めがね、めがねめがね


月から金までさん。そして今日も。


「あ、柳くーん!」

ぱたぱたこっちに手を振るさんに、僕もゆっくり手を振った。駅の改札口で、さんは慌てて切符を取り出す。そしてあわあわしていたものだから、後ろの人にどしんとぶつかり、くるりと回転した。あ、ああああ……と僕が焦ったところで、改札口向こうの彼女を助ける訳にはいかない。大丈夫かな、とじっと彼女を見ていると、さんは少しだけ照れたように軽く手のひらを振って、口元を押さえて笑った。

改札口を通ったさんに、「こんにちは」と僕が挨拶をすると、彼女はやっぱりまだ照れているみたいで「こんにちは。もしかして、遅かったのかな」「ううん、そんなことないよ」 僕が早く来すぎてしまっただけだ。

ちらり、と腕時計を見ていた彼女はよかった、と笑った。待った? 待ってないよ。なんだか、これってデートの定番ゼリフのような気がする。嬉しくなって、口元が勝手に緩んでいた。ほかほかした空気がやんわりと辺りを包んだような気がした。でもそれは、そこまでだった。「柳くん、他の人は?」

まだなの? と首を傾げるさんを見て、何のことか、と僕は瞬きを繰り返した。そんな僕を見て、さんも何かがおかしいと気づいたらしい。僕はおそるおそると、彼女に告げた。「………その、誰も来ないよ?」 今日は、僕とさんだけだよ。

そういった瞬間、彼女は死にそうな顔をした。僕は彼女が一体何を勘違いしていたのか、やっとこさ理解した。空気が重い。






そんなに僕と二人は嫌なんだろうか。少しだけショックである。というか、申し訳ないことをしたなぁ、とカチンコチンに固まるさんを見ながら僕はほっぺたを人差し指でひっかいた。嫌がる人を無理に連れ回すのはどうかなぁ、と思うし、けれども、「やっぱり今日はここら辺でさようなら!」と言う訳にもいかない。

僕の言い方が、あんまりよくなかったのかも、と昨日の自分に後悔したけど、今更遅い。
さんと一緒にならんで、それじゃあ取り敢えず、映画館に行こうか、と足を進ませたのだけれど、会話がないのはちょっぴり辛い。あんまりにも真っ青な顔をしたさんを見て、僕まで顔が真っ青になってきた気がする。

ちらり、と手元の時計を確認してみた。上映まで、まだ時間がある。「あ、あの」「は、ひ」「(はひ?)えっと、さん、僕、やっぱり今から友達を呼びましょうか?」

大学の友人を呼ぶのはちょっと恥ずかしいから、石川くん、もしくは井浦くんとかどうだろう。きっと上手に盛り上げてくれるはずだ。いや、女の子の方がいいかもしれない。綾崎さん……は、仙石くんに申し訳がないから、河野さんとか。でも、いきなりは悪いかなぁ。

うーん、うーん、と言いながら僕は道の端に移動して、ポチポチとケータイをいじった。「えっ、えっ、え、えっ」 さんがびっくりしたように眉を八の字にして、ぎゅっと僕の袖をつかんだ。そしてつかんだ自分にビックリしたように手のひらを放して、後ろに回して、かーっ、と顔を赤くする。どうすればいいんだろう。僕はケータイを抱えたまま、じっと彼女を見た。さんが、おずおずと顔を上げて、「あ、あの、いや……」「はい」「私は、柳くんと二人でも」 いいです。

僕は二三度瞬きをして、「あ、別に気を使わなくっても大丈夫ですよ。えーっと、い、い、あの行で、いうらくん……」「わー、あの、ちがいます、柳くんと、二人がいいです!」

しばらくさんの台詞の意味を考えて、ぼふっと顔が赤くなった。全く同じタイミングに、さんも僕と同じような顔をして、お互いじーっ、と見つめ合った。ころん、と手のひらからケータイ電話が滑り落ちる。あ、あわわ、と僕はケータイを拾い上げて、ポケットの中にしまった。「あの、行きましょうか」「うん」

ほんの少し僕が前に出て、その隣をさんが並ぶ。どっちだったかな、と辺りを見回したとき、ぺちりと手の甲が、さんの手を触れた。すぐにパッと離した。さんの顔はみなかった。多分、さんも僕を見なかった。「こっちですね」 ちょい、と片手で道を指す。さんも、「うん」と頷いた。ぺちり。また触れた。

僕は少しだけ考えて、彼女の手のひらをつかんだ。お腹の辺りから、何かが上ってくるような気がする。耳の下辺りが、奇妙に圧迫されるようで、心臓の音が消えているように感じた。ぎゅっ、とさんが、僕の手のひらを握り返した。わ、と思って、僕も少しだけ彼女の手のひらを握り返した。小さくって柔らかい。

少しだけ、耳が熱くなった。