あとは、イエモンさん達に任せっきりのタルタロスの様子を確認することぐらいだ。アルビオールに飛び乗り、シェルダンに向かった。イエモンさんの孫であるノエルさんを先頭に扉を開けると、屍のようになっていた老人+若者一人が突っ伏していた。

「おおおお、おじいちゃーん!!!?」
「ウッ……ノエル……あと、一歩、あと一歩なんじゃが……! ガクリ」

眉毛に隠れた瞳を時折ちらちらさせつつ、効果音まで口にしたご老人はさておき、せめて体力的に一番元気だったギンジさんに確認させていただいたところ、彼ら5人はでタルタロスの改造を続けていた。それこそ命の灯火を燃やすほどに。

本来なら墜落した初号機のアルビオールの調査、メンテナンスを行っているギンジさんまでも使いっぱしりにまわして、不眠につぐ不眠で、目の下にはやんちゃなクマが盛りだくさんである。「あ……きみは……理想の嫁の人……」 私を見上げながらぼんやりそう呟くギンジさんに、「誰の嫁だ、誰の!?」とガイさんが突っ込んでいたのだけれど、多分彼の耳にはもう何も届いていない。



「ひひ、ひひひ……。あと少しで、世紀の大発明が生まれるぞい……」
「これは……俺たちが作る、最高傑作だ……!!!」


それから、ふひふひするアストンさんと、興奮のためお耳につけているヘッドホンがずれがちなヘンケンさん達に死ぬほどおにぎりを転がしながら、ご年配なのに本当に大丈夫だろうか。もうちょっとお腹に優しいものの方がいいんじゃないだろうかと不安でたまらない。ちなみにタマラさんとキャシーさんは静かにおかゆをすすっていて、イエモンさんはもう少しだってのに、まったり食ってる場合かこんちきしょうと叫びながらギンジさんを小脇にかかえて消えていった。お兄ちゃーん! とノエルさんが追いかけていったので、まあ大丈夫だろう。


とりあえず私は彼らが気になりますということで、作業場に残り、できれば何か手伝えることがないだろうかと仕事を待ってみたものの、ここまで来るとハイクオリティすぎて下手な手出しをすることさえできない。ちなみに私の隣ではガイさんが瞳をキラキラさせながら彼らの様子を見ていて、他の人たちは宿で体を休めたり、必要なものを買い出しに行ったりとさまざまだった。


床に直接座り込んで、壁にぺとりともたれた。お行儀は悪いけれども、今は別に誰が見ているわけではないのだ。ガイさんも同じような体勢をしている。「かあー!! ギンジ! もっとしゃきしゃき動かんかっ!」 小柄な体を脚立にのせながらギンジさんはよく日に焼けた肌を荒ぶらせながら、ふがふがギンジさんに一喝していた。孫である彼は「もう勘弁してくれよお」と泣き叫びながらも、それでもなんとかついて行っているのだから、大したものだ。

い組と、め組の初めての共同作業だ。どうなることやらと思っていたのに、案外息のあった連携を見せている。


くすりと笑ったとき、ガイさんの小指が、ほんの僅かに擦れた。
おそらくお互いびっくりして、体が飛び跳ねてしまった。でもそのまま離すことができなくて、ぷい、と顔をそむけた。少しだけ考えて、そろそろ左手を動かして、ちょっとだけ絡ませてみた。「ひぎゃっ!!」「ひぎゃあ!?」 そしてガイさん真っ赤な顔をして叫んだから、私も思わず同じセリフを言ってしまった。

「ひ、ひぎゃあって、なんですか!? ひぎゃあって!」
「い、いやその、正直、ものすごく、驚いて」
「えええええ」

この間、こっそり手を握ったばかりじゃないか。それもガイさんからのお願いだ。「あ、あんなにいっぱい、したのに……」 しまくったのに……、と思わず呟くと、ガイさんはひえっ、とまた悲鳴を上げた。「お、俺はしまくってなんかないぞ!? なんのことだ!?」「したじゃないですか! 手を握りました!」「手、手は、にぎっ……」 た、な……と、言葉を小さく区切りながら、もっと別の方面かと、と、言いながらガイさんは視線をそらした。別の方面とは一体どこだ。それはさておき。

「その、いきなりってのは、まだちょっとな」

それはそうか、と納得した。ついこの間までは、今この場にいる距離ですら難しかったのだ。寧ろ、ものすごい進歩と言えるかもしれない。「た、たしかにそうですよね、すみません」 触りたくなってしまったから、なんて言い訳は恥ずかしくて言えなかった。「いや、そんな、全然。うん」と、呟くガイさんから視線をそらして、眼前のタルタロスを見つめた。考えてみれば、あの戦艦には随分世話になったものだ。クリフォトから一緒に空に飛んだり、色んな海を渡ったり。


