こうして私達はバチカルから逃亡し、イニスタ湿原へと足を踏み入れた。

なんの準備もないまま砂漠を越えるか、それとも湿原を通り抜けるか。二つに一つの選択肢だったのだから仕方がない。アッシュさんも、同じ選択をするはずだ。湿原を越えるとベルケンドという街がある。ここに来るのは2回目だ。一度目はアッシュさんとともにタルタロスに乗ってやってきた場所だ。そのときはまだルークさんはユリアシティにいたときで、ティアさんと、ミュウが彼の目覚めを待ってくれていた。

安全な場所を求めてやってきたはいいものの、さてこれからどうするとなったとき、ジェイドさんが、そのときのことを思い出したように告げた。あのときはヴァンの目的を探るべく音機関の研究所に向かった。研究者の名前はスピノザ。その老人はヴァンと手を組んで、レプリカの研究を行っていた。

以前はスピノザに逃げられてしまったが、改めてもう一度問い詰めるのもいい機会なのかもしれない。そう相談しながら第一音機関研究所に向かうと、待ち構えていたオラクル兵に確保されてしまった。

彼らはルークさんのことを、アッシュと呼んでいる。その上、バチカルでは派手にやったものだ、と憤慨するセリフもつけていた。明らかなる勘違いなのだけれど、これはいい機会だ、おとなしく捕まってやりましょう、とジェイドさんは、そっとルークさんに耳打ちした。いつもの通りに後手に組んだ手のひらの中には、いつでも何があっていいように、と譜術の反応がバチバチしていることは気づかないふりをすることにした。


そうして私達は、ヴァンのもとに連行された。目的を探るつもりが、まさかのご対面である。さすがに冷や汗がでたのは、私以外にもいたはずだ。叩いた扉の向こう側で、何やら机の上で書類の作成をしているらしいヴァンは、私達に目をやり、長い溜息をついた。その後ろではリグレットが佇んでいる。こちらも呆れたように首を振って、「とんだ人違いだな。閣下、下がらせますか」「いや、かまわん」

私達を連行した兵士さんは、いそいそと扉の外に消えていく。ヴァンはゆっくりと立ち上がった。

「兄さん! 何を考えているの! セフィロトツリーを消して、外殻を崩落させて!」

悲痛な実妹の声も、彼の耳にはすっかり届いていないらしい。言葉の応酬を行うものの、どうにも掴みかねる態度で、冷淡な声だった。「私はただ、ユリアの預言から解放される唯一の手段を行っているだけだ。ローレライを消滅させる。そのためには仕方のない犠牲だ」

ヴァンは語った。第七音素の集合体であり、いまだ存在を確認されていないとされるローレライこそが、預言を詠む力の源となり、この星を狂わせていると。ローレライさえ消滅させることができれば、預言に縛られ続けるこの星の運命を回避することができる。

     なんて、壮大な。

言葉を失った。彼の目的は、レプリカを投入し、預言を破壊する。そう単純なものではなかった。外殻大地を破壊し、預言に縛られる人間すべてを消滅させ、大地と人類のレプリカを作り、全てを入れ替える、壮大すぎる計画だ。「フォミクリーで模造品を作って、代用するつもりか? 馬鹿馬鹿しい!」 そう、吐き捨てるように叫んだガイさんに、ヴァンは皮肉気な表情で嗤った。

「では聞こうか。ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。ホドが消滅することを、預言で知っていながら見殺しにした人類は愚かではないのか?」


ぞっとした。
(なんて……ことを言うの)

過ぎたことは仕方がない。そう思うほどに、愚鈍ではないつもりだ。でも、今、ガイさんに言うべきことではない。恥知らずと思いながらも、ガイさんとヴァンとの間に割り込んだ。そうして両手を広げて睨みあげた。「」とガイさんが小さな声を出した。その声をきいて、ヴァンが、眉をひそめた。「……か? しかし髪の色が……」 まあいい、と小さすぎる私の刃なんて歯牙にもかけなかった。それでも両手をめいいっぱいに広げて踏ん張った。

