不思議な感覚だった。
まるで自分が、自分ではなくなってくような、そんな感覚だ。

ダアトで逃げ惑っていたときは、実感もなくふわふわしていて、周囲も様々に移り変わっていった。けれども違う。今は、しっかりと自分の足で、大地に立っている。瞳を細めた。キムラスカの兵士がいる。あちらはマルクト。進んではいけない。そう、私はガイさんたちに伝えた。





***





妙なことを言うかもしれないけれど、必ず、ケセドニアにつれていくと私が伝えたとき、ぱちくりと瞬く彼らに向き合った。すでに二人は奇妙なものを見るような顔をしていて、何故だと考えていたところ、自分がひどくへっぴり腰になっていたことに気づいて、赤面した。「う、嘘じゃ、ありませんから!!」 涙目に叫んだ。ガイさんが、吹き出したように笑ったあとに、傷にさわったのか、「いってぇ!」と悲鳴をあげて、やわやわと傷口を撫でていた。


「あの、本当に、本当で、方法が、あってですね……!!?」

もっと理路整然と伝えなければならないと思うのに、焦れば焦るほど、説得力がなくなる。「落ち着きなさい、」 ナタリアさんが私を片手で制した。「何も、疑っているわけじゃありませんわ。あなたのことですもの。何の意味もなく、そんなことは言わないでしょう?」 これでも、貴女とは長い付き合いですもの、と付け足された言葉に、なぜだかまた泣き出しそうになって、慌ててスカートを掴んで、ぐっとこらえた。

ナタリアさんは、いつもまっすぐに私を見てくれた。確かに、時折強引になるし、根性系だし、ついていけないと感じるときもあったけれど、それでも、ずっと私に正しいことを言っていてくれた。譜術を使えるようになさい、という決り文句の彼女にセリフを、私はいつも聞き流していたけれど、ナタリアさんの言う通り、もっと外に出て、いろんなことを知っていればと、この旅で何度も後悔した。

だから、彼女が信用してくれていることが嬉しかった。

ガイさんもナタリアさんと同じように、困ったような、けれどもこちらを安心させるかのように、「そうだな、話をきかせてくれ」 そう、言って、こちらの頭を撫でるような仕草をして、微笑んだ。もちろん、彼は私を触ることができないので、本当に、仕草だけだったけれど。



私は、彼らに告げた。ダアトから逃亡した際、不思議な夢を見たと。その現象については、ある程度ジェイドさんが解き明かしてくれている。確実性があるかはわからないから、言うことを憚っていたけれど、しないより、するほうがいいに決まっている。そんなところだ。

自分にとって都合のいいところを伏せた事実は否定しない。私の前世の話や記憶は除き、髪の色が変わってしまうけれど、気にしないで欲しいことも伝えた。このことはすでにグランコクマの宿屋で、ガイさんには話している。

あとは、ジェイドさんが忠告してくれたこと。そのことは、どうしても言えなかった。色素が変わる現象は、どうしてだかわからないと、それだけしか言えなかった。理論が判明していないものを使うことは、私にとって危険であるとガイさんは眉根を寄せたが、それでも何度も首を振った。このまま、三人で無作為に進むよりは、ずっといいはずだと。


頷いた、というよりも、頷かせた、と言った方が正しいのかもしれない。けれども、ジェイドさんがコンタミネーション現象に近いと教えてくれた色素の変化には、事前に伝えていたとしても、ガイさんも、ナタリアさんも驚いた。髪の色はすっかり黒に変わり、おそらく瞳の色もそれに近づいている。

ガイさんは、どこか懐かしげな顔をして、私を見下ろした。もしかすると、である私を、思い出してくれたのかもしれない、と一瞬考えたけれど、彼はもう21の男性だ。5つの子供の頃のことなんて、きっとほんの僅かにしか覚えてはいないだろう。

グランコクマでは、この不思議な夢を見ることができなかった。ピオニー陛下は私自身が自分の体にストッパーをかけているのではないかと予想していた。そのときは違和感があったけれど、もしかしたら、本当にそうだったのかもしれない。

だんだん、コツのようなものを掴むことができたような気がする。全部を見ようとしてはきけない。ふわつくような体を抑え込んで、長く細く、けれども強く祈る。

ガイさんとナタリアさんの、二人の無事を強く、強く、祈った。




***




明らかに、は疲弊していた。

ユリアシティにて、預言のような、不思議な夢を見た、とが言ったことは覚えていた。そしてグランコクマでも、髪の色が変わってしまったと言っていたことも。
彼女が嘘を言うわけがない、と思うほどには間抜けではないつもりだが、それでも、という少女はからかいのために、虚言を吐く少女ではないことぐらいは知っている。

