自身が守り続けていた預言から外れることは恐ろしい。けれども、と首を振りながら、テオドーロ市長はセントビナーの民を守ることに力を貸すことを誓ってくれた。すでに預言は狂ってしまっている。落ちた大地は戻らない。それならば、せめて、人道的に生きようと。

会議の席を設け、市長を中心に座り込み、意見を交わす。ルークさんやティアさんからの質問に、市長は一つ一つ答えた。セントビナーを新たに外殻大地に浮上させることは難しい。おとぎ話にあるような、ユリアが使用したと言われるローレライの鍵さえあれば、と呟いたが、ないものを求めても仕方がない。鍵さえあれば、ローレライ、つまりは第七音素の集合体を自由に操ることができたそうだ。

そうして、視線を落とした時、「いや、待て」 ふと市長は顔を上げた。「外殻大地に押し上げることは難しくても、液状化した大地に飲み込まれない程度なら、可能かもしれません」 どういうことですか、と声を上げるルークさんに説明する。

「セフィロトはパッセージリングという装置で制御されています。パッセージリングを操作して、セフィロトツリーを復活させれば、島を浮かせる程度のことはできるはず」


それだ、とルークさんは立ち上がった。パッセージリングがある地点もわかっている。セントビナーとともに崩落している場所だ。アルビオールに残っていたノエルさんに事情を説明し、できれば協力して欲しい旨を伝えると、もちろんと彼女は可愛らしい笑みを落とした。すぐさまルークさんたちは浮遊機関に乗って旅立って、私もついて行った。魔物たちの巣穴であるそこを慎重に通っていく。ガイさんが、時折こちらを振り返っていたような気がした。でも何も言うことができなくて、ただ彼らの背中について行った。

洞窟のような、神殿にも見えるそこを進むと、ぽつりと奥に一つの音機関がそびえていた。一体、どうすればと首を傾げたとき、なぜだか音機関はティアさんにだけ反応した。まるでただの石のような、その前に彼女が立つと、ぱかりと先が割れて、本の形に変形する。なぜティアさんだけに、と覗き込みながらイオン様も眉をひそめたが、考えてもわからない。ただ操作方法を把握することができたと喜んだのもつかの間、相変わらずのヴァンの策略のもと、簡単には操作ができないように、仕掛けも施されていたのだ。

その暗号もジェイドさんとルークさんが見事に解き明かし、セントビナーの大地を泥土化から救うことができたとき、みんなが手に手をとって、喜んだ。そんな中で、私はただ俯いていた。何も言うことも、することもできなかった。

     あなたには誰も、何も期待していません

だから、何もするなと。そう言ったジェイドさんの声を思い出して、一人で俯くことしかできなかった。私がでしゃばる必要なんて、どこにもない。あれは、そう告げるジェイドさんの優しさだ。彼は合理的な人間だけで、非道な人間ではない。そうわかっている。ジェイドさんが、正しいのだ。


ルークさんは、前を向いて進んでいた。自身の過ちを悔いて、それでも一歩一歩、困難な、曲がりくねった道も歯を食いしばって、苦しげな声も飲み込んで、必死に前をかき分けながらも進んでいる。

そんな彼の姿を見て、少しずつ、ルークさんと、みんなの距離が変わっていた。それはとても喜ばしいことだった。私の言葉に救われたと、そう彼は言ってくれた。その言葉が嬉しくて、こぼれた涙があった。

(でも別に、もう私が、いる必要なんて)

ずっと気づいていたことだ。私がいなくなれば、ガイさんの不安の種も消すことができる。ガイさんは、マルクトに戻る、いや、戻らなければいけない人だ。ずっとわかっていた。
わかっていたんだ。




そんな風に、足元ばかり見ていたから、ティアさんがどこか苦しげにふらついていたことにも気づかなかったし、パッセージリング内部にある記載で、このセフィロトツリーはセントビナーだけではなく、ルグニカ平野の全域を支えていることにアニスさんが気づいたときにも、何ができるとは思えなかった。そして、何もするべきではないと、自身のただの小さな手のひらを見て、ただ、失望した。





