを重ね合わせたのか、それとも、結局、何もできなかった自身を悔いているのか。時折、漏れる嗚咽を押し殺して進んだ。海の中に、戦艦が揺れている。タルタロスと呼ばれるそれは、元はマルクト軍が保有しており、神託の盾に拿捕されたはずのものだった。彼らはヴァンと共謀して、ティアさんを捕獲するために船を出していた。

空を見上げれば、小さな穴があいている。そこから吸い込まれるように消えていく雲のように見えるそれも、すべて障気なのだろう。私達は、穴から落ちた。数千のアクゼリュスの民とともに。


すべて、死んでしまったのだ。




***


ルークさんとイオン様が目覚めを待ち、私達はタルタロスに乗り込んだ。誰も彼も、少ない口数ながら、状況を少しずつ理解した。私達は、今、地下にいる。私達が普段生活している大地は外殻大地と呼ばれ、障気に大地が汚染され、2千年前、ユリアは滅亡から逃れるために大地を浮上させる計画を発案した。ティアさんはクリフォトと呼ばれる地下世界出身であり、ある程度の事情を把握している。そしてクリフォトから伸びる柱、セフィロトツリーが、外殻大地をおし上げ、今も大地を固定している。


けれどもその柱がヴァンの画策によって破壊された。そうして、アクゼリュスは地下世界に叩きつけられ、崩壊した。
ファブレ家の屋敷にいたとき、アクゼリュスが一夜にして滅んだとメイドからきいたとき、意味もわからず、ただ首を振ったのだけれども、文字通りの言葉だったのだ。おそらく、多くの人間にも理解ができず、曖昧な噂が屋敷の中を駆け巡っていたのだろう。

日本にいたときは音素なんてものはなかったし、この魔法のような譜術だって使うことができなかったから、私からするとそこまで抵抗もなく受け入れることができた事実だったけれど、ガイさん達は眉をひそめて、「見たからには信じるしかないが」とどこか言葉を濁していた。ティアさんの譜歌に守られながら、私達は自身が大地から下降する様をこの目で見たのだ。

イオン様ははやくに目を覚まし、周囲を見て、状況を把握した。おそらく彼もローレライ教団の導師として、もともとクリフォトの存在を把握していたに違いない。ただ、問題はルークさんだった。彼はイオン様から遅れて意識を取り戻し、ミュウは嬉しげにはねた。なのに、すぐさまルークさんはヴァンを探した。周囲の光景に困惑しながらも、ただヴァンだけを求めて、声を上げる様をみて、仲間たちの空気が、少しずつ冷えていく。

ルークさんは、ヴァンに利用されていた。

けれども彼はそれを信じようとはしない。ルークさんの第七音素     超振動を使用して、ヴァンはセフィロトツリーを破壊した。つまり、幾千もの人間が死ぬ引き金となったのだと、彼は知った。

「そ、そんなこと、知らねえよ。だって、誰も教えてくれなかったじゃないか。俺はただ超振動を使って、障気を消そうとしただけで……ヴァン師匠が、そうだよ。ヴァン師匠がしろって言ったんだ。だから、俺は悪くない!!!」

絶対に、俺は悪くない、と叫びながらタルタロスの甲板を力強く叩く。揺れる船の向こう側には、まだ岸が見える。つもり重なった死体が山のようにそびえていて、視界をぐらつかせた。「艦橋に戻ります。……ここにいると、馬鹿な発言に苛々させられる」 そうジェイドさんが告げた言葉を皮切りに、一人ひとり消えていく。何も声をかけることができなかった。甲板を幾度も叩きながら、震える彼の拳を見て、何も言えなかった。ルークさんは、理解している。ただあまりにも重くて、重すぎる結果を受け止めきれなくて、声を上げて、彼は泣いていた。





     ジェイドさん!」

こつこつと艦内を歩く彼を追いかけた。長い髪を揺らしながら振り向いた彼に、力強く叫んだ。「撤回を!!!」 いや、違う。そんなことを言いたいわけじゃない。なのに激情のままに喉を震わせて、言葉にならない心情を彼の瞳を睨むことで落ち着かせた。

