私はガイさんたちを待って、ただただスパナを動かしていた。気づけば時計の針の時間が進んでいる。ふう、と額から汗を拭うと、両手が真っ黒になっていて、もしかすると、とイオン様に振り向くと、彼はにっこりと笑った。「はい、頬も真っ黒になっていますね」 そこはにっこりするシーンなのだろうか。

さすがに若干の恥ずかしさくらいの感情は持ち合わせているけれども、そんなことを気にしている場合ではない。ありがたいことに作業着はタマラさんから借りることができて、それならば元の私の服はどこにあるのだろう、と周囲を見回したとき、先程見たはずのイオン様が、ひどく見覚えのあるものを持っていたことを思い出して、ばばっと顔を動かした。

相変わらず、きょとんとした顔でイオン様は椅子に腰掛けていて、その膝の中には几帳面に折りたたまれた服が置かれている。

「い、イオン様、それは……」
「はい、の服です。そちらに置かれたままになっていましたから、汚れてはいけないと思いまして」
「す、すみません……!!」

自分の顔の汚れくらいはどうでもいいのだけれど、さすがにローレライ教団の最高指導者に着替えを持たせていたとなると話が違う。「し、下に! 下に置いてくださって大丈夫ですから!」「大丈夫です。僕がしっかりと持っていますから」「アアアそういう問題じゃないのにー!!」 というかそこが問題なのに。

涙目のまま相変わらずイエモンさんたちの指導のままネジを締め上げていたとき、ドックの扉が勢いよく開いた。その音をきいただけで、ガイさんだ、とまるで自分の頭に犬の耳が生えているみたいにぴこんっと飛び跳ねて、振り返った。けれどもまったく知らない少年がいた。ルークさんと同じ年頃かもしれない。空の色みたいな真っ青な服を着ていて袖口と襟首にはふかふかとした飾りがついていてあったかそうだ。

彼はぽかんとした顔で私を見て、「……綺麗な人だな」 ずっこけた。「ギンジ! あんた無事だったのか!」 タマラさんの声を聞いて、瞬いだ。つまりはアルビオールの操縦者の人だ。それならば、とイオン様と顔を見回したとき、彼を押しのけるように、ルークさんを先頭にどしどしとジェイドさんたちが飛び込んでくる。一番最後はガイさんだ。彼は慌てて扉を閉めて、自分の体で蓋をした。どんどんと外から叩く音がする。


「な、なんていうか、おいらはいつか綺麗な嫁さんをもらって、その嫁さんはやっぱり理想を言うとほっぺに油つけてて、でも可愛くてアルビオールの整備をしてくれるような人なんだけど」
「んなこと言ってる場合か!?」

ギンジさんが何を照れているのかもしょもしょと頭をひっかきながら呟いていたセリフに、ガイさんが叫んだ。「ほんと何いってんだ!?」 しかも二回つっこんだ。

「っていうか、はファブレ家のお嬢様だしっ! 何自分の趣味語っちゃってんの!?」
「えっ、ファブレ? ……って、あのファブレ家ですか!? す、すみません!!」
「いえ、それはいいんですけど」
「そもそも、あなた、一体なんて格好をしていますの? 顔も手も真っ黒でしてよ!?」

アニスさんの言葉にギンジさんが驚きながら私を見て、ついでとばかりにナタリアさんが突っ込む。イエモンさんが叫んだ。「できるもんにはやらせる! それがわしらのルールじゃ!」 はは、と失笑した。気づけばその通りやらされておりました。「まさか手伝ってたの!? お嬢様を手伝わせちゃう普通!?」と驚くアニスさんにかぶさって、ガイさんの背後の扉がガタゴト揺れて叫び声が聞こえる。


「おい、ここを開けろ! ここにマルクトの軍人が入っただろう! すぐさま本部に連行するっ!!」


イエモンさんたちの視線がジェイドさんに集まった。ジェイドさんはゆっくりとメガネに指をそえて、「バレてしまいましたね☆」「バレてしまいましたねじゃねーー!!」 さすがのルークさんが叫んだ。「ううむ、ここの街はもともとマルクトの陸艦も扱っとるからのう。開戦寸前じゃなければ問題はなかったんじゃが……」 さすがに今のタイミングではなあ、とアストンさんがふごふごしている。「おおーい、いいから早くしてくれ、扉が壊れる!」 はっとした。