ルグニカ平野は、あまりにも多くの街や、人を抱え込んでいる。そのすべてが崩落するとなると、絶望的な話だった。アッシュさんたちをセントビナーを脱出したときのようにセフィロトを使用して、アルビオールを外郭大地まで吹き上げる。もともと飛行に特化した姿であるからか、タルタロスのときよりも衝撃は少なかった。「……、大丈夫か? 少し、顔色が悪いが」 ガイさんの言葉に首を振った。そのとき、大地が震えるような鯨波のような咆哮が、船を叩きつけた。

飛び上がり窓に手をつけて現状を見下ろした。青と、赤の塊が、混じり合い、入り混じり、互いにひねり飛びながらも武器を突き刺し、振り上げている。大勢が叫んでいた。マルクト軍、キムラスカ軍の両軍がぶつかり合い、大型の戦艦が大地を蹂躙した。繰り返される爆発に、喉の奥が震え上がった。

「戦争が、始まっちまったのか……!?」 

それを止めるべく、ルークさんたちは奔走していたはずだった。なのに、よりにもよって、このルグニカ平野で。「これは、まずいですね。ルグニカ平野を支えるツリーはすでに消滅している。これは、下手をすると両軍が滅びますよ」 ジェイドさんの言葉にぞっとした。ティアさんは口元を覆いながら、もしかすると、と苦しげな声を出した。

「これが、兄の狙いだったんだわ……。兄なら、ルグニカ平野で戦争が起こると、預言で知っていたはず。だから……!」

両軍を崩壊させ、かつ平野はクリフォトに落ちる。それはあまりにも効率的な方法だった。しかし、あまりにも非道だった。「冗談じゃねぇ! どんな理由があるのか知らねぇけど、師匠のやっていることはめちゃくちゃだ!!」 ルークさんの言うとおりだ。「ど、どうしますか!? このままでは着陸は難しそうですが……!」 操縦桿を握りながら叫ぶノエルさんの言葉に、ナタリアさんが返答する。

「戦場がここなら、キムラスカの本陣はカイツールにあるはずです。私が言って、停戦させます!」
「でもエンゲーブも気になるわ。あそこは補給の重要な拠点と考えられるはず」

待って、とティアさんが声を上げ、眉根をよせた。なら、二手に分かれるべきだ、とルークさんは提案した。すぐさま彼の意見を受け入れ、ジェイドさんが片手を上げる。
「それでしたら、私は反対のエンゲーブに行きましょう。あそこはマルクトの管轄です。キムラスカとマルクト、別々に働きかけた方が効率もいいでしょう。他の人員は……」

ジェイドさんが周囲を見渡したとき、ルークさんは少し困ったような顔をした。「なら、俺もジェイドと一緒にエンゲーブに行く。あそこの人たちのことは……少し、気になるから」 そういえば、彼が初めてファブレ家からティアさんとともに飛ばされてしまったとき、エンゲーブという街に立ち寄った、とガイさんから話をきいていた。だからだろうか。

「じゃあどうわけるかな。俺とジェイドはエンゲーブとして……」
「回復役は別々にすべきでしょうね。ティアもそちらに向かうべきです。私はガイと行きますわ」
「お、俺かよ」

ガイさんが自身を指さして肩をすくめた。「なら、もこっちだ。いいよな?」 と、私を見てから、ナタリアさんを見た。「もちろんですわ。も王家の血をついでいますもの。発言権はないとは言えど、ルークの代行として来てくださいましな」「だ、代行ですか……」

そんなことができるだろうか、と勝手にまた小さくなった。それから万一を考えると私とイオン様、両方を抱えることは難しいと、イオン様もエンゲーブに向かうことになり、アニスさんもそのセットだ。ノエルさんはアルビオールでガイさん、ナタリアさんと私、を降ろし、その足でルークさんをエンゲーブへ送り届けてくれる。消えていく戦艦を見送った。飛び上がったときの余波に足元の草木がなびいている。

