俺たちはシェリダンへと向かうことになった。

ユリアの時代に使用されていた、過去の遺物である音機関があるときいたとき、一体それはどんなものなのか、と想像に心を踊らせた。話を聞いて、想像して、こんなものだろうかと一人で製図まで書いていたそれを求めて旅をすることになるだなんて、人生本当に思ってもみない。

わくわくする気持ちがないと言えば嘘になる。そもそも近年発掘されたばかりの貴重な資料となる浮力機関をシェリダンの技師たちがそうやすやすと貸してくれるとも思えないが、ルークの言葉を借りるのならば、『何もしないよりもマシ』だ。その言葉をきいて、俺以外にも、瞬きを繰り返したやつは、少なくないはずだ。


シェリダンに近づくにつれ、ふと、考えたことがあった。
これはもしかすると、というただのありもしない話なのだが、もし俺がファブレ家への復讐に囚われることも、マルクトもすべてを捨てて生きることを選択したのだとしたら、もしかすると今頃はシェリダンで技師にでもなっていたかもしれない。ペールはきっと困って、どうしたもんかと首をひねりながらも慣れない手仕事をすっかり慣れさせて、案外毎日楽しくやっているような気もした。あいつは意外と器用な男なのだ。ファブレ家に来るまで、ペールが花を育てることができるだなんて知らなかった。

音機関が溢れる街、と言われれば憧れないわけがない。敵国とは言えど、母であるユージェニーを送り届ける程度には過去には交流があった。もとは同盟すらも結んでいたくらいだ。ホドの屋敷の中で伝え聞いた街のことを思い出したのは、ファブレ家に入り込んでしばらくのことだった。

俺の音機関好きの根っこをたどれば、きっと姉である彼女からもらった音機関だ。実際には5歳の誕生日であったあのとき、すぐに屋敷は戦場となってしまったから、箱から取り出した、今にして思えばきっと子供向けであったおもちゃのようなそれを手にしたのは一瞬で、ペールに抱えられて逃げ惑っていた間に、勝手にどこかに転がり落ちていた。気づいたときには悲しくて辛くて、けれどもペールに聞かれるわけにもいかなくて、声を押し殺して泣いた。

だからバチカルで姉上からもらったような、とても良く似たそれを見つけたとき、店先のガラスに思わず両手をつけて、でこを強かに打ったものだから、店員に睨まれた。きっと、あれからだった。



本当のことを言うと、誕生日プレゼントをくれたとき、姉上がそっと付け足した、『あなたが好きだというにも考えてもらったのよ』という言葉が嬉しかった。というメイドは不思議な人で、本で見たという言葉を添えて、俺にしてみれば神秘的な世界を教えてくれた。その中に、走る音機関も登場した。

なんでこんなことを考えているのだろう、と思考をたどってみると、そうか、と顔を上げた。(飛行機、だったかな) 彼女がそんなことを言っていた気がする。は記憶のない女性であったけれど、もしかすると彼女は技師か何かだったのかもしれない。ただその当時には、まだ浮力機関の発掘はされていなかったはずだが。

(綺麗な人だったな)

初恋の人だった。

なのに今となっては、すっかりと記憶から薄れていてゆっくりと響いた声も遠くて聞こえない。当たり前だ。もう16年が経つ。それに俺はまだ子供だった。「ひこうき……」 ふと聞こえた声にひどく驚いた。ぎょっとして、を見下ろした。眼前にはシェリダンの門扉が広く構えている。俺を見て、は自分の口元をぱちりと叩いた。

「あっ、えっ、違いました。浮力機関、でした。なんで言い間違えたんでしょう」

あはは、と何かを誤魔化すような顔に見えたが、おそらくただの気の所為だ。きっと同じように考えていたから、似たような言葉に自分の中で変換してしまったのだ。「ガイさん、シェリダンには一度来てみたいって言ってましたよね」「え、ああ。そうだな、そんなことも話したっけかな」

彼女の部屋にひっそりと忍び込んで、いろいろな話をした。その中にある他愛もない話題だ。「この目で見てみたい、と思ってはいたんだ。でも残念だな、ゆっくり観光する時間なんてなさそうだ」 そういつも通りに声を落としたところで、しまったと心の中で慌てた。とは距離を置く、そう決めたはずなのに、気を抜けば、すっかりといつもの具合だ。困って、彼女から離れて、それでも小さなの背中を見つめた。

そうしていると、なぜだかがかぶるようで、まったく似ているはずもない(と、自分では思っているのだが、もうあまりよく覚えていない)彼女たちなのに、不思議な話だ、と昔からよく考えていた。

     ガイさんには、言わないでください!