「すまんすまん。2号機の準備は万端じゃ! 操縦士はすでに先に乗り込んでおる。そこにいるギンジの妹じゃ! 若いが腕はたしかじゃぞ!」 腕を振るイエモンさんの後ろでは、タマラさんがこそっと重要なことを言う。「タルタロスからごっそりと部品はいただいたよ。そりゃもうごっそりと」「おかげでタルタロスは走行不能です」 静かに言葉を付け足すイオン様と一緒に視線をそむけた。私達は止めたんです。

「で、ですが私達が2号機に乗ったとしても、このままでは兵士が押し寄せてしまいますわ!」 私が名を明かして止めてみせます、とナタリアさんがイエモンさんたちに向けて、片手を胸にのせて、むんっ力強く主張する。けれども彼らは首を振った。

「確かに姫様が生きていらっしゃると知れば、皆が喜ぶだろうよ。しかし時間がないんじゃろ?」
「ここは私たち年寄りに任せなさい!」

イエモンさんとタマラさんが叫ぶと同時に、ガイさんは飛び出した。扉の蝶番がはね飛んで、倒れ込むようにキムラスカ兵たちがなだれ込む。「走れ!」 ルークさんだ。「わしらが作ったアルビオールは、決して落ちん! 空を飛ぶことはわしら『め組』の長年の夢じゃった! お前さんたちは、夢の大空に飛び立つがいい!」

さあ行け! と最後に叫んだのはアストンさんだ。

彼らを振り返ることもできず、私達はアルビオールの2号機へと乗り込んだ。すでにギンジさんの妹であるノエルさんは、操縦席にて計器をいじっている。金髪の可愛らしい少女だというのに、手元は凄まじく、そして正確に動いている。

「さあ、それじゃあ、皆さん行きますよ!」 彼女はかちゃりとゴーグルを装着した。「空の旅へ!」 何か近くのものに捕まってください、と声が聞こえたと同時に、ぐんっと体が後ろに倒れ込む。座席に倒れるように逃げて、ベルトをつけたとき、懐かしい浮遊感にぞわりとした。「ぎゃ」 いくつもの悲鳴が聞こえる。「ぎゃあああああああああ!!!!!!」 なんだかこの前と同じような。覚えがあるような感覚というか。

「大丈夫なのこれ!? とくにが整備したとこ〜〜!!」
「アニスさん! 正直すぎです!」

イエモンさんのご指導のもとですから安心してください! とこちらとしては叫ぶしかない。

私自身はずっと昔に何度も『飛行機』に乗っていたし、まあジェットコースターに比べれば屋根もあって周囲に壁もあるので安心できる設計なのだけれども、他の人にとってはそうはならないらしい。ユリアシティからの脱出の際、アッシュさんとともにタルタロスをセフィロトで打ち上げた際と同じく、艦内では驚きやら苦しみやら、様々な悲鳴が飛び交っている。「ほ、ほんとに飛んでますの〜〜!!」 じたばたと空中で暴れるミュウを慌ててキャッチした。なんと危ない。

まあ、この間見たディストさんも空飛ぶ椅子に座っていたけれど、こっちと比べればサイズが桁違いだ。私達が乗っている操縦席の2階はそう大して広くないけれど、一階部分はかなりの広さがある。これならセントビナーで崩落に巻き込まれた人たちも全員乗り込むことができるはず。


すっかり安定した走行になったアルビオール内で私とガイさんはじっとノエルさんの手元を見つめていた。これは。なんというか。「……すごいですね」「……すごいな」 多分二人して同じことを考えた。タルタロスの操縦とは、まったくもってわけが違う。「あ、あの?」「いえ、本当に、素晴らしい技術だな、と思いまして……」

タルタロスは、もともと複数人で操縦することを目的とした機械で、その操縦も人数を分けることで比較的シンプルに行えるようになっている。人員が変わったとしても、即座に対応できるようにするための設計なのだろうけれど、逆にそれが仇となり、オラクル兵たちにも操縦が可能だったし、私やガイさんたちでもある程度の操縦ができた。

けれどもこのアルビオールは違う。確実に培った技術による操縦だ。ドックに残ったギンジさんも含め、ノエルさんも、イエモンさんたちも、空へ向かうことに、ひたむきに情熱を重ねていったのだろう。そしてその力を貸してもらうことができた。本当にありがたい話だ。

「イエモンさんたちは、大丈夫でしょうか……」

私達にまかせてくれ、と言ったものの、向こうは剣を持った兵士たちだ。呟くような声を出したあとで、孫であるノエルさんの方が心配に決まっているのに、と慌てて口元を抑えた。けれどもノエルさんは、「大丈夫です!」としっかりとした声で返事をした。

