| 私がふらふらと室内を歩いていると、なにやらちょっと人通りが少なくなってきた。どうやらこの頃分かったのだけれど、このよく分からない建物の中には、人がたくさん出入りする場所と、しない場所があるらしい。 人がたくさんいる場所は、食堂とか、お風呂とか。 人が全然いない場所は、空き部屋だったり、なんだったり、実はよく分かっていない。 この建物の中はとっても広くて、私は時々迷子になってしまう。もともと方向感覚に自信がある方ではないので、ちょっとずつ自分探索できる場所を広めていった。時々ラビさんにくっついてよく分からない場所をたくさん移動するけれど、よく分からないから、分からない。自分が何処にいるのかも分からない。 小学生に数学を教えるのと一緒で、算数からゆっくりと理解しなきゃダメなのだ。たぶん。 けれども迷った。 「うう、だ、だれか、いるますか……」 冷たいコンクリートのような壁に手をついて、見渡す限り真っ直ぐに、均等に並んだドアを半泣きで見詰めてしまった。ドアとドアの一定間隔に、またまた長い廊下が通っているものだからシャレにならない!(こ、ここは、どこなんだー!) 私は一歩足を踏み出し、きょろきょろと辺りを見回して、またまた戻る。三歩進んで三歩下がる。だめじゃん! と脳内でツッコミをしながら、またまたきょときょとと辺りを見回す。 誰か人がいたら、聞けるのになぁ、と考えて、その人がもの凄く早口だったり、癖のある口調だったりしたら、またまた分からないに違いない。 「う、う、う」 どんどんどん。思わず地団駄を踏んでしまいそうだ。「だ、だれか、いるます……」 口をつく異国の言葉に、自分自身イライラとしていて、ぱっと叫んだ。日本語で。 「うあーん! 誰でもいいから出てきてくださいー!」 どうせ誰にも理解することができない言語は、またまた誰もいない廊下を駆けめぐる。さみしい。でもきちんと、自分の口が日本語を覚えている事に安心してしまった。 この国の言葉を半分も理解できないのに、日本語まで忘れてしまったら、一体私はどうすればいいんだろう。 ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間。 私のその叫びに呼応するように、曲がり角から小さな影が現れた。 その影について行くように、長い髪の毛がくるりと揺れる。斜め右に。 「う」 頭の耳よりも高い位置を、ウサギさんみたいに二つにくくった可愛らしい女の子が、ぱたり。斜め右に。 小さなうめき声と共に、私の足下へとごろりと転がり、暫くの沈黙の後、急速に私の止まっていた脳みそがギチギチと重苦しい稼働音をあげながら、動き始めた。 喉から飛び出そうになった声を思いっきりに押し込めて、バタバタと崩れ落ちるように倒れる女の子の隣に、膝を立て顔をのぞき込む。 さらりと流れた黒髪に、一瞬日本人だろうか、と考えたけれど、その顔つきを見て、「あ、違う」と分かった。なんとなく、違う。 (いややややや! そ、そんな、ことよりも!) 白い血の気のうせた女の子の肩をパンパンパン、とたたき、「あの、あの、あのう!」と彼女の耳元で大声をあげる。どうしよう、コレで気づいてくれなかったら、どうしよう。呼吸の確認の仕方も分からないし、携帯電話なんて便利なものも、もってない。ひゃくとーばん? ひゃくじゅうきゅーんばん? あ、あれ、れ? 肩に寄せていた手のひらが、べとりと気持ちの悪い感覚につつまれて、「え」とその手を持ち上げた。真っ赤に染まった手のひらに、一体コレはなんだろう、と冷静な頭で考えて、くん、と匂いをかぐ。「ひ、……ひぎゃっ」 情けない声のまま、ぺたりと地面に腰を下ろし、手のひらをついてしまった。床が血で汚れてしまったようだけれども、そんな事は、気にしていられなかった。ぐるぐるとただどうしようどうしよう、とずっと考えているだけで、目の前の彼女のまつげが、ふるりと小さく震えた事にも気づかなかった。 「………ぁ」 か細く聞こえた、可愛らしい声は、彼女のものだった。 私はサカサカと自分でも驚くほどのスピードで四つんばいに近づき、「だ、だいじょぶ、か、です!」 少女はパチリと大きく目を見開く。「大丈夫化です…?」 私よりももっともっと綺麗な発音で言葉を繰り返し、私は一生懸命首を縦にこくこく振った。 けれどもやっぱり不思議そうな顔をしている事で、あっと私は一つ気がついた。 「わたし、ことば、へんですか。へんかもです」 「……ううん、大丈夫」 彼女は微かに微笑み、身体を起こした。黒の色合いの所為で分かり辛いけれど、しっかりと血の染みこんだ、ラビさんやアレンさんと似ている服へと手を当て、「あーあ」 と何でもなさそうにパタパタと手であおぐ。 私ははっとして、彼女の服をぎゅう、と掴んだ。しみ出した血液がぽとりと垂れて腕を伝う。 「いむしつ、えと、医務室、いこう!」 「大丈夫、これはちょっと任務で出来ただけだから」 彼女の言葉の中によく理解が出来ないものが混じった。「にんむ?」いったい、なんの事だろう。彼女の服を掴んだまま、思うがままに口を開く「にんむ、わからない、えと、えと」 こういうときは、こうこうっていうんですよ。アレンさんがにこにこ笑いながら口にした言葉を思い出す。 「もっと、かみくだいて、おしえてくださ、い」 女の子はちょっと呆れたように、「任務は分からないのに、難しい言葉遣いは知ってるのね」「むずかしい?」「ううん」 ふいに、この間、ラビさんが頬に大きな絆創膏をつけていた事を思い出した。『ラビさん、それ、なに?』『ん、あー、こけたさー』 ラビさんってドジですね、と笑いながら終わってしまった会話だったんだけれども、やっぱりおかしい。 私はぺたりと床に座り込んだままの女の子を引っ張ろうとして、いいやだめだ、と誰か他の人を呼びに行こうと腰を上げた。 けれどもその子もまたその事を察知したらしく、私が立ち上がるよりも先に、私の手のひらをぎゅう、と握りしめる。 「………ダメ」 振り払う事も出来ずに、彼女は小さく、「兄さんが、心配、するから」 うう、と何度も足踏みをして、どすん、と私は腰を下ろし、女の子を、ぎゅう、と抱きしめた。 ほんの少し、鉄臭い。白いコックコートが、赤く染まる。 なんだかよくわからないけど、とっても、かなしかった。 BACK HOME NEXT 2008.11.08 |