ジェイドさんは飄々とした表情で肩をすくめて、「何のことでしょうか? まさか先程私がルークにかけた言葉について、今更ファブレのご息女様から、物申したいとでも? 事実をお伝えしただけかと思いますが」 なのに言葉には棘が敷き詰められている。気圧されそうになりながらも、「そうです」 頷いた。

「ルークさんだけに責任があるわけじゃありません。たしかに、引き金となったのは彼です。でも、彼をそう追い込んだのは、私を含め、全員です! なのに、あんな風に攻め立てるだなんて……!」
「十分に理解していますよ。だから私は一言彼に相談をして欲しかった、そう伝えたではありませんか。たとえ超振動で障気を消すことができたとしても、住民を避難させてからでもよかった」

甲板で叫ぶルークさんに、確かに彼はそう言っていた。事実だ。気圧されそうになりながら、それでも、と大声を上げた。これだけ大きな声を上げ続けたのは、きっと久しぶりだ。

「だからと言って、人を……感情を叩きつける目的で、言葉を選んで良いわけがありません!」
「あなたは私が冷静だとでも思っておいでか!」

叫び返された声に、ハッと瞳を見開いた。「失礼」 メガネを人差し指でおし上げ、間を置くように彼は腕を組んだ。まるで言葉に時間をかけているようで、実際そうだったのかもしれない。その間に、すっかり私の頭は冷えて、吐き出した自身のセリフを思い返して、ひどくそれを恥じた。私だって彼と同じだ。激情を叩きつけた。混乱しているのは、誰しもが同じだ。

「罪を、罪と認めようとしない。その姿がひどく苛立たしく感じたまでです。ただルークではなく、あなたには謝罪しましょう。肉親である彼にかけられた言葉に思うところもあるでしょう」

幼子を相手にするような言葉に、唇を噛み締めた。そして首を振った。
あまりにも、私が幼かった。

「申し訳ありませんでした。おっしゃる通り……だと、思います。お時間をとらせました」
「おや、あの親善大使どのの妹君にしては、素直な返答ですねえ」
「ただ、そういったからかいは、あまり好きではありません……」
「それは失礼」

馴れ合う気はありませんから、と笑う彼の言葉に、苦笑した。短い期間にせよ、私が知っているジェイドさんの口ぶりより、直接的なように感じるのは、やはり彼も感情的になっているところがあるんだろう。浅慮だった。「罪は、認めなければ、前に進むことすらできない」 ふと彼が呟いた声は、私の耳には届かなかった。「あの、なにか? ジェイドさん」「いえいえ、ただのおじさんの独り言です」「はあ……」

「なんにせよ、西に向かえばティアの故郷であるユリアシティがある。そちらに行けば、何か見えてくるものもあるでしょう」


鬼か蛇か。まるでそうとでも言いたげな声に、少しの間をあけて頷いた。今はガイさんが操縦している。人手は多い方がいいだろう。

緊急用の浮標が作動し、泥のようなこの海の上もタルタロスはなんとか航走することができた。外を見ると、外殻大地からこぼれ落ちた海の水が、滝となって街の周囲を包んでいる。息をつく暇もなく滝を通り抜けると、一つの街があった。何もない泥の海の上に、ぽつりと人工的な橋が佇んでいる。なんとか入港することができたのは僥倖だ。

「奥に市長がいるはずよ、行きましょう」

ティアさんの言葉に頷き、タルタロスから降りた。それでもただルークさんは無言のままに俯いていて、イオン様が時折気づかわしげに彼を見ていたが、すぐさまアニスさんが引っ張っていってしまう。「る、ルークさん、行きましょう」 そう彼の手のひらを握った。右手が弾き飛ばされた乾いた音がひどく大きく響いて、おそらく私とルークさん、両方ともが驚いた。複数の視線が痛いほどに背中にささる。「、おいで」 ガイさんがこちらに手を向ける。