そう叫んだの声は、今もしっかりと耳に残っている。あのとき、覚悟したはずだ。なのにすぐさま忘れて、すっかりいつもの具合に彼女を見つめている自分がいやになる。もし次があれば、君も一緒に行くことができれば。そう思考の端で考えた自分に辟易した。“次”なんてありはしない。

(……俺は、この旅が終われば、マルクトに戻る)

ピオニー陛下と相対して、自身の思いに気づき誓った。俺の魂はホドにある。すでに崩壊してしまった場所だが、それでも。
(ずっと、わかっていたことじゃないか)

マルクトの貴族に戻り、ガルディオスの名を復興する。
のことは守りたい。いや、守ってみせる。ただ旅が終わってしまえば、それも終わってしまう話だ。もし俺がホドに戻れば、とはもう一生、会うことはないかもしれない。ホドとキムラスカの関係がどうなってしまうのか想像もつかないが、すでに戦争は始まりつつある。彼女に別れを告げるのは最適なタイミングだった。

は、他の男の“もの”になるんだな)

あえて、下世話な想像をしてみた。何度もしたはずの想像なのに、耐えられなかった。以前よりも、辛くなっているような気もする。手を伸ばしたかった。俺と一緒に、マルクトに来て欲しい。そう言えたら、どんなにいいんだろう。
本当に、どんなに。


言えるわけがない。







飛行船のドックにたどり着けば、揉め合う老人たちがいた。なんでも浮力機関を搭載した試作機が墜落してしまったという。そして落ちた場所も悪かった。メジオラ高原と言えば魔物の巣窟だ。アルビオールと命名された浮遊機関には、操縦していた人間も乗っている。俺たちはとイオンを残してすぐさま救出に向かった。彼女たちは、シェリダンの技師たちとともに、今頃タルタロスの内部の案内をしている。

から目を離すことに、幾分の不安はあった。あのときとは状況が違う。無理に危険に晒すよりもいいはずだと頭ではわかっているはずなのに、眉をひそめることで、平静を装ったのかもしれない。そんな俺を見上げて、『大丈夫ですよ』と言った彼女に後ろ髪をひかれた。きっとこちらを安心させようと思ったのだろう。

崖から滑り落ちるギリギリでひっかかってたアルビオールを、二手に別かれて発射装置で固定させる。強風が吹き荒れる中、少しずつずり下がる浮遊機関を見て、ひやひやしたものだが、なんとか間に合ったらしい。手元にある発射装置を撫でて、後ろにいるティアとルーク、ついでにミュウがほっとした息を吐き出した。向こう側では、ジェイドたちがうまくやってくれたようだ。

「なあガイ。あとは、これを固定させて、回路をつなぐんだったよな。そしたら大丈夫なんだよな?」
「ああ、そうだな。ついでに中の人間も無事だといいんだが」

ふと、操縦席の扉が開いた。銀の髪の男が恐る恐ると顔をのぞかせてこちらに手を振っている。「……無事みたいね」 みゅう! と元気にチーグルが返事をしている。なんとかアルビオールの修復も終わり、安堵の息が口から出た。あとはもう一度シェルダンに戻るだけだ、と細かな砂に足を埋もらせながら元来た道を戻る最中、「なあ、ガイ。丁度がいないからさ。ちょっときいていいか?」 ルークにかけられた声の、、という言葉にひどく反応した。

「ティアも、ごめんな。俺たちの話は、あんまり気にしないでくれると嬉しいんだけど」 とルークは前置きをして、ミュウを抱きしめたまま、「え、ええ」となんのことだかわからないままにティアは頷く。


「ガイ、お前、あいつのこと避けてるよな」

どう返答すればいいのかわからなかった。いや、否定する以外の言葉を持たなかった。「……気の所為だろ」「そんなわけねーだろ」 間髪入れず、尻をかぶせた声にため息が出た。ティアは静観することにしたらしい。何かを話そうとしたミュウの口元をむぎゅりと抑えた。

