ダアトの丘からは、文字通りダアトを一望することができる。
ユリアが残した第四石碑が、長きに渡って街を見守り続けてきた。ふてくされるルークさんを連れてやってきたとき、アッシュさんは見覚えのない女性と話をしていた。

とても、豊満ばボディでいらっしゃる……とぼんやり見つめていると、隣からふつふつと熱い熱を感じた気がした。ナタリアさんだ。どこか剣呑な瞳で、アッシュさんと一緒にいる女性を見ている。「ノワール、だったかしら……」 お名前までご存知でいらっしゃる。解説を頼むべく、ガイさんに視線を投げた。ガイさんはぽそぽそと教えてくれた。


「あいつは漆黒の翼のリーダーだ。マルクトでも指名手配を受けているんだが、イオンを攫ったり、正直よくわからない。ただ見たところアッシュに協力してるみたいだな」


ほうほう、と頷く。確かにアッシュさんとは有効的な雰囲気でお話している。結局スピノザはケテルブルクに行った様子だとか、ベルケンドに行って、爺さんたちの様子を見てこい、だとか。ノワールとナタリアさんが呼んだ女性は、「人使いが荒いわネ」 としなを作って、すたすたと私達を通り過ぎていこうとしたとき、「あの坊や、なかなか素敵よ」とナタリアさんに耳打ちした。確実なる喧嘩を売っていらっしゃる。

あの、おちついて。お気持ちはわかります。おちついてください、と慌てて割り込んだとき、「あらン? あなた、そこのひよこ頭の坊やの背中でおねんねしてたのに、ようやく起きたの?」「い、いつのことです!?」 ケセドニアだな、とすかさずガイさんが教えてくれる。

私は想像よりも長くルークさんに背負われていたらしい。すみません、と慌てて頭を下げて、「いや大丈夫だって。何回もそういったろ?」とルークさんは両手を出して、「いいから。マジでほんと。気にすんな!」 くしゃくしゃ頭を撫でられた。そのすきとばかりに、話題だけ投げかけて、ノワールさんは消えてしまった。「随分のんびりした到着だな」 そんな私達の姿を見て、アッシュさんはふんっ、と鼻から息を吐き出した。

「直行したよ! これでも。大体おまえはどうやってここに来たんだ?」

こちらの方が人数が多い分、動きにくいところもあるけれど、その分魔物の数もさばける。それほど時間に差はないはずなのに、アッシュさんはすでにスピノザの行方まで突き止めて、その上私達よりも早くダアトについていた。「船を使ったに決まってるだろう。馬鹿が」 フネ……? と首を傾げた。水の上を通ったところで、そこまで差はないし、まさか浮遊機関を使ったわけでもないだろうし。

でもアッシュさんはそれ以上話す気はないらしく、「そんなことより、さっさとイオンを連れてこい」と苛立たしげに声を出して消えてしまった。そして未だにナタリアさんは憤慨している。「まったく、アッシュったら、あんな女と……」 まあお気持ちはわかりますが。


ここまで来れば、ダアトまですぐだ。気を抜くわけにはいかないけれど、人が多くなれば魔物の数も減る。逆に言うのなら、魔物の生息が少ない地域に、街ができていく。その分オラクル兵に気をつけなければならないけれど、どこからともなく襲いかかる魔物よりも、ずっとマシだ。


気がつくと、ガイさんが隣にいた。隣、と言うほどに距離は近くはないけれど、ゆっくりと丘を下っていく。気のせいか、このところ彼が近くにいるような。いや、もちろん、常にある程度の距離はあるのだけれど、会話ができる距離にいてくれているような。気の所為かもしれない、と言うよりも、むしろ私がガイさんの近くに行っているだけかもしれない。気づけば、ふらふらと彼の周囲に足が向いていて、恥ずかしくなる。だから彼から逃げているつもりなのに、やっぱりガイさんは近くにいた。嬉しいけれど、そう感じる自分に困って、こっそりため息ばかりついている。

「そろそろ、ダアトに着くな。少し遠かったか?」

心配したように、ガイさんは私に声をかけた。首を振ろうとして、でも少しくらい正直になろうと思って、「はい。少しだけ。でも元気ですよ」「それはよかった」 朗らかな声だった。大丈夫、ガイさんと、今はちゃんとお話ができている。あのとき、まだアルビオールが起動していたときから、ガイさんとは少し気まずかった。彼もおそらくそう思っているようで、どうすればいいかわからなかったのだけれど、今のガイさんはひどく話しかけやすい。安心した。