ケセドニアにつれていくと言った彼女の言葉には、おそらく偽りはない。戦場のど真ん中を通り抜けているというのに、の言葉の通りに進むだけで、そこにいるのは魔物すらおらず、出会うものは可愛らしい動物ぐらいだ。正直、驚いた。そうして、言葉を紡ぐたびに、彼女の髪と瞳の色が抜け落ち、足がふらつく。明らかに体力の消耗が激しい。そのことを、本人は隠しているつもりでいる。

もういいと、何度も告げた。彼女のおかげで、距離を稼ぐことができたと。けれどもそのたびには首を振って、大丈夫です、と見慣れない黒髪を揺らしながら笑っている。ひどく、懐かしい女性を見たような気がした。ふとしたときに、と彼女を重ね合わせてしまう自分がいる。いい加減にしろ、と自分自身に言いたい。




黒髪の少女は、疲れ切ったように、小さな寝息を立ててうずくまっている。今は閉じた瞳は、すっかりと黒の色が目立ち、ふと見たときにはまるで別人のような、そんな印象も受けるほどだ。


     俺のせいだ。


「……ガイ、あなたも少しは寝ませんと。いくら野営が危険だからと言っても、あなたも怪我人ですのよ。見張りでしたらわたくしが替わりますわ」
「俺の方が慣れてるよ。それに、敵さんにはまったくもって会わなかった。……の、おかげだな」

そう、出した自身の声が、ひどく重苦しかった。を、こちらに来るように呼んだのは、俺だ。あのときは、マルクト側になるよりも、キムラスカの陣営であるこちらの方が、彼女にとって安全だと判断したつもりだった。だが、できるだけ彼女に近くにいて欲しい。そう思っていた身勝手な想いが胸中にあったことは否定できない。そうして彼女を危険にさらした。必死で辛さを隠すように歩みを続けるが痛々しかった。

の、あの力。コンタミネーション現象に近い、と言っていましたわね。わたくしは知りもしませんでしたわ」
「……俺も、以前に少し聞いたくらいだよ。本人は気の所為かもしれない、と言っていたぐらいだ」

焚き火を消してしまわないように、中の空気を混ぜ返した。夜は寒い。少しでもを暖めてやりたかった。「それでもガイ、あなたは知っていたのですね」 ふう、とナタリアは息を吐いた。「昔から、あなたとはいつも一緒にいましたもの」「……そんなことないさ」 実際にそうだったとしても、俺たちはつねに人目を避けていた。まるで恋人同士の逢瀬のようだ、と一度くらいは考えたことはある。でもそのあとすぐに、虚しくなった。


にも伝えたことですが、わたくし、が旅に出ると言ったとき、とても、とても嬉しく感じましたのよ。そのときは、アクゼリュスの崩壊を危惧していただなんて、知りもしませんでしたけど」

は、俺と同じように、ナタリアにも過去に見た自身の夢を語った。ナタリアはひどく驚いたように目を丸めたが、それでもどこか納得して頷いた。

「私には、兄も、弟もいませんわ。でも、のことは、妹のように思っていたのです。もしわたくしが、ルークと婚姻すれば、義理とは言えど、同じ関係になりますわ。ですから、彼女の成長を喜ばしく感じました……なのに、この子は」

それから呆れて、ナタリハは眠るの髪を柔らかくなぜた。

「本当に、この子は。私は、王族として、民を導くために教育を受けてきました。民の努力を、それ以上でも、以下でもなく把握し、理解する。そうすべきだと教わりました。それは自身の努力も同じことです。なのに……どうしては、それを認めることができないんでしょう」

他人の否定をもらいたくて、自身を卑下している。そんなつもりもおそらくなく、ただ本当に、自分自身の努力が足りないと涙をこぼして、それでも立ち上がろうとする。見ていて、こちらが苦しくなるほどだ。

は、努力していますわ」

ただそれは直接的な戦いの手段ではないから、目に見えづらいだけだ。そんなこと、とっくの昔に知っている。

「……ルークも、な」
ふと呟いた声に、ナタリアはぴたりと手の動きを止めた。ルークと、はどこか似ている。がルークに似たのか。それともその逆なのか。「あなたは、ルーク派ですものね」 ひねたようなナタリアの声に、吹き出した。「別に違うけどね。ナタリアだって、アッシュ派って訳でもないんだろ」

