唐巣神父短編のおまけっていうか、出会い編
原作相違+嘘んこ知識につっこんじゃノン






     ビリケンさん、ビリケンさん


ぱち、ぱち、と。
何にも知らない私は両手を合わせて、ぱっと顔を輝かせた。

     ビリケンさん、わたし、幸せになりたいです。






『除霊、承ります』



そんな小さな街角のポスターを見て、こつこつ、と私はかかとを迷わせた。着慣れないセーラー服をひらつかせて、どうしたものかな、と考えた。除霊というのは、ずいぶん高いものらしい。一介の学生である自分なんて、相手にしてもらえるものなのだろうか。それに、除霊と言う言葉はどうにも物騒だ。

うーん、うーん、と唸りながら剥がれかかったポスターを見つめていたとき、「何か悩み事でも?」 少々怪しげな声を掛けられた。私はびくりと肩を震わせて振り返った。全身真っ黒な男の人だ。片方の前髪ばかりが長くて、眠たげな目をしている。二十代の中盤だろうか、それとも後半くらいなのだろうか。大人の年齢というのはよくわからない。

怪しい人だなあ、と初めは考えたくせに、彼の胸にきらきらと光る十字のネックレスを見ていると、信用してもいいのかも。なんて瞬きを繰り返していた。現金だなあ、と自分自身で笑った。ついでに、見つめていたポスターの端っこにある名前と、彼とを見比べて、「…………唐巣神父?」 神父さんで間違いない?

首をかしげながら見上げていると、その男性はちょびっと笑った。どきっとした。彼は私の反応を面白がってるみたいだった。「合ってますよ、お嬢さん」
その神父さんは、ちょっとだけタバコの匂いがする、変な不良神父さんだった。






「私、ちょっと幸せすぎるんです」

私の言葉に、唐巣さんはぱちぱちと両目を瞬かせた。教会はない。現在は教会を建設するためとお金をためている最中で、申し訳ないがここで我慢してくれないか、と連れて行かれたのは公園だ。「まあ、一人暮らしの男の家に行くよりもいいだろう」なんて、やっぱりとさっきと同じく口元を少しだけ笑わせた。

くるっくー、くるっくー、と鳩が静かにないている。「はあ」と私は頷いた。別に、彼が本物の神父さんというのなら別に構わないけれども、と思っていれば、「言っておくけれども、私は神父ではない。とっくの昔に破門されているから、それはただの俗称さ」なんて律儀に説明までしてくれる。
それでいいのか、と思ったのだけれど、不思議と不安な気持ちにはならなかった。

「ところできみ、中学生?」
「いえ、高校生です。申し遅れまして。私、小松といいます、よろしくおねがいします」
「それは律儀に、唐巣です、よろしく」

そう言って、お互い頭を下げ合って、とにかくとにかく、と自分の現状を説明しようとすれば、これである。「幸せってことは、まあいいことだが」 何かあるんだね、といいながら、ちょいと彼はタバコをくわえた。それから慌てて口から外した。

「そうです。いいことなんですけれども、ちょっと幸せすぎるんです。いいこともありすぎると、ちょっとよくないことになると思ってしまって」
「うん?」
「つまりは」

実例を見せた方がいいだろう。

私はひょい、とベンチから立ち上がった。ついでに両手を上げて、ぼんやりと空を見上げた。唐巣さんからの痛々しい空気が伝わる。無視して欲しい。そろそろかな、と思った瞬間、空からひょい、と紙くずが落ちた。それは勝手に私の手の中に滑り落ちて、ぎゅっと両手を握り締める。「こんなもんで」「はあ」 唐巣さんはよくわからない、と言いたげに曖昧に頷いた。

「宝くじです」
「……唐突だねえ」
「多分、誰かが捨てちゃったものだと思います。そしてこれですが」

ごそごそ、と端っこにあるゴミ箱をさぐる。唐巣さんがビクッとひいた。私が捨てられた新聞紙を取り出して、ついでにパラパラと紙面をめくる。出したページに書かれている番号を指さし、ついでに照らす。うごっと唐巣さんがうめいた。「い、いっせんまん……!? 当選!?」「こんな感じで」

一千万とはちょっと少なめですね。年末だったら、もうちょっと多かったかもしれませんねえ、とぼんやり呟く私を見て、唐巣さんは何度も信じられないものを見る目でこっちを見た。だからですね、と解説する。「つまり私、こういうことなんです」

