障気を中和するのではなく、隔離する。
そう理論を提案したのは、誰でもないジェイドさんだった。


ジェイドさんはティアさんが障気に汚染された第七音素に侵されたことから、障気の発生源が、地核にあるのではないかと推測した。降下作業を行う際に確認したところ、やはりそれは間違いないようで、それならば、と彼はメガネを人差し指で押し上げた。

クリフォトが汚染されているのは、セフィロトを経由して障気が流れ込んでいるせいだ。けれども、地核の振動を止めた今、大地の液状化は止まり、急速に固まり始めている。セフィロトで無理に大地を支える必要なんて、もうどこにもない。地核全体を外殻大地で蓋をし、パッセージリングを全停止させれば、理論上は障気を半永久的に閉じ込めることができる。


ただそれはあくまでも可能性であって、専門的な検証も必要となる。その中にスピノザが介入することで、具体的な姿として浮き上がっていく。「ジェイド、すっげえな!」 と瞳をきらきらさせるルークさんを見て、いやはや、と彼は首を振った。「私はこちらに関しては専門ではありませんので。どちらかというと、そこの物理学者のお嬢様の方がお詳しいのでは?」 素敵に今日も嫌味が冴えていらっしゃった。


「あのですね、ジェイドさん……。私はただの学生でありまして、博士号の一つもとれていない、ひよこちゃんだったんですよ?」

きちんとその辺りは説明してますよね? とにじり寄ると、彼はへらへらと笑った。なんなのその笑いは。「とは言いましても、あなたは私でも知り得ない理論を、たんまりとお持ちだ。あえていうのであれば、あなたはこの世界で唯一の、異なる知恵を持つ物理学者、と言っても過言ではないのでは?」「死ぬほど過言ですね!」 思わず言葉が荒れてしまった。

一瞬思考がに近くなってしまった、と慌てて咳をして誤魔化した。ガイさんの前だと、なんだか恥ずかしい。

「私なんかがそんな大層な名称をいただけるはずがありません。どうかご勘弁ください」
「はっはっは。ご謙遜を」
「と、いうかですね、私の知っているそれは、音素が存在しないと仮定してのものですから、こちらではまったくもって役に立ちませんよ?」

まあちょっとくらいなら、ある程度通じるものもあるけれど。だからこそ、わたしの譜術は他とは違う、へんてこりんなのだ。
ふむふむ、とジェイドさんは腕を組んで、思いついたように、それならば、と声を明るくしたけれど、どう考えてももって考えた言い回しなのだろう。「この争いが終結しましたら、あなたのその知恵をどうぞご教授いただきたいものですねぇ?」「あっはっは……。もうなんでもいいです、いくらでもどうぞ……」「いやあ、ありがたい!」

何が悲しくて、あの稀代の天才、ジェイド・バルフォアにこの浅学を突きつけなければいけないのか。しかし逃げたところで彼は折れないのだろう。

思わず重たいため息と共に額を押さえる私の向こうでは、置いてけぼりとなっているスピノザがいた。きょろきょろと周囲を見回して、ルークさん達に視線を向けながら、これは一体、と瞬きを繰り返しているけれど、できれば気にしないで欲しい。これはただの好奇心に溢れた、いじわるおじさんですからね。



***




そんなこんなで、私達は向かうべき場所の、セフィロトの一つであるロニール雪山へと足を踏み入れた。獰猛な魔物が牙を向き、吹き荒れる吹雪の中で、一つ足を踏み外せば命すらない。

「ぴいい、さむいいい〜〜〜!!!」
「で、で、で、ですの〜〜〜!!!」

がしがしがし、とアニスさんが必死に両手を合わせつつ、時折ミュウの炎を求めてルークさんの周囲を回っている。入念に準備を行っての登山ではあるけれど、それでもこちらは山の素人ばかりだ。途中、ケテルブルグの街にてジェイドさんの妹さんに山の様子を確認したところ、最近は地震の影響で、雪崩も頻発しているらしい。油断はできない。そして、驚くべきことに、六神将の一人であるディストが、ケテルブルグにて氷漬けになって発見された。なんでも旅の途中でジェイドさんを待つという手紙を渡したのに、彼はそれすべてをスルーしていたのだ。

