六神将には、気をつけろ

(今更、何があるってんだ、クソッ……!)

息を切らせながら人混みの中、アッシュの影を捜した。すみません、と声をかけて、時折肩をぶつけながら分け入る。を置いて来てしまった。今頃さみしげな顔をしているかもしれない。一緒に出かけよう、と言ったとき、困ったような顔の中にも、どこか楽しみな気持ちが入り混じった顔をしていた彼女に、申し訳がなかった。


「どこにも、いない、か……」

ざわつく街の声ばかりが聞こえる。あの目立つ赤髪は姿を消した。「なんだって、いうんだ」 全てはまだ、終わりではないのか。



***



「そうか、アッシュがそんなことを言っていたか」
「はい。正直、真意までははかりかねるのですが……」
「いやいい。丁度、モースの奴も査問会が開かれるとダアトから報告を受けている。時期も時期だ。なるべく、警備を厳重にすべきだろうな」

よく伝えてくれた、ガイラルディア。と玉座に座り込みながら頬づえをつく陛下に首を振った。できることなら、彼を捕まえるべきだった。「なんにせよ、休暇中だってのに悪いな。お楽しみの最中だったんだろ?」「お、お楽しみですか」「聞いたぞ、俺に黙って可愛らしいメイドを雇ったんだってな?」

ニヤつき顔の主を見て、口元がひきつった。

「いや、それはですね」
「いいねえ。慣れない土地で、さぞ不便も苦労もあるだろうと、お前の心身の健康のために、手を打ったかいがあるってもんだ。なあ、ガイラルディア?」
「……なにやら、ふくみがありげに言わないでくださいますか」


とはいうものの、陛下に感謝している気持ちがないわけではない。寧ろ、多大に、と言ってもいいぐらいだ。

キムラスカ国王に剣を向け、自身の出所を明かした今となって、素知らぬ顔でファブレ家の使用人となるわけにはいかなかった。もともと、ガイラルディアとして生きる決心はついていた。


屋敷に戻れば、が俺の帰りを待っていて、おかえりなさいと言ってくれる。幸せだった。けれども朝おきて、おはようございますと笑う彼女の髪の色が、少しずつ赤に戻る度に、現実を突きつけられた。


     彼女は、は、マルクトにいるべきではない。


ただ少しの時間を、ごまかしながら伸ばし続けているだけだ。理解しているはずなのに、彼女といると、どうしても抑えのきかない自身がいる。できれば抱きしめて、手元に置いて、顔を、うずめて。様々なことを想像した。恐らく、は俺が望めば受け入れてくれるだろう。そうわかっているからこそ、彼女を逃げ場のない屋敷に閉じ込めて手を出すことは躊躇われた。

(……は、どう思っているんだろうな)

マルクトに、一緒に来てくれ。そう彼女に言った言葉の意味を。事実そうなりはしたけれど、望んでいた姿とは、どこか異なっている。俺は、彼女に告げなければいけない言葉がある。彼女はきっと頷くだろう。けれども、そこに     の、意思はあるのだろうか。


は嫌だと、口にすることはある。けれど、こちらが頭を下げれば、仕方ないですねと彼女はなんでも許してくれるに違いない。きっとそれは、自身の気持ちを押し込めてでも。

だから、ひどく、不安だった。

宮廷での忙しさは、自分をごまかすには丁度よくて、だからこそ彼女を触ることができないのだと自分自身に言い訳を繰り返した。それは事実でもあったが、時間などしようと思えばいくらでも捻出できるし、彼女の寝顔を見ることさえできれば、それでもよかったのだ。



「んっ……」

青い髪飾りが揺れる彼女に指を重ねて、影をつくった。「はあ……」 ぼんやりと、がこちらを見上げている。(何が、我慢しているだ) これくらい、と思う行為が、ひどく大胆になってくる。

最初は俺を見送る彼女が可愛らしくて、思わず額にキスをした。なのにそれくらいで赤くなるに笑って、気づけば口元にするようになって、それも一日一度までだと自身の中で制限をつけていたのに、贈った髪飾りを時折愛しげに撫でる彼女を見ると、たまらなくなった。だからもう一度口元をつけた。

その上、もたちが悪い。口元を離すと、いつもどこかぼんやりとして、嬉しげな顔を噛み殺している。してくれと言っているようなものだ。とは言っても、我慢のきかない自身が一番悪いに決まっている。


互いに無言で見つめ合った。
それからはハッとしたように周囲を見回した。屋敷の外には、小さな庭がある。外からは埋められた樹木があるから見ることはできないけれど、日差しは暖かい。「……いないよ、ペールは」 言い当てられた言葉に、は瞬きをしてそれから赤くなった頬を両手で隠した。

「と、いうことはここも室内かな?」
「人目の有無で変わるんじゃなりません。ここももちろん、外に決まってます」
「残念だな」

言葉ではいいながらも、ほっとした。こうなれば、俺はいつ彼女にまた手を出すのか、自分でもたまったものじゃない。ケセドニアの宿の夜を、幾度も思い返している自分はなんの信用もおけない男なのだろう。


「ペールさんが来てくれてから、お庭が少しずつ暖かくなってきましたね」

単純な気温のことではないのだろう。自分もなんとなく、意味はわかる。今更庭師としての仕事を頼むつもりはなかったのだが、意外なことにもペールは率先して、お決まりの麦わらとジョウロを手入れして、花壇を作った。そうして種を巻いた。
もしかすると、彼のあれは、すでに趣味に近いものになっているのかもしれない。

