ローレライ教団に捕らわれていたイオンとナタリアを無事救うことができた。礼拝堂から抜け出し、街を歩く。目立たぬように、足早になりがちな歩数を整えて、なんてこともない、観光客をガイたちは装った。顔を隠すように布をかぶったイオンを囲みながら、朗らかな談笑を見せつけるように進んでいく。

ガイは幾度も周囲を見回した。いない。ここにも。まさかそんな目立つ姿でいるわけがないが、彼女を見失った場所と思うと、冷静さを失っている自身に気づき、息を吸い込んだ。「ガイ」「わかっている」 ジェイドに首を振る。そうして、ため息をついた。ガイに視線が集まる。丁度いい。

「俺はここで別行動させてもらう」

無意識に、腰にさした剣を自身の指がいじっている。ちきり、と擦れた音が響いた。つい最近、そう言ってアッシュから離れたばかりだというのに。そのことに後悔はない。ルークを迎えに行った自身に間違いはない。ただそれに、彼女を連れて行くべきだったのだ。困惑したような周囲の視線を無視して、ルークに頭を下げた。

「ルーク、こんなときだってのに、本当に悪い。でも、ここにあの子がまだいるかもしれない」
「い、いやガイ、いいよ。俺だって心配なんだ。俺からもよろしく頼む」

絶対にを見つけてくれ、と眉をハの字にして拳と声に力を入れる親友を見て、「ルーク……」と、思わず驚きのままに呟いていた。髪を切っただけだっていうのに、まるで一皮向けてしまった。「しかし、ここでガイに抜けられてしまうのは、戦力的に痛手ですねえ……」 と、いうのに空気を読まずにメガネを押し上げる男は、おそらく読んだ上でのあえての言葉だ。

「すまないな。でもはファブレ家からほとんど出たことがない。俺が連れ出す以外の殆どは屋敷で暮らしていた。そんな子が一人はぐれたんだ」

これ以上の言葉を重ねるつもりはない。ただその後ろで、目を丸めている少年に気づいた。「ガイが、連れ出す? と?」 しまった、と口を抑えた。やはり自身は冷静でない。目頭を片手で抑えながら、言い訳めいた言葉をいくつか考えたが、事実を否定できない。ルークは屋敷の中で、7年もの間軟禁生活を送っていたのだ。彼に申し訳ないと首を振るに、息抜きがてらとガイは彼女をこっそりと連れ出していた。

「あ、いや、いいんだ。そう言えば、ケセドニアで、そう言ってたっけ。俺に気をつかって言わなかったんだろ? そうじゃなきゃ、あいつ、外になんて出そうにないもんな。逆によかったよ、安心した」

すっかりとつきものが落ちたような顔に、パーティの面々も顔を見合わせた。たかが髪を切ったところで、と刺々しい態度で刺されながらも、ルークは前を向いていた。もともと彼の心根は優しい人だった、とイオンは語っていた。

「でもそうですわね、ですもの。この中の誰がはぐれるより、一番……不安ですわ」
「確かに……そうね」

ナタリアとティアが互いに頷く。特にナタリアは、幼い頃から彼女のことを知っているのだ。争い事には目をそらして、流されるままに笑っている姿をよく目にした。だから、今回の旅に同行する決意をした彼女を、不安半分、嬉しくも思っていたのだ。「そうですか?」 そう言って首を傾げたのはジェイドだ。

「彼女は案外、自身でなんとでもできそうに思えますがねぇ……」

彼は一人、彼らの中で彼女の捉え方が違う。アクゼリュスが崩壊した際、彼のルークへの言い様に抗議の声を上げた彼女を、皆は知らない。結局すぐに自身の非を認めたものの、タルタロスの操縦もそうだ。覚束ない手付きながら、初めて音機関に触ったとは言えぬ動きだった。下手をすると、アニスよりもうまく動かしていた姿は記憶に新しい。