互いに確執はある。ただ、やりきれない想いがあった。

「……私には、どちらも選べませんの」

昔、自身も、ナタリアも、ずっと幼く、小さな手のひらであったとき、ルークであったアッシュを無邪気に慕うナタリアを、ひどく冷めた目で見ていた自分がいた。キムラスカの王族であったナタリアも、自身の敵だと考えていた。いくら理想を語ったところで、彼女らの父は母を、姉を、俺の家族すべてを殺した。彼らの理想は理想のままで、ただの綺麗事なのだと、そう考えていた。

ただ、ルークがルークでなってしまったことをきっかけに、その気持ちは少しずつであるが、変化していった。記憶をなくしてしまったルークに愕然とし、それでも、国を、恋を守ろうとするナタリアを哀れに思った。ただどこか奇妙にも感じていた。「……きみは、どこまでも、王族なんだな」

     でも今は、ひどくその気持ちがわかる

この恋を、捨てることはできない。


「……は、彼女の髪の色が変わるのは、コンタミネーション現象を使用した代償だと言っていたが、とてもそれだけとは思えない。どう見ても、は疲弊している」
「そう、ですわね。でもは、やめようとはしないのでしょうね」
「ナタリア、覚えているか? 俺たち二人をケセドニアにつれていく、と言ったんだ。おかしいだろ」

ナタリアが片眉を上げた。少し言葉が足りなかった、と言い直す。

「君はカイツールで、俺たちにどう言った? 私達、三人でたどり着く、そう言っただろ?」

が、無意識かそうでないかわからない。ナタリアが息を飲む声がきこえた。が言う二人とは、自分自身が入っていないのだ。杞憂であったならそれでいい。ただどうしても違和感が拭えなかった。それだけ長い間、彼女を見つめ続けてきた。

けれども彼女のその“力”がなければ、自分たちは前に進むことができない。も、それを理解している。背中の傷が傷んだ。これさえなければ。そう思いもしたが、この傷は俺自身の力不足によるものだ。

「できれば、俺がを背負ってでも運んでやりたいんだが……」
「怪我人が何をおっしゃいますの。万一のときは、わたくしにお任せなさい。一人くらいの重さなど、なんてことありませんわ」

ランバルディア流アーチェリーのマスターランクをなめないでくださいませ? とひらりと片手を泳がせる彼女に笑ってしまった。そうしたあとで、片手で自身の顔面を覆った。「……なあ、なんで、俺はを抱きしめることが、できないんだろうな……?」 ナタリアは、何を当たり前な、と呆れたような声を出した。「それは、あなたが女性恐怖症だからでしょう?」 その通りだ。

けれども違う。本質を問いているわけではない。なぜ俺は、彼女を抱きしめて、背負って、手を貸してやることができないのか。



     ルークを連れて帰ったら、が俺にキスしてくれる


冗談のようにそう言って、勢いのままに彼女に触ることができるんじゃないだろうか。あのときは、本当にそう考えているつもりだった。でも結局触ることができなくて、震える自身の手のひらを見て、どこか安心している自分もいた。(俺は、彼女に触ることができない。だから、彼女を傷つけることもない) だから大丈夫だと。

(バカだな……)

女性に恐怖を覚える自分に不便を感じて、焦燥を持って、けれども、これでよかったと安堵していた。だから、心の底では、このままでもいいのだと思いこんでいた。そう考えていた自身を、ひどく今、悔いている。(俺は……) 彼女に触りたい。この厄介な体質を、変えてしまいたい。今、初めて、本心から、そう願っている。遅すぎたのかもしれないが。


「できるだけ早く、通り抜けよう。に長く負担をかけたくないからな。今はマルクト軍の領域だが、あと少しでキムラスカ側にたどり着くはずだ。そうすれば、ケセドニアも近くなる。俺も多少の無茶もできるだろ」
「……マルクトなら、という意味ではありませんが、キムラスカは我が軍の兵士ですわ。できるだけ、争いは避けなければ」
「そこも含めての無茶だ。ナタリア、君の力を借りることになるかもしれないが」