常に雪が降り積もるケテルブルグの中だ。さぞ、寒かっただろう。即座に彼はマルクト軍に拘束、連行され、消えていった。六神将ディスト、これにて退場。さすがに少し気の毒になった。



「ねえ! なにかさぁ〜、いい感じの譜術ってないの? ほら砂漠のときは涼しくしてくれたじゃ〜ん!」

真っ赤な鼻をしたアニスさんが、じたばたと暴れてできた足跡でさえも、すぐさま雪に覆われて消えていく。普段はお腹を出しっぱなしなルークさんでさえも、ネフリーさんつまりは、ジェイドさんの妹さんからもらった防寒具をすっぽりと着込んでいた。私も、みんなも同じだ。ミュウは可愛いマフラーまでつけていて、ティアさんはその姿にひっそりメロメロになっていた。隠していたようだけれども、丸わかりだった。

ガイさんも、いつもは軽装なのに、もふっとしていて、なんだか、これは、これで     とてもかっこよく。「……ねえったら!」 アニスさんの声と、頬を叩きつける風と雪に、やっとこさ意識が戻ってきた。油断してはいけない、そう思ったばかりなのに、と首を振っても、ガイさんの姿が見えると、耳の後ろが赤くなってしまう。「す、すみません……!」 と慌ててアニスさんの顔を見て、ハッとなった。「アニスさん、積もってます……」 それはもう、どっしりと。頭のツインテールごと。雪が。

ピギャッ! と彼女は叫んでふるふると髪の毛を引っ張りながら必死に振った。小さな笑い声がちらほらと聞こえる。「アニース、ここは鼻水さえも凍りますからね、気をつけてください?」「そんなもの出してませんからーーー!!?」 彼女は慌ててイオン様を確認して、それと同時に自分の顔を触ってほっとしていた。そしてすぐさま嫁入り前だってのに、なんつーことを言いますか!? とジェイドさんのお尻をげしげしと蹴り上げるポーズをしている。なんだか可愛らしい。

「アニスさんごめんなさい、私は使えるものは、第三音素と、第四音素……、あの、つまり水と風のみでして、寒くすることはできるんですけど……」
「えっ……これ以上寒く……? 殺す気なの……?」

お嬢様たまにスパナ仕込んでくるし、めっちゃこわい……と困惑しながら後ずさりをする彼女に確実に何かを勘違いされたような気がして、違いますよ!? と必死に手を振った。えええ〜……と、訝しげな目をしてそそくさと私から距離を置かれている。そして、とすり、とジェイドさんにぶつかった。「おおっと」 と相変わらず棒読みなのか、なんなのかわからない反応で、彼はアニスさんを見下ろした。そして、にっこり笑った。

「私なら第五音素を使用できますからね。燃やしましょうか?」
「こっちはちりっちりになりますけどぉ!!!?」

さすがの秒の反応である。

冗談ですよ〜〜と笑っているけれども、声色の変化が常にないところが恐ろしい。もういいよ! ミュウにお願いするから〜! とアニスさんはぴこぴこ髪を跳ねさせながら逃げてしまった。ミュウも、最近は炎を調節できるようになってきたらしい。彼も成長しているのだ。

「しかし、以前にあなたは、第三音素と、第四音素以外にも素養はある、と言っていませんでしたか?」
「ええ、そうなんですけど」

よく覚えていらっしゃる。あれはいつのことだったか、と思い出して、そうだ、ディストさんが襲ってきたときだ、と思い出した。芋づる式で、カイザーディストをびちゃびちゃのビリビリにしたことに対する彼の失意の表情まで思い出し、とても複雑な気分になった。「第五音素も、素養としてはあるんです。でも、なぜだか使うことができなくて……」「以外にも、私も、色々工夫をしてみたのですけど」

話をきいていたらしいナタリアさんが、ふかふかのフードを被りなおして、ふう、とため息をついて顔を覗かせた。その節は、大変お世話になりました、としか言えない。スプラッシュの一つすらも使えない私を、彼女は根気よく、忙しい合間にも関わらず世話をしてくれた。

