警報は、今も鳴り響いていた。

一体誰が、何を目的にしてタルタロスに侵入したのかはわからない。けれどもすでに船はゆっくりと地核に向け下降を続けている。元に戻ることなんて出来はしない。

「……仕方ありません。地核突入後、撃退するしかないでしょう」

本当に、危なっかしい作戦ですわね、とナタリアさんが頬に手を当ててため息をついた。そのときだ。何かが、視界をよぎった。丁度ガイさんも目にしたらしく、まぶしげに瞳をすがめた。「今、なにか……」 ガイさん? と顔を見上げると、彼は首を振った。「ホドでガキの頃に見た覚えがあった気がしたんだ。確かあれは」

ホドの大地は崩落した。つまりクリフォトの海に飲み込まれたのだ。その泥の海さえも潜って、今は地中を目指している。過去のホドの崩落物が漂っている可能性がない、と言えば嘘になるけれど、あれはもう16年以上も昔のことだ。ガイさん自身も、自分自身の言葉を訝しげにしている様子だった。

「詮索は後です。こちらは準備が終わりました。急いで脱出しましょう」

ジェイドさんが、片手で制した。地核に到達しつつある今、すぐさまここから離れないと、譜術障壁がとけた瞬間に、私達もタルタロスと一緒にぺしゃんこだ。

すぐさま頷き、デッキに向かった。そこにはイエモンさんたちが用意してくれていたはずの脱出用の譜陣がある。なのにどこにも見当たらない。「え、え、あれ……? どこにもないけど……」 アニスさんが、困惑したように、周囲を見渡した。


「ここにあった譜陣はボクが消してやったよ」 


静かな声が響いた。こつこつと、ブリッジの上を歩きながら、不可思議な仮面をかぶった少年がこちらに向かう。シンク、と誰かが呟いた。(最後の、六神将……!) リグレット、アリエッタ、ディスト、ラルゴ     そして、シンク。いまだ、私自身とは、直接の面識はなかった少年だ。軽やかに体術を使用し、周囲を翻弄するような少年、聞いている。そして、ガイさんにカースロットをかけた、その張本人だ。


黒々しい気持ちが、溢れてしまいそうになった。こつり、こつり。こちらに近づく少年をじっと睨むように見つめたとき、ガイさんに背中を叩かれた。そうして、息を飲み込んで、吐き出した。冷静にならなければいけない。

(彼は、脱出用の譜陣を消した……一体、どうして?)

どうやって侵入したかはわからないけれど、タルタロスに鳴り響いていた警報の侵入者は、この緑髪の少年なのだろう。これではまるで特攻だ。そんなことをしてしまえば、彼自身の脱出すらもできなくなる。その考えを見透かすかのように、シンクはこちらの顔を見て、はん、と鼻で笑った。「ここでお前達はボクと一緒に泥と沈むんだよ。道連れにしてやるさ」

その声をきいたとき、ふとした違和感があった。まるで、すぐ傍で、ずっと聞いていたような。そんな違和感だ。けれどもすぐさまシンクはその細い体を活かし、風のように駆け抜けた。こちらの人数をものともせず、奇妙な体術で拳を振るう。ただ彼のそれは、常の戦闘とは異なる動きをしていたのだろう。その隙を見つけて、ガイさんとナタリアさんが、少年を縫い止めた。

彼の目的は、足止めだった。

自身は、すでに逃げる気概すらもなく、ただ長く、私達をこの場に止めようと、そうする動きだった。弾かれた仮面の向こう側には、幾度も目にした顔がある。     イオン様と、同じ顔だった。


アニスさんは、弾かれたように彼を見つめた。ただイオン様は、静かに彼を見つめた。「やっぱり、あなたも導師のレプリカなのですね」 あなたも、と続く言葉の意味を彼は告げた。導師イオンも、ヴァンとモースによって作られた、7番目のレプリカであるのだと。彼は導師として誕生し、まだ2年しか経っていない。それはシンクも同じだ。オリジナルに一番近い能力を持っていたイオン様のみが導師として召し上げられ、彼らの多くの兄弟達は、火山の火口に捨てられた。だから、自身は意味のない存在であるのだと告げた。