「私の気持ちは今でもかわらない。かねてからの約束どおり、貴公が私に協力するのならば、喜んで迎え入れよう」


困惑するルークさんに対して、ヴァンは告げた。「カルディオス伯爵家は代々我らの主人。ファブレ公爵家で再会したときから、ホド消滅の復讐を誓った同志だ」



***



なんて意地の悪い、と私は一人で憤慨した。わざわざルークさんにそう教えて、タイミングのいいことにも部屋の中に飛び込んできたアッシュさんへの勧誘を失敗したと思ったら、悠々と消えていった。この程度の敵など、造作もない、とリグレットに伝えた言葉は、なんの強がりもなく、事実なんだろう。こちらも状況が悪かった。たとえ相打ちで倒したとしても、大地の崩落は免れない。ただ奥歯を噛み締めながら、ヴァンの背中を見つめた。


ナタリアさんはバチカルでのことをアッシュさんにお礼を言い、彼は照れ隠しなのか、イオン様に頼まれたことなのだと説明した。暗躍が得意なことだ。渡すものがある、さっさと来いと立ち去ったアッシュさんのあとに残ったものは重たい沈黙だ。もちろん原因は、先程のヴァンのセリフだ。

「なあ、ガイ、さっきの師匠と、お前の話だけど……カースロットで、俺を襲ったのって、つまり」

気まずげなルークさんの言葉にガイさんはゆっくりと頷いた。「そうだな、ヴァンが言ったことは本当だ。あいつと俺は同志だった。だが、今は違う。あいつと俺の目的は違ってしまったからな」 ちらりとガイさんが私に目をやった。何も言えずに、視線をそらした。

「それを、私達に信じろと?」
「こちらが疑り深いことはご存知ですよね?」
「そうそう」 

ティアさんをかわぎりに、ジェイドさん、そしてアニスさんまで頷いている。おやめなさい、と叫んだのはナタリアさんだ。今までのガイさんの行動が、演技だとは思えないと主張し、ジェイドさんと言い争っている。けれどもその中でも、ルークさんははっきりと告げた。「俺は、ガイを信じる」 いいのか、とガイさんは問いかけた。「だって、俺がガイに信じて欲しいからさ。俺が変わるってこと。それを見ていて欲しい」 胸が少し、熱くなった。

「まあ、といいつつ我々も儀礼的に疑ってみただけなのですが!」

はっはっは、と笑いながら両手を叩くのは、相変わらず空気をぶち壊しに来る大佐である。「私は違うけどねっ! そーやって甘い顔してると、いつか痛い目に合うんだから」とこっちはこっちで、アニスさんはべえっと舌を出していた。そうして私を見て、「っていうか、こんなときに一番何かいいそうなは何もないわけ? さっきも総長とガイの前に飛び出てたのに」 自身の行動を思い出して赤面した。

「そ、それは、すみません」
「い、いや。その、少し嬉しかったよ。でも危ないことはもうやめてくれ」

ガイさんも少しだけ耳を赤くして、ぽりぽりと頭を引っ掻いている。「何もない、と言いますか……」 そもそも、ヴァンとガイさんが過去に関わりがあったことは、以前ユリアシティで聞いているから、そこまで驚きはない。けれどもそれを今言うのはどこか角があるので、つまりそうだな、と自分の中にある言葉をまとめてみた。「ガイさんのことは、もともと全部信用しているので、特に伝えるべきこともないと言いますか……」

顎に手を当てて、うーん、と考えながら道の端を見た。それから視線を上げると、何やらガイさんは顔を手で覆って上を見ながら震えていて、アニスさんとジェイドさんはその逆だった。ガイさんと同じポーズをしながら、正反対を見つめている。