「なんのお花が咲くんでしょうか……ペールさんに聞いても、笑うばかりで、全然教えてくれなくって」

自分は、その花の種の名をきいたとき、唖然とした。「ひまわりみたいな、でも、それよりも小さい花さ。ホドの屋敷と同じような庭を作りたいんだと」 ああ、とが手を打った。

「そういえば、綺麗な花が、たくさんさいていましたね。黄色と赤色の、見ていると元気になるようなお花でした」
「まあ、うん。姉上のご趣味だな」

マリィベル様のですか、とが瞳を輝かせた。楽しみですねえ、と口元をほころばせる彼女は、あの花の名を知らないのだろう。正直すこし、くすぐったい。子供の頃は手放しで喜んでいたものの、二十歳を過ぎた今となっては少々複雑だ。「あっ……でも、ペールさんが驚かせようとしてくれていたんですよね」 私知ってしまいました、とは困って両手をすり合わせている。かもしれないな、と苦笑した。

「よし、知らないふりをしておいてくれ」
「で、できますかね……」


うううん、と唸るの頭をゆっくりと撫でた。「……ガイさん?」「つけてくれてるんだな」アッシュと出会ったあの日、急ぎ陛下に報告を行い、屋敷に戻ると彼女は照れたようにドアから顔を出した。

「き、気に入ったんです」

とぷいと顔をそむける彼女の髪をすいた。「それはよかった」 僅かに毛先の色が違う他は、見覚えのある髪色だ。きっともう少しで、彼女は元に戻ってしまう。

「君の、髪の色が。ひどく……辛く、感じたときもあったんだ」

見ないふりをしたかった。
愛しく感じる少女の、その色を見る度に、押しつぶされるような想いがあった。今となっては、それが少し懐かしい。

はハッとして、自身の髪をなでた。「そうですよね、ごめんなさい、あの、私、せめてもっと短くしていた方が」「いや、違う。悪い、勘違いさせた。今は違うんだ」

不安げなの頭を、もう一度、ゆっくりと撫でた。それから抱きしめようとして、躊躇して、やっぱり彼女の背に手を伸ばした。

「今の髪も似合っているけれど、そうだな。もし君さえよければ、もう少し、長くてもいいかな。俺はずっと、君の髪に触りたかったんだ」

だから未練のような言葉で、髪飾りを贈ると告げたのかもしれない。俺は彼女に触れることができなかったから、せめてもと言う情けない抵抗だ。「また、のばしますから」 大丈夫です、という彼女の言葉に頷いて、彼女の額にキスをした。ひゃ、と小さくなるが可愛らしかった。


、その、実は少し言いづらいんだが、グランコクマを少し離れることになったんだ。ピオニー陛下からの命でね」

入り込んでいた俺の胸から抜け出して、がその翠の瞳を丸めた。

「この間、アッシュから六神将についての言葉があっただろう。それで拘束していたディストの警戒を強化したんだが……どうやら一歩遅かったらしい。すでにディストはもぬけの殻だった。その上、モースを審問会に護送していた船を襲ったようでな。マルクト海軍が発見したときには、乗組員たちは全員死亡していたそうだ」

いつ言うべきかと迷っているいるうちにずるずると今になってしまった。

「だから明日にでも、導師イオンに報告に行かなきゃならんことになってな。導師との謁見となると、色々と手続きが大変だろ? そんなら見知った俺が行って、ちゃちゃっと伝えた方が手っ取り早いだろってな」

まあ、簡単なご報告だ、と軽い口ぶりでごまかしてみたものの、の表情は硬い。当たり前か、と肩を落とした。

「……それは、お一人で、ですか?」
「いや、そうだな、顔見知り、という意味なら、もしかするとジェイドの旦那も可能性は……おっと噂をすればだ」


タイミングのいいことに、ドアベルを叩く音がする。「おおい、こっちだ」 見覚えのある軍服だ。「ガルディオス伯爵家の方でお間違いがないでしょうか」 間違いもなにも、本人だ。どこか慌てた様子であるマルクト兵に問題のないことを伝えると、彼はすぐさま敬礼した。

「こちら、ジェイド・カーティス大佐からの書状であります。急ぎ中をご確認頂きたいとのことです」
「承知した」

仰々しいことだ。マルクト兵が立ち去る姿を確認し、開けた封の中身に瞳を滑らせた。「……嘘だろ」 勝手に、声がこぼれ落ちていた。「何か、あったんですか」 そうしての声に気づき、手紙を隠した。けれどもそうした後で、強くこちらを見つめる瞳に首を振った。彼女も、彼とは顔見知りだ。祝いの花を贈ろうと、話し合っていたばかりだ。隠したとしても、すぐに彼女の知ることとなる。

、落ち着いて聞いてくれ。……フリングス将軍が、亡くなったそうだ」
「な、亡くなった……? ど、どうして。事故か、何かですか」
「いや、ジェイドからの手紙によると、正体不明の軍勢が、マルクト兵を襲ったそうだ。その中には、フリングス将軍もいた」

互いに声を失った。いや、こうしている場合ではない。この間のかわりとばかりに、せめても陛下からのご厚意の時間ではあったが、時は一刻も争う。明日の出発と、悠長なことを言っている場合ではないようだ。

この軍勢が、キムラスカではないことを祈る。何にせよ、仲介役として現状をダアトに報告すべきである。嫌な予感がした。

ただは、不安に瞳を揺らしていた。「大丈夫だ、すぐに戻ってくる」 だから、ペールと二人、ちゃんとおとなしく待っていてくれよ、と彼女に囁いた。こくりと頷くに、出かける日数分のキスを済ませ、荷造りもそこそこに出立した。




まだ、何も終わっちゃいないのか。



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2020-01-10