結局、アッシュさんをどう呼べばいいか結論がでないままに、ユリアシティから外殻大地へ戻ることとなった。
ガイさんが確認したタルタロスに、ルークさんとティアさんを残して私達は乗り込んだ。落ちてしまった空へ、どう戻るのか。その方法はアッシュさんとジェイドさんが考えついた。外殻大地へ伸びる柱、セフィロトツリーを一時的に活性化させ、タルタロスごと空に押し上げる。

そんなことが果たして可能なのか、とその先のことを考えると指が震えてしまうけれど、今更言っても仕方がない。理論的には可能である、と押された太鼓判を信じるだけだ。


操縦席にはガイさん、ジェイドさん、アッシュさん、アニスさんの4人が動かすことになった。私とナタリアさん、イオンさんは彼らの背中をじっと見つめて始まりの瞬間を祈った。「……、そんなに見ないでくれるか、緊張するな」「す、すみません、ガイさん」 穴があくほどに見ていたからか、ガイさんが操縦桿を握りながら肩をすくめた。それでもやっぱり、彼の手元をじっと見つめた。別に不安だったからじゃない。理由があるからだ。


「始めろ!」

そう言ったアッシュさんの合図で、カチカチと4人の手元が動く。きらきらと光る粒子が戦艦を包み込んだ。かかる圧力に息を飲んだのは一瞬で、ふわりと体が浮いた。そうしてまた戦艦が振り回される。「うぎゃあ〜〜〜!!!」 アニスさんの悲鳴が聞こえる。必死に支えを探して捕まった。

ぐちゃぐちゃになった私達が久しぶりに見た青空に、はあ、と息を吐き出した。相変わらず、ガイさんが心配する声が聞こえる。大丈夫ですから、それよりもガイさんは、と彼を見てみると、いつも以上に瞳がきらきらしていた。……まあ、とても大きい音機関で、空を飛んだようなものですものねぇ、と改めて彼の音機関好きを認識した。まさかのマリィベル様からの贈り物で、こんなことになってしまうとは。人生、ほんとに何があるかわからない。




ユリアシティに残してきたルークさんが気がかりだったが、彼のことはティアさんに任せてある。それにミュウもいる。「僕のご主人さまは、ご主人さまだけですの」そう言って、小さな胸をはった彼をぎゅっと抱きしめて、お願いね、と呟いた。ですの! と耳をぴんとさせた彼が、とても愛しかった。

できることならバチカルに帰還したかったけれども、そうはいかないらしい。アッシュさんはヴァンの目的を探るべく、ベルケンドの研究所に向かった。船を動かす人間がどうしても必要らしい。仕方ないとばかりに私達は頷いた。ヴァンの目的を知ることも必要だった。

     そして、その場でジェイドさんが、フォミクリー技術の発案者であることを知った。


ジェイド・バルフォア。幾度も読み込んだ著者の名前だ。この旅に持っていこうかと、そう迷いまでした本だ。それがジェイドさんが書いたものだったとは。まさかと驚いた目で見たのは私だけではない。中でもイオン様が一番驚いていたような、そんなふうにも見えた。このひとがいなければ、ルークさんが生まれなかった、そう気づくと、ひどい偶然が重なったものだ、と視界がぐらついた。


スピノザと呼ばれた科学者は、アッシュさん、もとはルーク兄様のレプリカ作ることに協力した。研究者としての好奇心のためか、レプリカの情報を保存する保管計画に手を出した、と滑らせた口を慌てておさえて、逃亡した。追いかけたとしても、口を割ることもないだろう、と諦めたところで、私達はワイヨン鏡窟という言葉を耳にした。そこでレプリカ生成に必要なフォニミンという物質が手に入るらしい。そこに何らかの情報があるかもしれない、そう言って次に向かう場所を決めたときに、ガイさんがルークさんの元に戻る、そう私達に伝えた。




「俺は降りるぜ。そろそろルークを迎えに行ってやらないといけないからな」

そう言いながら、ちらりと私を見た。
聞いていたことだ。静かに頷いて、行ってらっしゃい、という言葉の代わりに微笑んだ。彼も笑ってくれた。「あんな馬鹿なやつ、ほっとけばいいじゃん!」というアニスさんの言葉にガイさんは苦笑していた。馬鹿だから、ほっとけないんだよ、と言ったのは彼の優しさだ。
ナタリアさんの、本物のルークはこちらだと主張する言葉には、なぜだか少し、寂しい気分になった。