「ボクのすべきことは終わった。必要とされるレプリカの御託は、ききたくないね……」

ルークさんの否定の言葉を嗤いながら、自身はお情けで生きているだけだと、そう言って彼はタルタロスから飛び降りた。

伸ばした手のひらすらもはねのけ、小さく、小さく渦に飲み込まれるように淡い光に包まれ、消えていく。導師イオンが、ときおり奇妙な、そして複雑な何かを飲み込んだような表情をしていたことには気づいていた。ただ、それが何なのか、ずっと不思議だった。

ふと、彼の瞳から、いく粒もの涙がこぼれていた。辛く、表情を見せるときはあった。けれども涙をこぼす彼を、私達は初めて見た。

「イオン様……」

困惑しながらも、気づかわしげに、アニスさんは彼の背中に、そっと手のひらをのせた。そうしてイオン様はゆっくりと息を吸い込んで、頭上を見上げた。

「感情を押し殺して生き、求められる姿を見せることこそが正しいことであるのだと、ずっとそう思っていました。けれども僕は、間違っていたのかも、しれない……」

なにかに気づいたような、それでも、疑問の渦の中にいるかのような、そんな声だった。当たり前だ、彼はまだ2年しか生きていないのだから。




***




こぼれ落ちる涙をふき、私達が行ったことは、シンクに消された譜陣を、新たに描き上げることだった。もとの僅かな痕跡を探りながら、作業を進めていく。ジェイドさん、ティアさんが中心となり作業を行い、潰れゆくタルタロスから脱出できたのは、ほんの僅かな時間の差だった。

すでにノエルさんが待機しているアルビオールに飛び込み、宙を目指す。くしゃりと潰れ落ちるタルタロスを見下ろしながら、息を吐き出した。「みなさん、よかった……!」 涙ぐんだノエルさんの言葉に、ふと幾人かが苦笑したとき、ふいに、ティアさんが崩れ落ちた。「ティア!?」 ルークさんが、ティアさんに駆けつけた。焦点の合わない彼女に、ナタリアさんがすぐさま癒やしの術を口ずさむ。彼女は静かに片手を振った。

     ルーク、我が同位体の一人。ようやく、お前と話をすることができる


まるでティアさんの声ではない。

困惑しながらも、ティアさんの言葉をきいた。声の主は、自身を第七音素の集合体である、ローレライと語った。ユリアの血族である彼女の体を借りて、こうして言葉を告げることができると。彼自身は、現在、危機に陥っている。何者かが、ローレライをとてつもない力が吸い上げている。それが地核を揺らし、セフィロトが暴走する原因なのだ。

ルークさんは、ローレライと完全同位体であると、彼は告げた。つまり、彼とルークさんは同じ存在ともいえる。
だから、だから。助けて欲しい、と。





***




「……遅い、な」

ガイさんの声に、私は頷いた。診察室の待合所であるそこで、私とガイさんはため息をついていた。ティアさんの体調が目に見えて優れないのは、以前からわかっていたことだ。その上、ローレライに体を乗っ取られてしまったのだ。私達はすぐさまベルケンドへと戻り、彼女の精密検査をお願いすることになった。すでにリグレット達六神将は街から姿を消し、奔放すぎた彼らの振る舞いをダアトに抗議を行っているが、全てはヴァンが独断で行ったこと、と知らぬ存ぜぬを通しているらしい。

ティアさんの診察には、少し時間が必要とのことだった。扉の前でやきもきと足のかかとで床を叩いていても仕方がない。僅かな自由時間として、私とガイさんはソファーの上に座りながら互いに重苦しい息を繰り返していた。

恐らく六神将たちは、私達はタルタロスとともに、すでに死亡したものと思っている。けれども、次にいつ強襲があるとも限らない。ある程度互いに近くにいなければ危険だ。だから建物の外に出ることはないけれど、各自思い思いの行動をとって時間を潰した。いや、自身の考えの整理をしている、と言ってもいいのかもしれない。なんて言ったって、様々なことがあったのだから。

ただその中でも、ルークさんだけは、ティアさんの診察室の扉の前から離れることを拒んだ。終わったら、すぐにみんなに伝えることができるからいいだろ? と、力なく笑っている彼に、誰も何も言うことができなかった。