「……なあ、?」

ふと、ガイさんが私に問いかけた。ダアトの周囲には、ローレライ教団の信者が植えたのか、ところどころ、可愛らしい花が揺れている。飛び跳ねるように逃げた小さな動物に、ごめんなさいと手を振った。「……え? はい。なんでしょう」 ルークさんや、ジェイドさんたちは私達より前を歩いている。気づけば少し距離ができていた。慌てて追いかけようとしたけれど、ガイさんの歩くペースが変わらなかったから、そのまま少し、同じように歩くことにした。

ガイさんは首元をかいて、それから周囲を見渡した。特に何を見ているというわけではなく、言葉を選んでいるらしい。「これから、どうなるんだろうな」 キムラスカと、マルクトの関係だろうか。それとも、外殻大地のことか。もしくは、そのすべてなのかもしれない。「どう、でしょうね……。今は、停戦状態ですが、場合によっては、さらに激戦化する可能性も」 あるにはある、と言おうとして、それを止めるために、私達は動いているのだから、私が言うべきセリフではないと首を振った。

「そうだな。そう……なんだよな」

そうガイさんは言葉を繰り返して頷いた。それから少し覚悟を決めたような顔をして、もう一度私を見た。「前にも言ったけれど、この旅が終われば、俺はマルクトに戻るつもりなんだ」 つまりは、敵同士となる可能性がある、ということだ。それくらい、知っていた。そうですね、と小さな言葉を吐いた。万一、戦争がさらに本格化すれば、彼と会うことは、この先、もう一生ないのかもしれない。それを考えると、少し、いや、とても、ひどく、辛い。

互いに無言のままだった。「すまない。いや、暗い話をしたいわけじゃないんだよ。ただ、君にはきちんと伝えなければいけないと思ってさ。まあなにせよ、ヴァンの企みを潰すことが先決だ」 あいつを止めることができなかった、とガイさんは声を落とした。

「そ、そうですよね。まずは外殻大地です。イオン様にお会いして、パッセージリングの場所を確認して、それから振動数を確認して、クリフォトの液状化を止める! 以前よりも、ずっと道筋が見えてます!」

希望はある。
拳を振り上げて、明るい声で話した。でもそれなのに、勝手に口から本音が出ていた。「でも」「でも?」「ガイさんと、会えなくなるのは……とても」 寂しいです、と。

言ったあとで、また私は。と自分で恥ずかしくなった。でもこれくらいのことなら前から言っているし、きっと大丈夫だ。長く一緒にいる人の別れを惜しむことぐらい、一般的なのだから、私が彼のことを好きなのだと気づくきっかけにはならない。と、思う。むしろ、今までと妙に態度を変えるより、ずっといいはず、と口元を指先で隠して、とぼとぼ進んだ。ガイさんは何も言わなかった。それが少し怖くて、ガイさんから伸びる影だけを見つめた。「なあ、」 とても静かな声だった。顔を上げると、ガイさんはひどく落ち着いた表情で私を見ていて、なんだか少し怖かった。

「きみも、俺と、一緒に     
「おーい、ガイ! !」

気づけば、ルークさんたちとずっと離れていたらしい。何かあったのか? とルークさんは手のひらで口を囲んで問いかけている。大丈夫です! と大きな声を出したつもりが、聞こえなかったらしい。「だいじょうぶでーす! ごめんなさい!」 たったと足を動かした。「ガイさんも、はやく行かないと!」 みなさん心配してます、と急かすと、そうだな、と彼は苦笑した。

「あの、それで先程のお話って?」

言いかけた言葉を尋ねた。でもガイさんは、「なんのことだったかな」とすっとぼけた。でもじっと彼を見る私の視線に耐えかねて、「少し、慌てただけだよ。急ぎすぎただけだ」と彼は言うから、「急いでませんよ。ほら、ナタリアさんが怒ってます」と先を歩く彼らを見たら、そうだな、と笑っていた。




イオン様に会うには、やはり教団の中に忍び込まなければいけないらしい。できればそれ以外の方法を捜したかったところなのだけど、そうわがままを言っている状況ではない。「今度はモースたちに捕まらないようにしないとな」とルークさんは警戒した声を出して、周囲を探った。みんなもその言葉に同意する中、アニスさんはどこか浮かない顔をしているような気がした。「アニス?」 ルークさんの声に、彼女は驚くほど飛び跳ねた。

「な、な、なに!?」
「いや、声をかけただけだけど……」

あ、そう、びっくりしちゃった、えへへ、と彼女はツインテールをはねさせて、「イオン様の場所ね。うん、パパとママが知ってるかも。うち、前にも話したけど二人とも教団で働いてるからさ……」 イオン様のこと、すっごく信仰しちゃってるから、きっと聞けばすぐにわかると思うよ、というアニスさんの言葉どおり、イオン様はすぐに見つかった。アニスさんのお母さんはどこかおっとりした雰囲気で、逆に言えば、だからこそ危うげな雰囲気もあった。