「いや、でも、正直、めちゃくちゃ嬉しい     
「あ、そうだ」

ぱちん、と両手を打って私が立つと同時に、ガイさんが私の背後で倒れ込んだ。出した手のひらをわきわきさせてスライディングしている。「……あの?」「……床って気持ちいいよな」「汚れてますけど大丈夫ですか?」 土足前提の建物である。まあこの世界はだいたいどこもそうだけど。

「それよりガイさん、もしよければ、というか、タマラさんたちがよければなんですが」

こしょこしょ声と一緒に手のひらを動かすと、ガイさんはきょとりと瞬いて、どうしたんだ? と言いながら体を起こした。「タルタロスって、この作戦通りになれば、最後にはいなくなってしまうじゃないですか」「まあ、地核に沈めるわけだしな」 うんうん、と頷く。「本当に、もしよければなんですけど」 両手を握った。


「お別れしてしまう前に、少しお掃除とかできませんかね……!!?」





タマラさんたちに確認してみたところ、「まあ別にしなくてもいいけれど、こびりついている泥が取れた方が多少は質量が軽くなるわけだから、ちょっとくらいは負荷が減るには減るけれど別にしなくていいね」とのことだった。じゃあまあ、しても問題ないということですよねとポジティブに変換し、不用品であるという布を何枚かいただき、巨大すぎるタルタロスの壁面を磨かせてもらうことになった。

さすがクロフォトにも落ちただけのことがあって、よくよく見ればいたるところに泥がこびりついている。さすがに障気に汚染されているために、直接触れないようにと気をつけて、ごしごしこすった。

「おーい、こっちもすげえな! ほらナタリア、真っ黒だ!」
「見てみればわかりますわ! もう、なんていうことでしょう。きちんとメンテナンスをする暇もありませんでしたものね」
「別にしなくてもいいって言われたんでしょー。ならしなくてもいいと思うけどぉ……」

そして、ルークさんたちも手伝ってくれていた。ガイさんが、せっかくならルーク達にも声をかけてみるか、と提案してくれたのだ。初めはアニスさんはぶうたれてはいるものの、僕もしますとイオン様が手を上げてしまるものだから、「イオン様はお体が弱いんですから! おとなしくしてなさーい! それなら私がしますー!」とぷんすこした結果、トクナガを踏み台にして作業をしてくれている。

当たり前のことだけれど、ジェイドさんは、「若い人たちに任せますよ。気持ちだけ送っておきます」と爽やかに逃げていった。予想通りだった。ティアさんも、自分も手伝いたい、と声を出してくれたのだけれど、最近どこか体調が悪い様子で、ルークさんが止めていた。今頃は宿で休んでくれているだろう。ちなみにミュウは応援係である。


「本当に、お世話さまでした」

小さく声を出しながら、丹念にふいた。きっと、タルタロスがいなかったら、私達はきっと何もできずに終わっていた。あんまりにも大きすぎる戦艦だから、私達が束になっても、本当に一角しか手をつけることができない。それでも、この船に何かがしたかった。

「……変わった子達だねぇ」

隣ではタマラさんが、呆れたような声を出している。ルークさんたちの楽しげな声が聞こえた。アニス、近づかないでくれ! とガイさんが叫んでいて、ならいいのにー? とアニスさんがにやつくように笑う声まで聞こえてくる。


「そうでしょうか。これから、大変な任務を請け負ってくれるわけですから」

ただの自己満足なのだろうけれど、できるだけ立派にして、見送ってあげたい。「まあね。イエモン達でも間違いなくするだろうさ。あんたが言い出さなきゃ、残った時間で年寄り全員、5人束になって磨き上げてやってたに違いないよ」 この細腕でどこまでできるか知らないけどねえ、とタマラさんはケタケタと笑っている。

それから、彼女は少しだけ寂しそうな顔をした。

「……スピノザのことはね、あたしもよく知ってるんだよ」
「ベルケンドの、研究者の方なのに……?」
「あたしたちは、もとはみんな王立学問所で競い合ってたのさ。まあ、スピノザは『い組』の一人だったけどね」

あんた達みたいにちぐはくだったけど、それでもなんだかんだとうまくいってたんだ、とタマラさんはふと、どこか遠くを見つめた。

「禁忌と呼ばれる技術に手を出したいと、そう思ったことはあたしにもないとは言い切れないよ。そこを乗り越えたか、乗り越えなかったのか。きっとそれだけの差さ。当人たちの前で、言うにはひどい話だけどね」