「祖父たちは、あれでいて……いえ、見かけ通りかもしれませんが、とにかく強いんです。肉体的な意味ではないんですが……。それに相手はキムラスカの兵ですから。わざわざ自国の技師たちを傷つけるようなことはしませんよ」

祖父もわかっているからこその行動です、と操縦桿を握りながら強い瞳で前を見る少女に瞬いた。

「……そうですね。うん、そうですよね」
「はい! アルビオールの2号機も完成しましたし、これで『め組』の株も上がるというものです!」
「『め組』、ですか?」

そういえば、アストンさんが最後にそんなことを言っていたような気がする。消防署か何かと思ったけれど、そんなわけない。

「音機関研究所があるベルケンドの『い組』との対決の話だな。音機関好きには有名な話だよ。お互いが競り合うように新たな音機関を発表している」
「はあ、対決、ですか……」

ガイさんがひどく嬉しげに教えてくれた。対決とは言っても、特に物騒な話ではないようで安心した。
こころなしかぐったりとするルークさんたちの中で、ガイさんはただただきらきらとした瞳で操縦席を見つめている。こちらも長年の夢がかなった、というような顔つきだ。こんなときだけれど、よかったなあ、と考えると同時にかわいいなあ、とガイさんの青色の瞳を見て、嬉しくなったあとで、自分で頬を叩いた。いや、かわいいなって。かわいいなって。可愛いけど。やっぱり好きだけど。

もう自分が嫌、とぐったり手すりにもたれかかると、ガイさんが私を見て苦笑した。「、きみの頬が大変なことになったままだぞ」 なんのことだろう、と考えて、さきほどイオン様や、ナタリアさんたちにも言われたことを思い出した。真っ黒くろすけだ。

「それにしても、あいつ、嫁さんだかなんだか言ってたけどな、まったく……」

とため息をついたガイさんのセリフで、ギンジさんにも言われたことを思い出した。

みんなに言われたときは大して気にならなかったのに、ガイさんに見られていると思うと恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなった。手のひらはなんとな綺麗にしていたものの、顔の汚れは腕で拭ってもきっときちんと取れていないだろうし、そもそもこれは作業着で、着替えてすらもいない。その上チャックのついたポケットにはスパナさえ入ってる。なんということか。「みっ……」 消え入りそうな声で叫んだ。「見ないでください……っ!!」

瞳をぎゅむっとつむったので、ガイさんがどんな顔をしているのかわからない。「かっ」 声が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、顔面を抑えながら何かに戦っているガイさんの足元で、どこから来たのかミュウが踊っている。「とっくんの、せいかですの!」 まったくもって意味がわからない。「かに! かき! おかし! いっぱいあるんですの〜〜!!」「ミュウ、一体何を言っているの……?」 どこかネジでも落としてしまったの?

とりあえず落ち着いたらしいガイさんは、ふうふうと深呼吸を繰り返して、長い溜息をついた。「まあ、なんていうか、新鮮な格好をしているよな」 死にたくなった。遠回しに、なんていう格好をしているんだ、と言われているような気がする。いやガイさんがそんなことを言うわけないとわかっているけれど。いやいや、むしろ言えないからこそ、こんな言い方をしているのかも。

自分の服の胸ぐらを掴みながら、ごんごんと何かに頭を打ち付けられているような気分になったとき、座席にそっと座っていたイオン様が、ゆっくりと片手を上げた。「の着替えでしたら、僕が持っていますよ」 相変わらずお膝の中で暖められているようで、追い打ちをかけられた。最高指導者に本当にすみません。

すみません……すみません……と言いながら服を受け取って、アルビオールの揺れも収まっていることだしと、こそこそ背後で着替えようとした時、「ここで着替えるのか!?」 ガイさんの素っ頓狂な声がきこえた。傷のような、あのあざさえ見えなければいいだろうと思っていたのだけれど、あんぐり顔のガイさんを見ると困惑してきた。「、淑女としてなっていませんわよ」 そしてナタリアさんとティアさんのため息をきいて、そのとおりだと頬が赤くなった。ガイさんの戸惑いも無理はないかもしれない。

今のうちに、と思っていたけれど、また落ち着いたときにしよう、と考えて、いそいそ座席に戻ったとき、ガイさんの重ためのため息が聞こえて、本当に恥ずかしくなって、俯いてしまった。「あの、すみません」 そのとき、恐る恐る、とノエルさんが声を上げた。


「操縦をしながらで申し訳ありません。さきほどは急いでおりましたので……。あの、みなさん。兄を、ギンジを助けていただいてありがとうございます。みなさんがいなければ、兄は死んでいたかもしれません。今更になりますが、私はノエルと言います。兄に代わって、みなさんを、必ずセントビナーに送らせていただきます!」


