ルークさんが、アッシュで、アッシュがルークさんだった。

自分でも何を言っているのかわからないけれども、先程までの彼の会話を思い出し、ため息をついた。知らないことがあまりにも多すぎる、と落ち込んでいると、気づけばタルタロスが停泊している港に足が向いていた。泥の上にゆらゆらと揺れている戦艦を遠目に見つめていると、テオドーロ市長から修理用の工具を借りたらしいガイさんがタルタロスにはしごを立て掛け、忙しげに作業していた。

その彼の姿を見て、なんで自分はここへ来たんだろう、と考えたとき、ガイさんに会いに来たのだと気づいた。なんでまたガイさんに、と自分の頬を両手で持って頭を振る。混乱しているとき、真っ先に会いに行きたいと思ったのはガイさんだった。

やっぱり私は彼に甘えているんだろうか。本当なら、私の方がずっと年上で、それも彼は守らなければいけない男の子なはずなのに、とひとしきり混乱したあと、それもそうか、と納得した。ルークさんは未だに意識を失っていて、ティアさんのもとに保護されている。ナタリアさんは私よりもずっと困惑しているに違いない。だって、ルークさんに元の記憶を思い出してほしい、と何度も言っていたのは彼女だからだ。ナタリアさんはルーク兄様、アッシュさんのことが好きだったのだ。

そんな彼、彼女達の元に行くには申し訳ないし、イオン様の元に気安い気持ちで行くほどには図太くない。後の人たちも同じくだ。となればガイさんしかいない。そりゃそうだ、と彼に会いたい気持ちに納得した。きっとそういうことだ。



そうして勝手に動かした足の結果の先には、ガイさんが忙しげに動いている姿だった。
アッシュさんが、タルタロスを外殻大地に持ち帰る必要があると話していた。そのために音機関に詳しいガイさんが状態の確認をしているのだろう。

手伝えますか? そう言うことができたらいいけど、ガイさんほどに詳しいわけでもないし、きっと足手まといだ。自分の都合だけで、何を考えているんだろう、と自分自身にがっくりときて、すごすご退散することにした。「?」 なのに、なぜ呟くような彼の声まで聞こえてしまうんだろう。振り返ると、おおい、、とガイさんがこっちに向かって片手を振っている。


丁度休憩しようと思っていたところなんだ、と手のひらを油で黒く染めながら、ガイさんが口元を和らげていた。本当だろうか。ガイさんが優しすぎることは知っている。疑い深げにじっと見ていた瞳に気づいたのか、彼ははしごから降りて、「本当だよ。俺もに会いたかった」と告げた。そう言ったあとで、「いや、違う、話したかった、というか」となぜだか慌てながら首を振っていたから、そんなに否定することないのに、とゆっくりと笑った。「私もです、ガイさん」 

うん、と互いにうなずく。

私と彼は、おそらく同じ思いを抱えている。ルークさんと、アッシュさんについて。いや、同じと言ってしまえばきっと違う。彼はホドで生まれた、ガルディオス家の嫡男だ。ただ、ルークさんを7年間関わり続けてきた人間として、きっと似たような思いを持っている。

タルタロスを背にしながら思いついたように、私達は互いに少しずつ言葉を落とした。

「私、そんなに困惑しても、動揺しても、いないといいますか」 本当のことを言うとそれだ。ただ、みんながいる場では、言うことができなかった。「……実は俺もそうだ」 口元の端を上げながら、ガイさんはちょこんと座り込んだ。その隣に距離を開けて、スカートが地面につかないようにいそいそと座り込む。「なんていうか、腑に落ちた、というか」 彼の言葉の意味はわかった。


だって、ルーク兄様からルークさんになったとき、ルークさんは何も知らなかった。

それこそ、赤ん坊のようで、一から育ったのだ。だから私達にとって、もともとルークさんは、兄様とは別の人間だったのかもしれない。


「それに、ほっとしたような、そんな気がする」


思わずガイさんはそう呟いた後、自分の言葉にハッとして「いや、違うな、なんでもない」と首を振った。彼の本当に言いたいことはわかったから、聞こえなかったふりをして曖昧に笑った。きっと、ガイさんは本当に、安心したんだ。ルークさんが、ルークさんであったことに。

ルーク兄様であったとき、ガイさんは時折憎々しげに彼を見つめていた。たとえ、自身の家族と国を滅ぼしたのが、彼ではなく、彼の父親が元凶なのだとしても、おさえきれることのないわだかまりを体の中に抱え込んでいつもどこか苦しげだった。けれどもルークさんと接することで、少しずつガイさんの心の内がほどかれていったような、そんな風に思っていた。私にはきっとどうすることもできなかったことを、ルークさんはやってのけた。