身分を偽っているとまでは考えてはいないが、彼女には何かある、とジェイドは考えている。彼女に恋い焦がれている、使用人の皮をかぶっている、この男のように。

「どちらにせよ、を一人にはしておけない。確認でき次第合流する」
「けれどもガイ、がどこにいるのかもわかりませんわ……」
「虱潰しに探す」
「大体さー、お嬢様なんだったら、もう死んでるかもしれないじゃん?」

おい、とルークが眉をひそめた。けれどもその声にかぶさるように、「アニス!!」 ガイの声に、彼女はびくりと肩を震わせた。「……いや、悪い。すまない。確かに……、そうだ」 だめだった、冷静になることができない。彼女を失う覚悟はしていたはずだ。けれどもそれは、彼女がファブレの名を変えて、ガイの目の前から消える。ただそれだけのはずだ。こんな形は、想像してすらいなかった。

アニス、と説き伏せるようなイオンの声に、彼女はしゅんとツインテールを垂らした。「その、ごめん……」「いや、可能性としては、ありうる」 ナタリアとイオンを救出する際に侵入したローレライ教団でも、オラクル兵は彼女の探索を続けていた。つまり言い換えれば彼女は一人逃亡を続けているのだろう、と思い込むようにしていたが、それはただの希望的観測だ。生死は問わない、そうオラクル兵は語っていたではないか。

その言葉を聞いた際も、かっと目の前が赤くなった。ルークに片手を抑えられていなければ、どうなっていたのかわからない。情けない、と頭をかきむしった。すべて彼らの言うとおりだ。理解している。

気まずい沈黙だった。
しんと声を落としながら、ダアトの門をただ目指した。ときおりミュウが困ったように彼らの周りを回っていたから、ルークがミュウの背を掴んで肩にのせてやった。「みゅ?」 ふと、彼が視線を向けた。「あれはなんて書いてあるんですの? ご主人さま」「ああ? 何でも売ります、ついでに買います……」「ちがいますの! ぼく、文字は読めるですの、どういう意味かきいてるんですの!」

場を和ませようとしているのだろうか。それともただ気になるだけか。どういう意味かときかれても、とルークは困惑した。そもそも彼だって、外界にたいした知識はないのだ。ものを買うにはお金がいる、ということだって、ついこの間知ったことだ。

なあ、ガイ、と声をかけようとしたとき、彼がじっとその看板の、いや店を見つめていた。すっかり足まで止まってしまっている。「……あれは、の、ハンカチ……?」 さすがの彼の言葉に、呆れたように数人がため息をついた。「いや、違う、嘘じゃない。確かあの柄は、彼女が気に入って持っていたような」「……あ、ほんとだ。あたしも見たことある」

アニスの頬の油をふこうとしたとき、使いことももったいない、と瞳を釣り上げたハンカチだ。「悪い、少し時間をくれ」「私も行きましょう」 そしてなぜだかジェイドがくっついてきた。なぜだ、とガイは思いはしたがまあいいと店主に声をかける。

「すまない、このハンカチだが……」
「ああ、それか。高いよ、1万ガルド」
「い、いちまん」
「文句があるならよそに行きな。次に買えるのはマルクトだろうが、そっちじゃもっと値がはる」

いやそうじゃなく、というガイのセリフに変わって、ジェイドがひょいと顔を覗かせる。「なぜマルクトなのですか? これはバチカルの特産品でしょう。そちらの方が流通量も多いでしょうに」 痛いところをつかれた、とでも言う風に、店主は眉をひそめた。「……売った子が、マルクトに行くっつってたんだよ。嘘は言ってねぇ。安く買いたきゃバチカルに行きな」

つまりはあえて言わなかっただけらしい。「売った子、ということは女の子か?」 くいつくようなガイの言葉に、思わず商人は頷いたあと、しくじったとばかりに視線をそらした。「どんな子だった? マルクトに行くだって? どうやってだ」 まさかそこらに魔物が徘徊する草原を通り抜けたのか。

「あなたが、彼女に何かを教えたのですね?」

そうに決まっている、とでも言いたげなジェイドにも詰め寄られ男はぶるりと震えた。「言った! 言ったが、あんたたちには教えねぇよ。あの嬢ちゃんからは、情報料をもらったんだからな!」「ならその倍払うから教えてくれ。俺たちはその子を探してるんだ」「言えるわけねぇ!」