彼女はキムラスカの人間だ。そしてセントビナーはマルクトで、今そこで、開戦が始まろうとしている。それでも、力を貸してくれるのだ。ルークさんたちがギンジさんを救出した。それもきっかけの一つだったかもしれない。でも、敵国である人間を助けようと、そう思ってくれた。そのことを考えると、ひどく胸が熱くなるような感覚で、口元を引き締めた。「……本当に、ありがとう」 ルークさんも、同じような気持ちだったのかもしれない。


「イエモンさんたちも、そうだけど、ノエルのおかげで、なんとかセントビナーの人たちを救うことができるかもしれない。本当に、ありがとう」


とても染み入るような声だった。気づけば、しん、と静かになっていて、外からアルビオールを叩きつける風の音ばかりが聞こえる。「ま、まだ気が早いですよっ!」 照れたようにノエルさんは叫んだ。それから、「機体も安定してきました。ここからは、全速力を出させていただきますっ! みなさん、舌を噛まないように、気をつけてください!」 ジェイドさんがメガネを抑えるのと、アニスさんの、「うそっ、まだはやくなるの     !?」 という悲鳴が言い終わるか、言い終わらないかわからないくらいのタイミングで、アルビオールはぐんと加速した。

(……すごい)

何もしないよりはマシだ、そう言って、私達を動かしたのはルークさんだ。その彼の言葉で、ここまで来ることができた。

セントビナーへ、またたどり着くことができる。





***






あれだけ長かった道のりが、アルビオールに乗れば一瞬だった。
セントビナーの大地は下降をし続けて、外から見下ろせば、ひどく不自然な隆起が街全体を囲んでいる。ぼろぼろと崩れ落ちる大地にアルビオールは滑車を乗せた。扉を開け、未だに残っている人たちを救出すべく、ルークさんは、いの一番に飛び降りた。

「ルーク、まだはしごを降ろして……っ! ……ったく」

ため息をつきながらも、地面の下で元気に飛び跳ねるルークさんを見て、ガイさんは安心したように頬を緩めた。ティアさん、ナタリアさんが続いて行く。私も、と降りようとしたとき、ガイさんに止められた。「、君はアルビオールに残っていてくれ。取り残された住人はそう多くないから」 暗に戦力外を告げられた。ことは一刻を争うのだ。少し俯いて、わかりました、と頷いた。

「そーですよぉ! イオン様も残っといてくださいね〜!」
「アニース。あなたはちゃんと降りてくださいね。トクナガの力が必要です」
「……ちぇっ!」

誤魔化せなかった、とばかりにアニスさんは可愛らしく舌を打って、セントビナーに飛び降りる。ガイさんと、ジェイドさんもだ。住人の人たちに声をかけ、救出する彼らを船から見下ろした。「……、大丈夫ですよ」 そっと小さな手のひらが、肩にのせられた。「そんな顔をしないでください。ガイは、あなたを心配しているだけです」「い、いえ、そんな」

ダアトの、最高指導者である。そうは分かっていても、彼は年若い少年だ。なのに声を聞くだけで、どこかほっとしてしまう。不思議な人だ、ときっと誰しもが思うのだろう。「ガイは、きっとあなたのことが大切なだけです。少なくとも、僕にはそう見えます。何もできない僕が言うべきことではありませんが……セントビナーの人たちも、全員無事に救出することができますよ」

だから、安心してください、と優しい顔をした少年は、そう微笑んだ。




     本当に、最後の一人だった。


船に飛び乗った瞬間、大地は裂け、崩れ落ちた。ディバイディングラインに到達したのだ。ある地点をすぎれば、一気に崩落の速度が上がる。あれ以上遅れていたら、アルビオールも飛び立つことができなかった。走行する場所がなければ飛行機も、浮遊機関も同じく、空を飛ぶことができない。

安堵の息を落とす反面、崩れ行く大地を見下ろし、マグガヴァン親子は苦しげな声を落とした。彼ら以外の住民たちは、一階部分の操縦席以外の空間に避難している。助けていただいて感謝している、と白いひげを動かしながら、老マグガヴァンは声を落としたが、それでもセントビナーはどうなるのか、と尋ねずにはいられなかった。時間がたてば、次第にマントルの海に沈んでいく。そうティアさんから告げられたとき、彼らはただ口をつぐんだ。おそらく、何も言うことができなかった。

当たり前だ。おそらく自身が長く慣れ親しんだ、もしかすると、生まれ育った街の崩落する様を、この目で見たのだから。それを励ます言葉すらも、私達には何を言うこともできなかった。