「お前にまでわかるくらいだったか。よくねえな。そうだよ、避けてる。俺がマルクトの貴族だったってこと、にも話したって言ったろ。彼女は、困惑しているようだったから。あまり関わらない方がいいと思った。それだけだ」

吐き出そうような声になってしまったと自身でも感じた。現に、でかいため息が口から漏れた。「困惑って……そりゃ、驚きはするし、俺だってした。でも、避けるって、おかしいだろ……。あいつ、すげえ凹んでるみたいに見えたし」「そうかな。幼馴染だと思ってた男が自分の命を狙ってたと知ったんだ。嫌になるってもんだろ」「俺はそんなこと思ってない!」

そりゃお前は、と言おうとして、慎重に言葉を選んだ。自分でも思ってもいないことを口に出して、彼を傷つけないわけではない。

「……お前は、男だからな。は、女性だし、身を守る術だって少ない。だから、違うだろ」

納得のいかないような顔をする少年に苦笑した。「きいたんだよ。グランコクマの宿で。が、ジェイドに俺のことを話していた。俺には言わないで欲しいと、そう言っていた」

盗み聞きだと言わないでくれ、と茶化したような声を出して、からからと笑った。そうするしかなかった。相変わらず、ルークの表情は変わらないし、ミュウは不安げに俺とルークに視線をさまよわせている。ティアはさくさくと静かに歩を勧めていたが、奇妙な沈黙に、ぽとりと言葉を落とした。「……本当に、そうかしら?」 みゅ? と返事をしたのはチーグルだ。


と大佐が、そう仲がいいようには私には見えないけれど……。いえ、嫌っているとか、そういう意味ではなくて、あなたのことを相談するには、相手として違和感があるわ。何か別のことを話していたんじゃないかしら?」

例えば何を、と言われると少し難しいけれど、と言った堅実な彼女の答えくらい、俺だって理解している。違和感くらいあったさ。でもそれ以上考えないようにしていた。

あのとき、もしかするとと期待する自分を叩きのめしてやりたかった。いや、ぶん殴ってやりたかった。だから考えるのをやめだ。

「私はよくわからないけれど、確認した方がいいんじゃないかしら」 

本当に堅実な言葉だった。
そうするよ、と口先だけ答えた。相変わらず不満げなルークの頭をくしゃりと撫でた。

「しっかしルークがの心配をするなんてな。成長したもんだな」
「う、うるせえよ。妹なんだから、当たり前だっ!」
「実際、姉なんじゃいか? 年で考えるとそうだろ。が姉っていうと、なんだか違和感があるけどさ」
「あいつとおんなじことを、言うんじゃねー!!」



***



とかなんとか、ガイさんたちが、アルビオール救出に飛び出している際、私とイオン様はシュリダンの人たちをタルタロスに案内していた。彼、彼女らの名前はイエモンさんと、アストンさんと、タマラさんで、目まで隠れたもしゃもしゃの眉毛をしているイエモンさんのお孫さんがアルビオールの操縦者らしく、それは大変だとなぜだか私が慌てると、「ふぉっふぉっふぉ!」と力いっぱいに笑っていた。表情が読み取れない。

彼らにとって大切であろう飛行機(と、勝手に私は命名した)を簡単に渡してくれるはずはない、と思っていたところで、最終兵器のイオン様が投入された。彼こそはダアトの最高指導者の一人である。御老体たちは朗らかに事情を説明され、なるほどと理解したところで、アルビオール回収&イエモンさんのお孫さん救出大作戦の決行が決まった。言う慣れば交換条件だ。

浮遊機関は二台ある。だからその一つの貸し出しならできないことはない、とのことだ。ただそのためには部品が足りない。二号機の部品の大半はマルクトとの戦争に合わせて、陸艦に流してしまった。それならばのタルタロスだ。責任者であるジェイドさんの提案のもと、タルタロスから部品を流用し、二号機に仕立て上げる。そのための案内人として、私とイオンさんはドックに残った。

