彼はひどく驚いたような表情で私を見ていた。「……?」 怪我をしていないだろうか、大変なこともなかっただろうか、と心配していた気持ちがぽろぽろとこぼれ落ちて、髪の色が変わってしまったことも、の記憶への不安も、全て一緒にどこかへ行って消えてしまった。

ガイさんの顔を見た瞬間に、全部がどうでもよくなった。今すぐに飛びついてしまいたい、そう思ったけれど、僅かな気持ちの理性で彼が怖がってしまうことにも気づいて、ぴたりと止まった。そうするとガイさんが、もう一度小さく私の名前を読んで、かき分けるように腕を動かし、「!」 まるで泣き出しそうな顔に見えた。

お互い、少しの距離をあけて、ぱくぱくと口を動かした。無事だったのか、とほっとしたようなルークさんの声や、ナタリアさんの声が、やっとこさ、遅れるように私の耳に入ってくる。ガイさんしか見えていなかった自分に気づいて、申し訳なさに頭を垂らした。そうだ、私はきっと、彼らに心配をかけていた。奥ではいたずらっ子のように、面白げに笑っているピオニー陛下の顔が見える。彼の思考が思わず読み取れてしまった。

、きみ、髪が……」

そうして、呆然としたようなガイさんの声が、頭の上から振ってきた。すると唐突に恥ずかしくなって、すっかり短くなってしまった赤い髪を一房つかんで持ち上げる。

「あ……。やっぱり、変、ですよね」

ガイさんはただ目を丸くて私を見ていた。それがひどく恥ずかしくて、たまらなくなって、今すぐに隠れたくなった。

くしゃりと持ち上げた髪は、ひどく軽い。




***



俺たちはを追ってマルクトへ向かった。いや、ジェイドに言わせれば、たまたま目的地が同じだったというだけだろう。キムラスカ側の勢力であるナタリアの父親は、すでにモースの息がかかっている。残りはマルクト側のみだ。アッシュが残したタルタロスを操縦したはいいものの、マルクトではすでにジェイドは死んだものとなっている。下手に名乗りを上げても攻撃を受けかねない、と回りに回ってグランコクマを目指し、幾日を費やした。

やっとこさグランコクマにたどり着き、すぐさまピオニー陛下へ戦争の締結の助力を、そしての捜索を願い出ようとした最中、おそらく小さな拳で叩かれたであろう扉の音に、なぜだかひどく慌てて振り返った。


だった。
見覚えのある服ではないのは、おそらくピオニー陛下が彼女に渡したのだろう。彼女の服としてはあまり見慣れないフードがついている。元の服を変えねばならないほどのことがあったのか。そう想像するよりも先に、違和感に瞳を瞬かせた。彼女の緑の瞳も、可愛らしさも変わらないのに、「、きみ、髪が……」 ルークと同じように、背まで伸ばしていたあの長い、綺麗な髪が、ばっさりと肩口で切られてしまっている。ひどい汗が流れた。

彼女は、この髪は自身で切ったのだと説明した。そうして彼女と同じように髪を短くなったルークを見て、互いに照れたように笑っていた。偶然ですね、なんて言葉を漏らす彼女を見ることが耐えきれなくて、俺は口を閉ざした。


ピオニー陛下は、俺たちを満足げに見つめたあと、議会を招集するためすぐさま姿を消した。そしてキムラスカへの、ナタリア、ルークの生存の文は驚くほどの速さで届けられたという。グランコクマについてからも、トントン拍子にジェイドがピオニー陛下との面会の場が設けることができた。
この二つは事前にが陛下へと、陳情を行っていたからこそであると知ったとき、ジェイドはやはりとばかりにメガネを人差し指で持ち上げて、肩をすくめていた。彼ばかりは、彼女が一人行動することを予想していたとも言える。

そして俺たちは次に崩落する可能性があるマルクトの領地のうちの一つ、セントビナーに向かうことを、陛下から許可をもらうことができた。キムラスカの人間であるルークたちがいつまでも城にいるわけにもいかないが、すぐさま向かうには少し遠い。城下にある宿屋に拠点を構え、明朝出立する。そう決め、各自の部屋を割り当てられた際、俺は静かにの扉をノックした。はい、と聞こえる小さな声に、どこかほっとして、今から自身が伝えなければいけない事実に、僅かに腹の奥が震えた。