空に手を伸ばせば、宝くじが落ちてくる。その番号を調べるための新聞が、ちょうどよく捨ててある。

何にもしないでも、勝手に幸運が落ちてくる。びっくりするくらいの幸運体質なのだ。
多分、昔はこんなことはなかったと思う。ただの記憶違いかもしれないけれども、少なくとも覚えはない。多分、私の後ろに誰かがいる。そんなふうに気づいたのは中学のときだ。遅刻をすれば、担任の先生も遅刻をする。テスト勉強がうまくいかなければ、クラスのみんながお腹をくずして早退して、学級閉鎖になる。

「甘いことを言ってるのかもしれません」

普通に、嬉しいなあ、と思えばいいのかもしれない。けれどもこの宝くじだって、本当は誰かのものになるべきもので、先生だって遅刻をすれば怒られるし、お腹を壊したみんなに謝りたくても、どう謝ればいいのか分からない。

私は宝くじをくしゃっと丸めて、ゴミ箱に捨てた。唐巣さんはじっと私を見上げた。「確かに、きみには何かついているかもしれない」 そんな言葉をきいて、ほっとした。唐巣さんは難しげな顔をしていた。





除霊というのは、どういうものなんだろう。
自分の中のイメージとしては、びしりと破魔札を持って、ばしばしと悪霊を倒す。そんなイメージだったから、正直どきどきとしていたのだけれども、そういうものではないらしい。とにかく私は毎週唐巣さんと会うことになった。毎回同じベンチで、ぼんやりとお話をして、今日あったことを報告する。「私はあまりまじめに学生をしてなかったからなあ」 そんなふうに唐巣さんはあごを引っ掻いて、面白げに私の話をきいてくれた。

「大人はですね、学生はいいもんだ、なんていいますけど、学生だって学生なりの大変なことはあるんですがね」
「それもまた子どものわがままな主張というような気もするがね」

そんなふうに唐巣さんはくっくと笑って、タバコにカチンと火をつけた。「神父さんがタバコだなんていいんですか?」「よくないなあ」「だったらやめた方がいいですね」「私もうすうすそうは思っている。けれどもやめるタイミングが見つからない」

だからまあしょうがない、と大人なのに、子どもみたいな言い訳をして、ぷかぷかと唐巣さんはわっかを作った。
「ま、今日は帰りなさい。親御さんも心配する」
「いえ」

大丈夫です、と頷くと、唐巣さんはまた難しげな顔をしてぱたぱたと手のひらを振った。ぐったりとした座り方で、こっちを見ている。私は案外、唐巣さんと話すことが楽しくなっていた。けれどもいつ除霊をしてくれるのだろうと思った。いつの間にか時間が経った。私の制服は薄い布から分厚くなって、唐巣さんの黒一色の服は上着が増えて、ちょっとだけ色彩豊かに変わっていた。ぶくす、と笑ってしまったけれど、なんで笑ったのかと唐巣さんは少しだけ眉をひそめて、不愉快気な顔をした。けれども多分、彼は別に怒っていなくて、ただそんな顔をしただけだ、ということが分かる程度には、唐巣さんのことを知っていた。

私は唐巣さんに、お金をどれくらい払えばいいんでしょう、と訊いてみると、「別にまだ何もしていないからいいよ」と唐巣さんは背中を猫背にしてタバコの煙を吹き出した。だったらいつ、何をしてくれるのだろうと思ったけれども、私は何も言わなかった。


相変わらず、私は“幸せ”な毎日だった。

唐巣さんと話すようになってもそれは変わらないし、学校に行った。勉強をして、遊んで、テストをした。唐巣さんと話した。そうすると、私は私の話をたくさんしているのに、唐巣さんの話は全然知らないことに気づいた。初めは子どもみたいな人だと思ったのに、唐巣さんはやっぱり大人で、私ばっかりが好き勝手にいろんなことを話しているみたいで恥ずかしくなった。けれどもやっぱり私は唐巣さんに会いにいった。唐巣さんは除霊をしてくれなかった。もしかすると、唐巣さんは初めからそんなことができない、うそんこなのかもしれない。そう疑ってもみたけれど、別にそれでもいいような気がした。
ベッドの中に入って、そんなことを考えた。


    しあわせでっか?