ふと、私はガイさんを見たら、ガイさんも私を見ていた。彼はひどく眉を寄せていて、考えてみれば不安ばかりかけさせてきた私だ。不安というか、不審に感じるのも無理はない話で、義務感からか守るのと告げてくれた彼にとっては、私は困った人間なのかもしれない、と思った。だから、「大丈夫ですよ」と言ったのだけれど、ただの強がりのように聞こえてしまったかもしれない。うまい言葉さえも言えない自分が嫌になった。

ため息をついたところで仕方がない。イエモンさんが、準備万端とばかりにぐるぐると右の腕を力こぶを作るようなポーズで回している。


「できるだけちゃっちゃとしたいからの! それで? 動力位置はどこにある」
「ええっと」
「あ、それでしたら」

ユリアシティからの脱出の際、念入りに確認しておいたのだ。そのあとも、イエモンさんたちの質問に答えて、あれやこれやと艦内を移動しているうちに、ご老人三人のじっとりとした視線にぶるりとした。「……あの?」「あんた」 紅一点のタマラさんが、じっくりと私をねめあげる。その周囲をゆっくりとアストンさんが回って細い瞳をたまにぴくぴくと震わせながら、「見たところ、綺麗な手のひらをしてるようじゃが……」と呟いた。手のひらですか。

三人はぽしょぽしょと相談していた。と思ったら、どうどうと相談していた。技師ではない。けれども知識はある。今は忙しい。一刻も争う。そしてイエモンさんが総括する。

「……あんた、できるやつじゃな?」
「え、……はい?」

イオン様と一緒に首を傾げた。

ご老人にしては元気な二の腕を出しながら、イエモンさんはどこからかスパナを取り出し、そっと私の手に乗せた。「え、あの……」「見たとこ、急いでるようじゃからな。ここにはか弱い年寄りしかおらんからの」「いや、わしら超元気じゃが」 すでに内部で揉めている。

「あいつらが戻ってきたら、すぐさま飛び立てるようにせにゃならんからな! すでに操縦士にも準備させておるっ! と言ったか、嬢ちゃんも手伝ってくれ!」
「え、えっ、えええー!!」

無理ですよ! と悲鳴を上げながら首を振ったのに、「大丈夫じゃ、ビシバシ行くから!」「指導してやるよ!」「一端の技師にしてやるぞいっ!」 もう誰が誰のセリフだかわからないし、技師にされても困るのだけれど、急いでいることは事実だ。「さん、大丈夫ですか……?」 と気づかしげなイオン様の声に申し訳ないと思いつつ、「わ、わかりました! がんばります! 力不足かもしれませんが、精一杯がんばります!!」 叫んだ。

そしてイエモンさんはすっと眉毛から僅かな瞳を覗かせて、「力不足など許さん」 すごく怖い。「なぜならわしらが力の限りバックアップするからのう!」 とても頼りになる。



こうしてガイさんたちが戻るまでの間、私は頬を真っ黒にしながらスパナを回した。「いい素材が揃ってるじゃないか! これもこれも、あれももらったよ!」「タマラさん! それをとってしまうと! タルタロスが大変なことに! もう動きません!」「そんなことしるもんかいっ! わしらのアルビオールのためじゃ、儚く散れっ!」「アストンさーん!!」


みるみるうちにバラバラにされていくタルタロスに涙した。「あの、ジェイドさんが、部品を譲るとおっしゃっていましたが、こ、これは、ここまでして、いいものなのでしょうか……!?」 イオン様は微笑んだ。「……いいんじゃないでしょうか?」 あいかわらず彼はニコニコしていた。

ガイさんたちは大丈夫だろうか。彼らならきっと、そんな心配をする必要もないんだろうけれど。救出に向かったアルビオールの操縦者は、イエモンさんのお孫さんで、ギンジさんと言うらしい。すでに2号機の操縦席に待機しているのはギンジさんの妹さんで、ノエルさんだ。兄が無事でありますように、と彼女は祈りながらも、飛び立つための準備を勧めていた。

無事でありますように。彼らが怪我もなく、元気に戻ってきますように。
私にできることは、スパナを動かし続けることだけだ。力不足に嘆くことは、もう飽きた。だからするべきことをすることにした。


     はやく、彼らが戻ってきてくれますように。








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2019-12-13