ふむ、なるほど……ジェイドさんは顎に指を添えて、何やら考え込んだ。「あなたの譜術は、地球、という星の物理学のもとに使用している、と以前言っていましたね?」 ガイさんたちにすべてを告げた後に、ただのつまみのような話として、ジェイドさんには告げたことがある。頷いた。

「でしたら、その理論が、他の音素と相性が悪いのかもしれない。いや、あなた自身が、否定している、と、いうことか……?」

なんだか抽象的な話に、思わず眉が寄ってしまった。

。あなたがとして命を落としたとき、ガルディオス伯爵家は、どういった状況でしたか? もしかすると、火の手もあがっていたのでは? 炎で撹乱し、誘導する。奇襲としては、よくある方法です」


あのとき。
一体、どんな光景だったのだろうか。


頬に当たる冷たいはずの雪が、燃えるように熱かった。聞こえた悲鳴にベッドの中から飛び起きた。キムラスカが来た、と誰かが叫んでいた。もしかすると、どこか焼け焦げるような匂いがしていたかもしれない。けれども視界がおぼつかず、自身の心臓の音がひどく大きく聞こえた。

ついこの間まで戦争をしていて、休戦状態となっていた。そんなことは、ユージェニー様や仲間のメイドたちから聞いて、知っていることだった。なのにどこか現実味がなくて、こんなこと、あるわけがないと思った。がしゃがしゃと鎧がこすれる音が、段々と近くなる。怖くて、怖くて、たまらなくて、それで。


     旦那。もう、勘弁してやってくれや」

ガイさんの背中が見えた。

知らないうちに、荒くなっていた息を抑え込んで、大きく深呼吸した。周囲を警戒していたはずのガイさんが、いつの間にか目の前にいてくれた。それから少し振り返って、ぽんと私の肩を叩いた。その手のひらに、ひどく安心している自分がいた。「失礼。少し言葉が過ぎたようですね」 ジェイドさんは肩をすくめた。

「もしかするとですが、、あなたは人一倍死を恐れているのかもしれない。だからこそ、水と、風……つまりはあなたにとって、攻撃的とは言えないものしか、使用することができないのでしょうね。ただ、すでに理解しているかもしれませんが、水と風でも、人は殺せますよ」
「……ジェイド」
「おっと。こんなことを言って、それすらも使えなくなっては困りますからね」

いい加減にしろ、と睨むようにジェイドさんを見るガイさんに、大丈夫です、と声をかけた。すでに、過去のことだ。けれども、少し、怖くなった。(そうだ、人は、いくらでも殺すことができる) きっと、それはとても簡単に。

自分の手のひらを見た。そうして恐ろしくなった。

私は武器を握りしめている。音素は盾であり、刃だ。人を殺す道具でもある。




***




手がかじかむほどの寒さに震える中、かすかに、六神将の声が聞こえた。恐らくリグレットだ。警戒を強めたものの、すぐさま吹雪の中で視界を失った。背後をとられた、と気づいたときには遅かった。いくつもの銃弾をかわしたと思えばアリエッタの妖獣が襲いかかる。足場の悪さをものともせず、ラルゴは大斧を振るう。

明らかに、待ち伏せをされていた。パッセージリングの位置を理解していることはあちらも同じだ。「クソォ!」 ルークさんの苦しげな声が聞こえる。この吹雪だ。普段のように、体を動かすことすらもできない。その中でもアリエッタの妖獣は寒さをものともせず、こちらに牙という刃を向け、暴れまわった。

「アリエッタ、僕は……!」

イオン様が悲痛に声を上げた。アリエッタは、彼を慕っている。けれども事実は残酷だ。彼が知る導師と、イオン様は別の人間だ。なんていったって、彼はまだ2年しか生きていないのだから。

「イオン様! アリエッタにお話しすることなんてないんです! 知らなくたって、いいことだってあるんだから!」

アニスさんは喉を震わせて叫んだ。

(このままでは、だめだ)

