| 結局彼女は、医務室に行く事はなかった。これくらい、といった彼女の言葉はどれくらい信用していいのか分からなかったけれど、私は彼女の身体を抱えるようにして、彼女の個室へと運んだ。 小さくか細い声で、彼女は最後に、ぽつりと呟いた。『………私、リナリー、あなたは?』 「………うう」 談話室のソファーにて私は座りながら、数日前の事を考えていた。兄さんが心配するって、一体どういう事だろう。なんてリナリーさんは、医務室をあんなに嫌がっていたんだろう。 丁度この間、食堂で包丁を握りジャガイモの皮むきをしていたとき、ほんの少し手を滑らせて包丁を指先がかすったときの事を思い出した。 ぷくっとふくらむ血のかたまりを唇で吸い上げていると、カウンターの向かい側から、年老いた、けれどもすっきりと通る女性の声が響いたのだ。『ちょっと、あなた』 看護婦さんのような格好をしたおばあさんが、じろっと私の指先を見詰めた。 『ちょっと医務室へいらっしゃい』 んむ? と首を傾げ、これくらい大丈夫ですよ、と軽く口答で伝えると、彼女は顔を鬼のようにしていったのだ。 『 恐ろしすぎて一瞬記憶がとんだ。海で転け、怪我をした場所からもごもごと芽が出てくるジャガイモバージョンを延々と聞かされたような気がしたのだけれど、取りあえず超こわかった! という記憶しかない。 彼女は婦長さんだったらしい。こわい。 (………リナリーさんも、あの人、恐かっただけなのかも、しれないなぁ) ちょっと前まで巻かれていたはずの指先の絆創膏を見詰めるようにすい、と天井に向けて、一本、指を突き出した。 「………なにしてんの?」 「あっ、ラビさん」 彼は不思議そうに私の指先を見詰め、ソファーの隣へと座り込む。やっぱり彼の頬には大きな絆創膏が貼られていて、よくよく見れば分厚い服の下にも白い包帯が所々目に見えた。 「ラビさん、それ」 ちょい、と指をさす。ん? と彼は首を傾げて、私はもう一回、絆創膏へと指をさした。「それっ!」 彼はポリポリと頬をひっかき、「あー」ときょろりと視線を動かす。「こけたさー」「前、きいた……」 だったらそーなんよ、と彼は私の頭を、ぐしぐしと撫でた。 何だか、とっても子ども扱いを受けているような気がする。 いつもはあんまり気にもならない事が、このときばかりはちょっとだけ、むっとしてしまったのだ。何だか私ばかりが一生懸命で、周りは全部それを知っている中、ちょっとだけ馬鹿にされているような気分になってしまう。 「ラビさん、私、こども、ちがう!」 私はパタパタと腕を動かして、よしよしと撫でる彼の身体を遠くへと追い出すようにぐーっと力を込める。そんな私を見て彼は「んー、ダイジョーブ、は子どもじゃないってー」 そういいながら、私の抵抗をひゅるりと簡単に受け流し、今度はもっともっと近づいてきた。 近づく彼の黒い服を見ながら、腕の中で必死にもがいて、「ちがう!」 よしよし、と私の頭を撫でる事をやめないラビさんに「わたし、じゅごさい!」 一生懸命の主張に、彼はん? と首を傾げ、「じゅごさい?」「じゅっ、じゅごさい」「……じゅごさい?」 取りあえず彼が、うんわかったわかった、と適当に流し始めたところからみるに、なにやら発音が間違っている気がする。おかしい。学校じゃあきちんとこうならったはずなのに。でも自分の記憶なんて一番当てにならないのだ。 私はええっと、と一生懸命頭を動かし、はっと気づいた。 「ら、ラビさん、いくつ!」 「んんー?」 ソファーに座っているものだから、いつもよりも近い身長差だなぁ、と思っていると、彼はにーっと口元をつり上げるようにして微笑んだ。「18。おにーさん」 私はその言葉を聞いて、さっと指を三本立てた。人差し指と、中指と、薬指。ラビさんが不思議そうに私の指を見て、呟いた。「………、3さい?」「ちがう!」 「まいなす! まいなすさん!」 「………、マイナス3才? そりゃあ奇天烈さー」 「も、もっとちがう!」 まったくもってダメダメだ。うううともう一回頭を抱えていたとき、丁度そこにアレンさんが通りかかった。相変わらずの白い髪に、タカタカと急いで廊下を歩いているところを見ると、用事があるらしい。申し訳ないのだが、私は大きく「アレンさん!」と叫んだ。 彼は気づいていなかったのか、私の問いかけに、ピタリと足を止めて、こちらを振り向く。そしていった。 「………相変わらず、仲がいいですねぇ、ラビと」 「仲がいいんさー」 ラビさんが、私の頭を撫でるどころか、後頭部をぎゅう、と掴んで引き寄せ、ご機嫌にポンポンと軽く叩く。 私はそれを無視して、「アレンさん、いくつ、ですか!」「え?」 なんでまたいきなり。そんな顔をしながら、彼は律儀にも、即座に答えてくれる。「15くらいです」 今度はちょっと私がビックリした。もっと大人だと思ってた! と口には出さずに、丁度いい、とラビさんの胸元辺りの服を、ぎゅう、と掴む。「ラビさん、わたし、おなじ」 彼はその意味を分かりかねたらしく、もっかいいって? とでもいうように、私の後頭部を、ぎゅうと、掴んだ。 「わたし、アレンさんと、おなじ、とし!」 力一杯叫んだ言葉は、ひゅう、と部屋の中に吸い込まれ、アレンさんが、「あ、そうなんですかー」とにこにこと笑う。きちんと通じたらしい。よかった。うん、うん、と頷き、私はラビさんの様子を窺った。 彼の表情はピタリと固まっていて、表情だけでなく、格好までもがまるで氷づけに冷凍保存されたのかのように、動かない。パチリとも瞬きもしない。 いつもニコニコとしている表情はなく、真顔のまま、どこを見ているのかわからないような目つきでじい、としていた。 「………ラビさん?」 私はたまらず彼に声をかけると、ぴくり、と微かに身じろぎをする。 「…………アレンと、オナジ?」 確認するかのように、静かに言葉を紡ぐ。気のせいかちょっとカタコト。大丈夫だろうか、この人は、と思いつつも、私はうんと頷いた。 その瞬間、ラビさんはぱぱっと私の身体と頭から手を放し、身体を放した。掴んでいた彼の服が、指の間からするりと抜け、あまつさえ人一人分ほど間を開け、ソファに座り直す。 アレンさんもちょっと不思議そうに、「ラビ?」と声を落としていた。「………ラビさん?」 彼は複雑そうな表情を貼り付けながら、ちょっとだけ頬を赤らめて、うう、と目を薄めながら変な風に首を斜めにして、うめくように呟いた。 「や、俺はずっと、こう、小学生くらいなもんかなぁ、と………」 うん、と自分で確認するかのように彼は頷いて、私は私で、子どもだと思われてるだろうなぁ、と考えていたけれども、そこまで下に見られていたとは、と微かなショックを受けてしまった。 「ラビさん、ひどい………」 「えーと、ごめんなー………」 やっぱりちょっと、頬が赤い。 BACK HOME NEXT 2008.11.08 |