「なんか、、変なこと言ったか? 別に普通だと思うんだけど……」
「ニブチンボーイは黙っといて」

アニスさんが、そう低く呟いたセリフに、ナタリアさんとティアさんも首を傾げた。自分のセリフを思い返して、もしかして少し、恥ずかしいことを言ってしまったのだろうか、と気づいて赤面したときには、アッシュさんが待つ宿屋についていた。

彼は「おせえぞ! 屑が!」 とすっかりお冠になっていて、その隣にはノエルさんがいる。「ノエルさん!」 思わず飛びついた。

さん! みなさんもご無事だったんですね!」

なんでも、彼女はアッシュさんに助けてもらったらしい。よかったよかった、と互いに手を絡ませてぴょんぴょんはねた。でも残念ながら、アルビオールについている飛行機能は封じられてしまって、今できることは、水上歩行のみらしい。つまりは普通の船と同じだ。浮遊機関を操作している飛行譜石を取り外されたんだな、とあたりをつけたのはガイさんだった。

そうして、アッシュさんはジェイドさんに一冊の本を渡した。ローレライ教団に保管された、創世暦時代の禁書である。ジェイドさんに渡せば、外殻大地降下の手助けになる、とイオン様に伝えられたらしい。イオン様は今も変わらず、ダアトで一人戦ってくれている。アニスさんが、ぎゅっとトクナガを抱きしめた。


ジェイドさんはアッシュさんから受け取ったその本の中身に軽く目を通し、頷いた。「読み込むのには時間がかかります。話は明日でもいいですか?」 いいもなにも、おそらくその本を読めるのはジェイドさんだけだ。小脇に本を抱えながら、ではまた明日と軽く頭を下げた彼を見送り、私達はここ、ベルケンドにて一泊することになったのだ。



***



     ようやく、呼び出しに応じてくれたか」

そう言いながら、路地裏にもたれかかるそいつを見て、思わずため息がもれた。「もういい加減にしてくれって意味で、こっちに来ただけだよ」 そう呆れたようにヴァンに告げた。それから、あんたのやり方にはついて行けないとも。

決別の言葉だ。それじゃあな、俺の剣よ、と過去の関わりを投げ捨てて背を向け去った。そのとき呟かれたヴァンの言葉に、何の返事をするつもりもなかった。「あの娘が原因か?」 イエスでも、ノーでもない。それくらいしかわからないお前には、きっと一生わからないよ。あいつが、ルークが、どれだけあんたに苦しめられて、それでも前を向いて進んでいるのか。



あーあ、と硬くなった体を伸ばして、ほぐした。今日のところは、ベルケンドにて一泊だ。眠る前に、の顔の一つでも見に行きたくはあったが、さすがに夜分に女性のもとを訪れては不埒と罵られてしまう。主には彼女と同室のナタリアにだが。

さっさと寝るか、それとも、と宿をぶらつくと、見覚えのある影を見つけた。ティアが小さくうずくまりながら、椅子に腰掛けている。集会場のように椅子がいくつか設置はされているが、今は誰もいない。ただ暖炉の炎だけが燃えていた。「……おいティア、大丈夫か?」 思わず声をかけた。彼女は両手に持ったままの杖を支えに、はっと顔を起こした。どこか青白いような気もする。最近、彼女のそういった姿をよく目にする。

「ああ、ガイだったの。すこし眠っていたかもしれないわ。恥ずかしいわね、鍛え方が足りないわ」
「……それなら部屋に行った方がゆっくりできるんじゃないか?」
「ここは暖かいから。もう少ししたら部屋に戻るわ」

本当だろうか。
とは言っても、医者に行けと言われたところでその通りに動く彼女ではないことを、とっくの昔に知っている。よっこいせ、とティアから離れた椅子に座った。不思議気、と言えばいいのか、どちらかというと訝しげだと言えばいいのか。彼女に視線を向けられたものだから、「いや、俺も少しここであったまってから帰ろうかなと。夜は冷えるな」 そうね、と彼女からあったものは返答くらいだ。