だから、ルークさんが、ルークさんであったことに安心している。ルーク兄様とルークさんは同一の人間だけれど、ファブレ家の人間と言われると、本質的には違うのだろう。けれどもそれを言葉に出してしまえば、ルークさんを否定することになってしまう。だからガイさんは口にはしないだろうし、自分でも認めていない。そもそも、仇の娘である私に、言うはずもない。

「私達、ルークさんが成長する姿を、一から見てたわけですもんね」
「そうだな、俺たちが育てたようなものだ」
「い、いえ、ガイさんはともかく、私もと言うと思い上がりのような」

そんなことないだろ、とガイさんが白い歯を見せた。「だから、もともと俺たちにとって、ルークは別だったんだもんな。驚きはしたが、あいつが親友であることに変わりはない」 その言葉を聞いて、きゅっと胸が熱くなった。赤くなった鼻の頭をごまかそうとして、頭を伏せながら、「そういえば」と疑問を口にする。

「なんで、アッシュさんは、ヴァンと一緒にいたんでしょう……?」

幼い頃、ルーク兄様を誘拐したのはヴァンだった。それでよくぞまあ、あんなに堂々としていたものだ、思い返すほどに驚いてしまう。自分を誘拐して、監禁に近い状態にした犯人だとわかっていたのに、アッシュさんは私達がルークさんと過ごす間、ヴァンに協力していた。ただ彼が預言を破壊するために何らかの動きを画策していたと気付き、ティアさん同様にヴァンを打ち倒すべく、暗躍していた。

アッシュ、と口にした途端に、ガイさんはどこか瞳を鋭くさせた。どきり、と心臓が嫌な音をたてたような気がした。「あいつも、誘拐されたときは10歳だったんだ。周りに頼る人間もいなかったら……まあ、勝手な想像だな」 そうして、最後までガイさんは告げなかった。彼の言葉の続きを想像して、小さなころの、少しだけ怖かったけれど、強くて、誇らしげで、気高かった少年を思い出した。アッシュさんが語らなかった以上、私達が聞くべきことではないだろう。

そうして、奇妙な沈黙が落ちた。気まずく、重たい泥の波がゆっくりと動くたびに、タルタロスが揺れる。


「……そういえば、タルタロスはどうでしたか?」
「あ、ああ。どうかな、所々に泥が入り込んでいるみたいだったが、簡単な走行くらいなら問題なさそうだ。まさかこんなところで音機関好きが発揮されるとはね」

人生思ってもみないものだと首を振るガイさんを見て、吹き出した。そういえば、デートと言う名目で、彼の馴染みの音機関屋に、何度も一緒に足を踏み入れたものだ。
……きいてもいいのだろうか?

あのとき、大地が揺れたとき     実際には、ルークさんが超振動を発動させていた、その少し前のときだ。ヴァンデスデルカ、そう呟いた私に、ガイさんはこういった。なんで君が、その名前を知っているんだ?

「ガイさん、なんでヴァンの名前を、知っているんですか……?」

疑っているわけではない。いや、復讐のために潜り込んだ彼に、そう考えているのはどこか妙な話だけれども、今回のことに、ガイさんとヴァンの繋がりはない。それは、そう信じている、としか言いようはない。

その証拠のように、ガイさんはほんの少し目を見開いただけで、特にどう言った顔もせず、「ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ。ヴァンの本名だな。……逆に、聞かせてくれないか? 、なんで君が知っているんだ?」 やはり、ヴァン・グランツは偽名だったのか。呆れのようなため息がこぼれて、ゆっくりと瞳を落とした。「……笑わないでくださいね、夢を、見たんです」

私はガイさんに語った。ガイさんが出発する前に、ルークさんとガイさん、ナタリアさん達が、ホドで命を落としてしまう夢を見たと。とてもリアルで、まるでそれは本来あった出来事を見ていたようだった。その中で私は自暴自棄となり、ヴァンはこちらに協力するようにと手を伸ばした。その辺りから、記憶が曖昧だ。先に進めば進むほど、わからなくなる。

今考えてみると、ルークさん達はホドで命を落としたのではなく、崩落に巻き込まれてしまっただけだったのではないかと思う。そして知るはずもないヴァンの名を知っていた。あれは、ただの夢ではない。


「……ガイさんに、伝えようと、そう思ったのですが」
言えなかった、と首を振った。「だから、旅についてきたのか。考えてみれば、君が無理を通すことなんておかしかった。それに、そうだ、リグレットの襲撃の前に、大切な話がある、とも言っていたな……」とガイさんは重たい声でごちた。すみません、と声を告げても、何の意味もない。「いや、おそらくから、それを聞いていたとしても、気にしすぎだと俺も大して気にしなかったよ」