力強くテーブルを叩いた。いくつかの商品が跳ね上がり、おっと、と商人は慌ててもとに戻す。そうして商品を守るように覆いかぶさり、ガイとジェイドを睨んだ。「あれは、あの嬢ちゃんだから言ったんだ。まあ、うまく誘導されたってのもあるが……あんだけ必死な女の子と、あんたたちを比べるまでもねえよ。特にそっち! あんた! マルクト軍の服だろ! そんな怪しいやつに言えるわけねえだろ!」

商人の叫び声が、出店の外まで響いたらしい。「大佐の胡散臭さが、こんなところであだに……!! むぎゅ」 思わず叫んだアニスの口元を、イオンがそっと押さえ込んだ。

これ以上は仕方ないとばかりにジェイドは首を振った。ガイも理解している。少なくとも、はここに来た。「マルクトですか……なるほど」 胡散臭いと呼ばれた男が、ずれたメガネをもとにもどした。「まあ、妥当な行動でしょうね」


・フォン・ファブレ。奇妙な少女だ。


     アクゼリュスが、一夜にして滅ぶ、なんてことはありえますか?


彼女はジェイドにそう問うた。
・フォン・ファブレは、ただ唯一、アクゼリュスの崩壊を予知していたのだ。
それがただの偶然であったのか、何かの意味があったのか、ジェイドにはわからない。ただ、できることなら、彼女の無事を願った。それはガイのように、彼女の人格を好いてのものでもなんでもない。ただ彼の疑問は、未だに解けてはいないからだ。



***



がたん、がたん、がたたん……


揺れる船の中、私はただ両手を握りしめて小さくなっていた。このポーズが一番落ち着く、なんて考えている場合ではない。相変わらず髪の色は真っ黒だし、なれない長さに首元がすうすうする。周囲はガッチリとマルクト兵で固められていた。当たり前だ。私がそう願ったんだから。


     私は、・フォン・ファブレ。キムラスカ王家に連なるものです、ピオニー陛下への謁見を願ってこちらに参りました!


ランバルディア王家の特徴であるこの碧眼が、その証拠です! ともりにもった設定で胸をはってみたもの、どうしようと背中からは滝汗が止まらなかった。確かに、ナタリアさんのお母さんであるシルヴィア様は豊かな美しい黒の髪であったときくけれども、あくまでもそれは特例で、本来なら赤髪に碧眼であるはずだ。

そこをつっこまれてしまったらどうしよう、とぷるぷるしているのは指先だけじゃない。

マルクト行きの船着き場で警備をしていたらしい兵士の方々はそう言って唐突に名乗りを上げた私を見て、互いにこそこそと耳打ちした。ちらり、とこちらに瞳をやられる。ぐ、と体に力を入れる。ひそひそ。ちらり。ぐぐっ。何度かそれを繰り返して、さすがにもう勘弁してください、と泣き出しそうになったとき、やっとこさ彼らの中で結論が出たらしく、「とりあえず、まあ、こっちに来い?」

疑問形ではあったけれども、よくやった! と自分に拍手を送った。

そうして現在、船の中で体育座りに近いようなポーズを行っているわけである。


マルクトの首都のグランコクマまでは難しいとしても、ダアトから離れることができれば儲けものだ、とも考えていたけれど、幾度もの乗り換えを行ううちに、私は一体どこに向かっているんだろう、とだんだん不安に変わってきた。ピオニー陛下を目指してはいたが、まさかそこまでたどり着けるとは思ってはいない。けれどもあまりにも渡航が長すぎる。

幾度かの日の移り変わりを確認して、すっかり心根もやつれてしまった。自分がなぜ生まれ変わったのか、そして記憶があるのか。そもそも、、二つの存在の時期がかぶっている理由を考えて、私は本当になのか、そんな不安は考え飽きてしまって、次にひたすら思うことはガイさんのことばかりだ。