気にはなるものの、特に会話の糸口があるわけでもなく、どちらかと言うと様子見だ。暖炉の中で薪が弾ける音ばかりが響いて、確かに冷え込んだ体が暖かくなってきた。はもう眠っているだろうか。「……そういえば、ガイ。との誤解はとけたの?」 意外なことにも、話しかけてきたのはティアだった。彼女とは以前、アルビオールの救出時に、ルークとの会話を聞かれている。

「あ、ああそうだな。うん。ただの俺の勘違いだった」

言葉にしながら、ひどく情けなくなった。いや、本当はわかっていた。思い込むようにしていただけだ。から好かれてはいないと思いこむことで、自身を慰めていた。そうすれば、距離を開けることも容易いと。「やっぱりそうよね。彼女、あなたのことひどく信頼しているみたいだもの」 昼間での会話だろうか。少し耳の後ろが熱くなったのは、暖炉のせいだけではない。


     信頼、か……)

ガイさん、と嬉しげに顔を向ける彼女との関係は、旅をして少しの変化があったような気がした。ときおりひどく赤くなって顔をそむけて、恥ずかしげな様子を見せる。その度に抱きしめてやろうかと思っても、体が動かない。指が震える。それに、俺は彼女を守ると、そう告げたのに、倒れる彼女の体にただ腕を伸ばすばかりで、何もできなかった。彼女を守るためには、この厄介な体質を治さなければならない。そう誓った。

糸口はあった。

が自身の体を顧みることなく声をあげたとき、怒りと、悲しみと、様々な感情が入り混じって気づけば彼女の肩を力強く掴んでいた。細い肩だった。思い返したところで後悔しかないが、それでもに触ることができた。それならば、訓練すれば、少しずつ彼女に近づけるはずだ。それを想像しただけで…………やはり、体が震えた。(ただ、訓練、と言ったものの……)

困り果てて、一つの椅子の空間を開けて隣に座るティアを見た。

「ティア、もし、その、よければなんだが……」
「なにかしら?」

先程よりも顔に色を戻して、ティアは首を傾げた。「俺は、その、今更なんだが、女性恐怖症を克服したいんだ。もしきみが嫌でなければ、協力してくれないか?」 きょうりょく、と彼女の舌が言葉を綴ったところで、「いや、指先だけでいいから。きみの指先に、ちょっとでも手が触れることができたら、それは、その……よくなってるってことだろう?」

自分で言ったあとに困ってしまった。ティアは特に表情も変えないまま、「それなら、にお願いしたらどうかしら。その方が適任でしょう?」 なにがどう判断して適任と思ったのかは知らないが、自分がにそう相談している姿を想像した。なにやら下心の方が勝ってしまいそうで、正直色々と自信がない。かと言って、アニスやナタリアにお願いした日には、待ってましたとばかりにいじられて、もしくはしごかれて、別の意味で震えが止まらなかった。

一人悶々と思案しながら百面相を続ける俺を見て、ティアは薄くため息をついた。「まあ、いいわ。あなたとも、複雑なのね」 少々コメントには困ったが、納得してくれたのならそれでいい。

「別に指先でも、どこでもいいわ」

どうぞ? と瞳を閉じる彼女に、まずは距離を近づかせた。どこでもいいと言われても、さずかに良心が咎めたから、無難な場所考えて、一歩近づく。
いつまで経ってもそれ以上動かない俺に、ティアは呆れて瞳を開けた。「……やっぱり、だめみたいね?」「そ、そそそ、そうだなっ!!!!」 むしろ飛び跳ねるようにして距離ができていた。


自分が情けなかった。誓った言葉でさえも、まったくもって実現することができないのだから。




***




翌日、ジェイドさんは見事に本の解読を終わらせていた。なんとも博学な、ととりあえず私は手のひらを叩いた。さすがはバルフォア博士。彼の言葉をまとめると、クリフォトに落ちた大地が液状化する原因は、地核にあるとのことだった。本来は静止状態であるはずの地核が激しく振動しているためだ。揺れを引き起こしている原因は、プラネットストームにある。サザンクロスという高名な博士が創世歴時代に考案した、人為的な惑星燃料配給機関だ。長い時間をかけて少しずつ狂いが生じているのだと言う。