***




ガイさん、どうしたんですか? とは首を傾げている。いや、と首を振って、「少し、話したいことがあるんだ」 いや、話さなければならないこと、に近いかもしれない。


     俺は、彼女に隠していることがある。


この事実を伝えるべきか、それとも隠すべきか。幾度も波のように気持ちが押し返して、すぐさま踵を帰して、逃げ出したくなるような、そんな気持ちさえなった。けれどもだめだ、すでにルークには伝えてある。ジェイドや、他の面々にも伝えて、彼女にだけはそうしない。それは話にならないだろう。それに、潮時でもあった。

が不思議げな顔をして、もう一度首を傾げた。そうして、さらりと流れる髪を見るたびに、後悔ばかりに襲われた。俺が彼女を守ってやればよかったのに。

「あの、話って……」
「いや、すまない、少し、言いづらい」

幾度も深呼吸を繰り返す。すでに一度は人にした話なくせに、の前となると声が出ない。どううまく彼女に話せるだろうか。綺麗な言葉になるだろうか、と考えている自身にきづいて呆れた。どう取り繕うと、事実は変わらない。「俺は、マルクトの人間なんだ」 は緑の瞳をきょとりとしてこちらを見上げた。「ルークたちには、すでに伝えたことだから、きみにも、話さないといけない、と、思ってね」

うまく、声を出すことができているだろうか。は何も言わない。丁度部屋の中に椅子を見つけて、そこに座り込んだ。は離れた場所で、ベッドの上に腰掛けている。椅子があるくせに、彼女はよくそこに腰掛けたがるものだから、まったく理解もできていない彼女に腹をたてて、たまに、押し倒してしまいそうになる。まあそれが俺にできるわけないのだけれど。

「カースロット、というものを覚えているかな。六神将であるシンクにつけられたものだ。それが発動した。君がいない間、マルクトに入ってすぐのことだ。俺はルークに刃を向けたんだ。だからもう誤魔化すことができなかった」

そう告げたとき、は立ち上がった。彼女の表情を見て、慌てて首を振った。「いや、もうそれ自体はイオンが解呪してくれている。だから違う、安心してくれ」 安心。この言葉を吐いたとき、俺は今から彼女のこの気持ちを叩きのめしてしまうことに気づいて、閉じそうになる口を、必死に開いた。だから、座ってくれないか、そう告げた言葉に、は静かに従った。言わなければならない。「カースロットは、決して、人を思い通りに操る術じゃない……」

は何も言わなかった。だから告げた。自身がルークに刃を向けてしまったことは、心の底に今もくすぶる殺意をくすぐられたのだと。「俺は、もとはマルクトの貴族だ。セシルは母の姓だ。ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。それが俺の名で、君たちの父は俺の仇だ」

ここで言葉を止めてやりたかった。けれどもおそらく彼女は理解している。何故、仇である男の元で、十何年も静かに息を潜め生きていたのか。そこまで言わなくてもいいだろう、と止めようとする自身がいる。ただそれは彼女にとって不誠実にすぎた。だから、伝えなけれればならかった。



「……俺は、君を、いや、君の家族たちを、俺と同じ目に合わせようと、思っていた」


そうだ、これが俺の本質だ。一皮むけば、欲ばかりでできていて、ヘドロのような腐った内面を、必死に取り繕って隠して生きてきた。はやはり、何も言わなかった。ただ俯いていた。当たり前だ。驚いているだろう。彼女は昔から俺になついてくれていた。けれども俺は、その彼女の赤い、長い髪を見るたびに、腸が煮えくり返るようで、苛立って、たまらなく苦しかったことは否定できない。それが、彼女自身のせいではないのに。

泣いているのだろうか。

そう思った。
彼女は、兄のように俺を慕っている。それを知っている。その人間から、吐き出された言葉に、が傷つかないわけがない。なぜ、もっとうまく話すことができなかったのか。ただ、優しい言葉を並べて正当化したいわけでもなかった。「でも今は違う」 これだけは、伝えないといけない。「そう思っていた。過去だ。わだかまりがないと言えば嘘になる。」

もし、あの場にがいれば、俺はにも刃を向けていたのだろうか。考えたくもないことだ。「俺は、君を、大切に想っている」

吐き出した言葉に偽りはない。

長い間があった。どうすればいいのかもわからない。ルークに言ったように、もう少しばかり一緒にいさせてくれ、そう伝えることもできなかった。かちこちと、時計の針が揺れる音がする。秒を数えることもできなくなるくらいの時間が過ぎたとき、ふと、は顔を上げた。「私も、ガイさんのことが大切です」 震え上がった。