様々な、人の顔が去来した。


死とは、すぐ傍にある。そんなことくらい、とっくの昔に知っていた。それこそ、生まれる前のときから。なのに、あまりにもあっけなかった。タマラさんから借りたままの服の襟元を握りしめて、ただ彼女の声を思い出した。今でもすぐに思い出せるあの声は、きっと日に日に小さくなる。悲しみは、平等であると思う。けれども祖父を亡くしてしまったノルンさんを思うと、声すらも出なくなった。そうして、どういうからくりなのか、2度の人生を謳歌している自身をこずるく感じて、ただ、瞳を閉じた。


「……妙なこと、考えてるだろ?」


ガイさんが、小さな声をこちらに落とした。「彼らの死は、彼らのものだ。や、俺たちができることは、彼らを悼んで、そうして、二度と繰り返さないようにすることくらいだ」 ガイさんの言葉をきいて、様々な気持ちを飲み込んだ。そんなはずない。きっと何かができていた。死んでしまったら、もう、それは。「……そうですね」 でも、そういうしかない。ガイさんだって、きっとホントはそうなんだろう。

ただ、今はティアさんの体が無事であるように祈り、潰れ落ちたタルタロスに感謝と、そして、イエモンさんたちの技術に称賛するしかない。彼らのおかげで、地核の振動を抑えることができた。


「あの、ガイさん、リグレットたちが、襲撃してきたとき、なんですけど」

そういえば、と顔を上げた。言わねば、言わねば、と思っていたけれども、なんとなく機会を失っていたのだ。彼は、腕を組みながら、「ん?」と首をかしげた。「えっと、その、あのとき私のこと……」 少し言いづらくなって、口元をすぼめた。「お姫様抱っこ! しましたよね!」「あ、ああ」 あんまりの私の勢いに、ガイさんもびっくりしたらしくちょっとだけ体勢が崩れていた。

恥ずかしさにふんふん荒くなる鼻息を落ち着けて、思いっきり眉を寄せて、彼を睨んだ。あのとき、ガイさんは無理やり私を抱き上げて、リグレットの銃弾から逃げ出したのだ。

「ああいうこと、もう、絶対にしないでください」

本当に、勘弁して欲しいです、と呟いたあとに、これじゃあきっと伝わらない、と気合を入れて、視線を強くすると、ガイさんは顔を青くして、困惑していた。「ああいう、こと……? え? きみを、俺は、だ、抱きしめちゃいけないってこと……か?」「ち、ちがいますー!!」 いやこれを否定することでそれはいい、と言っているような気がするんだけどこれもそうではなくって。

「そのときも言いましたけど、危ないことを、しないでください。確かにガイさんに比べれば、私は危なっかしくて役に立たないかも、しれませんけど」
「……そんなことないだろ」
「ありますよ。でも、それでも、ガイさんに守られているばかりじゃ、私は何のためにいるのかわかりません」

ガイさんは口ごもった。役に立つ、立たないの話を否定をして欲しいわけじゃない。でもこのままでは、“意味がない”のだ。ガイさんを危なくさせるためについてきているわけじゃない。
それに私だって、きちんと自分の両足で走ることができる。だから信じて欲しい、とただ、そう彼に伝えたかった。


ガイさんは両方の眉を垂らした。「と、言われてもなあ……。の言いたいことはわかるよ。でもな、君が心配なんだ。それは、理解して欲しい。じゃないと」 ガイさんは、ゆっくりと息を吐き出して、私の手に触れた。「どうして、こうやってきみに、少しでも触ることができるようになったかわからないじゃないか」 吐き出された言葉に、互いに少し赤くなって、慌てて手のひらを逃した。

「私だって、わかってるんです。でも」
「うん、そうだよな。今のは俺のわがままだ。悪かったよ。努力する」

ほっと息をついたき、でもなあ、とガイさんはソファーの背もたれにもたれかかって、天井を見上げた。「それでも、どうしても勝手に体が動くときだってあるよ。それで少しくらい俺が怪我をしたって、恨まないでくれよ」 冗談めかした言葉だ。

でもそうやって、彼が私をかばった過去は、ほんの少しだけ前のことで、まだ記憶に新しい。赤い血にそまるガイさんを見て、こぼれた涙と、悲鳴を思い出した。「……恨みますよ」 ええ? とガイさんが困ったように笑った。本当に、そのときは。「私を、自分自身を、恨みます」 そう言って、彼を見上げた。