「あいつは成長してるぜ」

ガイさんが、ただそれだけ呟いた。「……そうですね」 まだ7つしか生きていないのに。まるで階段を二段抜きで飛んでいるみたいだ。


、ガイ、はやくこちらにおいでなさい!」
ナタリアさんの言葉に、慌てて振り向いた。そうして、おそらくナタリアさんの知り合いなのであろうセシルという名の、金の髪が綺麗な女性を見つけることができた。将軍の立場である彼女は、ナタリアさんが生きていたことにひどく驚き、すぐさま避難するように告げた。

彼女いわくこれはナタリアさんと、ルークさんの仇討ちであると。ただ、それはおかしな話だ。なんて言ったって、二人は生きている。マルクトの陰謀だなんて嘘っぱちで、今すぐに停戦すべきと主張したが、彼女にはその権限はない。キムラスカ軍の司令役である総大将、アルマンダイン伯爵は、現在ケセドニアにいると言う。大詠師モースに、仇討ちの合戦であると承認をもらい、キムラスカに大義を得るためだ。

本来なら、その任はモースが行うことはできない。導師である、イオン様のみ認められた行為だ。おそらくは預言の成就のため、強硬策に飛び出したのだろう。

ここで頭を抱えても仕方がない。ナタリアさんと、そしてファブレ家子女である私に迎えを寄越すと伝えて、さろうとしたセシル将軍を、ガイさんは呼び止めた。「気をつけて」 少し、不思議なニュアンスだ。将軍も、硬くしていた表情を、不思議気に変えて、「え? ええ、ありがとう」 そう言って消えていく。


「迎えが来てしまったら、それこそ何もすることができなくなりますわ……」 と、ナタリアさんは片手に力を入れた。「ケセドニアに向かうしかありませんわ」 冗談じゃないぜ、ガイさんは首を振った。

「冷静に考えても見ろ。今はマルクト軍、キムラスカ軍の両国が争っている。その最中を、つまりは戦場を突っ切ることになるんだぞ?」
「それでもアルマンダイン伯爵には会えますわ。それとも、このまま指をくわえて、民たちが傷つく様を見ていろと言いますの!?」

これではモースに踊らされているだけだ、と歯がみするような言葉に、ガイさんはひどく苦しげに顔を歪めた。「これは仇討ち合戦ですわ。私が、そしてルークが生きているとなれば、なんの意味もない争いと、伯爵もわかってくださるはず」「それも、そうだが……」 ナタリアさんが、ぐいっと近づくものだから、ガイさんは慌てて後ずさった。そうして私を見て、眉をひそめて、ため息をついた。その声に、びくりと震えた。

「俺と、君と、の三人で、戦場を抜けるのか……」
「それしか方法はありません。確かに、不安はあります。けれどもも、屋敷にいたあの頃とは違いますわ」

そうだろうか。力強いナタリアさんの瞳を、まともに見ることができなかった。


「必ず。私達三人で、ケセドニアにたどり着いてみせます。絶対に、ですわ!」



***



足手まといなことは知っていた。私がいなければ、彼らはもっと早く進むことができるのに。そう思えば思うほど、悲しくて、悔しくてたまらなかった。
ナタリアさんは、以前よりもずっと体が動くようになっていると励ましてくれて、ガイさんも、無理をしないでくれ、と気遣った声をかけてくれる。だから溢れる自分の汗に気づかないふりをして、必死に足を動かした。そうしていると野営の頃にはくたくたになっていて、焚き火を囲みながら夢うつつに、木の幹にもたれかかって瞼をこすった。

「……、寝ないのか? 明日も早いからな。寝たほうがいいぞ」
「そ、そうですよね。でも、せめて明日の食料の分だけ、すぐに食べれるようにでも」

携帯食はいくらか保管していたけれども、ケセドニアまで、まだまだ距離は遠い。ナタリアさんはびっくりするほど早く寝袋の中で寝ていた。でも多分、万一魔物が飛び出したら、すぐさま弓を抱えて応戦するんだろう。すうすうと寝息をたてて、すこしでも体力を回復させる彼女に見習わなければいけない。でも、せめてもの彼らについていく理由がほしかった。