ただ、このプラネットストームを停止させてしまえば、譜業も譜術も効果が極端に弱まってしまう。そして音機関も使えなくなってしまう。だからこそ、プラネットストームを維持したまま、地核の振動数を止める必要がある、とその本には書かれていたらしい。以前からすでに方法自体は考案されていたのだ。けれども実現しなかった理由はユリアの預言だ。預言に書かれていない内容を行うわけにはいかない、と禁書扱いとなってしまった。

まあつまり、セフィロトツリーがなくなって大地が降下してしまったとしても、液状化する原因をなんとかしてしまえば問題ない、という力技の寸法だ。

そして本にかかれている音機関を復元するためには、この街、ベルケンドの研究所の協力が必要となる……のだけれど、生憎なことに、このベルケンドはルークさんと私の“父”である、ファブレ公爵の管轄だ。バチカルに近く、湿原を挟み、反乱に適した立地であることから、統治はだいたい血筋によって賄われてきた。私達が協力を申し出てしまえば、その時点でバチカルに連れ戻されてしまう。

そこで登場したのがガイさんだ。「そこはヘンケンって研究者を捜してくれれば解決するぜ」 なんのことだ、と疑問の声をあげたルークさんに、「そこは後のお楽しみ、さ」とパチリと一つウィンクを放った。思わず視線をそらした。かわいい、なんて思う自分がなんだか許せない。



そうして研究所内を探索し、噂のヘンケンさんを発見した。つるつる頭のヘンケンさんの隣には、可愛らしいおかっぱ頭のご老人、キャシーさんだ。なにやら誰かを思い出すような、と思ったところで、ジェイドさんから協力を持ちかけたところ、すぐさま吹き飛ばすくらいの勢いで断られた。ちょっとガイさん。話が違う。

「へぇ、それじゃあこの禁書の復元は、シェリダンのイエモンたちに任せるか」

そう、何の気なしの言葉のようにガイさんがぽろりとこぼすと、ヘンケンさんとキャシーさんは爆発した。「いいいい、イエモンじゃと!!!?」「たたたたた、タマラですって!!?」 タマラさんの名前はまだ出しておりません。「冗談じゃないわ! またタマラたちが創世暦時代の音機関を横取りするの!?」 何やら根深い関わりがあるご様子。


「彼らは『ベルケンドい組』で、イエモンたちが『シェリダンめ組』でさ。音機関好きの間では有名なんだよ、彼らの対決が」 と、どこか面白そうな様子でガイさんはひっそりと教えてくれた。そういえば以前にも彼に教えてもらっていた。彼らが噂のい組ですか。



「……あら、よく見てみればそこのお嬢ちゃんが着ている服、タマラの作業着じゃない? ま、まさか、とうとう、タマラったら、敵情視察にスパイを送り込むように……!!?」
「ちちちちち、違いますよ!?」

そしてこちらにも矢じりが飛んできた。ほんとに違う。勘弁してください。「こ、これは、確かにちょこっとイエモンさんたちのお手伝いをしましたけど、ほんとうにちょこっとでして、この作業着はお借りしたものです……!! タマラさんたちは、スパイだなんて卑怯なことはしてません!」

他人の名誉だ。慌てて否定すると、「まあそうよね」と案外キャシーさんはあっさりと認めた。「あのタマラが、そんなことをするわけないのもの」 ライバルに対してよく理解しているところがあるらしい。「まあ私はいつかしてやろうと思っているけれど」 ずごっとこけそうになった。