くすり、と彼女は小さく笑みを落とした。「ランバルディア流アーチェリーのマスターランクをなめないでくださいませ、と先程言ったはずですわ?」「頼りになるな」

からからとした、小さな笑い声が響いた。そうしたとき、ふと、草木を踏みしめる音が聞こえた。「     誰だ」 眠るをかばうように、剣に手を伸ばす。奇妙な間があった。「私です」 聞き覚えはあるが、それが誰だかわからない。夜の闇に、銀の髪が揺れている。



「グランコクマにてお会いしました。アスラン・フリングス少将です。そちらにいらっしゃるのは、ナタリア殿下に、ガルディオス伯爵家ご子息と……まさか、様、ですか……?」





***





昨日、私が寝ている間に、アスランさんがやってきたらしい。なんでも、部下の人から私達の姿の報告を受けて、まさかと思いながら確認に来てくれたのだ。

内容は、現在マルクトの紛争地帯を横断しているため、すぐさまに退去して欲しいとのことだった。はいそうですか、と頷くわけにはいかないとガイさん達は首を振った。そうして、フリングスさんは彼が伝えられる範囲で、マルクト軍が私達を攻撃しないようにと通達を行うと告げて、去っていった。けれども、あくまでも可能な限り、だ。マルクト兵との戦いになった際は、恨まないで欲しい。そうとも言っていたらしい。

そんな話し合いが行われていたというのに、ぐうすか寝ていた自分が恥ずかしくて、両手で顔を覆った。さぞ立派な寝息を立てていたことだろう。しばらくそのままで固まっていたら、何をしているのかとナタリアさんに突っ込まれた。


「アスラン少将はきみの姿を見て、すぐにだと気づいていたよ。それから、何かわけを知っているような、そんなそぶりを見せていたが」

どきりとした。ピオニー陛下に、アクゼリュスでのことや、ヴァンのことを説明した際、アスランさんもその場にいた。もちろん私の髪の色のことは知っているし、むしろ黒髪である方が、彼にとって見慣れているかもしれない。

別に、隠すことはなにもないのに、なぜだか冷たいような、こちらを窺うような目つきをするガイさんに冷や汗が流れた。「あ、あの、何か、怒っているんですか……?」 思わず確認してしまうと、「まさか」とガイさんは肩をすくめた。なのに口調はどことなくいつもと違っていて、ひやひやする。


「……いや、本当に違うよ。ただ、なんていうかな。きみのことを、俺は案外なんにも知らないんだな、と思ってな。アスラン少将の方が、君の状態を把握してるってことに納得がいかなかっただけだ」


少し前の私と同じようなことを彼は言った。「……私だって、ガイさんのこと、実はあんまりよくわかっていないと思いますよ」「そうかな。……そうだな」 また肩をすくめた。
そうして朝ごはんをすませて、ガイさんとナタリアさんは私に向き合った。そうして、なるべくこの力を“倹約”するように話した。ガイさんの傷も治ってきている。だからお願いだ、と。

真摯にこちらにそう告げた彼らに、わかりましたと口先だけで返事をした。ケセドニアに彼らを連れていく。そう誓った。手加減をするつもりなんて一切なかったし、ガイさんにはできるだけ体を休めてもらいたかった。


確かに、少し苦しいし、時折周囲の視界がぶれて意識が朦朧とするときもあった。でもその分、夜には回復するし、野営の見張りを行っている分、ガイさんとナタリアさんの方が辛いはずだ。ナタリアさんの肩を借りながらも、私達は少しずつ進んでいった。もう少しだ。もう少しでケセドニアにたどり着く。“見て”いるからわかる。まだ意識はあった。エンゲーブにいるルークさん達と、私達はケセドニアで出会う。彼らも同じように戦場を駆け抜けたのだ。

(違う、これは、未来のことで……)

まだここはその過去だ。視界が狂っていく。意識が混濁した。さりさりと細かな砂が足元に絡みつく。、ケセドニアだ。聞こえるか。。お願いだ。ガイさんの声が聞こえる。ルークさん達がいた。ここはもうその未来だ。誰もが無事にたどり着いた。よかった。そう思ったとき、青い服で、背の高い男性がこちらを見下ろしていた。「あれだけ、忠告したと言うのに」 呆れられると思った。でもかわりに苦笑して、その人に倒れ込んだ。「しかし、よくやった、と褒めるべきなのでしょうね」 その人は、私にしか聞こえないような声で、そう呟いた。







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2019-12-18