| 「えと、あの、何かお手伝い出来ること、あるますか?」 私が聞いた言葉に応えてくれたのは、ツンツン髪に、どこか疲れたような瞳をした青年だった。薄汚れた白衣を着込んで、無精ヒゲを左の手でごしごしとこすり、右の手ではぶくぶくと泡立てた音をたてながら何かの飲み物を啜っている。 リーバーはんちょと誰かがいっていた。 「あーうーん、ないねぇ」 彼はやっぱり疲れたような顔をして、首をひねった。 そうかぁ、とかっくりと首を落としながらも、私はバネ仕掛けのように落とした首をまたはねさせて、ひょいとつっかかる。「あの、なでもいいのす。わたし、まえまで、お皿、洗ってました。ざつよ、よ、簡単なお仕事、ばっちぐーであります」 ぐいっと右親指を突き出すと、彼はほんの少し苦笑して、「や、ここにあるやつってさ、案外重要っつーか、あんまり他人にまかせられないんだよな」 ごめんな、と謝られた言葉に、私はこちらこそごめんなさい、とぶるぶると首を横に振った。お仕事邪魔してごめんなさい、とサカサカと後ずさる。 「でも君さ、室長から聞いたけど、ゲストなんだろう。まぁゆったりしといてくれよ」 「あ、そうます、ね」 ありがとうございます、と私は頭を下げた。 何もしない方が苦しいのだという事を、私は初めて知った。 あのコーヒーの、ほんの少し苦い匂いをまとわせた男性、どうやら彼はひつちょさんというらしい。 ひつちょさんがいうには、私はきっと異世界からやってきて、イノセンスと呼ばれる不思議物体にも関係している可能性があると神田さんを介して伝えられた。 イノセンスだかなんだか知らないけれど、私の日常は、ぐらりと変わってしまったのだ。日常というべきものなのかも不明だったけれど、お皿を洗って、カウンターでお仕事をして、慣れない英語を使って、ジェリーさんと、コックさん達と笑い合う。そんな事はどこかへとふっとんでいってしまい、現在、研究室と呼ばれるところへ、缶詰状態だった。 でも別に、何をされているという訳でもない。可能性があるから調べなくてはいけないと思いつつ、他にもやる事はたくさんあって、どんどんと私の事は後手に後手にと回っていた。ちょっと待ってね、ちょっと待ってね、といわれ続け、何だか気分は、お父さんに遊園地に連れて行ってくれるといった約束を延々と反故され続けている小学生だ。別に楽しみでもなんでもないけれど。 ただ一度、イノセンスを保有しているかどうか、というヤツが一回こっきりで、後は特に何もする事なく、ぼけーっとソファーに座り込み、忙しく回る皆さんを見詰めていた。 ちなみに、結果は報告されていないけれど、ひつちょさんが特に何もいっていなかったので、結局私はそのなんたらという不思議物体を所有していなかったんだと思う。どうだろ。 「偶然、こっちへとやってきただけかもね」 とても軽い調子で、ひつちょさんはいっていた。 回りの言葉は難しい単語が多すぎて、まったくもって聞き取れなかった。 ただ時々、リナリーさんが元々の彼女の仕事なのだろうけれど、研究室へと訪ねて来てくれる事が、とっても嬉しかった。 「、ほら、私の小さいころのぬいぐるみ出てきたの! にあげる」 「………あ、ありがとござます……(ぬ、ぬいぐるみ?)」 それでもちょっとだけの時間で、リナリーさんはどこかへと消えてしまう。倍増した寂しさに、彼女から貰ったくまさんをぐぐぐっと抱きしめて、顔を埋めた。ところで私はいくつだと思われているんだろう。色々と、激しく不思議でたまらない。 そんな事は当たり前で、今更で、けれども自分だけ置いてけぼりでぐるぐると忙しく回る彼らを見ていると、とてもとても悲しくなった。 「お皿洗い、したい、ます」 思わず口からついだ母国語以外の台詞に、自分自身、ちょっと不思議だ。慣れてきたなぁ、と思った途端にこれだった。 頭の中で、ふと、オレンジ髪の、真っ黒い眼帯をした青年を思い出した。 彼は今、何をしているんだろうか。 いつものカウンターに、「あれ、いないなぁあの子、どこにいるんだろう?」とちょっとは思っていてくれるだろうか。思っていて欲しい。そんでジェリーさんに、「どこにいるん? おしえてくんねー?」と、いつも通り、にっこり笑っていて欲しい。 ぎゅう、と身体を握りしめて、ソファーへと沈み込む。(………お皿洗い、したい…) 今まで、私って結構幸せだったんだなぁ、と感じて、ほんの少し泣きそうになってしまった。 (………変なの) 随分前、ラビさんに会えなくなったときと、同じような状況と、似ているけど、ちょっと違う。話してくれる人は、リナリーさんがいるし、ちょっとだけ、この場所がなんなのかが、分かったし、少しバイオレンスだけれど、日本語で話せる人もいる。 その上あのときよりも、言葉は分かるようになったし、忙しいながらも、ひつちょさんも、リーバーはんちょも、この空間には、話そうと思えば、話せる人がいるのだ。 そしてアレンさんも、ジェリーさんも、いろんな人がいるはずだし、赤髪さんも。 でも一番に会いたいなぁ、と思うのは、ラビさんだった。 お話したいなぁ、と思うのも、ラビさんだった。まだまだ、コミュニケーションが、上手にとれないはずなのに。 なんでだろうなぁ、と思いながら、ぱっくりと口を動かす。 あいたいなぁ、と呟こうとした台詞は、ごくりと飲み込んだ。そんな事をいえば、きっともっと会いたくなるに違いない。でも、会いたいなぁ。 BACK HOME NEXT 2008.12.23 |