ガイさんはぴたりと止まって私を見た。それから、大きな手のひらで顔をこすって、「そうだな」と言ってくれた。



彼がガイラルディアでも、ガイ・セシルなのだとしても、小さな彼でも、大きな彼でも私は彼を好きで、大切だ。だから何があっても、守っていきたい、今もそう思っている。でも悲しむ彼の顔は見たくはない。「約束する。俺は、もう君を悲しませない」「それは大きく出ましたねぇ」 難しいかな、でも、そう努力する、と耳元で囁かれた声にびくりとしてしまった。いつの間に、こんなに近づけるようになったんだろう。「私も、ガイさん」 努力します、と言って笑った。

それから、少しのことだ。ティアさんの容態が、ひどく深刻なものであると、私達が知ったのは。





     彼女の体は、すでに大量の障気に汚染されている。

そう、医者は告げた。パッセージリングには大量の第七音素が含まれていて、それは恐らく障気に汚染されている。大地の降下作業を続けるほどに、彼女の体は衰弱し、すでに命さえも危うい。できることは、気休めの薬を飲むことだけだ。


それでも、ティアさんは降下作業を続けることを選んだ。気丈な言葉を並べる彼女の声は震えていた。ルークさんだけが、彼女の気持ちを受け止めて、背中を押すことができた。

彼女の決断を、尊いものであると、そう考えなければいけないのかどうか、正直よくわからない。それでも私達は各地のパッセージリングを回り、操作した。そんな中で一つ、嬉しい知らせもあった。




「おおーい!」

大きな船が、空を浮いている。豆粒のようであったそれが、少しずつ小さくなり、叩きつけるような風の中で、砂漠の砂が舞った。あけられた窓から、あらんばかりの声が響いている。時折苦しげに咳をしながら、それでも必死で腕をふって、こちらに向かって合図をしていた。

「アストンさん!?」

私達は、びっくり声で飛び跳ねた。なんて言ったって、あのとき、彼も死んだものだと思っていたのだ。ルークさんをかばって、アストンさんは背中に大きな怪我を負っていた。だからこそ、そのまま意識を失い、命が助かったのだろう。口元を覆って、零れそうな涙を必死に飲み込んだ。生きていてくれた。本当に、本当に     よかった。


たくさんの人が死んでしまった。それでも、生き延びてくれた人もいる。アストンさんはイエモンさん達のことを乗り越えようと、アルビオールを必死で新たに作り上げた。もちろん、ギンジさんも、手伝ったそうだ。イエモンさん達の技術は、たしかに彼らの中に受け継がれている。

そうして、アストンさんを追って、ひょっこり現れたスピノザを、私達は確保した。イエモンさん達の墓参りをしようと思ったと、後悔に唇を噛み締めながらも、彼はそういった。今度こそ彼はヴァンから抜け出し、自身の行いを悔いていると体を小さくさせ、ただ震えていた。

恐らく私には、彼に何を言う権利もない。それでも、握りしめた拳をどうすることもできなくて、かきだいた。彼はフォミクリーだけではなく、障気の研究としても、第一人者だ。とても、優秀な人間だということは理解していた。私達が目指すべき姿に、彼の協力は不可欠だった。


何度も、何度も、頭の中で言葉を作り変えた。恨みがましい言葉を塗り替えて、飛び出して、抑え込んで。それでも、それでも一番に伝えたいこと、言葉にした。


     必ず、障気を中和させてください」


彼は、ただ、研究者であったのだと、そうタマラさんは言っていた。スピノザは、しおれるようにしていた頭を、ゆっくりと持ち上げた。そうして、くるりとした瞳をこちらに向けた。「ああ、任せてくれ」 わしにできるのは、研究しかない、と彼は確かに、そう言葉にした。


これで、よかったんだろうか。
恨み言をぶつけてしまえばよかったんだろうか。けれども、そうすることをしなかった自身に安堵した。タマラさんの服を着たままで、彼を罵ることは、どうしてもできなかった。あなたに借りっぱなしだったものは、もう返すことはできないけれども、それでも腕をひいてくれる。


スパナを片手に笑う老女が、脳裏に浮かんだ。彼女は私に何かを伝えるようにしていたけれども、何を言っているのか、やっぱりよくわからなかった。ただまんざらでもないような顔をして、笑っている。ただ、それだけは間違いなかったような、そんな気がした。






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2020-01-05