スピノザが、生体フォミクリーの技術をヴァンと協力して行わなければ、ルークさんは生まれなかった。それは別の側面で言えば、きっと感謝すべきことだ。

「あたしには、あいつに対して、何を思うこともできない。キャシーたちは、どうなんだろうね。ヘンケンと二人きり、寂しく思っているのかもしれないねぇ」

言葉には出さないけどさ、と今はルークさん達と一緒になって、タルタロスを綺麗にしているキャシーさん達の背中を見ていた。「と、まあ、あんたたちを見てたら、なんだかしんみりしちまったよ! ……なんにせよ、そいつは活躍ばっかりしているねぇ」「え、えっと、あの」 私が借りっぱなしになっている服のことだ。タマラさんは、つん、と指差して嬉しげな顔をしている、ように見えた。

「こりゃ、いつまで経っても返してもらえそうにもないね! あたしが寿命でおっ死ぬ方が先かもしれないねぇ!」
「え、縁起でもないことを言わないでください……」
「いいじゃないか。使う機会はいくらでもありそうさね。あそこの男前、あんたの彼氏なんだろ? いいねえ、音機関好きの旦那。羨ましいよ」
「か、彼氏では……」
「ないのかい?」
「……ど、どうなんでしょう?」
「きかれてもねぇ」


そんなこと知らないよ、と背中を叩かれて、そうですよね、と苦笑してから、一時間後のことだ。イエモンさんが、最後の調節を終えた。その場にいた全員で手のひらを打って、ギンジさんはやっと解放されると初号機のアルビオールの点検に戻っていった。タルタロスはアストンさん、ヘンケンさん、キャシーさん達が操縦し、シェリダン港へ向かうことになり、タマラさんとイエモンさんはこちらで作戦開始の指示を伝える係だ。なんせ作戦中、障気や星の圧力を防ぐために、タルタロスは譜術障壁を展開する。もって130時間だ。1分1秒も無駄にできない。


イエモンさん達は狼煙をあげて、アストンさんに作戦の開始を伝えた。私達の準備もすでに完了している。きっと、すこしくらいならタルタロスだってピカピカになった。よし、と扉を出ようとした瞬間、私達ではない誰かが、勢いよく扉を開けた。



「スピノザが言っていたとおりだな……。ベルケンドの研究者どもが逃げ出す先はここだろう、とな」 


逆光の中で、かちりとこちらに銃を向ける女性はリグレットだ。周囲にはオラクル兵が武器を構えている。

!」
「は、はい!」

すぐさまジェイドさんの声に反応して、音素を展開した。これでも、以前よりも速度は増している。この旅で私だって成長している。僅かな風と水で、リグレットの銃弾が頬をかすめて飛んでいく。腰が抜けてしまうかと思った。恐らく、一番に狙われたのだろう。

     きっと、もう次はない。以前、アクゼリュスにたどり着く際には、彼女はティアさんに当たらぬようにと精密な射撃を行っていたから、なんとかごまかせたのだ。この狭い作業場の中で、数に押されでもしたら打つ手がない。ルークさんが、リグレットにぶつかるように飛び込んだ。彼女がバランスを崩した瞬間、「、こっちに来い! 逃げるぞ!」 ガイさんに手をひかれた。


アニスさんのトクナガでオラクル兵を打倒し、出口から逃げ出したはいいものの、明らかにガイさんは私の盾になろうとしている。「やめてください! 危ないです!」「そのためだよ!」 その上持ち上げられた。


うそ、と驚く暇もない。抱き上げられて、悲鳴を上げる前にあわててガイさんの首に手を回した。一瞬、彼は息を吐き出して、体を硬くした。でもそのあとすぐに、勢いよく傾斜を飛び降りた。「ひえあっ!!?」 出てはいけない悲鳴が出たような気がする。

「行かせるかっ……!!」

ふらつきながら立ち上がるリグレット達が、街中でも構わず乱射する。関係のない、ただの一般人である人たちの悲鳴が上がる。壁に跳ね返る跳弾すらも厭わず、あちらも手段を選んでいる余裕もないらしい。「ジェイド! なんとかならないのかよ!?」 ルークさんが悲痛な声を上げた。「無理です、味方識別のない市民が多すぎる!」

私はともかく、攻撃性の高い譜術を扱うジェイドさんは、普段は私達を避けるように識別を割り振って使用している。とっさにそれを行うほどの時間はない。このまま逃げれば、なんとか港にたどり着くことができるかもしれない。でも市民への被害は甚大だろう。どうすれば、と歯がゆんだ。なのに、そうして戸惑っているのは私だけで、イケモンさんは、その小さな体で必死にリグレットにしがみついた。