「……なんとか、ならねぇのかな」

ぽそりと呟いたのはルークさんだ。「なあ、ほんとに、なんとかならねぇのかな? ここが落ちたのは、ヴァン師匠がパッセージリングを操作したからなんだろ? だったら、ヴァン師匠を問いつめて、俺たちで使い方を教えてもらって……!!!」「おいおいルーク……」 ガイさんが、眉根を寄せて、首を振った。「そりゃ無理だろうよ……。お前の気持ちもわかるけどな」「わっかんねぇよ!!!」

破裂したような声だ。「ガイにも、みんなにも、わかんねぇよ!!! アクゼリュスを滅ぼしたのは、俺なんだから!!」 悲痛な声だった。だから、どうにかしたい。セントビナーをなんとかしたところで、アクゼリュスが戻ってくるわけはない。そうルークさんは叫んだ。でも、それでも。「ルーク、いい加減にしなさい!」 ジェイドさんの言葉に、ルークさんはびくりと肩を震わせた。

「焦るだけでは何もできません。それではただの駄々っ子ですよ」

セントビナーを救いたいのは、誰しもが同じだ。そんなジェイドさんの言葉をきいて、ルークさんは静かに肩を落とした。悪い、とガイさんに謝って、気にすんな、とガイさんが彼の肩を叩く。

しんとした重たい空気の中で、本当に、何もできないのだろうか。そう、自身の手を見つめながら考えた。
(私なら、何か、わかるんじゃ……?)


預言ではないけれど、預言のような何か。おそらくそれは未来の片割れを覗き見ているだけで、意味のあるものが見えるのかどうかもわからない。でも、ヒントの端くれくらいなら見つけることができるかもしれない。

そっと両手を合わせて、瞳を閉じた。そうして、息を吐き出して、吸い込んで、真っ暗な暗闇を見たとき、唐突に怖くなった。

     忠告はしましたよ

あのときの、グランコクマで話したジェイドさんの声が頭をよぎった。
冷たい汗が首元を流れた。もしかすると、次は髪と瞳の色程度では済まないかも知れない。死んでしまうかも、そう思ったとき、怖くて、怖くて、震えるように瞳を開けた。死にたくない。何度も死んだからこそ、あの痛みを思い出して、苦しくて、怖かった。そうした自分に嫌悪した。ルークさんと同じように、セントビナーを救いたい、そう思っている。思っているつもりなのに、ただ指先は震えている。

ひたりとジェイドさんと赤い瞳がこちらを見ていた。なんとなく、体を小さくさせていると、彼は「ふむ」と考えるような仕草をして、「とりあえず、ユリアシティに行きましょう。彼らはセフィロトについて我々より詳しい。そしてなにより、セントビナーの崩落は預言に詠まれていなかったはず。その預言が狂った今なら……」「お祖父様が、力を貸してくれるかもしれない……!」 ティアさんが瞳を瞬いた。

そのほんの僅かな期待に、私はほっと安心した。そうした自分が苦しくなった。口先ばかりの、そんな自分に嫌気がさした。でも怖くて震えている足がただの私の本音だった。


ユリアシティにつくと、テオドーロ市長が私達を待っていた。ユリアの預言を守ってきた彼らだからこそ、異変にいち早く気づくことができる。ユリアの預言から外れることは恐ろしい。そう口にしながら、私達を案内した。そしてセントビナーの人たちの滞在場所を与えてくれた。



ルークさんたちの背中を見ながら、ただ私は歩を進めた。するといつの間にやら、にゅっと長い影が落ちた。空を大地が覆っているユリアシティにも、うっすらとした影くらいならできる。

「……ジェイドさん?」
「先程、何か余計なことを考えましたね?」
ぎくりとした。

驚いて、足が動かなくなった。そうした私から、彼は一歩、ニ歩と足を踏み出し、振り返った。「……言ったはずですよ。曖昧なものに頼る必要など感じないと。あなたには誰も、何も期待していません」 大人しくしておきなさい。そう、冷たく言い放った彼の言葉が、遠回しの優しさであることに遅れて気づいて、ただ瞳をつむった。


スパナを握って、整備を少し行ったくらいで、イエモンさんがいなければ、私はきっと何もできない。タルタロスも、もう走行することもできない。あとはただ少しの音素を操れるぐらいで、それだけだ。ジェイドさんの言葉は、あまりにも正論だった。そのことが悔しくて、悔しいと感じている自分が恥ずかしくて     ただ唇を噛み締めた。






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2019-12-15