だから気にするなと、そう彼が慰めてくれていることがわかった。だから悔しかった。苦しかったのかもしれない。結局何もできなかった。後悔したところでもう遅い。

「ただ、そこまで整合性が高いとなると、預言にも近いものになるんじゃないか? 機会を見てイオンにでも相談した方がいいような気がするが……」

それは私も感じていた。ただ、私には第七音素の適正はないし、自分が預言師というのもピンとこない。おそらく違うようには感じるけれども、「そうですね」と素直に頷いた。

「俺がヴァン謡将の名を知っている理由は、昔ちょっと関わりがあったからだ。それだけだよ。だから、正直信じられないな。今回のことも、ルークのことも」

昔、ということは、ホドでのことなのだろうか? もしかすると、と呼ばれていたあの頃に私もヴァンに会ったことがあるのかもしれない。でも何年も前のことだから、彼の容貌も変わっているだろう。記憶の中を探っても、よくわからない。

そう考えながら、ガイさんをじっと見ていたからか、ガイさんは困ったように苦笑していた。「本当だよ、嘘じゃない。俺は、絶対に、君の敵にはならない。誓うよ」 そして、言葉を一つ一つ噛み砕いたように、ゆっくりと吐き出した。自分に言い聞かせているような声にも聞こえた。「……わかっています。私、ガイさんを一番に信じていますから」

そう、私にとっては当たり前のことを言ったあとに、しまったと口元を押さえた。
彼が優しすぎるだけで、彼にとって、私は憎くてたまらない人間であるはずなのに。そんな女に信頼を寄せられたところで、何になると言うんだろう。ひどいことを言った、と恐る恐る彼を見上げると、ガイさんは溢れ出る笑みを噛み殺すかのように顔をそむけて、口元をにやつかせていた。「……あの、ガイさん?」「な、なんでもないっ!」

私、何か面白いことでも言っただろうか。

思い返してもまったくわからない。んん? と考え込んでいると、ガイさんはえふん、と咳をひとつして、こちらと目が合うと、神妙な表情を作る。「それは、そうとしてだ。、俺はアッシュとともに外殻大地に行くが、アッシュの行動を見届けてから、ルークを迎えに行こうと思っている。今はまだ目を覚ましていないが、そのうち起きたときに誰もいないんじゃ、あいつ、見捨てられたって勘違いするだろ?」


タルタロスを動かすには人数が足りないし、アッシュのこともまだ信用していない。それにルーク自身が、一人になる時間も必要だろう、と笑うガイさんを見て、嬉しく感じた。「外殻大地からユリアシティに向かう道があることも、市長から確認した。……それで、だ。、君はどうする?」

ティアさんは、もともとはこのユリアシティの住民だ。ヴァンの計画を阻止できなかった今、今更、外殻大地に戻っても意味ないとこの街に残るらしい。イオン様、アニスさんは元の場所に帰るし、ナタリアさんもキムラスカへ向かう。アッシュさんのことも気になっているだろう。ジェイドさんはマルクトの人間だ。……私は。


「私は、キムラスカに戻ります」

そう返答した私の言葉に、ガイさんは少し意外なように瞳を見開いた。少し前から考えていたことだ。

「アクゼリュスが崩壊し、私達は死亡したと、国王陛下には、そう報告されているはずです。けれども事実は違います。イオン様とナタリアさん、それにルークさんの死は、大きな意味を持ちます。私は……王位継承権はありませんから、大した存在ではありませんが、それでも、ルークさんがキムラスカに行くことができない今、代わりに、彼が生きていることを証明しなければならないと思うんです」

そう、ガイさんの瞳を見ながら、はっきりと伝えた。ガイさんは、ハッとしたような声を上げた。「そうか、ナタリアたちが生きていると、陛下は知らないわけか。下手すると、確かに戦争の引き金になる可能性があるな」「ルークさんが目覚めるまで、ガイさんと一緒に待ちたいです。……でも、私になにか、できることがあればと」 そう、思うのだ。

「ルークさんのことは、お願いします。ガイさんなら、安心できます」
「ああ、任せてくれ。……でも、気をつけてくれよ。俺があげたナイフは、ちゃんと持っているか?」
「もちろんです」

肌見放さず、と服に仕込んだ、小さなナイフを思い出した。できれば活躍しないに越したことはないんだが、と聞こえた声に肩をすくめた。

「髪飾りを買おうと言った約束は覚えているかい? 全部が終わったら、一緒にデートしよう。どんな色がいいかな。君の髪は、赤くて綺麗だから、そうだな、縁は金で……うん、青い石がついたものなんかがいいかもしれない」