「こ、この、じゃまだ!」

彼はすぐさま壁に叩きつけられた。それでも幾度も彼女の腕を止めようと立ち上がった。「おじいちゃん!?」 ノエルさんの悲鳴が響いた。タマラさんも、どこから取り出したのか大きな武器を肩に担いでオラクル兵に向かって炎を吐き出した。「坊やたち! あたしら年寄りのことより、やるべきことがあるでしょう!」「行け! ノエル! アルビオールは任せたぞ!」

ノエルさんは、幾度も首を振った。「……行きましょう、早く!」 ジェイドさんだ。動くことのない彼女の腕をひき、彼らが作ってくれた隙を縫うように駆け抜ける。こぼれた涙が道にてんてんと丸い後をつくって、すぐさま消えた。呆然とした。

     そうして、私は彼らの最期を見た。

恐らく、私がただ一人きり。ガイさんの腕の中で振り返り、倒れゆく彼らを見た。そうして、彼にしがみついた。






たどり着いたシェリダン港は、白い霧に包まれていた。途中で声をかけることもできず、抱きかかえられたままのガイさんから慌てて飛び降りて、ジェイドさんの指示のもと口元を服の布で隠す。催眠ガスだ。ジェイドさんが譜術で勢いよく吹き飛ばしたあと、ガスマスクを片手に出てきたのは、先に準備を行っていたヘンケンさん達だ。「よかったよ、あんた達まで寝ちまわなくって。神託の盾の連中がタルタロスを盗もうとしやがったんでな」

こりゃもうこっちも力づくさ、とへへ、と笑う彼らは、私達の様子を見て、訝しげな顔をした。「……何か、あったのか……?」


「呑気に立ち話をしていていいのか?」

覚えのある声に振り向いた。「師匠……!」 ルークさんの言葉を無視して、彼はふんと私達を一瞥する。兄さん、とティアさんが、静かにその唇を震わせた。ヴァンの背後では、スピノザがいた。彼はただ体を小さくして、ヴァンに付き従っていた。(リグレットが、言っていた) 彼がヴァンに、すべてを告げた。だから、イエモンさんと、タマラさんが犠牲になった。
(彼のことも、タマラさんは気にかけていたのに)

ただ、拳を握りしめた。「スピノザ! 俺たち仲間より、神託の盾を味方するのか!」 ヘンケンさんの声に、スピノザは震え上がった。その姿を見て、何を、どう思えばいいのかもわからない。

ヴァンの背後には、すでに遅れてきたリグレットと、複数のオラクル兵がついている。彼らの手に持つ剣は、血に汚れていた。怒りで震え上がりそうになる体を抑え込んだ。すぐさまジェイドさんが、リグレットさんを譜術で弾き飛ばした。そして声を上げながらヴァンの元へ駆けようとするルークさんを、ジェイドさんは叱責した。「今優先すべきことは地核を静止させることです。タルタロスへ行きますよ」

彼の言葉のとおりだ。ルークさんは唇をかみながら、背中を向けた。その瞬間すらも見逃さず、ヴァンはルークさんの背中をめがけて剣技を弾き飛ばした。アストンさんが駆けた。そして変わりとばかりにその体に斬撃を受け止めて、倒れ込んだ。ヘンケンさんと、キャシーさんが、両の手を広げながら、行かせるものかと力強く叫んだ。その彼らを、ヴァンはためらうことなく切り刻んだ。



重く響いた彼らの声が、今も耳から離れない。



タルタロスにたどり着き、ただ、私達は悲痛に瞳を伏せた。アルビオールは、タルタロスの格納庫にすでに収納されている。きっとアストンさんだ。ノエルさんは、幾度も瞳を拭い、嗚咽を上げて、それでもアルビオールに手をかけた。地核に到達したのち、私達はこの浮遊機関で脱出する必要がある。自身のすべきことを、できることを行います。そう、ノエルさんは言っていた。


     タルタロス内部の警報が、割れんばかりに鳴り響いている。

侵入者だ。あれだけの犠牲を孕んでも、それでも、まだ足りなかった。すでにタルタロスは地核深くへと進んでいた。淡く白光する緑の光を一身に受け、潜るように降下する。

(もう、誰も、何も、傷ついてほしくない)

それはとても難しいことなのだろうか。隣に立つガイさんと、僅かに小指がかすれた。互いに、何も言わなかった。けれどももう一度かすらせて、きっと彼も同じ気持ちなのだろう、と瞳を強く、手のひらでこすった。



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2020-01-02