あまりにも条件が悪い。音素を、心の中で唱えた。
     水と風でも、人は殺せますよ。

ジェイドさんの声が聞こえる。あまりにも、あまりにも、恐ろしかった。怖い、と感じる心をごまかすこともできない。
これは人を殺すこともできる呪文だ。その上、声に出す必要もない。ただ、思い浮かべるだけでいい。(怖くて、怖くて、仕方がないけれど) でも。だから。

「もう、すでに! 知っていることなんです     !!」


これは、人を殺す術だ。恐怖など、覚悟など、とうに済ませている。
炎と風の音素を私達の周囲にのみ拡散させる。多少ではあるけれど、これで少しくらいは吹雪の影響を抑えることができるはずだ。剣を握る感覚さえ失う寒さをごまかすことさえできたらいい。「!」 ガイさんが、私の名を呼んだ。扱いなれない第五音素をかき混ぜる右手が、ひどく熱い。「長くは、持ちませんから……! はやく……!!」

「上出来ですわ! アーチェリーには、精密な指の動きが、必要でしてよ……!!」

ナタリアさんの弓矢が驚くべき速さで彼らを射抜いていく。「今だ!」 ルークさんが妖獣を押しのけ、剣を振るった。ジェイドさんの譜術が畳み掛けるように爆散する。ガイさん、ティアさんの見事な連携を目の辺りにして薄く、息を吐き出した。(もう、少し……!) あと少しだから、とこぼれ落ちる汗に言い聞かせたとき、轟音が鳴り響いた。

「しまった! 今の戦闘で、雪崩が……!!」

はっとジェイドさんは顔色を変えた。「私の譜歌で……!」  ティアさんの声も、間に合わない。「だめだ、崩れる!」 ルークさんたちの悲鳴が聞こえる。「、手を     !!」 最後に届いた、溢れるような声を捜して、伸ばされたガイさんの手を、必死に掴んだ。そうして、抱きしめられた。







運のいいことにも、私達は丁度足場となる場所に滑り落ちたらしい。ガイさんの首に腕を巻いて、膝の中で座り込みながら、一人ひとりの顔を確認し、ほっと息を吐き出した。そうして集まる周囲の視線に気づき、「ひぎゃ!」 悲鳴を上げて彼の腕の中から転がり落ちた。

、あまり大きな声を出しては、また雪崩が起きてしまうわ」
「ティ、ティアさん、す、すみません、ごめんなさい……」

おっしゃる通りなので、小さくなるしかない。「……ガイ、非常事態です。伸ばした鼻の下はきちんとしまっておきなさい」「……も、もともとの顔だ、これは」「そんな顔があってたまりますか」 ガイさんとジェイドさんが、なにやらひそひそと言い争っている声が聞こえたような気がするけれども、それはさておき、六神将たちは、おそらく雪崩の中に巻き込まれてしまったのだろう。

なんだかんだと言いながらも、アリエッタの名をつぶやきながら、アニスさんは悲しげに足元を見つめていた。ティアさんにとっても、リグレットは自身の師でもあるはずだ。なのに彼女たちはすぐさまに首を振った。幸いなことにも、転げ落ちた場所は、セフィロトの入り口に近かった。慎重に扉をくぐり抜け、パッセージリングの操作を行う。

これですべてのセフィロトの連結が終了する。そうすれば、メインとなるゲートのセフィロトで降下の指示を書き込めば、全ての大地がクリフォトに至る。そのはずだった。またたく間に響いた警告音とともに現れた文字を、ジェイドさんは青い顔をして読み込む。すでに張り巡らされていた、ヴァンによる妨害だった。私達はセフィロトを連結することで、一つのゲートにすべての力を集結させていた。ヴァンは、その力の余剰を利用して記憶粒子を逆流し、地核を活性化させている。


     このままではタルタロスを無効化し、地核の振動を中和することができなくなる。


大地は今度こそ崩壊する。
彼は、ヴァンは。恐らく、最大となるセフィロト、アブソーブゲートにいる。




セフィロトの封印を解放したことで、ひどく消耗するイオン様を休ませ、すぐさまアブソーブゲートに向かう手はずとなったのだけれど、残念なことに、この寒さでアルビオールの浮力機関が、すっかり凍りついてしまったらしい。