小さな声が聞こえる。
今よりもずっと小さな姿である私は、「ううん」と首を傾げた。私と同じサイズの、足ばかりが大きな男の子は、私と同じく、困ったみたいに首を傾げた。2人で一緒に考え込んだ。





くんは、どこかに旅行したことがあるかい? 例えば関西とか」
「はい一応。なんでですか?」
「いや、まあなんとなく。旅行ってものはいいね」
「唐巣さんは、どこかに行かれたことはありますか?」

そりゃあ、二十を超えた男性なのだから、あるに決まっている。私は慌てて両手を振った。唐巣さんはどこか不思議気な顔をして、「まあ、一応。色々とね」と頷いた。
とろとろと日が沈む。はー、と私は手のひらを冷たくさせて、白い息を吐き出した。唐巣さんはちょいと片目を開けた。それからひょいと私の片手を掴んだ。きゅっと私の冷たくなった手のひらを握って、「こりゃ冷たい」となんてこともないみたいに呟いた。私が慌てて手のひらをひっこぬくと、唐巣さんはパチパチ、とまたたいて、「もう帰った方がいいな」とそれだけ呟く。私はこくこくと頷いた。

それから慌てて家に帰った。ベッドの中に入って、顔を埋めた。幸せでっか? と尋ねる声がきこえる。わからない。幸せでっか? どうだろう。
その考えの中には、唐巣さんのことも入っていたかもしれない。けれども私はいつもと同じく唐巣さんとお話ししたし、とろとろと月日はゆっくりと過ぎていく。それと一緒に、小さな疑問は募っていた。男の子はいつもいつも、必死に私に何かを問いかけた。私は困ってしまって首を傾げた。
だから私は、ついに唐巣さんに訊いてみた。

「幸せって、どういうことなんでしょう」 

難しいなあ、と唐巣さんは唸った。そして、ふー、とタバコを吐き出した。分厚い服はいつの間にかなくなって、真っ黒な長袖に変わっている。「逆にきくけれども、くん、きみは自分が幸せだと思うかい?」 きょとん、と私は瞬いた。「幸せすぎる、ときみは言っていたけれどもね」

一体、それは本当だろうか。


本当だろうか。
私は唐巣さんの言葉を考えて、何度か自分の手を握った。彼は、じいっと私を見つめてた。「本当です」 別に、頭から宝くじなんて降ってこなくっても。テストの点が、悪くても。

そう言って私が頷くと、唐巣さんはにかっと笑った。「そうだろうなあ」 私も、きみの話をきいていて、そう思った。
うれしげな顔をして、いつものベンチにもたれかかった。「だったら、きみの後ろにいるその子に言ってあげたらいい」 きみのご両親に、ちゃんと告げてあげたらしい。


ふっ、と唐巣さんはまた息をふいた。ふわりと舞った白い煙を見つめていると、いつのまにか、ベンチが消えていた。私はどこかにまっすぐに立っていて、あれれ、と何度も自分のローファーを踏みしめた。ぺたぺた、と足音がする。小さな小さな、けれども足ばかりが大きな男の子だ。私は勢い良く振り向いた。

幸せでっか。

その子は私にそう尋ねた。尋ねようとした。けれどもその前に、私は「わ!」と大きな声を出した。男の子はびっくりして瞬いた。それから何度か後ずさった。「幸せだよ」 ずっとずっと、幸せだよ。
きょとり、と男の子は瞳を転がして、そのあとすぐに口を開けた。ぱかっと大きな口を開けた。「伝えるのが、遅くなってごめんね」 そう言って、すとんと男の子の前に座り込んだ。男の子は手のひらをこっちに向けた。お互いきゅっと握りしめた。それからくるんと背中を向けて、去っていく。ばいばい、と手のひらを振った。

ばいばい。お母さん。
お父さん。





「ビリケンさんっていうのはね」

ひとつひとつ、言葉を告げるように、唐巣さんは教えてくれた。

     大阪の通天閣にいる幸運の神様として有名だが、別に日本だけの神様というわけではない。1900年台に、とあるアメリカ人女性が夢のなかで見た人物がモデルとされていてね、どこかの神話に登場するわけでもなく、人々の想いが生み出した神様とも言えるわけだ。

「20世紀に登場した、新しい幸運の神様。少年の姿をした木彫りの人形の足を撫でて、ビリケンさんにお願いごとを頼む。そうすると、福の神がやってくる。彼の足は、色んな人に撫でられるものだから、そこだけぺっこりとへこんでいる、といった一般的な説明しか、私はできないのだけれども」

そちらの方は、どうにも勉強不足でね、と彼は困ったように頭をかいた。「でも、きみは会ったことがあるんだったね?」 とても小さなとき、お父さんとお母さんと一緒に。と続けられた台詞に、私はこくんと頷いた。