そう言いながら、ガイさんは真剣に悩むものだから、笑ってしまった。クスクスとこぼれた声を我慢できなくて、不思議そうにこちらを見るガイさんに、「金と青って、それじゃあガイさんじゃないですか」 彼の髪と瞳の色だ。

ガイさんは、あっと口を開けて僅かに赤面した。「そうだな、本当だ。これじゃあだめだな」「いいえ、とっても素敵ですよ。なんだか心強くなりそうです」「いや、そうか、ううん」




そう言って、笑い合っていると、ふと、聞こえた足音に振り向いた。途端にガイさんが剣呑に瞳を細め、私をかばうように立ち上がり、そっと片手を広げる。アッシュさんだった。私も慌てて経ったが、ガイさんの高い背に阻まれて、よく見えない。それでも背伸びをしながらアッシュさんの顔を盗み見ると、相変わらず眉間の間には深いシワが刻まれている。

互いに険悪な空気のまま見つめ合った。思えば昔からこの二人はあまり仲がよくなかった。と、いうかガイさんが思いっきりアッシュさんを剣術に叩きのめしたのをきっかけに、アッシュさんはガイさんになついていたけれども、ガイさんはどうしたものかと困りあぐねている様子だった。それがいきなり、かたや六神将だ。溝も深まるというものである。

「……何か用か?」

ひたりと冷たいガイさんの声に慌てた。アッシュさんに向かって、いやいやうんうん両手をばたつかせていると、「、少し静かにしていてくれるか?」 ガイさんに怒られた。

しゅん、と小さくなりながら、できることは二人の会話をきくことぐらいだ。「で、何の用なんだ?」 改めて問いかけたガイさんの言葉に、アッシュさんは、ふん、と鼻から息を出しながら返答した。「タルタロスの状況の確認にきた、それだけだ」

よくよく聞けば、ルークさんと同じ声なのに、全然違うように聞こえるのは不思議だ。

「……絶好調、とまでは到底言えないが、移動くらいは可能だ。これを外殻に持ち上げられるかどうか、というところまでは知らないがな」
「それはこちらでなんとかする。そうか、わかった」
「俺もお前についていくぜ。……妙なことをしでかさないようにな」


勝手にしろ、とアッシュさんは踵を返した。それからちらりとこちらを振り返って、「お前らは、相変わらずだな」 それだけ呟いて消えていく。私はガイさんと顔を見合わせた。そうだろうか。まあ私がガイさんの周りをうろちょろしているのは変わらないかもしれない。それにしても。

アッシュさんが、ヴァンに誘拐され、彼に従うしかなかった、そんな状況だったのでは、と説いたのはガイさんだ。でも、使用人である彼の立場とは異なり、ガイラルディア様でもある彼を私は知っているから、どうしてもアッシュさんに刺々しくなってしまうこともわかる。複雑な心境で、ううん、と頬に手を当てて、唸った。そんな私を見て、ガイさんは眉をハの字にして、「すまない」と謝った。

「君にとっては、兄なのに、あんな言い方をしてしまって。……ただ俺は、どうしても、あいつをまだ信用することができないんだ」

神妙な空気になってしまった。「いえ、それは、仕方のないことだと思っていますから! 私よりもガイさんの方が、考えが深いのだと思います。ですからお気になさらないでください!」 空気をかえねば、と必死な声が、逆に嘘くさくなってしまったかもしれない。ガイさんが気づかわしげにこちらを見ていた。どうしたものか。

「あの、さっきは、その、考え事をしていまして」
「かんがえごと」

何を、と聞かれれば、どう返答していいのかわからない。ガイさんの過去のことを考えていました。そんなことが言えるわけもないじゃないか。ルークさん、アッシュさん。君にとっては兄なのに。そんなガイさんの言葉を思い出して、そうだ、と手のひらを打った。「呼び名を!」「よびな」 またガイさんが繰り返した。


「元のように、ルーク兄様と呼ぶか、それともアッシュ兄様と呼ぶべきか、考えあぐねていまして!」


名案だと思ったのに、言葉にしてみると大層間抜けだった。ガイさんが、少し面食らったような顔をしている。正直顔が熱くなった。「……それは、本人に聞いてみるといいかもしれないなあ」「そ、そうですねぇ」 でもこれも、確かに解決すべき問題だ、とガイさんは真面目な顔を作って、一緒に考えてくれている、そんな風を装ったのに、唐突に耐えきれなくなったのか、破顔した。「わ、笑わないでください」「いや確かに。呼び名か、確かに重要だな」

楽しげに笑うガイさんの声を聞いて、安心した。


ガイさんは、ルークさんの元に。私は、キムラスカへ。少しの不安はあるけれど、今度こそ、彼らの力になりたい。




ガイさんの、役に立ちたい。









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2019/11/23