のことだ。もしかすると、言葉だけなのかもしれない。そうして声を出すことで、俺に安心させようとしているのかも。そう思うのに、笑う彼女の顔を見ると、ひどく胸が安らいた。ほっとした。

「……ガイさんは、マルクトに、戻るんですか?」

ふと、思いついたような彼女の言葉に、少し微笑んだ。「そうだな。ピオニー皇帝にも、すでに俺がガルディオス家の人間であることを伝えている。俺は、キムラスカの人間にはなれないよ」「……そう、ですよね」「でも今すぐじゃない。少なくとも、この旅が終わらないとな」

抱きしめることができたらいいのに。
幾度も、幾度もそう思った。けれどもひどく今、それを感じた。長い間、彼女には罪悪感を抱えていた。マルクトの人間であることを隠して、彼女に接することが辛かった。俺がマルクトの貴族であることを伝えて、すべてぶちまけてやりたいと、何度も考えた。けれどもそれはただの自身の満足のためであって、困惑させるだけであることも理解していた。それはまるで重しのようにのしかかって、自身のくすぶる気持ちを痛めつけていた。

     それを、どんなきっかけであれ、やっと伝えることができたのだ。


長い、長いため息が出た。本当は俺が守りたかった。彼女の行方がわからない、そうジェイドから聞いたとき、恐ろしいほどに後悔した。自身で彼女を守ることを、無意識にも避けていた。その結果が彼女の髪だ。 髪ですんで良かった、とは思わない。ただもしかすると、命までも落としていたかもしれない。そう思うと、ぞっとした。

「……君は自身で髪を切ったと言っていたけれど、もしかすると、なんだが、それを切ったのは」

そう問うた疑問に対する答えは、彼女の顔を見ればわかった。「そう、だったんだな。本当に馬鹿だな、俺は」 守るつもりで、傷つける刃を送っただけだった。ひどく胸が苦しかった。けれどもは違うと叫んだ。

「違います!」 

ときおり彼女はこうして、はっきりと言葉で伝える。いつもは曖昧に笑って、争い事から逃げているくせに。「あの、私、なぜだか、髪の色が変わってしまったんですけど」 髪の色が? と眉を潜めた。「理由は、わからなくて。おそらくですが、ガイさんにも伝えた預言を見たからだと思うんですが……」

すでに彼女の髪の色は、俺が知っている色だ。そんなことがあるのだろうか。大丈夫なのか、と畳み掛けようとしたとき、「と、とにかく!」 と本題はそこではない、とは両腕でばってんを作る。

「確かに、髪の色は変わっていました。でもそれだけでは、染めたと思われていた可能性もあります。このナイフがあったから、私はここまで来ることができました。ガイさんだと思って、ガイさんに会いたいって、それだけ考えていたんです」

そう必死にこちらに告げるものだから、なにかひどく妙な気分になった。も悪いのだ。俺のことを、なんとも思ってもいないくせに、そんな言葉ばかりをこちらに告げる。そうしてこちらを喜ばせる。

が怒るたびに、ふわふわと髪の毛が揺れていた。あの苦しくて仕方なかった髪は消えてしまった。なのにそれをひどく残念に思う自分がいる。結局、俺は彼女のことを好きで好きで、仕方がない事実は自分自身に隠すこともできなかった。「……髪飾りを、贈ると言っていたのにな」 手を伸ばしたかった。そうして、髪を一房でも持ち上げて、口をつけてやりたい。心の底から願っているのに、何もすることができない。は困ったように笑った。そうして自分の髪を隠すようにしてこちらを見上げていた。

なにやら恥ずかしそうなその仕草を見て、そういえば再会したときの彼女は、『やっぱり変ですよね』と自身に言葉を漏らしていたことを思い出した。確かに長かった彼女の髪が好きだった。けれども、「髪が短くなっても、きみは可愛いよ。俺は色んなが見たい」 本当のことだ。

そう告げたとき、はぽふりと赤くなった。

その反応を見て、俺はしばらく瞬いた。初めて見た彼女の顔だ。赤い自身の顔に気づいたのか。それを必死で隠そうとして手の甲を頬にあてて、顔をそらす。その反応がまた可愛らしくて、妙に胸がざわついた。今まで、俺はアッシュではないが、ずっとの兄代わりみたいなものだと思っていた。だから恋愛として、彼女が俺を好きになることもないし、照れることもない。そう思っていたのに。