彼は優しいから、心配しているかもしれない。そのことが申し訳ない。イオン様とナタリアさんも、一体どうなっただろう。ルークさんたちもそうだ。瞳を閉じて先を見ようにも、やっぱり何かに遮られているようでうまく見えない。こんなの本当にやくたたずだ。

はあ、とため息をついて目の前を見たとき、マルクトの兵士の方が変わっていることに気づいた。すでにダアト付近から出発した人は途中の港で交代していたから、これもきっと何度めかの交代かとあまり気にもとめていなかった。隣の男の人もいつの間にか別の人になっている。銀髪の男性で、ガイさんよりも少し年は上かもしれない、と何でもガイさんを基準にして考えている自分に呆れてしまった。

まあなんにせよ、気にせずに相変わらずの体育座りに近いポーズに戻ろう……としずしずと両手を合わせて頭を下げていた最中、なぜこんなにも彼が気になったのか考えてみた。ううん、と頭をひねっているとき、なるほど、と気づいたことを確認するために、そっと顔を上げる。正面に向かったその人は、どこかにやにやと面白そうにこちらを見ている。そう、今までの兵士の人とは表情が違う。

なるべく感情を殺すようにとこちらを観察し続けていた彼らと違って、その男の人は笑いを押し殺すように私を見ていた。彼を盗み見ていることに気づいたからか、ふんと鼻から息を出して今度はじっと表情を固めている。その様子を見て、私の隣の銀髪の男性が、クッと唇をかみながら疲れたようにため息をついた。どうしたんだろう。

褐色の肌に、淡い金の髪の男の人で、年はよくわからない。若いようにも見えるけれど、妙な落ち着いた貫禄がある。その姿を、私は見たことがある。(あ……) いやまさか、そんな。(ピオニー陛下……?)

気づいてしまうと、確かに陛下その人だった。
白昼夢のような記憶の中で、陛下はガイさんたちに言っていたのだ。俺のジェイドを連れ回して帰しちゃくれなかったのは、と。

その一言しか見えなかったけれど、フランクな言葉遣いに人柄も見えてくるものである。けれども普段ナタリアさんのように真面目に王政に取り組んでいる人たちしか見ていないものだから、自身の考えとの齟齬に頭を抱えた。でも確かにそうだ、ピオニー陛下はお忍びで私を見物しに来ている。準備のいいことにも、マルクト兵の軍服を纏って。

、だったか?」

だからピオニー陛下から声をかけられた瞬間、必要以上に飛び跳ねた。それから返事をしなければ、と一拍置いて気づいて、「は、はひっ」と声を裏返りながら彼を見据える。一国の王様が目の前にいる。

は、陛下にお目通りを願って、何を求めているんだ? わざわざ、キムラスカの王族がこんなところまで来て」

王族の名前を出したのは、そうでも言わないと歯牙にもかけてくれないだろうと考えたからであって、本来でしたらなんの権限も力もない人間です、としおれた。というか、ピオニー陛下がピオニー陛下に会ったときのことを訪ねてきている。本当にお忍び以外の何者でもない。

ここでもし、駆け引きが得意な、ジェイドさんや、内政はすっかりお手の物であるナタリアさんなら違う反応ができたんだろう。けれども残念ながら私が受けていた教育は花嫁修業ばかりで、さらにはもとはただの日本人であった記憶しかない。

一国の王様とやり合う勇気など、どこにもない。「あ、あの、ピオニー陛下……」 悲しくも、呟くような声が漏れてしまった。知らないふりをする勇気もなかったけれども、逆にこれは勇気のある選択だったのかもしれない。

ピオニー陛下は、面白げに頬に片手をつけていた顔をガクッと落として、ぱくりと口元を動かした。それから慌てて私の隣にいる銀髪の男の人に声をかける。「アスラン、お前か?」「い、いえまさか! 違います! というか陛下、さすがにお遊びが過ぎたのでは……」「俺の顔はキムラスカにまで売れているのか?」