好きにしろ、とアッシュさんは吐き捨てるように視線をそらす。「ああ、そうさせてもらう。悪いな」「とは言いましても、あなたがいなくなってしまうと、タルタロスの操縦に支障をきたしてしまうんですがねぇ」 ジェイドさんの言葉に、幾人かが、はっとした。そうして私は、力いっぱい息を吸い込んだ。わかってる、今だ。今しかない。

「私が」

集まった視線に、思わず体が小さくなった。けれどもだめだ、こんな姿の言葉をきいて、誰が安心できると言うんだ、と胸をはって、はっきりと、言葉を続けた。

「私が、ガイさんの代わりに船を操縦します」

そのために、ガイさんの手元をずっと見つめていた。彼がいなくなってしまっても、何かができるように。「あなたが、ですか?」 まるで鼻で笑ったような、そんな顔をしている彼に言い切った。「はい、そうです」

、あなたらしくはありませんわ。挑戦することは美徳でしょうが、今はそのときではないでしょう」
「いいえ、ナタリアさん。できます。ですから、こうお伝えしています」


     なめないでいただきたい。

ガイさんほどではないにせよ、彼には何度も音機関を見せられて、一緒に店を回った。それに私は、もとは物理学の専攻だ。数学科への転向も思案していたが、馴染みの機械工の友人とも、同じくカリキュラムを受けていたこともある。とはいっても、ここまで大型の戦艦を動かしたことはないので、心の底では震えが止まらなかった。けれども、そんな姿を見せるわけにもいかない。

周囲の、驚いたような視線を感じた。ガイさんも、少し意外なような、そんな顔をしていたかもしれない。ジェイドさんと、じっと睨むように見つめ合った。負けてたまるもんか。そんな気持ちをこめた。「あなたに? ファブレ家のご令嬢が、この戦艦を動かせると?」「ええ!」と返答する。

「できます!」




***



この旅を始めてから、見たことのない彼女ばかりを見てきた。

いつもどこか自信がなさ気な、いわゆる箱入りのお嬢様のような少女が、ジェイドにくってかかったのだ。思い出すと笑ってしまいそうになる。でも、本当はもともと知っていた。彼女は時折強くなる。それが分かりづらいだけだ。

この旅についてきた理由もそうだ。俺や、ルークや、ナタリアが死んでしまう。そんな夢を見たと。まるで荒唐無稽な話だったが、どこか現実味があるそれが一体なんであるのか、俺にはよくわからない。けれども、『私、ガイさんを一番に信じていますから』 その言葉を思い出して、また自然と口元に笑みがのった。

嬉しい、のだろう。

彼女に信頼されていることは知っていた。けれども言葉にされるとまた違う。一番に、という部分が特にきいた。反芻して、そんな彼女を騙している自身を思い出して、すっと気持ちが冷え込んでいく。どっちつかずの、中途半端な人間だった。

なんにせよ、これでの旅は終わる。俺はルークを迎えに、はキムラスカに。その言葉を聞いて、心底ホッとした。彼女と離れ離れになることには、僅かな不安はあったが、に渡したナイフは無事使われることなく終わる。最高じゃないか。もしかすると、いつかはそれが俺に向かって使われることもあるかもしれないわけだ、と嫌味のように笑ってしまったが。


こうして、俺も元の使用人に、ガルディオスの名を隠して戻るわけだ。
彼女とはときおり部屋を訪れて、笑って、話して、それだけだ。未来のお相手は、キムラスカの貴族の人でありますように、と手のひらを合わせていた彼女を思い出した。いつの日か、綺麗なヴェールに身を包んだ彼女を見送る日が来るんだろう。こうして想像に胸をえぐって、自身を痛めつけるところまでが毎度ワンセットだ。


「……ガイ、さっきからどうしたんだよ? 笑ったり、しかめっ面したり」
「……百面相ね」

ルークとティアが、訝しげにこちらを見ている。慌てて笑って誤魔化した。足元ではかつかつと硬い音が響いて、周囲では小さな水音でさえもよく反響する。


ルークの顔が、どこかすっきりとして見えるのは髪型だけのせいではないだろう。とよく似た髪型をしていた少年は、ばっさりと赤毛を切り落として過去と決別した。ティアはそれを見届けるそうだ。そうして今現在は、アッシュから通信したセントビナー崩壊の兆しにあわてて洞窟を抜けている。