きっと驚くだろう。そう思ったのに、イオン様は私達を見たとき、ひどく安心したように息を吐き出した。アッシュを通して彼も動いてくれていたのだ。そしてイオン様から言付かった本を解読したと説明し、今後の目的を話した。

「パッセージリングですか……そう言えば以前、リグレットがこんなことを言っていました。橋が落ちているから、タタル渓谷のセフィロトは後回しだ、と。確証はありませんが、行く価値はあると思います。そこはまだ封咒は解かれていませんし、僕はここですべきことが終わりましたから、皆さんに協力します」

助かるよ、とルークさんが片手を出す。そのときだ。ルークさんが鈍い悲鳴をあげながらも崩れ落ちた。以前にはよく見ていた光景だ。「いってぇ……」 彼は頭を押さえながらくぐもった声を出して唸っていた。「ルーク、大丈夫!?」 一番にティアさんが駆けつけた。「アッシュの、やつだ。またあいつの声、が……」

ルークさんは、アッシュさんのレプリカであるために、振動数が一致した同一個体である。だからこそ、アッシュさんはルークさんに、自身の“声”を届けることができる。ただ受信するルークさん側からしたら、ひどく苦しいもののようで、ファブレ家にいたとき、よく頭が痛い、と苦しがっていた彼を思い出した。

思わず、息を止めていたらしい。ゆっくりとルークさんが立ち上がったとき、慌てて口から息を吸い込んで、吐き出した。「……スピノザが、俺たちの計画をヴァン師匠に知らせたらしい。ヘンケンさんたちはシェリダンへ逃げた、みたいだ」 アッシュさんが追っていた男だ。つまり、私達の計画は六神将が知るところになってしまった。「そんならさっさと逃げるぞ。ダアトからはさっさと離れた方がいい」 ガイさんの声に頷いて、シェリダンに向かうべく住宅街を駆け抜けていたとき、アニスさんの母親と鉢合わせしてしまった。

「あらあらあら、アニスちゃん。アリエッタ様が戻っていらしたわよ。六神将の方を捜していたのよね? 皆さんがいらしたこと、ちゃんとお伝えしておきましたよ」

にこにこ笑う彼女に、アニスさんが、「うっげぇ!」と叫んだ。「なんてことすんの!」 なんて悲鳴まで響いていた。



***



こうなればガイさんの言う通り、一刻も早くダアトから逃げ出さなくてはいけない。なのにアリエッタと呼ばれる六神将の一人は、恐らくアニスの母であるパメラにあたりをつけていたらしい。「ママの仇!!」 叫びながら、本来は魔物であるライガ二匹を引き連れ、街道に飛び降りた。周囲ではどよめきの声があがり、殺気立った彼女の様子に、慌てて逃げていく市民までいる。

     妖獣のアリエッタ

ピンク頭の人形を抱きしめた小柄な少女は、ガイさんからの話にきいただけで、直接目にしたことはない。想像よりも、ずっと小さくて、華奢で、折れてしまいそうなほどに細い彼女は、まるで手負いの獣のように体全体で威嚇し、アニスさんと張り合うように叫び合っていた。

彼女は2年ほど前まではイオン様付きの導師守護役だったのだ。だからこそ現在イオン様のもっとも近くにいるアニスに対抗心を持ち、また彼女の育ての親であるライガを殺された恨みから、ルークさんにも小さな牙を向けていた。

「アニスなんて嫌い嫌い嫌い! いなくなっちゃえばいいのに!」
「なによぉ、根暗ッタ! バカバカバカ! そっちこそ今すぐ消えてお家に帰んなさいなよ!」

けんけんと言い合う二人の姿を見ていると、どこぞの大佐と薔薇の死神を思い出してしまったのだけれど、そんなことを考えている場合ではない。言い争いは明らかにアニスさんが優勢で、アリエッタは涙をにじませた。すん、と鼻をすすって、「ばか!」と悲鳴のような声を上げ、片手を振り上げた。喉を唸らせるライガを見て、アニスさんは、「ちょ、ちょっと、どこだと思ってんのよ! こんなトコで暴れたら……!!」

ルークさんとガイさんは、すぐさま臨戦態勢に入った。私も何かあればと両手を握る。一瞬のうちに、ライガは彼ら二人を弾き飛ばした。「イオン様は、渡さないんだから!!」 泣きじゃくる子供のような声で、彼女は指示を続けた。「イオン様、危ない……!!!」