ガイさんが皮をはいでくれた動物の肉を刻んで、少しでも食べやすくする。ナイフは彼が以前にくれたものだ。すっかり料理専用となってしまったそれを見て、ガイさんは少し笑った。そっちの使い方の方がよっぽどいいよな、とも言っていた。
ときおりやってくるひどい眠気をごまかそうと、ふと、不思議に思ったことをきいてみた。

「……あの、ガイさん」
「……ん?」

頬杖をついて口許を緩めながら、こっちをじっと見ているガイさんにドキリとした。「え、ええと、あの、カイツールで会ったセシル将軍なんですけど」 きりりとしていて、憧れたくなるような女性だった。「気をつけて、と言っていたので。お知り合いなのかな、と……」 私の言葉をきいて、ガイさんはぴたりと表情を硬めた。そうしたあとで、「そうか、もう隠す必要もないんだったな」 とからりと笑った。

「あのひとの名前は、ジョゼット・セシル、と言ってな。セシルが名字なんだよ」

その言葉をきいて、瞬いた。そうした私に気づいて、「ん、まあ、そうだ。俺の今の名字は、俺の母親、ユージェニー・セシル・ガルディオスからもらっている。今考えると、バカみてぇだよな。……ありふれた名前だから、大して誰も気にもしなかったんだけどさ」少し、ガイさんは苦笑した。パチパチと、焚き火が弾ける音がする。ガイさんの影がそれに合わせて揺れていた。

「まあ、つまり簡単にいうと、あのひとは俺のいとこってやつだ」

びっくりして、ぱくぱくと口を動かしてしまった。

「あ、あの、つまりセシル将軍は、ガイさんのことを、知って……?」
「まさか! あのひとはたまにファブレ家に来ていたからな。俺が勝手に気づいただけだよ」

確かに、あのセシルという将軍は、どことなくガイさんと似ている雰囲気があった。
そして、なぜだかひどくショックを受けた。
私はガイさんのことを、なんでも知っているような、そんな気になっていたのかもしれない。ガイさんの本当の名前はガルディオスと言って、ペールさんとともにファブレ家に来た。重たく、苦しい想いを抱え込んでいるのに、いつも朗らかにガイさんは笑っていて、ときおり、そんな姿を辛く感じた。でも、それを知っているのは、ペールさん以外は私だけなんだと、そう思い込んでいた。

もしかすると、小さな優越感もあったのかもしれない。実際には、私が知っているガイさんなんて、きっと一つの側面に過ぎなくて、その上彼の本名だって、今では私達、みんなが知っている。グランコクマで、彼が教えてくれたからだ。だから私なんて、きっとガイさんにとってなんでもない存在で、そもそも特別なように感じていたのは、私が、ずるをして知ってしまった彼の過去があったからだ。


矮小で、何もできなくて、ずる賢い。
自分を卑下する言葉を、繰り返し頭の中で唱えた。そうすると、どこかホッとした。大丈夫、私は自分のことをわかっているんだから。そんな人間だって知っている。の記憶なんていらなかった。ただのとして、彼と出会いたかった。そしたら、年が上で、かっこよくて、優しい兄のような、ただのガイ・セシルというその人に、私は恋ができた。きっと、もっとはやく好きになって、それで。それで。


……結局、どうにもならないことに気づいた。想像の中でも、今でも、何も変わらない。寝袋の中に丸まって、零れそうになる涙をこらえた。大丈夫、今日はとても疲れているから。どこかにマルクト軍が、キムラスカ軍がいないかと考えれば考えるほどに神経は疲弊していた。明日も、明後日も長い道のりになる。瞳を閉じれば、きっとすぐに眠れる。

「おやすみ、

とても優しげなような、子守唄みたいな、まるで愛しいものに声をかけるような、そんなガイさんの声が聞こえた。でも気の所為だ。そうだったらいいのに、という、これはただの私の願望だ。