きょとんとした陛下に対して、曖昧に笑った。
あまりにも唐突に目的の人物が現れたものだから、何を伝えればいいのかも頭の中でまとまっていなくて混乱する。

「ピ、ピオニー陛下、お初にお目にかかります、私は・フォン・ファブレと……申します」

慌てて平伏を行おうとしたけれども、揺れる船の中でバランスを崩してしまった。「いやいい、気にするな」とはたはた振られた片手に甘えることにした。そもそもこんな中で挨拶を行う状況なんて、誰も想定していない。

・フォン・ファブレ、な。聞いた名だな」 ルークさんならまだしも、私を? と眉をひそめた。それと同じくして、陛下も瞳をすがめた。「アクゼリュスで死んだ名だと、キムラスカからの文をもらっている。あちら曰く、俺たちが殺した、ということになっているらしいが」 ハッと顔を上げた。ガイさんが想像したとおりの状況になっている。私達の死は戦争の引き金になる可能性があると。


「そ、それは誤解です! マルクトの大佐であるジェイド・カーティス様、わたくしどもの姫であるナタリア様、そしてファブレ家の長男である兄もアクゼリュスの崩落に巻き込まれはしましたが、こうして生きながらえています! 崩落についても私はその場におりました。決して、キムラスカの謀略ではなく、マルクトも関わりもありません!」

伝えなければ、と必死の思いばかりが先走っているようだ。ふん、とピオニー陛下は頬をかきながらも私を見る。「とは言ってもな。・フォン・ファブレ。お前の髪は、なぜ黒いんだ? ファブレ家には男女の子供がいるときいてはいるが、二人共赤毛のはずだ。ましてその短さだろう」「こ、これは……」 隠すように髪を掴んだけれど、何の意味もない。


これを説明しない限り、おそらく何も信じてはもらえないだろう。モースから逃げるために染めた、そう嘘をつくことは容易いけれども、一時しのぎはすぐにボロがでるに決まっている。
何か言葉を、そう考えるたびに喉がひりついたようで、うまく声に出せない。一国の王とは、こうも、と押し出されそうになった。

どうやって誤魔化すべきか。そればかりを考えた。けれども気づいた。私はジェイドさんのように頭が回るわけじゃない、そう自分で言ったばかりじゃないか。それなら下手な誤魔化しを考えたところで、きっとなんの意味もない。「預言を」 震える声を絞り出した。「預言を、見たからです」 そうとしか言いようがない。

「スコア?」

ピオニー陛下と、フリングスと呼ばれた男性二人が眉をひそめた。当たり前だ、預言を詠んだからと言って、外見が変わるなんてきいたことがない。それに私は詠んだわけではない。本当に、ただ“見た”のだ。

「私にも、わかりません。ただ、本当に、未来を見ることができたのです。本当のことを言うと、預言かどうかさえもわかりません。そして気づいたら髪の色がこうして変わっていました」

何を言っているんだ、と笑い飛ばしてくれればいい。
ただ真摯に私は彼らを見つめた。意外なことにもピオニー陛下はさきほどよりもよっぽど真面目な顔で私を見ていた。「預言師というわけではないだろう。未来を見ることができるというのは?」「瞳を閉じて、先を見ました」

頭のおかしい女だと思われてしまったかもしれない。
どうしてうまい言い回しもできないんだろう、と自分自身に呆れても仕方がない。

ピオニー陛下は自身の顎をつかんで、ふうん、と一つ考えた。「それは何でもわかるのか?」「……おそらく」 嘘だ。ダアトから離れた今、見ようとするたびに、何かに阻害されていて、うまく見ることができない。「それなら、今日の俺の晩飯をあててくれるか?」 なので彼からの質問にずっこけそうになった。

「ば、ばんごはん、ですか?」
「そうだ。一国の王の晩飯だ。さぞ豪華なものを想像してくれ」

にやにやとしている。当てられるわけがないと思っているのだろうか。けれどもここで外してしまえば、おそらく私は彼から見向きもされなくなる。必死で瞳を閉じた。何度も見ようとして、失敗を繰り返していたから、怖くて仕方がなかったけれども、そのときばかりは何故だか成功した。そして不思議なものを見た。