「……あんまり、見ないでください」

そう言って照れた顔で顔をそむける彼女を見ると、期待してしまいそうになる。やめてくれ、と思うのに、その姿がひどく嬉しかった。「かわいいよ。キスしたいくらいだ」「が、ガイさんはできませんよ!?」「もちろんわかってる」 悔しいことにも。


彼女に、嘘はない。そう思ったが、本当は嘘が一つある。いや、ただ伝えていないだけで、嘘と言うには少し違う。


     俺は、君を守りたい」

言いたかった。けれども、言えなかった言葉だ。
俺はマルクトの人間だ。そして彼女はファブレの、いや、キムラスカの人間だった。想いに蓋をし続けて、この言葉を伝えることができなかった。

「ピオニー陛下は、、君一人くらいなら、城に留めておくことはできると言っていたよ。きみは本来、争い事は好まないし、こちらの方がいい提案なのかもしれない。でもな、だめなんだ。君が傍にいないと、不安で仕方ない。何度も後悔した。だから、今度こそ、俺が、君を守らせてくれ。一緒に、ついてきてほしい」

こんなの、ただの俺のわがままだ。なのには、顔をくしゃりとしてそれからまた頬を赤くした。そして震えるように頷いた彼女を見た。
このときの自身の気持ちは、言葉で表すことができない。ただ彼女といたかった。彼女の名に、ファブレという文字が入っていても、それでも。




***




びっくりした。とにかく、びっくりした。

話したいことがあるとガイさんが言うから、一体どうしたというんだろう、と思っていたところに、ガイさんがマルクト人である、ということを伝えられてしまったのだ。まったくもって覚悟がなかったし、どう反応していいかわからなかった。だから何も言えずにいた。

もっと、何か気の利いたことが言えたらよかった。そう後悔していたら、ガイさんにかわいい、と言われてしまったのだ。そんなの何回も言われているし、ガイさんの人柄を知っているから、ありがとうございます、とそう言えばよかったのに、なぜだかそうやって、平然とした返答ができなくて、声が詰まった。

頬が熱いし、馬鹿みたいに照れている自分には気づいていた。ファブレ家の、いや、ランバルディア王家の象徴である髪を切り落としたこと自体は、大して気にしていないのに、ガイさんに会ったとき、彼にどう思われるだろうかと、そればかりを気にしていた。なんて言ったって、になってからずっと長く伸ばし続けていた髪だ。こんなに短くなんてしたことがない。

そう気にしていた私に気づいてか、彼はさらりと伝えてきたのだ。それにひどく動揺している自分自身に困惑して、ガイさんを見上げた。彼はひどくとろけそうな顔でこちらを見ていて、こんなのひどい、と泣きそうになった。勘違いするに決まっている。

ファブレ家にいるとき、ひっそりと泣いているメイドさんを、何人も見たことがある。ガイさんは誰にでも優しいから、人によっては、きっとそれが辛く感じる。私はガイさんのことを知っているからわかっているつもりだったのだけれど、彼はこんな表情をしていたんだろうか、と困惑した。


     私も、ガイさんのことが大切です


告げた自分の言葉を思い出して、ばか、と一人ごちた。言葉にして、泣き出しそうになった。
オラクル兵から逃げて、マルクトへたどり着く間、そして彼と再会するまで、ずっとずっと、ガイさんのことばかりを考えていた。それが一体どういうことなのか。言葉にしてしまえば単純な話だった。いつからかわからない。けれど、きっと、私はきっと。
(ガイさんのことが、好きなんだ……)

知りなくなんてなかった。であった自分には許されるはずもない想いで、マリィベル様にも、ユージェニー様にも、ペールさんにだって申し訳なく感じた。そして、私が本当にのままであったはずなら、持つはずのない想いに愕然とした。私はとっくにになってしまっていたのだ。そのことが辛かった。

きっと私は、キムラスカの貴族の誰かと婚姻する。だから恋なんてしたくもないし、する気もない。そう思っていたのに、とっくの昔に転がり落ちていた。

意識すると、今まで見えていたものが変わってしまったような気がする。ガイさんの表情には、ほんとうにとろけてしまいそうになるし、メイドたちの気持ちがつくづくよくわかって同情した。ガイさん、お願いだからもうちょっと抑えて。部屋の中で二人きりであることにも、自分がベッドの上に座っていることもそわそわして、そうしたあとで、自意識過剰な思考に赤面した。


私は彼にとって、仇の娘であるはずなのに、彼は守りたいと言ってくれた。大切に思っている。そうも言ってくれた。思い出すと喜んでしまいそうになる気持ちと一緒に、暗く、落ちていくものがある。私は彼を、“騙して”いるようなものだからだ。