***



次の日は、昨日よりは、ずっとうまく動くことができていると思う。想像よりも体力は回復していたし、喉が乾いたのなら、水の音素で喉をうるわすことくらいはできる。これには二人に感謝された。休憩をとった方がいい、というガイさんの言葉に、何度も首を振った。平原を抜けるには、まだ数日がかかる。動けるときに動くべきだ。そう思った。ただその判断は調子にのっているだけだった。それだけだった。

     マルクト兵と、遭遇した。

きっかけは私だ。なるべく木々に隠れながら、ケセドニア方面へ私達は進んでいたけれど 、隠れているだけではどうしても進むことができない。慎重に、慎重を重ねて進んでいたはずなのに、ふとした瞬間、踏みしめた枝の音が、周囲にひどく響いた。驚いて体を硬くさせたとき、青い甲冑を纏った兵士が、じろりとこちらに瞳を向けた。声を殺したとしても、もう遅い。目が合ってしまった。

魔物なら慣れない譜術、いいや、そのなりかけのようなものの力を振るうことはあったけれど、守りに徹していたリグレットとの戦いを除き、人を相手にしたことはなかった。「こちらに戦う意思はありませんわ! おやめください!」 ナタリアさんの悲鳴のような声を背中にして、何もできなかった。振り下ろされる刃をただ見つめていたとき、彼が、ガイさんが滑り込んだ。すぐさまマルクト兵の剣を叩き落として、継ぎ目を通すように剣を埋める。一人が倒れた。二人、三人。ナタリアさんの弓矢が宙を滑り、射止めていく。

私のせいだ。私がもっと、用心深くしていたら。

いや、これだけ兵士たちがひしめいているのだ。いつかは出会うことだったのだろうけど、何も考えることができなくなって、ただ、うどのように立っていただけだった。「、きみは、何もしなくていい! 自分の身を守ることに専念してくれっ!」「ええ、そうですわ。私達の背に隠れなさい!」

二人の声が聞こえる。そうなんだろうか。何もしなくても、ただ、このまま震えていても。ガイさんの剣は、すでに滑りも悪く、血に濡れている。ナタリアさんだって、背負う矢筒の残りも僅かだ。(何か……何か……!) せめて風を起こすことができれば、リグレットのときと同じように、二人を狙撃から守ることができるかもしれない。

両手を握った。ふつふつと、小さな風を生み出す。周囲の草木がはためいている。でもそれは間違いだった。「!!」 動くこともない、ただ愚かにも立っているだけの詠唱師。狙ってくれと言っているようなものだ。近づく影を見上げて、今度こそ、だめだと思った。目を閉じて体を小さくさせて、一撃を待った。でもいくら待っても知っているはずの痛みは襲ってこなくて、鈍い声が聞こえた。「……ガ、ガイさん……!?」

私をかばうようにして、ガイさんは背に傷を負っていた。あのとき、すぐさま私に向けて彼は走り出したのだ。「くっ……!」 歯を食いしばるようにして、ガイさんは前のめりに倒れた。けれどもすんでのところで地面に手を付きうずくまり、苦しげな顔をしている。「わたくしも、いましてよ……!!」 ナタリアさんの弓が、マルクト兵を貫いた。短い悲鳴とともに、青年は事切れた。

ぞっとしたまま、ガイさんに駆け寄った。すでにマルクト兵はいない。「ガイさん、ガイさん……!?」 腕を伸ばした。けれども刹那に弾き飛ばされた。尻もちをついて、呆然として彼を見つめた。「違う、、違う。悪い……」 弾いたはずの彼の手がかたかたと震えている。「す、すみません、ごめんなさい……!」 彼は女性に触ることもできない。そんなことも忘れていた。

すでにナタリアさんがガイさんに第七音素で治療を行っている。ごめんなさいと謝ることしかできなかった。膝をついたままぐちゃぐちゃになって、彼に近づくこともできない。これくらい問題ないさ、とガイさんは血の気の引いた顔で笑っている。「そうですわ。何のために治療術士を分散したと思っていますの」 任せてくださいまし、と声だけ笑っているナタリアさんの顔も、僅かに引きつっている。