「まあいいわ。あなた、少しはできる人間なのよね。それならこの研究所は、技術者への門扉は広いわ。私達、『い組』に入らない?」

タマラものとで指導した人間を私のもとで塗り替えてあげるわ……と静かに聞こえた言葉にぶるりと震えがはしった。「と、いうのは冗談だけど。もしよければ人手が欲しいの。手を貸してもらえる?」 こちらに出された手のひらを見て、周囲を見た。どうしよう、と震えながら、覚悟を決めた。「お、お、お、お断り、します……!!」「が、断った……!!?」 心底意外そうに叫ぶアニスさんの声が聞こえる。

「あ、あの、優柔不断なお嬢様でできているが……!? まあお嬢様がスパナ持ってるのもそもそもおかしいけどね!?」

アニスさんの中での私の株価は果たしていくらなのか、一度きいてみたい。暴落してませんかね。


「お、お手伝いとなると、今回は長期になるでしょうから、が、ガイさんの傍にいられない……で、ではなく! ここはファブレ公爵家統治の街ですから、私なんかがふらふらしていたらいつ見つかってしまうかもわかりませんし!?」


前半の自分のセリフの気恥ずかしさに気づいて、後半をまくし立てた。振り返ればジェイドさんとアニスさんの二人が、どこかで見たようなポーズで顔面を手のひらで覆って、互いに見当違いのところを見ている。察するのはやめて欲しい。ガイさんはと言えば、腕を組んだままきょとりと瞬きを繰り返していた。それからじわじわ耳元を赤くさせて、最終的には視線をそらされた。内心、はうわー!? とアニスさんのセリフを真似して叫んでいた。恥ずかしいことを言う子供だと、きっとガイさんには思われた。

「なにかおかしなことを言いまして? の判断はひどく妥当なものですわ」
「そうね。いつまでもこの街にいることは危険だし」
「だよなあ。一体どうしたってんだ、お前ら?」
「ニブチントリオは黙ってナァ……!!」

アニスさんのドスがきいた声が響いている。お恥ずかしい。
そんなこんなのわちゃわちゃしつつ、ヘンケンさんとキャシーさんは、さっそく知事を味方につけると奔走した。そしてそれは一瞬のことだった。い組、強い。というところが感想である。

さすがは研究者の街を取り締まるだけあるのか、禁書の内容に興味津々、という雰囲気の知事、ビジリアンの協力のもと、早急に草案がまとめられた。まずは地核の振動数を調べる必要がある、というヘンケンさんの指示のもと、新たなパッセージリングを求めたが、残念なことにも現在アルビオールの飛行機能は停止している。ユリアシティに行くことは断念して、アニスさんの提案のもと、イオン様のもとに向かう道筋がついたとき、くだんのスピノザが私達の会話を“盗み聞き”していたことに気がついた。

先程の話をきいて、通報しようとしているのでは、と勘ぐるジェイドさんに、意外なことにもキャシーさんとヘンケンさんが彼をかばった。いわく、スピノザはそんな男ではない、とのことだけれど、正直私達にはわからない。丁度アッシュさんとも合流して、事情を説明した。「ん、まあとにかく、スピノザを捕まえておけばいいんだな。俺が奴を捜しておく」 有能な兄である。

いや、俺が捕まえるんだ、と意外なことにも対抗意識を燃やすルークさんを引きずって、私達はダアトへと向かった。何度目かになるその街には、あまりいい思い出はない。道中、ガイさんが私にそっと話し長けた。「あのな、」 信じてくれて、ありがとう、という言葉と一緒に、彼はどこか困ったように周囲を見渡して、苦笑していた。



「正直、なんでがそうまでして、俺を信頼してくれているのか、昔から不思議だった。でも今は違う。俺は君の信頼が嬉しいし、それに応えたい。それに万一、きみがどんな人間で、どんな姿だったとしても、俺も君を信じるよ」


きっとそれは、今も色素が抜けてしまった髪と瞳に対してのことなのだろう。けれども、私は一つ、隠し事をしたままだ。だから、彼にきちんとした言葉を返すことができなかった。

でも私は知らなかった。ダアトにて、待ち受けていたものに。知りたくもない、いいや、知らなければいけない事実があるだなんて、そんなこと。




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2019-12-21