きっと、この告白も、ガイさんにとって、ひどく覚悟がいるものだったに違いない。なのに、私はずっと知っていた。もしそれを知ったら、ガイさんはどう思うだろう。(……軽蔑されるかもしれない) そう考えると、すっと胸の奥が冷えた。そんな女に、好きと言われても、想われても迷惑なことも理解している。


言えるわけがない。私は、です。いいえ、でした。あなたと幼少期を過ごしたメイドです、なんて、そんなこと。



こんこんこん、と扉がノックされる音が聞こえた。
僅かの間のあとに、「はい」と返事をする。意外なことにもジェイドさんだった。ジェイドさんは私を見て、それからガイさんを見て、「おや、どこにもいないと思ったら」と大して意外でもなさそうに、ガイさんに声をかけた。

に伝えていたんだ。まだ、彼女には言っていなかったからな」
「ああ、そういうことでしたか。それで? お話は終わりましたか」
「あらかたな」

ジェイドさんは私とガイさんを見比べて、「まあ、平和に終わったんでしたらなによりなのでは?」 と相変わらず軽薄に聞こえるような、いや、あえてそう言っているような声で肩をすくめた。


「それで旦那はどうしてに? なんの用事だよ」
「ああ……、ピオニー陛下からの伝言でして」
「伝言ですか?」

何か困ったことでもあったのだろうか、とごくりと唾を飲み込んだ。いつまでもベッドの上に座っているわけにはいかないと、立ち上がって彼を見つめた。「ブウサギの」「ブウサギ」 すべてを理解した。すっと瞳を閉じて、彼らに思いをはせる。元気でしょうか。元気でしょうね。

「ブウサギ?」

わからないのはガイさんだけだ。なのでなるべく言葉を噛み砕いて、彼に伝えた。「あの、私……グランコクマのお城にいる間、ブウサギの散歩役を、頂いていまして……」 キムラスカ人であることを公にすることはもちろんできないですからね? となぜか自分でも慌てて、人差し指をくるくる回す。「おい、もしかしてピオニー陛下が言っていた、一人なら城に留めることができるってのは」 想像におまかせする。

そしてブウサギに何故散歩が必要なんだ? というガイさんの疑問は私にも答えることはできないので黙認する。

「と、いうことで取り急ぎ引き継ぎのものに伝える必要があるとのことで、ブウサギたちの体調管理の確認をしたいとのことだそうですよ」
「そうでしたか」

それでしたら、まずはジェイドは、と人差し指を立てると、「じぇ、ジェイド!?」 呼び捨てなのか! とガイさんがどうにも形容し難い複雑な表情をして、私とジェイドさんに幾度も視線を動かしていた。ジェイドさんは無言で両手を背後に組み、無の表情をしている。こちらもちらで読み取れない。

いえ、可愛い方です、と言おうとして、それもそれでどうなの、と額に手のひらを乗せて、ピオニー陛下のネーミングセンスはひどく爆発していらっしゃる、とオブラートな感想を考えたとき、ジェイドさんが「ガイ、さっさとどきなさい。というか、いつまでいるんですか」 ぴっぴっと手で彼を追い払った。

「あなたの話は終わったのでしょう。それならさっさと夕食にでも行きなさい」
「いや、俺も話をきくよ」
「一体あなたはの何なんですか。そもそも、この部屋には椅子が二つ、私が一つ、が一つ。あなたの場所はありません。それともこの老体に鞭を打つと?」
「いや別に、立ったままでも……というか、そこにベッドもあるわけだし、そこに座れば」
「婦女子のベッドですが」

ガイさんは無言で何かに殴られたようなポーズをとった。
そしてあれよあれよと言葉のマウンティングをとられ続け、ぺとぺとと悲しげに部屋を去っていった。たちもさっさと来いよな、と言葉を言い残して消えていく様は、心持ち髪までしおれているような気がする。気の毒な。

、座ってください」
「は、はい」

すぐにすむ話なはずなのに、と思いながらも、確かにこのまま話し続けるのは失礼かもしれない、と先程までガイさんが座っていた椅子に腰掛けた。なんだか変な感じだ。「それで、ブウサギたちのことなんですが……」「それは結構です」「え?」 ただの方便です、と言いながら、座れと言ったのはジェイドさんなのに、彼は相変わらず直立のまま私を見下ろした。


「あなたが見たという、預言について、少々確認したいことがありまして」









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2019-12-04