一晩いただければ、ばっちり直して見せます、と頼りがいのある声を見せたノエルさんに、何か手伝えることはないかと確認させてもらったけれど、「ネフリーさんからの協力はいただいてますから。それよりも、さんは明日に向けて、しっかりと鋭気を養ってくださいね! ご飯はいっぱい食べるんですよ!」 と力強く親指を突き立てられてしまったので、アドバイスに従うことにさせてもらった。

ゆっくりと日は落ちて、外は音素灯がぽつぽつと明かりを落としていく。その中で青い光を反射させながら、ちらほらと優しげに雪がこぼれ落ちた。



、こんなところにいたのか?」


振り向いた。「ガイさん」「冷えちまうぞ」「ついさっきまで、雪山にいましたから」 それに比べれば、全然、と笑って手のひらを広げて、とけていく雪を見つめた。まあ、たしかにな、と彼も笑っている。ガイさんは私の隣に並んで、同じように空を見上げた。ケテルブルグでは、雪が降らないことの方が珍しいそうだ。

「……明日、この街で待っていてくれ、と言ったところで、無駄なんだろうな」

イオン様は、一度休息を取ることになった。レプリカとして生まれた彼にとって、ダアト式譜術の使用は、身体に負担をかける。足手まとになるよりも、と彼はケテルブルグに留まる決断を行った。かわりに、全ての決着をアニスさんに見届けて欲しいとも。「……もちろん、無駄ですよ」 にこりと笑ったら、ガイさんは苦笑しながら肩をすくめた。

「俺は、きみのことを、本当に全然知らなかったんだな」
「……の、ことですか?」

少しだけ怖くなって、問いかけた。するとガイさんは、「ちがうよ」と吹き出すように笑った。「それなら……想像より、お転婆でしたか?」と、尋ねると、「そうだね。それもとびきりだ」と、頷かれてしまった。

自分で言ったくせに、肯定されてしまったから、少しだけ恥ずかしくなった。顔をうつむかせて手袋ごしに自分の指先をいじると、「でも、以前より、ずっと好きになった。もともと、君には恋をしていたけどね」 今度こそ恥ずかしくて、前を向くことができなくなった。


「君のことを、俺は信じている。、君はよく自分のことを卑下するが、実際はそうじゃない。君は、確かに力がある。それは剣を持つ力でも、譜術を扱うことでもない」

ガイさんは、ゆっくりと私の手のひらを解きほぐした。ひどく、奇妙な気分になった。ファブレの屋敷にいた頃の彼は、メイドにからかわれて、悲鳴を上げて、逃げ惑っていたというのに。今はこんなにも近い。

「きっと、これが最後の戦いだ。ヴァンを止めることができれば、無事に大地は降下し、障気を防ぐことができる。けれども、俺たちがヴァンに打ち倒されてしまえば、その反対さ。なあ、、この戦いが終わらったら     いや、違うな」

うん、とガイさんは呟いて、少しの間をとった。何やら考えているような仕草だった。

「以前に、言ったよな。ルークを連れて帰ったら、が、俺にキスをしてくれる」
「えっ……」

えっ、えっ、えっと体が飛び跳ねてしまった。確かに覚えている。私の部屋で、ティアさんと共に超振動で消えてしまったルークさんを追いかけることになったと、ガイさんがこっそりと行ってきますと告げてくれたときだ。「あの、それは……」「ずっとご褒美をもらい忘れていたな」「で、でもその」「ま、俺も紳士だからね。淑女からのキスを迫るほど大人じゃない。代わりに、俺からさせてもらっても構わないかな?」 思いっきり、どこかできいたセリフだ。

でも、でもでも、とガイさんの顔を見上げると、彼はひどく優しげに笑っていた。「で、できませんよ……?」 これもあのときと同じ言葉だ。ガイさんは瞳を緩めたまま、ゆっくりと私の頬を大きな手のひらで囲った。



「もう、できるよ」




見上げると、ほたほたと、雪がこぼれていた。でもガイさんが背をかがめたから、それもよく見えなくなった。「んっ……」 

どちらの声ともわからない、音が漏れた。







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2020-01-06