きっと、泣くことも許されない。


自身の心臓の音ばかりが聞こえた。まるで早鐘のようで、何を言えばいいのかさえもわからない。いなければよかった。私なんて、初めからいなければよかった。ガイさんが、いなくなってしまったらどうしよう。どうしたらいいんだろう。小刻みに震える体を抑えることができなかった。泣いてはいけない。そうわかっているのに、ぼろりとこぼれた涙をかわぎりに、次第に喉もひくついた。苦しかった。「」 そうして、口元を押さえながら、ひくつく体を誤魔化し続けていたとき、ガイさんが、ナタリアさんに治療を受けながらゆっくりと息を吐き出した。「俺が、守るって言っただろ?」


     俺が、きみに、ついてきてくれと言ったんだ」
だから気にするなと。


この人は何を言っているんだろうと思った。脂汗を流しながら、にかりと笑っているものだから、ナタリアさんも呆れていた。さわさわと風が流れている。私達人間のことなど知ったことかと、ときおりちちりと可愛らしい鳥の声が聞こえた。

少しずつ、ナタリアさんの手の光が、弱くなっていく。ガイさんの背中の傷も、幾分か薄くなっていた。「……急所は、避けていましたわ。私にできることは行いました」「さすがだな」 体も軽くなった、と言いながらガイさんはゆっくりと立ち上がった。それでもどこかふらついているし、ナタリアさんはため息をついて首を振った。

「あなたのことですから、わかっていると思いますけれど。決して、浅い傷ではありませんでしたわ。本来でしたら、数日は安静にしておくべきですわ。外側は治せても、内側はそう簡単にいきませんもの」
「つっても、戦場のど真ん中だしな。前にも後ろにも行けねえが、止まれってのも無理な話だ」

まあ、切れた服は少しすーすーするけどな、と冗談のようにガイさんは笑っている。

「……これからまた、マルクトと……考えたくもありませんが、キムラスカの兵とも戦うこともあるかもしれませんわ」
「そのときは、そのときだ」

自身の身を守るにせよ、その逆にせよ、避けられるにこしたことはないが難しいだろ、とガイさんは肩をすくめた。そうだろうか?


何もできない。そればかりを考えていた。君を守る。そう、ガイさんが言ってくれた。でもそんなのおかしい。少し前の自分なら、まっすぐに頬を叩いて、こう考えていたはずだ。(私が、ガイさんを、助ける) オラクル兵から逃れて一人きりになったとき、ガイさんに心の中で助けを求めた。そんな自分を叱咤して、立ち上がって、グランコクマを目指した。

(それなのに)
彼と再会できたことが嬉しくて、嬉しくて、たまらなかった。だから、すっかりと折れ曲がってしまっていた。「守ってもらうんじゃなくて、私が……ガイさんを、守るんだ」 そう、自分にしか聞こえない、小さな声で呟いた。

言葉を紡ぐと、不思議と勇気が溢れた。それでも怖い。まるで恐怖が背中にへばりついているようで、重たくて、苦しくて、息もできない。それでも。それでも。

(私は、ガイさんがいなくなってしまうことのほうが、怖い……)


いつまでも立ち上がらずに震えたままの私を見て、ガイさんとナタリアさんが、私の名を呼んだ。大丈夫です、と声に出したはずなのに、舌が回らなかった。けれども顔だけはしっかりと前を向いた。おそらく、私が泣いていると、そう彼らは思っていたのだと思う。だからどこか驚いたような表情で、もう一度私の名前を呼んだとき、はい、と返事をした。今度はちゃんと話すことができた。

息を飲み込む。
あのときと同じだ。ダアトで、オラクル兵におびえて、逃げ惑っていたときと同じだ。ただあのときは無意識であったけれど、今度は違う。大丈夫。できる。いや、しなければならない。


「ガイさん、ナタリアさん。お願いがあるんです。私、少し妙なことを言うと思うんです。でも、信じてください。お願いします。私が、必ず。     お二人を、ケセドニアに、連れて行ってみせますから!」




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2019-12-16