カレーの中に、豆腐が大量に投入されている。
なにこれ。


「マーボ、カレー……?」

麻婆豆腐とカレーを混ぜ合わせたようなその料理に、思わず呟いた。豆腐が苦手なガイさんが見れば発狂しそうな料理だ。そして私の言葉を捉えて、ピオニー陛下は手のひらを叩きながら、大声で笑った。「フリングス! これは本物だな!!」「陛下……」

ジェイドを偲んで城のコックに用意をさせようと思っていたんだ、と腹を抱えて陛下は笑い転げている。そしてその光景をフリングスさんは唇を噛んで表情を殺すかのようにこらえていた。一体この状況はなんなんだろう。

ひとしきり笑って満足をしたのか、陛下はじっと私を見つめた。「……瞳の色も、わずかだが変わっているな」 その言葉をきいて、ぞっとした。鏡もないものだから、わからなかった。隠すように瞳を抑えて、震えたのは一瞬だ。これで彼が信じてくれるというのなら、いくらでも見ればいい。

唇を噛み締めながら、相対した。「……ふむ」 なるほど、と陛下はうなずく。「わかった、信じよう。少なくとも、お前の言葉に嘘はない」 些少だがな、と付け足されたところを見ると、いくらかの大見得もすべて見破られているようで、赤面した。


「キムラスカがアクゼリュスを潰したってのも、違和感があったんだ。だが、あっちからの宣戦布告は時間の問題だろうな。その噂のキムラスカの姫たちの姿がありゃ話は別だが」
「ナタリアさんは、生きています! 今は確かに、互いを把握できていませんが……でも、必ずここに、マルクトに来ます!」
「それは、お前が言う預言か?」

面白げに片眉を釣り上げた彼に、力強く頷く。きっとナタリアさんたちも、キムラスカに戻ることは苦労するはずだ。それならば、と諦めるお姫様ではない。彼女は根性の姫なのだ。必ず、岩にかじりついてでも、戦争を止めようとするだろう。

ようし、とピオニー陛下は自身の膝を叩いた。

「俺も自国の民を無闇に傷つけたいわけではない。かと言って、そちらの言葉をすべて鵜呑みすることもできない。だからファブレ嬢、あんたが言うお姫様がマルクトにたどり着いたなら、すぐさまキムラスカに伝令を飛ばすように準備しておこうじゃないか。それだけでも随分違うだろ」

ようはスピード勝負だ、とぴんとこちらに人差し指を伸ばす皇帝は、やはり表情は幼げであるのに瞳はぎらぎらと輝いている。

「ファブレ嬢、まだあんたの仕事は終わっちゃいないぜ。知っていることを、全部話すんだ。そうして俺を信用させろ。あんたの言葉がおもしろ……価値があると判断できりゃ、各方面に調査をさせよう」

そう言ったあとで、ピオニー陛下は、いいや違うな、と首を振った。「俺はジェイドが生きていると思っている。まずはネクロマンサーを見かけりゃ、何を優先してでも俺に取り次ぐように。そう命令するところからだな」

ひどく楽しげだ、と思ったのは私だけではないらしい。フリングスさんがわずかばかりのため息をついていた。
まだ、始まったばかりだ。きつく瞳を閉じて、呼吸を整えて、ゆっくりと彼を見据えた。





船は進んでいく。おそらく、マルクトの首都、グランコクマに。
こうして私はとして生まれ育ったキムラスカから離れた。考えてみれば、として初めて、この惑星オールドランドに足を踏み入れたのも、マルクトであるホドだった。ホドはもう消滅してしまったときく。

一体、あの大きな大地が、どうやって消滅したのだろう。もしかすると、と考えていたことがある。アクゼリュスと同じなのでは。ホドを支えていたセフィロトツリーが崩れてしまい、崩落した。
なんにせよ、ガイラルディア様や、ユージェニー様、マリィベル様との思い出がつまった屋敷が、今はもうないことが悲しかった。

過去に戻るすべはない。
ただ私達は、先にしか進むことしかできない。






BACK TOP NEXT

2019/11/29