彼が怖がるから、その手をとることはできないけれど、ガイさんの言葉の意味はわかった。ルークさんの立場をこれ以上悪くするわけにはいかない。私に対してだと、彼はきっと頑なになってしまう。「待ってますから」 それでも、それだけ呟いて、私はガイさんに続いた。ルークさんは、はっとした顔でこちらを見た。けれどもすぐに下を向いて、のろのろと歩を動かす。その下にはミュウがぽてぽてと彼の周囲を回っている。


大丈夫だ、きっとだいじょうぶ。ルークさんなら、きっと。
そう思い、市長の元へと向かった。けれどもいつまで経っても、ルークさんが来ることはなく、なぜだか案内人のティアさんも来ない。さすがに周囲の視線に肩をすくめて、「迎えに行ってくるよ」 そうガイさんが声をあげたとき、こつこつとブーツの音を大きくたてながら、ルークさんがやってきた。その後ろには困惑した顔つきのティアさんだ。

「おいルーク、遅いじゃないか……ルーク?」

ルークさんが、誰かを抱えている。それはルークさんと同じような赤毛で、ファブレ家の色と同じだ。
彼が近づくにつれ、私は目を見開いた。ルークさんと同じだ。なのに違う。着ている服も違うし、それだけではない。何かが、彼とは違う。けれどもどこか懐かしくも感じる。

「アッシュぅ? なんでここに?」

アニスさんが首を傾げながら問いかけた。アッシュ、そうだ、廃工場から脱出したとき、赤毛の男の人がいた。雨に濡れて、私はよく顔を見ることができなかった。けれどもルークさんが言っていたではないか。自分とそっくりな男がいたと。

見れば見るほどに似ている。「……ルーク?」 ナタリアさんがアッシュに呟いた。彼女も、なぜだか勝手に口元が動いてしまったらしい。そうした自分に驚いたように、瞬いて、まあ、間違うことも無理はない、と、周囲はそんな雰囲気にさえなった。けれどもアッシュは何も言わない。その奇妙な沈黙に飲み込まれた。そして今更になって、彼がルークさんを担いでいることに気がついた。アッシュは、ルークさんを投げ捨てた。

どすりと重たい音とともに、床に叩きつけられたルークさんが僅かに身じろぐ。「ご主人様!」 ティアさんの後ろについていたらしいミュウが、ちこちこ短い足で駆けつける。私とガイさんも慌てて飛び出した。気を失っているらしい。けれども見たところ大きな怪我はないようだ。ほっと息を吐き出しながらルークさんの額を撫で、アッシュを見上げた。ルークさんと同じ、緑色の瞳だ。そして、今の私と同じ。

私の顔を見て、アッシュは苛立たしげに舌を打った。「わからねぇのか」 何が、と問いかけたい気持ちと、どこか理解している自分がいる。けれども、そんなわけはないと理性が告げる。だって、彼はルークさんで、いくら似ているからといって、そんなわけ。

「そいつは俺のレプリカだ」

ヴァンに利用されるために生まれたんだよ、と皮肉げな声に震えた。「れ、レプリカって……」 原理は理解している。一般的とまでは言い難いが、理解し、浸透されている譜業技術だ。だがそれはあくまでも、生物を除かれる。だからこそ、誰も気づかなかった。     変わってしまったルークさんに。

「そんなわけ……」

否定の言葉を吐いたのは私だけではない。ガイさんもだった。ただ彼の顔を見て、それ以上何もいえなかった。「ルーク、兄様……?」 返事をもらいたかったわけではない。けれども、勝手に言葉が漏れていた。一瞬、きつく結んだ彼の眉がほどかれた、ように見えたのは、おそらく気の所為だろう。

すでに説明を聞かされていたであろうティアさんは静かに瞳を伏せ、アニスさんはぽかんと口を大きく開けていた。ジェイドさんは、よくわからない顔つきだ。ナタリアさんは、口元を押さえながら、ただただ息を飲み込んでいた。そしてイオン様は。なぜだろうか、彼はとても苦しげな顔をしていた。それがひどく、印象的だった。






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2019/11/21