「最後に行った場所でした」
ビリケンさんの足を撫でる。そんな願い方もちゃんとわかっていなくて、私はぱちぱち、と両手を合わせて、頭を下げた。お願いごとなんて言われても全然思いつかなくって、それじゃあ、ととにかく大きな、楽しげなことを言おうと思った。

「さっきも言ったように、ビリケンさんとは人々の想いが生み出した神様だ。神のどれもがその要因があるが、古くからの神と比べ、新しい神である彼は、より“新鮮な”想いの集合体でもある。だからね、きみのお父さんとお母さんの気持ちと、きみの願いが、より合致してしまったのかもしれない」

決して悪い気持ちではなかったと思う。と告げられた言葉に、私はうんと頷いた。「けれども、きみが幸せであるということが、一体どうすればいいか、彼には分からなかったんだな」 ただそれだけだよ。と神父は困ったように笑っていた。

「もう、彼がきみの前に現れることはないと思う。その必要はないってわかったわけだしね。これで普通に暮らせる。除霊は完了だ」

きみの心に不安があるのかどうかわからなかったから、少し長期の除霊となってしまったけどね、と唐巣さんは笑った。私は慌ててお金を出そうとすると、「別に、私はただ君と話をしただけだから」 ゴーストスイーパーとして、何をしたという訳でもないんだな、これが。と情けなく頭をひっかいた。

結局、彼は私からお金を受け取ってはくれなかった。桜が咲き始める季節に唐巣さんは姿を消した。幸せでっか、と問いかける声がきこえる。イエス、と答える。けれども。

あのとき、迷うことなく幸せだと答えた理由を、私はほんの少し知っている。
冷たくなった私の手のひらを、ちょい、と彼は掴んだ。大きな手のひら。

私は口元に手を当てた。目の前に、男の子が立っていた。ほんならほんなら、とからころ笑って、くるくる人差し指を回している。


いつの間にか、私は一枚の紙を持っていた。『GS検定、試験者大募集中!』 書かれた紙の住所を見て、頷いた。ちらほら、とピンクの桜が散っている。
私は走った。まっすぐに走っていった。



    ***



「…………それで、さんはゴーストスイーパーになって、唐巣神父に弟子入りしたってわけ?」

ふううん? と首をかしげる女の子を相手にして、あはは、と私は片手を振った。「ちがうちがう」 なんの予備知識もない女子高生が合格できるほど、GS試験は甘くはなかったし、どこの事務所にも所属していなかった私は、すぐさまぺいっと叩きだされた。
けれども試験官の一人としてたまたま会場に来ていた唐巣神父と再会して、そのまま弟子として転がり込んだわけである。

「ふーん」
「令子ちゃん、つまらなさそうな声だねえ」
「当たり前よ!」

昔の私と同じような制服を着た女の子が、むっと拳を握って、ついでに眉間に皺を寄せた。「そんな便利な能力があるってんなら、私だったら一生掴んで放さないわね! 何もせずにお金が転がり込む、こんな素敵な話ってある!?」 ないわよね! とふんふん鼻息が荒い女の子の将来を想像して、ははは、と変な声で笑ってしまった。

いつの間にか昔よりも丸くなってしまった唐巣神父は、ときどき頭を抱えてぶつくさと言っているけれども、この才能にあふれた女の子の行く末は、きになるような、けれどもやっぱり怖いような、なんとも言えない気分である。

「まあまあ、私には過ぎたお金だったというか」
「えー!!」

なにそれー、とぷんぷんほっぺたを膨らます女の子の背中を押さえながら、「はいはい、そろそろお客様が来ますからねー」とごまかす。まあいいけど、と令子ちゃんは鼻を膨らました。美人さんなのに、ときどき鼻息が荒くなる子である。

「それで、さんはずっと先生のことが好きなわけだ」
「んん!?」

げほっ、と器官に唾が詰まった。いやいや、と首を振る。「いやいや、令子ちゃん、それはね」「私だったら、もっとお金持ちの懐が広い人がいいんだけど。さんってものずきぃ」「そこまで言っちゃう!?」 突っ込んだ後に、また慌てて首を振った。

「破門されてるんだから、そんなとこ気にしなくっていいのに、さんも先生も頭が固いわねー」
にやにや笑う年下の女の子の背を追って、違うからね、と何度も必死に否定した。からからと少女は笑っている。


     幸せでっか?


ぺたぺた、と小さな足音が聞こえた。
今でも時々、それは聞こえる。「幸せですよ」 私は小さな声で返す。

だからもう、だいじょうぶ。






2012.11.11
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弟子になって、唐巣神父に呼び方が変わった。