「いや、まあ、ちょっとな。のことを考えていた。アッシュと別れたときな、ジェイドに啖呵を切ったんだ。見ものだった」
「……が?」

へえ、とルークが意外そうに瞬いた。ティアも同じ表情だ。彼女も、短い間でのの旅の記憶を照らし合わせて首を傾げているらしい。「……俺、ずっとにひどい態度をとってたよな」 ふと、ルークが小さな声で呟いた。

だけ、外に出ることができるのは、ずるいって。あいつは父上と、母上の本当の子供だから、そんなの当たり前だし、そもそものせいじゃないのに……」
「おおーい」

そういうネガティブは勘弁してくれ、と先程から繰り返している言葉に、両手を叩いて止めた。「まあ、が不安がっていたのは認めるけどな。でも、本当の、とか、そういうのは勘弁してくれや。だって望んじゃいないだろ」「でも」「大丈夫だ、俺が保証する」 いや、俺はの何だって話だが。でも確かにそうだろう。彼女はルークが笑っている、それだけで喜んでくれるはずだ。

「……が」

ふと、ルークは自身の両手を見つめた。「俺が、タルタロスでもたもたしていたとき、あいつが、待ってますからって。そう言ってくれたことが、すごく、嬉しかったんだ」 そう言った彼の声に、笑った。「なら、そう伝えてやってくれ」 それこそ、嬉しげなの顔が浮かんだ。

「……なんだか、あなたがの兄みたいね?」

俺たちの会話をきいていたティアが、ふいにそう声に出した。「いやまさか」と、そんなものになりたいわけではないと力強く否定してしまったものだから、こほんと一つ、咳をつく。「俺はただの二人の下僕ですよ」「そういうこと言うな!」 今度はこっちが怒られた。

そうこう言いながら、洞窟の出口が近づく。久しぶりの光に、瞳がちかちかした。セントビナーの崩壊に、ヴァンの画策。おそらくまだ何も終わっちゃいない。けれども今頃ののことを考えて、やはり安心した。彼女が安全に、元の場所に戻ることができたならそれでいい。そう思っていたはずなのに、こちらを待ち構えていたジェイドを目にして、嫌な予感がした。


「イオン様とナタリアがモースに監禁されました」
そしても、行方がわからなくなっていると。


頭をがつんと殴られたような衝撃があった。

なぜ、大切だと思っていながら、俺がバチカルに送り届けなかったのか。ルークを迎えに行く。そう告げた俺に、バチカルに戻ることを話した彼女を見て、ほっとした。とにかく、一刻も早く、彼女の旅が終わることを祈っていた。

馬鹿だ。俺は馬鹿だ。

大切であるのならば、無理やりにでも連れて来ればよかった。
必ず守ると、ナイフを渡したときに腹をくくって誓ったはずなのに。




***




小さな影が走り抜けた。人混みの中で、砂に汚れたフードを深々とかぶり、息を乱しながらもオラクル兵から身を隠す。ガシャガシャと、鎧が合わさる音を聞くだけで震え上がった。
ただ体を小さくさせながら、彼らが通り過ぎるのを待つ。「おい、そこの」 だから、声をかけられたとき、飛び上がるほどに驚いた。

「そこだ、そこの少女」

フードをあまりにも深くかぶりすぎて容貌はうかがい知れないが、ちょんと鼻筋と口元だけが飛び出している。

「我らは腰元まである赤髪、そして碧眼の少女を探している。悪いがそのフードをとって、こちらに顔を向けてくれないか」

彼女の指先は震えていた。反応はない。幾人の兵士が、互いに瞳で合図する。腰の剣に、そっと手を伸ばした。「フードをとれ!!!」 弾かれたように飛び上がり、少女は慌てて顔を見せた。碧眼の瞳だ。

「……ん?」

確かに、瞳も、容貌も手配と似ている。けれども髪の色が違う。赤いと思っていたはずの髪は黒々として、あまり見ない色合いだ。そして髪の長さが違う。どう見ても、肩口までしかない。
怯えた瞳でこちらを見上げる少女に、「いや、すまなかった。急いでいるところを失礼した」 そう謝罪し、消えていった。

揉め事かとざわついていた周囲も、次第に消えていく。ぺたりと、彼女は座り込んだ。「ガイさん……」 手元には、小さなナイフを握りしめていた。零れ落ちそうになる涙を片手でぬぐって、何度も彼の名を呼んだ。何度も、何度も。








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2019/11/25