そのとき、アニスさんのお母さんであるパメラさんが、イオン様を身を挺してかばった。

吐き出された炎を細い体に浴びるばかりに受け、倒れ込む彼女の姿を見て、アニスさんは悲鳴を上げた。「アリエッタ!」 イオン様が、まるで切り裂くような、鋭い声を張り上げる。「パメラを巻き込むのは筋違いでしょう!!」 アリエッタは、ひっと喉の奥の声を震わせ、たじろんだ。その一瞬の隙をついて、ジェイドさんがアリエッタの背後に回り込み、首筋に片手を当てた。彼はいつでも、その手に槍を具現化できる。「さあ、お友達をひかせなさい」

悔しげな声を出しながら、アリエッタは沈黙した。パメラさんは、すでにナタリアさんとティアさんの二人が治療を行っている。私は第七音素を使うことはできない。だからかわりとばかりに、たっぷりの水を作り出した。氷まで作ることはできないけれど、きんきんに冷えた水を作り出すことで、少しくらいは役に立てるのではないかと思ったのだ。


彼女の怪我は二人の第七音素のおかけですぐさま完治した。アリエッタはダアトの街で暴れまわったことに、反省すべし、と中立派のトリトハイム詠師に引き渡されたのだけれど、脱獄は時間の問題だろう。


ただ私は、とても顔色の悪いガイさんのことが気になった。イオン様をかばい、倒れたパメラさんを見て、彼はひどく狼狽して、長く、息を吐いて、それから吐き出した。パメラさんを、彼女の自室で看病する間、ただ何も言わず瞳を閉じて、礼拝堂に行く、とだけ一声残して消えてしまった。ママをありがとう、とアニスさんはひどく気落ちした声で、ティアさんと、ナタリアさんに礼を告げた。「も、ありがとう。……ごめんね」 最後の言葉は、何かに耐えかねたようだった。けれどもそれはただの気の所為かもしれなくて、口を閉ざすアニスさんに、何を告げることもできなかった。



ガイさんは、ぼんやりと礼拝堂の天井を眺めていた。

回復したパメラさんに頭を下げて、彼の姿を捜した。パメラさんも、ガイさんを心配していた。丁度、アリエッタを連行していたジェイドさんも戻っていて、ステンドグラスがきらきらと光る中で、何か不思議な気分になって、ぼんやりと上を見上げた。気づけばルークさんと、ティアさんたち、そして全員が集まっている。

私がガイさんに何も聞けないままでいたとき、「なあ、ガイ、大丈夫なのか? 何か、思い出したみたいだけど」 彼はパメラさんが倒れたとき、思い出したと言葉を漏らしていた。「ああ、うん。そう、だな。ずっと、忘れていたことを、思い出したんだ」


ガイさんは語った。彼が、女性を恐怖に感じるようになったきっかけを。それは、私がひどく、よく知るものだった。

5歳の頃、あの冷たい暖炉の部屋で、ガイラルディア様であった彼は死体の山に積み重なって息を殺しながら泣いていた。姉や、仲のよかったメイドたちの中で、襲い来るキムラスカの兵から身を隠し、次第に動かなくなく彼女たちの冷たさを感じた。


     それは、とても、とてもよく知っていることだ。


ジェイドさんは、彼の女性恐怖症をその時の精神的外傷であると言った。


「情けないねぇ。命をかけて守ってくれた姉上たちの記憶を『怖い』なんて思っちまうとは」

そう、からからと笑ったガイさんに、「でも、おまえ、子供だったんだろ? しょうがないよ。当たり前だ」と拳を握っている。みんなが口々に、今までのからかいを謝罪して、俺だって忘れていたことなんだから、気にしないでくれとガイさんは肩をすくめていた。

そんな光景を見て、私はただ動くことすらできなくなった。
     そうだ、ルークさんの言うとおりだ。



ガイラルディア様は子供だった。小さくて、可愛くて、やさしくて。そんな彼を、守りたいと思ったのだ。事切れたマリィベル様や、同僚の姿を見て、すぐさまわかった。彼女たちも、ガイラルディア様を守ったのだと。


でも、それは彼にとって重荷となった。小さな子供の心を傷つけ、長くにかけて、彼を生きづらくする要因を作った。ぽとぽとと、涙がとまらなかった。嗚咽が、喉を鳴らせた。ただガイさんを見つめて泣いた。こぼれた涙を拭うこともできなかった。「……?」 困惑した彼らの声が聞こえる。それでも、溢れる涙は止まらなくて、ただ肩で息を繰り返した。「ごめんなさい」 呟いた声はひどくかすれていた。「ごめんなさい……」「ど、どうしたんだよ

ガイさんが、私の肩に手をかけようとした。でも、そうすることはできないから、弾かれたように手のひらを逃した。ぼろりと、また大粒の涙がこぼれ落ちた。ただ、謝ることしかできなかった。「ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい」 本当に、本当に。私達は。


「私達は、ただ、勝手に……死んだだけなのに……」







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2019-12-23